22.あこがれの残骸 —賑わい—-2
彼の視界では、客がたくさんいるようだった。
シャンデリアの煌めく、暖色のホール。
それは
彼はその人々の隙間を縫って進む。
黒騎士の我々は、基本的に要人警護要員としてパーティーに呼ばれている。彼もおそらくそうだったのだろう。ふとホールから外に出た彼は、関係者IDを通して楽屋裏へと向かった。会場にはステージがあったため、演者の為の小さな控え室などがあったのだ。警備要員の弟は、そこまで入ることができ、彼は、そこからステージ裏に入り込み、カーテンの裏に身を隠していた。
私は、何をしているのだろうと思ったものだった。
重々しいベルベットのカーテンの合間にいた彼の耳に、いつしか音楽が聴こえてきていた。カーテンの隙間から、そっと左目を覗かせて彼はステージを見やった。
それはカルメン幻想曲だったと思う。
その視線の先で、ピアノの音に合わせ、何者かがフルートを吹いていた。それは私自身だった。
私は驚いていた。弟が私の演奏を聴いていることはなかったと思っていた。
『相変わらず、良い音だな』
と、弟の思考が流れ込んできた。
『悔しいけど美形は横笛似合うし、兄貴のやつ、なかなか技術もあるんだよな。おれも、ああまではできなくていいんだが』
弟はため息をついた。
『おれも、あいつみたいに音楽が楽しめれば。いや、おれには無理だよな』
弟の独白が続く。
『おれは、兄貴と違って、もっと戦闘用だし』
弟は曲が終わるまでしずかにきいていたが、私が舞台を捌けるころには、そっといなくなっていた。
ふと場面が変わった。
空気の変化が、時間の経過を感じさせる。
弟は軍服を着ているようで、私はそこが基地の中だと気づいていた。
「修復は要らねえっていったのに」
ぼそりとつぶやく弟の視線の先には、手袋を外した右手があった。それは血の通ったものだった。
弟は作られた時のデザインで、最初から右腕は欠損して作られていた。我々がヤミィ・トウェルフの叛乱に対して派遣され、能力強化のために"修復"された時、弟には生身の右腕が与えられた。
実際は、弟は、必要に応じて、義手を使っていることがあった。元からの設定を再プログラムして修正して、右腕を作ることは、弟の戦闘力的には良いことだろうが、実際はリハビリ期間を要するものだ。事実、弟はこの後、右腕の筋肉や神経の制御に苦労して、痛み止めに頼るようになったのだから。
この戦力アップの措置にせめてアマツノ達、我々、初期ロットの制作に携わったものがいれば、きっとそうはせずに義手との連携に留めたかもしれない。
しかし。
「でも、まあ、せっかくなんだし、さ」
と弟は、どこからか持ってきたケースを座っていたソファの前のローテーブルに置いた。
黒い革のケースには、白騎士の楽隊のマークが刻まれている。
「慰問イベントで使う奴がいる口実で、借りてきたけど。へへっ」
弟は苦笑してケースを開けた。
そこには、銀製のフルートがあった。そっと弟はそれを手に取ってみる。
「義手だとおれの方のラーニングと腕の機械制御の仕方がイマイチ合わねえんだよな。医者にはお前には向いてないって言われてたけど、神経繋がってる今ならいけるかも」
弟は照れたような表情を見せる。
「でも、いつまであるかわかんねえし、右手があるうちに、吹けるようになりてえよな。どのみち、リハビリもするんだし、いいだろ」
ちょっとはにかむようにわらって、弟は手に取った。
弟には音楽的な素養はない。
彼の人格設定的にも、音楽的才能も素養も全く期待されてもおらず、与えられてもいない。むしろ歌の音程をとるのが苦手なほどだった。
しかし、作られた人工生命体である我々は、一時的にではあるが、簡単に技術を取得できる学習システムが備わっている。ゼラチン・チップというゼラチンにデータを載せたものでラーニングを行えば、音楽的な素養がなくてもある程度対応できるようになるのだ。
