17.青い釣り糸 —砂浜—


 私が基地を出て、戦闘をはじめるころにはすでに雨はこやみになっていた。

 13号基地に仕組まれた装置により、霧が立ち込めてきていたが、きっとこれはそれだけでなく先ほどまで降っていた雨と、近くの小川のせいでもあるのだろう。

 しっとりと足元の砂は濡れている。

 そんな緩やかな霧の中で、マルベリーの紅い光にぼんやりと照らされたロクスリーの色あせた髪の毛が目立つ。

「サーキット? ロクスリー殿が?」

 私がぽつりとつぶやいた言葉は、彼に届いたのだろうか。

 ちらりとロクスリーが私の方を見て、薄く目を細める。

「そんなはずはない!」

 と声を上げたのは、サーキット・サーティーンを名乗っていた黒騎士だった。

前任者オリジナルはすでにいないはずだ! あの男の、記録は抹消されている! 完全に消去されたはずで、いるとすれば、偽物だ!」

「ちがうもん。にせものはお前だろ!」

 と否定の声をあげたのは、意外にも弟だった。

「おれは知ってる! サーキィって名前のおまえは、本物じゃない! ずっと前から、おれ、知ってたんだからな!」

「黙れ!」

「あまつのだって、わかってたのに! 知らないふりしてたの、おれ、知ってたんだから!」

「まあまあ。ネザアス、それくらいにしておいて」

 と、穏やかに肩をすくめたのは当の本人だ。

「別に良いじゃあないか。記録データ抹消は多分事実だと思うし、まあ、消されたことになってるでしょ。大体、オオヤギさんに根回ししてもらったのに、うちのゲートキーパーくんに認識してもらうのもかなり苦労したよ。アマツノくんが、最低限のデータをくれてなきゃ、キーパーくんが私を消し炭にしようとするところだったもの」

 と、ロクスリーは言いながら、

「どうせ、マガミくんが細工していたんだろう。彼はアマツノくんが自分を完全に信用していないことに気づいていた。それに、あのヒト、同じ顔のわたしがうっすらと自分を監視してることも知っていた。それが嫌だったんだろうねえ。だから、わたしを罠にはめた上、自分の思い通りになる、複製品コピーのサーキットをすげかえて」

 ふっと彼は笑った。

「でも、キミは可哀想だと思うよ。マガミくんたちの確執に巻き込まれちゃってさ。とはいえ、彼らに殺意を抱こうがなにしようが結構だが、叛乱するのはいただけないな。その先の目的があれば止めはしないけど、キミたちに何の未来があるの?」

 と彼は言う。

「ヤミィに何吹き込まれたのかしらないが、叛乱を成し遂げて何をしようとしてる? まさか王様だの神様に、なりたいわけじゃあないだろ、彼は。そういうヒトじゃないからね。彼の目的はそんな大それたことじゃない」

 ふと、サーキット、もとい、サーキィが焦った様子になる。

「それに、キミの考えもわかるよ。キミはわたしの複製だから、すごく単純。どこまでも強くなりたいだけのこと。ヤミィについていけば、確かに強くなれる。ただ、他の黒騎士達を誑かしたときは、もっとそれらしい理由で誘ったんだろうけれど?」

「ッ、貴様!」

 ざあっとロクスリーの足元の砂が煙のように立ち上るが、彼はふわっとそれを避ける。

 ロクスリーは例の釣り竿しか持っていない。しかし、私は彼の釣り竿の糸が先ほど青く輝き、汚泥を切り裂いたのをみていた。

(あれは何だ? あんなふうに戦う黒騎士を、見たことがない)

 ロクスリーは、サーキィ・サーティーンを煽るだけ煽っておいて、自分はいつも通りの飄々とした態度だった。

「ああでも、サーキィのボウヤ。キミの気持ちもわかるし、一つ大事なところで同じ思想なんだ。わたしはね、こう見えて楽しい座右の銘があるんだ。こういう時はそれを実践しちゃう」

