9話 日常

 だいぶ寒さも和らぎ、山からの雪解け水が私道の緩やかな坂を流れてゆく。


 ひかりは平日は学校、土曜日の午後は公民館でのゴスペルサークルに参加している。


 活動は二時間程あるので、送った後は一度帰宅して、仕事をする。

 そしてまた迎えに行くというルーティンになっている。


 陽が落ち始めた頃仕事を切り上げ、暗くなる前に迎えに行った。


 公民館の駐車場では、サークルのメンバーが談笑している。

 俺は停車して皆に挨拶をした。


「ひかりちゃん、また来週ね!バイバーイ」


 小学生の部にも友達が出来たらしい。

 もっとも、皆 フレンドリーに接してくれるので、ひかりも安心して楽しんでいるようだ。


「ひかり、今日は山でふきのとうを採ってきたぞ。夕食は天ぷらだ」


「ふきのとう?分かんないけど天ぷら嬉しい!なんだかお腹空いてきちゃったよ」


 歌うと意外にカロリーを消費するようで、サークルの帰りは大体夕食の話だ。


 帰宅後、早速天ぷらを揚げる。

 具材を入れるとじゅわっと音を立て、香ばしい匂いが鼻と食欲を刺激する。


「ねぇ、パパまだぁ?もう限界なのだが……」


「危ないからコタツに入って待ってなさい。もう揚がるから」


「さあ出来たぞっ!熱いうちにお食べ」


「ほら、これがふきのとうだよ。お口あーんして」


 ひかりは大きく口を開け、ふきのとうの天ぷらにかじりついた。


「うわぁっ!苦いっ!何これ、不味いよ」


 ひかりはティッシュにそれを吐き出した。


「あー!勿体無い!食べ物もティッシュも大事にして!」


「だってぇ、ただ苦いだけなんだもん」


 ひかりはまだ顔をしかめている。


「この苦さが上手いんだろ?!」


 俺は天ぷらとビールでひとりご機嫌だ。


「ひかりはコレね……」


 ごっそり


「おいっ!さつまいもの天ぷら全部持っていくなよ!パパも食べたいよ!」


「へっへっへっ、早い者勝ちなのだ」


 いつもこんな感じで食卓を囲み、一緒にお風呂に入り、一緒に寝る。(俺は常日頃つねひごろ警戒を解かないので30分ほどしか目を閉じないが)


 これ以上の幸せはない。


 あっという間に1週間が過ぎ、土曜日がやって来た。


 だが、その日はいつもの土曜日にはならなかった。


 オレンジ色の空の元、迎えに行く途中珍しく道が混んでいた。

 ここは田舎なので車の通りも少なく、渋滞に巻き込まれた事は無い。


(ヤバいな、これじゃ暗くなってしまう……)


 スっと背伸びをして前方を覗き込んだ。


 目の前にはガラスフィルムを貼った黒いワンボックスカー、その前にも同じ車、その前にはバイクが2~3台……ガラの悪い若者達がノロノロと運転している。


 俺は危険を察知した。


(マズイ!完全に油断した!)


 クラクションを鳴らすが、俺の方を振り返りニヤニヤする男達……


 夜のとばりが降り、辺りは暗くなった。


 その時、急激にスピードをあげるバイクとその後を付ける黒いワンボックスカー!

 目の前の車は徐行して俺の行く手を阻む。


 やがて公民館が見えてきた。


 既に殆どの人達は帰宅しており、玄関の中に2~3人いるだけ。

 ひかりは俺を待ち、駐車場にひとりでいた。


 バイクと黒い車が駐車場寄りに停車させると、車のスライドドアが開いた。


 中から二人の男が飛び出し、ひかりを担いで車に乗せた。


 そしてそのままスピードをあげて発車した。


「クソッ!どういう事だ?!」


 少し間を開けると、前の車もスピードをあげて走り出した。

 まるで俺に着いて来いと言わんばかりに……。


 暫く車を走らせると、郊外にある廃工場へと停車した。


 既にバイクともう1台の車は無人、立屋内に入ったようだ。


 前の車から3人の若い男が降りてきた。

 俺もエンジンを止め外に出る。


「何のつもりだ?」


「まあまあ、中に入りましょうや」


 俺の問いにひとりの男がヘラヘラと答えた。


 今動くのは得策では無い。俺は男達の後に着いて、中へと入った。


 天井が高く、周りには錆び付いた工事車両が数台ある。だだっ広い工場跡地だ。


 目の前には数十人のガラの悪い若者達が俺を見てニヤニヤしている。


 俺はそいつらの間を割り込んで、前へと進んだ。


 奥にはソファーがコの字に並べられている。

 正面にいる顔の左半分にタトゥーを入れた男がボス、その横でヘラヘラとナイフを弄っている短髪の男が腰巾着こしぎんちゃくってとこか。

 そして、周りのソファーに座る筋肉隆々の男3人が幹部といったところだろう。それから俺の後ろにいる23人が駒か。


 タトゥー男が口を開いた。


「初めまして、武村さん?」


「汚ねぇアジドだな。娘は何処だ?」


 俺は男から目を逸らさない。


「まあ、落ち着いてよ。アンタが殺し屋なのかい?」


「……俺は農業を営んでいる、ただの農夫だ。娘は何処だ?」



 ザワザワ……


 後ろの方から声が聞こえる。


「おい、聞いてた通りだぜ、農夫だってよ!」


「おい!お前ら黙ってろ!!」


 タトゥーの男が恫喝する。


(聞いてた通り?!……なるほど、そういう事か)