もちろん、技術をきちんと習得し、自分のモノとするためにはそれなりの努力が必要であったが、一時的に楽しむ分にはそれで問題がない。
弟の手元にフルートに関するゼラチン・チップの空袋があったので、彼はそれを使ったのだろうと知れた。
「それじゃあ」
どこかでプリントしてきたものか、譜面をぱさりとテーブルにおいて、弟はそっと笛を吹いてみる。
ラーニングでの一時習得で得られる技術は、あくまで一時的なもの。その技量はそつなくこなせる程度で機械的に感じられるものだが、それでも個人的に楽しむ分には十分だった。
「へへっ、結構いけるじゃねえか。ははっ」
いくつかの練習曲を楽しむ彼は、はにかむようにしながらも一人で笑っていた。
これは前線への派遣前のことだ。正直に言えば、私は相当驚いていた。
テーマパーク奈落での屈辱的な任務から解放され、久々に戦闘のために召集され、敵愾心を燃やしていたヤミィと大義名分を持って戦うことができる。そんな大一番を前にして、体を慣らす目的もあるとはいえ、彼が右腕を使って最初に行ったのが、剣を振るうことではなく、音楽を楽しむこと。しかも、明らかに私の影響をうけていたこと。
それは全く予想外だった。
しかし、少々たどたどしいながらも演奏を楽しむ彼は、なんだかほほえましい気がした。今の、少年の姿の弟につながるような気がした。
が。そんな穏やかな時間はすぐに壊されてしまった。
「ッ!!!」
弟が突然顔をゆがめた。右手の指が引きつり、そのまま硬直してしまう。フルートを取り落としてしまい、弟は顔をゆがめて右手をつかんだ。
「ッ、いて、え、……」
弟の右の指が痙攣していた。慌てて弟はピルケースを取り出した。適当に机の上に白い鎮痛剤を投げ出すと、それを水で流し込み、ソファにもたれかかってうずくまる。
「くそ、発作が」
『楽器の演奏?』
ふいに弟の脳裏に修復時、彼を担当した研究員の男の声がよみがえっていた。
右腕の修復がなされた時、弟は、興味本位だがと嘘をついて楽器の演奏はできないかとたずねたものだった。
しかし、その返答は辛辣なものだった。
『元からそんな背景のある設定にされてないだろう?』
『君はそんな繊細な作業を行うことを、想定されて作られていないよ。義手でもうまくいかなかったのは、君の適性がそう作られていないからだ。……無理な作業は神経痛を引き起こす可能性もあるから、君は任務外の余計なことをしないほうがいい。アマツノ様にもマガミ様にもそう伝えられている』
『ドレイク? 君は彼とは運用方法が違うだろう? 君にはとにかく繊細な行動が求められていないんだ』
『君にはそんなものは求められていないんだよ。第一、君に演奏を求める人がどこにいるんだ。君の右腕や目を修復したのは、より効率的に戦闘を行うためだ。それ以上は求められていない。細やかな作業は無理だ。発作のもとになる』
『やめておきなさい。君には無理だよ』
『君は、そんなことをしなくていい』
「畜生!」
がしゃあっと、弟は癇癪を起したようにテーブルの上のフルートを叩き落した。
「くそっ、なんだよ、なんだよお!」
弟は吐き捨てた。その声がふるえていた。
「おれじゃなんでだめなんだよ。兄貴にできて、なんでおれにはだめなんだ。同じ戦闘兵器なのに、あいつにはできて、おれだけなんで……」
ぼろぼろと弟の頬にあついものが流れた。フルートに降りかかる水滴は涙だった。
「おれは、……ただ音を楽しみたいだけなのに」
私は、弟が泣いているのだと知って正直驚いていた。
「あいつみたいに、きれいな音を自分でつくりたかっただけなのに」
弟は忌々しげにフルートをにらみつけながら、隠すことなく泣いていた。
「おれには、なんで、だめなんだよ……」