 サーキィの命令を受けたらしい黒騎士達が、彼に迫っていく。ロクスリーは不敵に笑った。

「力こそパワー、ってやつをね!」

 ロクスリーはそういうと、釣り竿を力任せに振り回した。その瞬間、釣り竿はしなることなくまっすぐになり、近づいてきた黒騎士達を払いのけた。

 その勢いを持ち、彼が払いのけたのは鞘だった。釣り竿として持ち歩いていたその中から、真っ白な刀身が現れた。

「やれやれ、今日の釣りは少し本気を出させてもらうよ」

 そういうと、ロクスリーは剣の刃に親指を触れさせる。薄く滲んだのは赤い血ではなく、黒い液体だった。

(あれは、まさか黒騎士物質ブラック・ナイト?)

 それを刀身に塗りつけるように滑らせると、刀身が青く光り出す。その切先に糸のようなものが見える気がした。

 ロクスリーは、その親指でそっと金魚のマルベリーを撫でやると囁く。

「さて、レディ・マルベリー。久々にお仕事だよ。……行け!」

 ばっと空中に投げやると、マルベリーの姿がぶわっと広がり、真っ赤な鳥の姿になる。

「凄い! マルベリー、鳥になってる!」

 と、弟が反応する。

「あれは」

 火を纏う鳥のように高速で飛んでいくのは、緩やかに浮かんでいた金魚の姿とは対照的だ。

 反射的なものか、泥の獣のいくつかが、それを追いかけて飛び上がる。

 ロクスリーには、黒騎士達が襲いかかっていたが、彼は長剣を振り牽制した。

 その長剣の先で、キラキラと複数の青い光が霧の中に反射する。

 私はハッとした。

「ネザアス、危ない。離れていよう」

「うん」

 弟も何か理解したのか、素直に私に従う。

 サーキィ達黒騎士は、まずはロクスリーから制圧しようとしているらしい。私とネザアスは、その隙をついて、深まる霧の中に身を隠す。

 空のマルベリーはくるりと反転し、急降下してロクスリーと黒騎士の間を何度も飛び交う。

「力は確かに強いが!」

 とサーキィが長剣を振り下ろすのを、ロクスリーが受け止める。

「それだけじゃないか! 力なら、私の方が強い!」

 上から叩きつけてくるサーキィの長剣は、長く重い。ざんとロクスリーの足が、砂に深く埋まる。

 が、ロクスリーも、力では負けていないらしく、そのまま切り返した。

「キミこそ、お馬鹿さんだな。何のために砂州を選んだと思ってるんだい」

 ロクスリーはニヤリとする。

「さっき、わたしの戦闘スタイルを見せたやったのに、無警戒だな」

「なんだと?」

「この戦法は砂浜じゃなきゃ使えないんだよ。なにせ、障害物があると"ひっかけ"にくいだろう!」

 知らずマルベリーの誘導する方向に、青い光が途切れ途切れについていく。

「あにさま、あれ」

「うむ」

 弟が気づいたのと同時に、ロクスリーが叫んだ。

「マルベリー、来い!」

 と、その瞬間、マルベリーが体を反転させるとロクスリーのそばを通り過ぎる。その瞬間、ふっと体を捻るようにして左手で空を掴んだ。その手に青い光がまとまる。がっと力ずくで引き寄せた途端、水を吸った重たい砂が飛び散り、青い細い光がばっとその場に走った。

 ぎゃああ、と悲鳴が上がり、黒い塊と化していた黒騎士と泥の獣が極細の光に切り裂かれる。

「あにさま、あれ、”糸”だ」

「うむ、ネザアスも気づいたか?」

 ロクスリーはその光を振り払うと、長剣をざあっと振るった。

 長剣の先にはやはりか細い糸のような光が伸び、ロクスリーの思うがままに動き泥の獣を切り裂く。

 彼が体を軽く捻るだけで、青い糸はシュッと敵を切り裂いていく。

「アレは、普通の糸ではないな」

 私はつぶやいた。

「あれは剣に連なるものだろう。しかし、このような戦い方をする黒騎士は初めて見た」

 元々サーキットの剣は、他のものより長い。しかし、先の糸のようなものを操作することで、彼はあまり動くこともなく距離を保ったまま攻撃ができていた。しかし、まっとうな飛び道具ではなさそうだ。