「娘は何処だ?」


「見た目は普通のアンちゃんなんだけどなぁ……殺し屋なんだろ?」


 今度は短髪が聞いてきた。


「娘は何処だ?」


「おいおい、話になんねぇな。頭イッちゃってるぞコイツ」


「おい、短髪君。マヌケ野郎に言われる筋合いは無い。さっさと言え、娘は何処だ?」


 鼻筋にシワを作り苛立つ短髪男。


「仕方ない、まずは連れて来い」


 タトゥー男が合図すると手下2人がベッドを運んできた。

 そこにいたのは裸で眠らされているひかりだった。


 俺のこめかみはピクリと動いた。


「安心してパパ、何もしてないよぉ」


 短髪男はひかりの腕に汚い顔で頬擦ほおずりした。


 俺は動揺や怒りを見せない。


 こんな時こそ冷静が大事だ。

 しかし、今の俺には冷静なフリをするのが精一杯だった。


「さて、はしてくれそうにないな。まずは戦って貰おう。おい、カメラをまわせ」


 タトゥー男が顎で指図すると、幹部のひとりが動画を撮り始めた。


「では農夫さん、後ろにいる愉快な仲間たちとやってみてよ」


(ちっ……めんどくせぇ。23人……2分少々ってとこか)


 俺はその辺に転がっていた長さ30cm程の鉄パイプを手にした。


「え?あんな短けぇのでやれんのかよ?」


 アホ共の笑い声が廃工場の鉄壁にコダマした。


 遊びに来た訳では無い。

 俺は自分から仕掛けていった。


 例え短い得物でも、相手の急所をつくには好都合だ。



 2分12秒後、俺の周りには23人のアホ共が転がっていた。


「マジか?アイツ息も切れてねぇ……」


 短髪男はポカンと口を開いていた。


「さて、娘を返せ」


「まだ……強いのが3人いるんだ。相手をしてやってくれ、武村さんよ」


 幹部の筋肉男3人が立ち上がった。

 背も高い、ちょっとは出来るっぽいな。構えが違う。


 しかし……俺の相手では無かった。

 カッコよく立ち上がった幹部さん達はあっさりと地面に転がった。


 俺はカメラを取り上げると足で踏み壊した。


 そしてタトゥー男を睨みつける。


「さて、話はだろう……富沢刑事からの依頼で、娘を誘拐し俺を怒らせる。そして暴れたところを動画に収めて傷害罪、または殺人罪で。だろ?!」


 暫く口をつぐんでいたタトゥー男が俺の話を認めた。


「頭も切れるってか。凄いねアンタ」


「もう一度だけ言っておくぞ。俺はただの農夫だ」



 俺は暗殺者を辞めた。


 だが、辞めたからと言って聖人になった訳では無い。クズはクズだ。

 しかし、俺はひかりに対する非道な行為を許す訳にはいかない。絶対にだ!


「俺は殺し屋では無いが、お前らと同じクズ野郎だ。たかが半グレ集団ごときで怯える事も、屈する事も、負ける事も……そして許す事も無い」


 俺の圧力でタトゥー男はソファーから立ち上がれない程、身体が言うことを聞かなくなった。


「お前らは頭が悪いようなので、俺が


「な、なんだよオイ、金か?金なら全て渡す!見逃してくれないか?」


 短髪男はもう心まで折れていた。


「金?そんなものは要らねぇ。むしろ金を払ってでもお前らは許さねぇ。さて、最初にだが、お前らは娘を誘拐


「は?!そ、そういうなら逃がしてくれよ!」


「ダメだ。続きだ……タトゥー君、お前は富沢刑事から受け取った金を独り占めにしようとした。そして、それに腹を立てた短髪君と幹部君達が反乱を起こしたんだ……こんな風に」


 俺はソファーに座るタトゥー男を蹴り飛ばすと、馬乗りになりタトゥーの入っていない顔の右半分を変形するまで殴った。

 そして、肋骨ろっこつの上にてのひらを添えると波がうねるような衝撃を与えた。


 ゴキッ!という音と、タトゥー男の大きな叫びが無気質な鉄壁に響きわたった。


「心配するな、俺は殺し屋じゃないからしない」


 俺の不敵な笑みに二人の男は完全に恐れおののいていた。


「おい、短髪……ペンチ持って来い」


「え?」


「ペンチを持って来いと言ってる」


「は、は、はい」


 短髪は逃げることも忘れ、俺の言いなりになっていた。


「よし、短髪君。キミは娘を裸にし、頬擦りをしたな……」


「ひ、ひぃぃっ!!」


 短髪男は震え上がり思うように手も口も動かない。



 俺は暗殺者だった。

 しかし、非常な殺しは滅多にしない。

 感情が薄いからだ。

 拳銃で一発で終わらせる。


 今の俺は違う……


 ひかりを……娘を怯えさせ傷付ける者は容赦なく罰を与える。


 短髪野郎に暴力は振るわなかった。



 をしてやった。


 ある意味殺された方がマシだったかもしれない。


 俺は最後に言い放った。


「お前達半グレ集団は仲間割れを起こした。娘を誘拐していない。俺にも会っていない。これではお終いだ。分かった……よな?」




 この時期の夜はやはり寒い。

 冷たい空気が身体を刺す。


 暖房の効いた暖かい車内でひかりは目を覚ました。


「あれ?パパ!……ひかり、悪い人達に捕まったの!」


 ひかりはヨダレあとそでで拭きながら起き上がった。


「アハハッ!夢見たのか?!そりゃ怖かったろ。大丈夫だよ、ひかりはずっとパパと居たよ。車でぐに眠ってしまったんだ」


「あれぇ?そうだったかなぁ?」


 ひかりは眉を八の字にして首を捻った。


「それよりお腹空いたんじゃないか?今日はカレーライスだぞ!」


「え、やったぁ!カレーライス大好き!」


 俺はひかりとの大切な日常を守り続ける。


 それが今の俺の仕事だ。






















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