追跡②
約束の時間が近づいてきた。
山下りえは時計の針が5時20分を指しているのに気づいた。
もう、こんな時間。5時半の約束に遅れてしまうかも。
女子テニス部の顧問に今日は用事があるから早めに上がると伝え、手早く着替えて体育館に向かった。
体育館は西棟の一階から渡り廊下でつながっている。テニスコートから目と鼻の先だ。
着替えに手間取り、時間に遅れそうだったから、全速力で走った。
すると、そこにはひらきちゃんがすでに待っていた。
「りえピン、遅いよ!」
ひらきちゃんは時間にうるさい。大雑把に見えて妙に細かいところがある。
「ご、ごめん。ちょっと、部活に集中してて……」
息切れしながら答える。
「うーん、仕方ない。今回は見逃してあげる。行こっか!」
ひらきちゃんはそう言うと、換気のために開け放っている体育館側面のドアから中を覗き込んだ。
バレーボールが床に叩きつけられる激しい音と、床とシューズが擦れるキュッキュという音が聞こえてきた。
暫くすると練習が終わったのか、バレー部員がこちらに向かってくる。
その中で一際体が小さく、ビブスを着た女の子が歩いてきた。彼女が今村伊澄だ。
「おーい、イマムー!」
ひらきちゃんの声は大きくて聞き取りやすい。おかげで今村伊澄がこちらに気がついたようだ。
「あっ、ひらき先輩とりえさん、2人揃って何かあったんですか?」
練習を終えたばかりの今村が走ってこちらに来た。
「うん、ちょっと伊澄ちゃんに聞きたいことがあってね。この後少し時間もらえる?」
「良いんですけど、着替えてからでもいいですか?汗臭いから、さっとシャワー浴びて着替えてくるんで」
そう言い終えると、伊澄は手に持っていた水筒の蓋を開けて飲み始めた。余程喉が渇いていたのか、水筒の中身を一気に飲み干してしまった。
「ぷはぁっ……お茶が最高です。じゃあ、着替えてくるんで10分程待ってもらえますか?」
「うん、行っといで」
ひらきがそう言うと、今村は走ってシャワー室へ向かった。
「イマムーは元気だなぁ」
「そうだね。練習の後でもよくあんなに走れるよね」
…………
「先輩〜お待たせしました」
今村が戻ってきた。ひらきちゃんは横目で見て、口をとがらせてむっとした顔をしている。
「遅い!1分遅刻だよ!」
「えぇっ!本当ですか?すみません」
いつも思うが、ひらきちゃんは基本的に寛容な人間なのに、時間に対しては本当に厳しい……というか、余裕がない。
スマホのストップウォッチ機能を使ってまで計る必要があるんだろうか。
私達は正門に向かうため、西棟校舎沿いをゆっくり歩き始めた。
「で、聞きたいことって何ですか?」
「伊澄ちゃん、11月頃に腕時計を無くしたことがあるでしょ?無くしたときの状況を教えてもらえないかなと思って」
今村は腕組みをしながら、目線が右上の中空を彷徨っている。
「いいんですけど……、半年前くらいの話だから、あまり詳しく覚えてないですよ。でも、どうして腕時計を無くしたことを知っているんですか?」
「裏サイト見たことある?あそこにイマムーの名前が載ってたんだよ。実は私も腕時計を無くして、困っているんだ」
………ひらきちゃんの様子が少し変だ。何か、顔が強張っている。
ひらきちゃんの目線の先を追うと、今村伊澄の右手首の腕時計に辿り着いた。
何か色が見えてる?それもあまり良い色ではないのだろうか?