(ロクスリーは、戦闘直前に自分の血を刀に吸わせていた気がした。血、いや、あれは我々の体を構築する黒騎士物質ナノマシンだった。あれが糸の正体か?)

「マルベリーが、糸くわえて飛んでるのかな?」

 弟に尋ねられて、私は頷く。

「うむ、彼女が誘導しているのは間違いない。目に見えない糸が無数に張り巡らされている。そして、最後に手で掴んで」

 もしや、生体エネルギーを流し込んだのか?

 そんな戦闘方法を行う黒騎士もいないが、そんなことができる武器も知らない。

 あの刀自体もマルベリーも、私には見当がつかなかった。かつてのサーキット・サーティーンはそんな武器もなく、助手もいなかった。

 それを見ていた弟が、ボソッと言った。

「んー、ロクスリーのオッサン、あたま、筋肉詰まってるんだな。ぜんぶ、力ずくでやってる」

「えっ?」

 きょとんとすると弟はいった。

「あの竿、ふりまわすのも、糸をしめつけるのも、すごく力いる。しかも、ぜんぶそれ、力ずくで動かしてる。あんなの、おれ、むりだよ。おっさん、筋肉バカなんじゃないかなあ」

「た、確かに」

 失礼な物言いだが、その言葉は、どちらかというと技術重視で戦闘してきた彼らしい分析だ。

 一見、優雅な動きをしているロクスリーだが、よく見ると弟の言う通り腕力にものをいわせている。

「しかも、オッサン、一歩もあそこ動いてない」

 確かにロクスリーはほぼそこから動いていなかった。位置をほとんど変えていないため、体力の消耗はあまりなさそうだ。

「あ、ああ、そうか」

「オッサン、なまけものだよね」

 弟は呆れたように呟くが、私は逆に驚いていた。

(昔のサーキットは、あんな戦い方をしなかった気がするが。寧ろ、もう少し積極的に動いていたはずだった)

 その違和感がひっかかったが、ともあれ、ロクスリーの仕掛けた戦闘により、黒騎士達は総崩れになっていた。

「ちッ!」

 サーキィ・サーティーンは不利を悟ったらしく、後退する。足元の黒い汚泥が砂の上に黒い液体を引いた。

「おっと、逃げる気かな、レプリカくん!」

 そんな彼を庇うかの如く、入れ替わりにほとんど不定形な肉体をした黒騎士が体を崩しながらロクスリーに襲いかかってきた。

 その黒騎士を斜めに切り裂きながら、ロクスリーは初めてサーキィ・サーティーンを追いかけて足を踏み出す。跳躍して飛びかかった一撃目を避けたサーキィが体を汚泥で包みながら霧の空中に飛びあがり逃げていく。