弟の涙に光るフルートは、あこがれの残骸をきらきらと輝かせ、彼の嘆きを冷徹に受け止めているだけだった。
***
一曲、あの時と同じカルメン幻想曲を吹き終えたところで、私はぼんやりとしてしまっていた。
吹いているあいだ、金魚のマルベリーがうっとりしたようにふわふわと空中を漂っていたのを、漠然と覚えていたが、私の脳裏には過去の弟の記憶と感情が流れ込んできてしまっていて、それどころではなかった。惰性で演奏しおえることはできたのだが。
ぱちぱち、と弟とロクスリーが拍手するので、ようやく我に返ったが、まだぼんやりしていたようで、弟がてててと駆け寄ってくる。
「あにさま?」
ふいに声をかけられて、我に返ると、猫耳帽子の弟が私を見上げて怪訝そうにしていた。
「あにさま、笛、ふくの嫌だった?」
心配そうに見上げる弟に、私は思わず何かしらの感情がこみ上げるのを耐えた。
「いや、そんなことはない。久々に楽しかったぞ」
私はなんと言って良いかわからなくなり、彼に尋ねた。
「……お前は、前から私の演奏を聞いてくれていたのだな」
「うん。あにさまの音、きれいですきだったから。でも、恥ずかしいから、隠れてきいてたの」
「うむ」
と、弟はちょっと寂しげな顔をする。
「おれは、そういうのできないけど、あにさまはとってもうまいから」
普段、なにかと突っ張っている彼にとって、見えるところで聞いているのは気恥ずかしいから、という理由は確かにあったのかもしれない。一方で、彼が隠れていた理由はもう一つあるのではないだろうか。
それは彼の、彼にしかわからない私への劣等感ゆえのものだったのでは。
(私は、ネザアスの何をみていたのだろう)
私はかつて弟の傷に触れてしまった。今更ながら、あの時弟が怒った理由がわかるような気がした。
発作を起こさぬよう、気をつけてリハビリをしなければいけなかった弟は、剣を扱って神経痛を起こしたのではない。ただ、設定された自分の存在を超えて、音楽を楽しみたいという希望のために、体を壊してしまっていたのだ。
弟はそれを後悔しただろうか。そして、不用意な私の言葉に傷つき、腹を立てたのだろうか。
私は思わず弟の頭に手を置いた。
「そんなことはない。お前はまだ自分にぴったりな楽器が見つかってないだけだ」
私は涙を流したりすることはないが、それでも目の辺りがなにか変な感じに熱くなる。
「それに、お前はいろんなショーで音に合わせて活躍できていたのだ。けして才能がないわけではないと思う。きっと、お前だって」
思わず言葉でなくなる。そんな私に、きょとんと弟が目を瞬かせる。
「そうかなあ」
「うん。そうだ」
私はうなずいた。
「帰ったら、一緒にお前に合う楽器を探そうか。いつか、お前と一緒に演奏を楽しめると良いな」
「ほんとう? うん、それは楽しみ!」
「ああ」
弟がにこりとするので、私はふと安堵する。
「よかったね」
そんな私たちをみて、ロクスリーがにやりとする。弟の記憶や感情は彼にももしかしたら少し感じるところがあったのかもしれないけれども。
「ここはとんでもない荒地だけれど、それだけにゆったり時間が流れる。音楽を楽しむ余裕もできやすい。他のことにも気づきやすくなるよ」
彼は何かしらふくめたようにいいつつ、ゆるやかに泳ぐマルベリーをあやしながら言った。
「それはそうと、もっと聴かせておくれよ。マルベリーもキミの笛、もっと聴きたいって」
「うん、あにさま、おれももっと聴きたい。なにか吹いて」
私はそう言われて、少し救われた気分になった。
「うむ。そうだな、それでは」
私は、笛を手にしながら。
あのような賑わいの中でなくてもよい。
いつしか、弟と共に音楽を楽しむ機会が持てたら、と薄くながら願うのだった。
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