「あ〜裏サイト……。ちょっと気味が悪いですよね。他人の名前を勝手に載せるなんて、最悪ですよ」
そういいながら、今村はそれほど気にしていないようだ。
どちらかというと、ひらきちゃんの態度のほうが気になるが、聞き取り調査を優先した。
「伊澄ちゃん、腕時計を無くす少し前のことを覚えてる?この授業の前までは持ってたとか?」
また、目が右上の中空を彷徨い始めた。これが今村の考える時の癖なのだろう。
「確か……あの日、体育の授業があって、その前までは持ってたんですよね。中上先生には授業に必要ないものは身につけてくるなと言われるから……」
中上は体育教員で生活指導も担当している。ここ2日でよく名前を聞く。
「だから、腕時計を外して……確か机に放り込んだ……いや、バッグの方だったかな……。」
半年前のことだから、これくらいの記憶しかないのだろう。次の質問に移る。
「それで、無くした時計ってどんなデザインの時計だったの?」
あまり事件には関係ないかもしれないが、一応聞いておく。
「それ、本当に気に入ってたんですよね〜。革のベルトで、時計盤に太陽と月がくるくると動くような可愛いデザインだったんですよ」
時計盤に三日月状の窓があって、時間帯に応じて、月と太陽が表示されるギミックが入っているタイプの時計かな?
ここで一つ思い出したことがある。
「裏サイトの情報だけど、伊澄ちゃんの時計は金属製のベルトって書いてあったんだけど…無くしたのは革ベルトの時計なの?」
「えっ、裏サイトのことはよく分からないですけど、無くしたのは革ベルトの時計ですよ」
その時、スマホから着信音が鳴った。悟くんだ。
「ごめん、ちょっと電話出ていい?」
「いいですよ。彼氏ですか?」
なんとも嫌らしい顔をしている。そんなんじゃないってば。
『山下、今どこにいる?』
「西棟の北側あたりを歩いていて、正門に向かってるよ」
『分かった』
一言で電話が切れた。
悟くんらしい無駄を省いた事務的な会話だった。そういうところ、あんまり好きじゃない。
「彼氏さん、何かやらかしましたか? 」
「えっ、なんで? 」
「だって、ちょっと面白くなさそうな顔をしてますよ」
そんな、顔に出していたつもりはなかったんだけど……。
ずっと黙っていたひらきちゃんが突然、話題を変えた。
「イマムー、新しい腕時計を買ったんだ」
「あ……いや、これは貰い物なんですよ」
立ち止まって、うっすらと嬉しそうに微笑みながら、少し下を見た。
ひらきちゃんの質問に、ほんのりと顔を赤くしている。
「あ〜分かった!彼氏からもらったんでしょう?その腕時計」
ひらきちゃんが恋愛の話題を出すなんて、雨でも降るんじゃないか。やっぱりひらきちゃんの様子がおかしい。
「いや……その、ちょっと……いいなって思ってる人からもらったんですよ」
「えぇ〜誰からもらったの?教えてよ〜」
ひらきちゃん……らしくない。伊澄ちゃんから相手の名前を聞き出そうとしている?
思考をめぐらせるが……分からない。仕方ない、後でひらきちゃんに意図を確認しよう。
その時、肌に冷たい何かが当たった感じがした。
もしかして本当に雨が降ってきたのかな?そう思って、上を見上げた次の瞬間だった。
黒っぽい何かが上から降ってくるのが見えた。
えっ?
ドンッ
鈍い音がしたかと思うと、周りに水と砂が飛び散った。
一瞬の出来事だった。
全てが理解できたのは、ひん曲がり、穴の空いた銀色のバケツが目の前に転がってきてからだった。
「ひ、ひらきちゃん!!伊澄ちゃん!!」
やっと出た声は、自分が思っていたよりも大きな声だった。
「えっあぁあ……」
今村伊澄が真っ青な顔で膝から崩れ落ちている。
周りを見渡すと、少し離れたところにひらきがうつ伏せに倒れていた。
おかしい……
あることに気がついた。
バケツが落ちた付近にもう一人、人影がある。
自分の血が一気に引いていくのが感じられる。
「さ、悟くん……?」
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