02 新たな風

「……ものの見事に、誰も来ませんですねぇ」


 和緒がそんなつぶやきをもらすと、森藤は「あああ……」と頭を抱え込んだ。

 部活動説明会の翌日、軽音学部の部室においてのことである。放課後となってから十五分ほどが経過しても、入部希望者が姿を現すことはなかった。


 部室には、軽音学部の全部員が集結している。『KAMERIA』の四名に、新たな部長たる森藤と副部長たる小伊田である。今日は新入部員を迎えるために『KAMERIA』もバンド練習を差し控えており、めぐるはアンプのボリュームを小さく絞りつつひたすら運指の練習に励んでいた。


 町田アンナは生音でギターを爪弾いており、他の面々はなすべきこともなく漫然とパイプ椅子に座している。そんな中、森藤がいつまでも悲嘆に暮れていると、小伊田がふにゃふにゃと笑いかけた。


「だ、大丈夫だよ、森藤さん。もし初日が空振りだったとしても、明日以降に来てくれるかもしれないし……ほら、去年だってゴールデンウイークを過ぎてから三人も入部してくれたじゃないか」


「でも……もしひとりも入部希望者がいなかったら……わたしたちの代で、軽音学部の伝統が途絶えちゃうんだよ……?」


 がっくりとうなだれた森藤は、悲壮そのものの面持ちである。

 すると、町田アンナが普段よりも遠慮のある声量で発言した。


「部員が五名を切ったら、同好会に格下げになっちゃうんだっけ? だけどまあ、来年にもチャンスはあるんだし、今から落ち込んでもしかたないっしょ」


「でも――!」と勢いよく顔を上げてから、森藤はまたうなだれてしまう。


「でも……せっかく町田さんにも頑張ってもらったのに……これでひとりも入部希望者がいなかったら、わたしは先輩たちにも顔向けできないよ……」


「森藤ブチョーはこんなに頑張ってるんだから、誰も怒ったりしないよー。そんなやつがいたら、ウチがぶっとばしてやるさ!」


「おやおや。暴力の行使はご法度じゃなかったっけ?」


「今のは、もののたとえだよー! ほんとーにぶん殴ったりはしないってば!」


 軽口を叩く和緒に普段通りの笑顔を返してから、町田アンナは慌てて神妙な顔を取りつくろった。心優しい町田アンナは、森藤の心境を慮っているのだ。そしてめぐるも内心では、森藤になんべんも頭を下げていた。


(……新入部員なんていなくていいやとか思っちゃって、ごめんなさい)


 めぐるは卒業ライブに参加して、OBの面々とも顔をあわせて、巣立っていく宮岡部長たちの姿を見届けたというのに、まだ軽音学部に対する帰属の気持ちというものが育っていないのである。かくも、めぐるは人格に難のある人間であったのだった。


(わたしって、本当に自分本位の人間なんだなぁ。……かずちゃんたちは、どう考えてるんだろう)


 和緒はいつも通りのポーカーフェイスで、栗原理乃は所在なさげに視線を漂わせている。森藤に心配げな眼差しを送っているのは、町田アンナと小伊田のみだ。部室には、森藤のかもしだす悲嘆の空気がみっしりと充満してしまっていた。


 そうしてさらに五分ほどが経過した頃――町田アンナが、「うん?」と小首を傾げた。


「なんか、表に人の気配を感じるんだけど……これって、気のせいかなー?」


「あんたは武芸の達人かい。……と、言いたいところだけど、あたしもそんな気がしてきたよ」


 和緒は面倒くさげに立ち上がると、外に通じるドアに近づいていく。

 そうして和緒が、何のためらいもなくドアを押し開けると――とたんに、「ひゃーっ!」という悲鳴が響きわたったのだった。


「あなたたちは、何をしているのかな? 何か用事があるなら、ご遠慮なくどうぞ」


 和緒が身を引くと、ドアの向こう側に二つの人影が見えた。

 どちらも女子生徒で、片方は小柄、片方は長身だ。見るからに泡を食っているのは、小柄なほうの女子生徒であった。


「もしかして、入部希望者? だったら、こちらにどうぞ!」


 森藤がパイプ椅子を蹴倒す勢いで立ち上がると、小柄な女子生徒はいっそう取り乱してしまう。そして、部室の奥からぽかんと見守るめぐると目が合うと――その小さな顔が、たちまち真っ赤に染まってしまった。


(あれ……どこかで見たような気が……)


 めぐるが内心で小首を傾げていると、ついにその二名が入室してきた。長身の女子生徒が小柄な女子生徒の背中を押している格好だ。そうして両名の身が室内に収まると、和緒の手によってドアが閉められた。


