29話 隠密


「すみません、麦茶しかなくて……」


 ソダムがテーブルに麦茶と西瓜スイカを運んで来た。


「いえいえ、そんな、お構いなく」


 勝又は申し訳なさそうに頭を下げた。


「それで、武村くん、こちらはどなた様かね?」


 目黒さんは何かを感じ取り、勝又を警戒しているようだ。

 俺が狼狽うろたえている様子を見て、勝又が自らを始めた。


「私は勝又慎一郎かつまたしんいちろうと申します。を勤めさせて頂いております」


 !!


 この自己紹介に、目黒さんとソダムは目を丸くして驚いた。

 楽しそうなのはひかりだけ。


「おじさん警察屋さんなの!スゴーイ、カッコイイね」


「ハハッ、ありがとう……えっとお嬢さんは?」


「あっ、わたしは武村ひかりです」


「なんと!武村くんの娘さんか」


 勝又長官は、驚き俺に視線を合わせてきた。

 俺は黙って視線を外した。

 ダニーとの勝負で記憶を取り戻した俺は、誰にも言えない事も思い出していたからだ。


「あ、あの……主人とはどんなご関係なのでしょうか?」


 ソダムは焦燥しょうそうした。

 そして同じく目黒さんも……。


 そりゃ当たり前だ。

 暗殺者の俺が警視庁長官と顔見知りだなんて普通は有り得ない。

 俺の正体を掴み、手錠を掛けに来たくらいにしか思えないだろう。


「実は、嶋田……いや、武村くんは警視庁のシークレット特殊暗部隊『ONMITUおんみつ』のメンバーです」


「け、警視庁……暗部……」


 目黒さんは驚愕し、額に脂汗が滲んだ。


 俺は即座に土下座し、畳に頭を擦り付けた。


「みんな、本当に申し訳ない!この事は隠す隠さないのレベルでは無い事なんです。言ってしまえば国家機密のような事で……」


「嶋……武村、頭を上げなさい」


 俺はゆっくりと頭を上げたが、視線は下げたまま動かすことが出来なかった。


「補足しておきますと『ONMITU』は、内閣特命担当大臣からひとり、公安委員会からひとり、そして警視庁長官わたし……この3人で立ち上げた隊。内閣総理大臣ですら知らない機密です」


「そ、総理ですら……」


 目黒さんは固唾かたずを呑んで長官の話に聞き入った。


「立ち上げた理由はターゲットにあります。ワケあって法で裁けない者、権力でコトを揉み消す者……私は警視庁長官という立場に有りながら、このような者たちを裁くことが出来ない自分が不甲斐ながった。その者たちがのさばり生きている事が許せなかった」


 家の中は沈黙し、蝉の鳴く声だけがやけに耳障りだった。

 そして目黒さんが沈黙を破った。


「しかし……長官殿、総理も知らない機密情報を何故我々なんかに?」


「聞きたいですか?殿」


 !!


 勝又長官は目黒さんに不敵な笑みを見せた。


「アハハッ、いや、冗談ですよ。別に貴方をどうこうする理由は私には無い。勿論、誰かに情報を漏らすこともしない……あ、情報開示した理由でしたね?それは……」


 勝又長官が語ったのはこうだ。

 俺が、目黒さんやダニーといった裏社会の人間と深く関わりを持った事、韓国の案件で任務を失敗した事で除名を決めた。更に、俺が事件に巻き込まれ死亡した事で除名が確実なものとなった。しかし、一~二ケ月前、俺が警官二人に追われた時、監視カメラに写り、生きていた事を知った長官はどうしても一度俺に会っておきたかったとの事だった。

 俺の性格上、きっと隊の事を心のどこかに引っかかったままだろうと分かっていたし、除名した事を直接伝えたかった。

 俺が名前を変え、新しい暮らしをしている事を知り、現状を見た今、ご家族の前で除名を伝え、皆に安心して貰いたい……そう思ったようだ。


「だから武村くん、これからは家族の為に生きなさい。もうこちらの世界に足を踏み入れるな、それだけだ」


 勝又長官はそう言うと俺に微笑みかけ、麦茶を飲み干した。


「それでは皆さん、大変失礼しました。どうぞ彼を宜しくお願いします」


 笑顔で家を出た勝又長官。


 だが、俺は見逃さなかった……

 ジャケットの内ポケットから顔を覗かせる白い封筒を。


 俺は頭を悩ませた……勝又長官の気持ちを組んでこのまま見送るか……それとも、追いかけて行き白い封筒の中身を確認するべきか。


 俺は馬鹿だ。

 気付かぬうちに険しい表情になっていた。


 当然ソダムも目黒さんも気が付く。

 ひかりにも雰囲気で伝わる。


「武村くんよ、せっかく長官殿が皆を安心させてくれたというのに、自らそれをぶち壊そうとは……勝手が過ぎるぞ」


 目黒さんは正論を叩きつけた。

 ひかりとソダムは不安そうに俺を見ている。


 俺は自分に対して怒りが爆発した。

 拳を握りしめ、歯を食いしばった。


 そして……情けない事に涙を流した。


 ゴツッという鈍い音が部屋に響いた。


 俺は目黒さんに殴られ、土間に突き飛ばされた。


「大馬鹿者めっ!長官を追うのが怖いか!家族に不安を与えて情けないか!迷いのある自分が憎いか!ソダムもひかりもワシも……こんなチンケな男にココに居て欲しくはないゾ!お前が居ると皆が暗くなるわい!出てゆけっ!」


 ソダムも、ひかりもフォローはしてくれなかった。

 そりゃそうだろ……自分自身でもフォローし切れない。


 ひかりを独りにしたくない……

 もうソダムと離れたくない……


 けれど……今の俺には無理だ。


 何よりも大切な二人を包んでやる事が出来ない。


 目黒さんの言う通りだ……今の俺はココに居る資格は無い。


 俺は起き上がると玄関から飛び出した。

 皆から逃げるように……


 いや、逃げたのでは無い!

 ケジメを付ける!

『ONMITU』の嶋田暁に終止符を打つ!


 そして、俺は……武村恭二は必ずココへ戻る!
























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