介護タクシー

 家に帰ってきてから約20日後、横浜市立みなと赤十字に外来で診察に出かけた。


 ここでも生活保護と要介護2がモノをいい、送り迎えには介護タクシーがきてくれる。

 前日の夕方に時間の確認の電話が入り、翌日約束したよりも20分程度早く介護タクシーのドライバーさんがピンポンを鳴らす。

 そのドライバーさんが言うには、初回なので契約書にサインが欲しいのだと言う。そこで僕は彼に上がってもらって、差し出された書類にサインをした。

 自分の名前はおそらく一番良く書く文字列だろう。

 ところがこれがうまくまとまらない。

 それでもなんとかグチャグチャのサインをして手渡すと、ドライバーさんは丁寧に書類の束をカバンにしまった。

「では、行きましょう」

 ドライバーさんが先頭に立って、階段を一歩づつ降りていく。

 僕の歩みはまるで老人のようにのろい。だがそれに苛立つこともなく僕の先に立ってエスコートしてくれる。

「ゆっくりでいいですよ、気をつけてください」

 ドライバーさんは親切だ。

 杖を突きつつなんとか五階から一階に到着。今度は乗車だ。

 一般的にタクシーの場合は後席に座るものだが、介護タクシーの場合は助手席に座るようだ。

 後ろの席は車椅子を乗せるためのリフトやらが装備されているので、車椅子じゃない僕は助手席ということなのだろう。

 車の種類はダイハツのワンボックスの軽自動車。

 タクシーなのでちゃんとメーターがついている。ドライバーさんは僕のベルトを確認すると、丁寧に助手席のドアを閉めてからゆっくりと車を走らせ始めた。


 介護タクシーは普通のタクシーとは違って、運転が極めて丁寧だ。他の車よりは少しゆっくりめ。抜かれても焦ることなくのんびりと走る。

 道のりは30分程度かな? たまに道が混むそうなのだが、今まで混雑に突撃したことはない。

 ついでに言うと、介護タクシーの中ではマスクの着用が義務付けられている。僕はマスクが嫌いなのだが、これには従わざるを得ない。

 その日のタクシーはラジオを低く流していたが、どんな内容だったかはさっぱり覚えていない。なんか歌手に関する雑談をした気がするのだが、記憶はおぼろげだ。


 さて、タクシーが横浜市立みなと赤十字病院に到着すると、ドライバーさんは再び丁寧に入り口までエスコートしてくれた。


 しかし、介護タクシーは大変だなあ。

 なにしろお迎えはドアの前だもの。うちは5階でエレベーターがないのだが(どうやら大昔の団地をハウスメイトが改装して貸し出しているらしい。内装は綺麗だが、なにしろ築50年だからね)、嫌な顔一つせず迎えに来てくれる。最近はガサツなタクシーの運転手さんもたまに見かけるのだが、そういうところが一切ない。降る時は先導し、登る時は後ろから見守って転倒に備えている。


 診察の予約11時。ちゃんと再診受付機に診察券は通してある。これで受付は終了のはずだ。

 僕はよろよろと脳神経外科の待合室まで行くと、柱に頭を預けることができる席でのんびりと順番が巡ってくるのを待ち始めた。


 確か到着したのは10時50分くらい。そして予約は11時だ。

 だが、待てど暮らせど僕の名前が呼ばれる様子はない。

 周囲の患者さんたちが徐々にはけていき、12時を回った頃にはほとんど誰もいなくなっていた。

 一組、家族連れと思われる人たちが神妙な顔をして座っていたが、それ以外は僕だけだ。

 そしてその人たちも診察室に吸い込まれたのち、看護師さんから名前が呼ばれた。

「蒲生さんはいらっしゃいますか?」


 その看護婦さんが言うには、再診の受付をしたのち、脳神経外科の受付を続けてしなければいけないらしい。

 僕は再診受付だけで良いと思っていたので、脳神経外科にまでは情報が行っていなかったようだ。

 ともあれ、指示された通りに血圧を測定し、受付に持っていくとクリアファイルを渡された。これを持ってしばらく待って欲しいとのこと。

 再び待合室に戻り、指示された診察室の前の椅子に座る。

 今度はすぐに呼び出しがあった。

 なんせ最後だ。手間取る理由は特にないよね。


 ドアを3回ノックし、中に入る。

 中には見覚えのある大柄な医師が僕を迎えてくれた。長身短髪。身体が分厚い。

 だが名前が思い出せない。何度か言葉を交わしたはずなんだけどなあ。

「私の名前は覚えていますか?」

「いえ、申し訳ありません」

 心の底から申し訳なく思って頭を下げる。

「そうですか……何度かお会いしているんですけどね。私の名前はTです」

 その後T医師は手術が必要であることを説明してくれた。

「手術を受ければ、おそらく回復すると思います」

「それは、どれくらい回復するのでしょう?」

 今の状態はかなり残念だ。それで痛い目に遭っても治療効果がないのでは意味がない。

「90%以上は回復すると思います」

 言語障害も治るのかな? 歩行障害もうっとうしい。

 そうしたわけで僕は手術を了承した。どうせタダだもの。やらない理由はあまりない。

「現時点での最速ですと、5月9日に手術となります。全身麻酔で1時間程度です。5月8日に入院してもらって、5月9日に手術にしましょう」

 T医師がキーボードとマウスを操作しながらテキパキと入院手続きを進めてくれる。

 こうやって僕の手術は5月9日に行うと決定された。

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