「のがすか!」

 ロクスリーは、そのまま刀を跳ね上げた。

 切先の糸が青く輝き、まだ残っていた先の黒騎士と空中のサーキィ・サーティーンを切り裂いた。

 濡れた砂がざくっと飛び散り、濁った叫び声が聞こえる。

 しかし、砂と共に落ちた黒いカケラが、地面に落ちるととぷんと何か潜るような音が立てて消えた。

「おっと、レプリカくんの核は地面這わせてたか」

 飛びちった汚泥の一部が、砂に潜り込んだ形跡が残されていた。どうやら、分離した時に地面に核の部分を残していたようだ。

「これができちゃうとは、思ったより、化け物化が進んでるなあ」

 ロクスリーの言う通りだ。このようなことができるのだから、あの男はもはや相当不定形化が進んでいるのだろう。

 しかし、ロクスリーは、それ以上追いかけるつもりはないらしい。

「まあいいや。面倒だし、ヤミィに、よろしく伝えておくんだよ」

 のんきにそういうと、ロクスリーはふとため息をついた。

 ふわっと上空を旋回していたマルベリーが、彼の肩に戻ると溶けるように形を変えて、いつの間にか金魚の姿に戻っていく。

「お疲れ様、レディ。今日も綺麗だったよ」

 ロクスリーは、キザにそういうと晴れてきた霧の合間に私たちを見つけたようだった。

 

 *


 戦闘が終わり、静けさが戻る。

 雨はやみ、霧が晴れてくると、小川沿いの砂州は小さな砂浜みたいになっていた。

「ここ、気に入ってるんだよね」

 と、開口一番、ロクスリーはどうでも良いことを言う。

「本当のビーチみたいだろう? 実はね、わたしは意外と海辺がすきなんだ。それで、この13号基地にも海っぽい要素が欲しくてねえ。ちょっとゲートキーパーくんに無理を言って整備してもらったんだよ」

 と、ロクスリーは、なんでもないような顔をして言う。

「まあ、釣りは湖で釣るのも好きなんだけど」

 そういって、彼は戦闘前に払いのけ、砂をかぶっていた長い鞘を拾い上げるとゆっくり長剣を収める。刃を納めてするりと撫でやると、鞘の部分が変形していて一見本当の釣り竿のようだ。

「ここ、引退後のわたしの別荘としてはなかなかだろう。長兄殿」

 関係ない話をべらべらとマイペースに話していたロクスリーは、ようやく私をみて悪戯っぽく笑った。

 長兄と呼びかけた彼は、私に発言機会をくれたものらしい。

「ロクスリー殿、いや、サーキット……」

「ああ、名前はどっちで呼んでくれてもいいよ。でも、ロクスリーの方が気に入っているから、そっちの方が嬉しいな」

「では、ロクスリー」

 私は言い直して、彼を警戒するように見上げた。

「先ほどのサーキィが複製品レプリカというのはわかった。しかし、なぜ、お前達は入れ替わり、そして、なぜそんな姿に? かつてのお前と今のお前は姿が違う」

「んー、それは少しあの小僧にもお話したけれどねえ、ドレイク」

 と、ロクスリーは苦笑する。

「その話は、すごーく長いんだよ。こんなところで立ち話もなんだし、わたしも本気で釣りして疲れたし、キミも疲れたんじゃない。帰ってまた珈琲でも飲まないかい?」

 ロクスリーは、気が抜けたようなことをいう。

「し、しかし」

「あにさま、おれも飲みたいな。慌てて出てきたから、喉がかわいちゃった。氷たっぷりのアイスコーヒーのみたい!」

 弟がふとそんなことをいった。

「そうだろう。ネザアスは、昔から珈琲が好きだなあ。さあ喉も乾いたし、今度は冷たい珈琲でも飲みながら、ゆっくりとお話していこうか」

 するんとロクスリーの肩から、金魚の姿にもどったマルベリーが泳ぎ出す。ふわっと基地への道を示して、はやばやと進み始める。

「レディ待って!」

「あ、ネザアス!」

 マルベリーの後を追いかけていく弟を止めようとするが、もう彼は駆け出していた。

「長兄は相変わらず、真面目だなあ。……せっかく、子供になったんだし、もう少しゆっくりいこうじゃないか」

 と先ほどまでの剣呑な気配はどこへやら。

 ロクスリーは、まったりと私に笑いかけてくる。

 けれど、それは真面目とは関係がなくないだろうか。なんだか、誤魔化されている気がする。

「わかった。基地に帰ってから話をきこう」

 そんな彼に根負けして私がため息をつっくと、ロクスリーは見覚えのある青い目を面白そうに細めてニヤリと笑ったようだった。

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