「ようこそ、軽音学部へ! さあ、座って座って! 何も遠慮することはないからね!」


 森藤が声を張り上げると、小伊田が「あはは」とのどかに笑い声をあげた。


「そんなに意気込んだら、いっそう緊張させちゃうんじゃないかなぁ? とにかく、こちらにどうぞ。何も怖がることはないからね」


 それでも小柄な女子生徒が動こうとしないため、また長身の女子生徒がその背中をぐいぐいと押しやった。

 小柄なほうは、せいぜいめぐると同程度の背丈であるようだ。いくぶん茶色がかった猫っ毛のショートヘアーで、短い毛先を無理やりおさげにくくっているのが珍妙かつ可愛らしい。首から下も、めぐるに負けないぐらいちんまりとしていた。


 いっぽう長身のほうは、新一年生とは思えない風格だ。手前の少女よりも十センチほど長身で、どちらかといえば細身だが、いかにもスポーツを得意にしていそうな引き締まった体つきをしている。頭はツンツンと毛先がはねたベリーショートウルフで、やたらと勇ましい表情をしているため、軽音学部よりも運動部が似合いそうな雰囲気であった。


「僕は三年二組の小伊田で副部長、こちらの森藤さんは部長だよ。今すぐ入部を決める必要はないから、よかったら話をさせてもらえないかな?」


 小伊田がそのように言葉を重ねると、長身の少女が低い声音で「はあ」と応じた。


「こっちもお話をうかがいたくて出向いてきたんですけど、いざとなったらこの子が怖気づいちゃって……ほら、そんな挙動不審だと、憧れの先輩に愛想を尽かされちゃうよ?」


「り、りっちゃん! 余計なこと言わないでよー!」


 と、小柄な少女は背後に向きなおるなり、小さな両手の拳で長身の少女の肩口をぽかぽかと叩く。しかし長身の少女は、びくともしなかった。


「憧れの先輩? もしかして、誰かと同じ中学だったのかな?」


 小伊田が穏やかに問い質すと、りっちゃんなる長身の少女は「いえ」と首を横に振った。


「中学は、関係ありません。この子、『KAMERIA』っていうバンドにハマっちゃったんですよ。それで一念発起して、ここまで押しかけることになったわけですね」


「だ、だから、余計なこと言わないでってばー!」


「きちんと説明しないと、あんたの挙動不審の言い訳が立たないでしょうよ。一緒に変人あつかいされるのは、ごめんだよ」


 長身の少女は、仏頂面で肩をすくめる。その姿に、町田アンナが「あはは!」と笑った。


「なんかクールで、和緒っぽい! で、そっちのコはちっちゃいから、なんかめぐるみたいだねー!」


「それは誹謗中傷の極みでしょ。あたしに似てるなんて言われたら、あたしは絶望のあまり首をくくりたくなりそうだよ」


 そんな風に言いながら、和緒はもとのパイプ椅子に着席した。


「でも……確かに何か、見覚えがあるんだよね。もしかしたら、卒業ライブに来てたとか?」


「はい。あたしもこの子の付き添いで、ご一緒することになりました。それでこの子は、ますます『KAMERIA』ってバンドにハマっちゃったみたいですね」


 そんなやりとりを耳にしためぐるは、ついつい「あっ」と声をあげてしまった。


「も、もしかして……そっちのその子は、ベース側の最前列にいましたか……?」


「はい。いちおうあたしも、その隣にいましたけどね」


 長身の少女は、記憶に残されていない。ただ、小柄な少女は――『青い夜と月のしずく』の演奏中に、滂沱たる涙を流していた人物であったのだ。


 その少女は長身の少女に取りすがるような格好で、めぐるに背中を向けている。そして首だけをねじ曲げて、めぐるのことをちらちらと盗み見ていた。


「とりあえず、自己紹介させていただきますね。あたしは北中莉子きたなか りこで、こっちのこの子は野中すずみです。どっちも、一年五組です」


「北中さんと、野中さんね。卒業ライブまで観に来てくれたなんて、嬉しいなぁ。どこで『KAMERIA』の存在を知ったの?」


 小伊田が如才なく問いかけると、やはり長身の少女たる北中莉子が答えた。


「中学の卒業間近に、SNS経由で『KAMERIA』のライブ動画が回ってきたんです。なんか、うちらが入学する高校の先輩らしいよっていう触れ込みで。そうしたら、この子が一発でハマっちゃったんですよ。それまでは、バンドになんて何の興味もなかったはずなんですけどね」


「へー! なんだか、めぐるみたいじゃん!」


 町田アンナが愉快げに声をあげると、小柄な少女たる野中すずみはびくりと小さな体をすくめる。その間も、彼女は赤い顔でめぐるの姿を盗み見ていた。


「それでまあファン心理が暴走して、自分もバンドを始めたいって欲求に取り憑かれたみたいです。あたしもこの子も完全に未経験者なんですけど、問題ありませんか?」


「もちろん、未経験者だって大歓迎さ。ね、部長?」


「うん! 誰だって、最初は未経験者だからね! 入部してくれたら、わたしたちが練習のサポートもしてあげるから!」


 森藤が勢い込んで声をあげると、野中すずみは勇気を振り絞った様子でこちらに向きなおってきた。

 相変わらず、その小さな顔は真っ赤である。そして気合が暴走しているのか、むしろ怒っているかのような顔になってしまっていた。


(なんだか……柴川さんみたいだなぁ)


《マンイーター》のベーシストたる柴川蓮も、憧れの存在であるフユを目の前にするとこういう形相になってしまうのだ。

 しかしこの野中すずみという少女が見つめているのはフユではなく、めぐるである。めぐるがその事実を処理しきれずにまごまごしている中、野中すずみは裏返った声を張り上げた。


「そ、それじゃあ、あの……こ、こちらの軽音学部に入部すれば、わたしはめぐる先輩にベースを教えていただけるんですか?」


「うん。ベースだったら、僕と遠藤さんだね。……そういえば、君は遠藤さんの名前も知ってたんだね」


「は、はい。ライブの最中に、そちらの先輩さんが名前を口にしていましたから……」


 と、野中すずみはもじもじしながら、めぐると町田アンナの姿を見比べる。そして、意を決したように言いつのった。


「わ、わたしはめぐる先輩みたいになりたいんです! ど、どうかわたしに、ベースを教えてください!」


「おおー」と拍手をしたのは、和緒であった。


「ついにあんたにも、信奉者が現れたねぇ。ま、いつかこんな日が来るんじゃないかと思ってたよ」


「うんうん! めぐるのプレイは、やっぱインパクトあるもんねー! あんな極悪な音であんなフレーズを弾かれたら、誰だって夢中になっちゃうさー!」


 和緒も町田アンナも普段通りの立ち居振る舞いであったが、もちろんめぐるは平静でいられなかった。


「で、でも、わたしだってまだキャリア一年の初心者ですし……や、やっぱり小伊田副部長みたいにしっかりした人が教えたほうが……」


「もちろん、僕も協力するよ。でも、いずれは受験勉強で時間が取れなくなっちゃうしさ。ここはやっぱり、遠藤さんが中心になって進めてほしいかな」


 めぐるは大慌てで視線を巡らせたが――町田アンナはにこにこと笑っており、和緒はクールなポーカーフェイス、栗原理乃はひとり気の毒そうな表情で、誰も口をはさもうとしなかった。


「それで、北中さんも入部してくれるのかな?」


 森藤が期待を込めて身を乗り出すと、北中莉子は「はあ」と自分のショートヘアーを引っかき回した。


「まあ、今のこの子をひとりでほっぽりだすのは、ちょっと心配なもんで……そんな不純な動機でも、入部を認めてもらえますか?」


「ちっとも不純なんかじゃないよ! 誰だって、たいていは友達同士で最初のバンドを組むものなんだからね!」


「そうですか。ただ、あたしはちまちましたことが苦手なんで、できればギターとかは遠慮したいんですけど……膝に故障を抱えてても、ドラムってのはできるものなんですか?」


「膝に故障? 事故にでもあったの?」


「いえ。あたしは中学二年まで柔道部だったんですけど、膝靭帯を痛めて引退したんです。日常生活に支障はないんですけど、ちょっとした運動でもごついニーブレスをはめないといけないんですよね」


「ほほー!」と声をあげたのは、町田アンナである。


「なんか体幹がしっかりしてそうだなーと思ったら、柔道の経験者かー! けっこうやりこんでたんじゃないのー?」


「はあ……黒帯を取得するなり、即引退でしたけどね」


「中二で黒帯とか、最速じゃん! やっぱ、ウチの見立てに間違いはなかったかー!」


 町田アンナが満足げに笑うと、北中莉子はうろんげに眉をひそめた。


「ずいぶん柔道にお詳しそうですね。もしかしたら、そちらも経験者ですか?」


「いやいや! ウチは柔術とキックとMMAだったよー! どっちみち、中二で引退したけどね! でも、柔道の経験者とか聞くと、血が騒いじゃうなー!」


 そんな風に言ってから、町田アンナは和緒に向きなおった。


「で、ドラムに関してはどうなんだろ? 和緒センセー、解説をお願いします!」


「そんなもん、怪我の具合によるでしょうよ。……ちなみに、痛めたのはどっちの膝なのかな?」


「左です」


「なるほど。ま、バスドラよりはハイハットのほうが無理がないだろうから、セッティングはそのままでいけるか。……ただし、細々としたことが苦手なら、ドラムでも泣きを見るかもよ?」


「そうですか。でも、ギターやらピアノやらよりはマシな気がします。もちろんヴォーカルなんてのは、死んでもごめんですからね」


 北中莉子は和緒が相手でも、まったく物怖じする気配がなかった。

 そしてめぐるの思惑とは関係なく、どんどん話が進められてしまっている。めぐるは何とかこの状況を打破するべく、声をあげようとしたのだが――それより早く、部室のドアがノックされることになった。


「あのぉ、こちらは軽音学部ですよねぇ? ちょっとお話を聞かせていただけますかぁ?」


 ドアの向こうから現れたのは、ひょろひょろと背の高い男子生徒である。

 かくして、森藤や小伊田は満面に喜びの思いをあらわにして――めぐるは、発言の機会を失ってしまったわけであった。

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