第17話 レオナは見た(中編)

 二年後。

 十五歳になったレオナは、制服姿で街を歩いていた。

 時間が痛みを癒してくれるのは事実らしく、兄の死は乗り越えつつある。

 ……乗り越えつつあるのが嫌だった。


 ずっと悲しみ続けて、いっそ心の病気にでもなってしまえばよかったのに。

 私にもブレイブ家の冷たい血が流れてるから、そのうち本当に人の死をなんとも思わなくなるのかもしれない。

 こんな自分が嫌いだ。

 家族も嫌いだ。


(嫌い、嫌い、嫌い、大っ嫌い!)


 レオナは時々、この世の全てが嫌いになる。

 皆を守る勇者が、こんなことを考えちゃいけないのに。これじゃ魔王じゃないか。


 なんだかもう、馬鹿になりたかった。

 頭の中を真っ白にして、グチャグチャの思考を停止させてくれる何かがほしかった。

 お酒でも飲んでみようか。あれこそまさに、頭を空っぽにするためにあるものなんだし。


 自暴自棄なまま宿屋の前を通りかかると、ガラの悪そうな男達に声をかけられた。

 

「おっ、いい女」


 見るからに品性下劣で、知性は母親のお腹に忘れてきましたといった感じの不良少年だ。

 朝っぱらからお酒を飲んでる時点で、ありえない。

 さっきまでアルコールに逃げようとしていたことを棚に上げ、レオナは眉をしかめる。


「何無視してんの? 俺の話聞いてんのかよ、なあ」


 少年達は、あっという間にレオナを取り囲んでいた。

 人数は五人。


 この手の連中に、武術訓練を受けた経験などあるはずもないだろう。

 脅威ではないと、頭ではわかっている。

 けれど体格で上回る相手に囲まれると、威圧感があるのは確かだ。


「あ、あんた達……こんなことしてどうなるのかわかってんでしょうね」

「は? それ脅してんのか? 俺ら地元じゃサイキョーなんだけど」


 少年の一人が、下卑た笑顔で腕を掴んできた。


「触んないでよ!」


 あろうことか、スカートをめくってくる輩までいる。

 どうやら話し合いでなんとかなる空気ではないようだ。


 戦うしかない。


 大丈夫。実戦は初めてだけど、稽古なら大人の男にだって負けないんだし。

 今の自分に足りないのは、度胸だけ。


 腰の鞘に手をかける。

 魔法剣を用いれば、こんなやつらに後れを取るはずがない。

 なのに、指先が震えて中々剣を抜くことができない。


(そんな)


 どうして自分はこうなんだろう。

 肝心な時に動かない体。制御できない予知能力。重荷でしかない家柄。

 

 ……助けてお兄様。


 違う。その人はもう死んでいる。

 今呼ぶべき名前は。本当に頼りたい人は。

 頭ではないどこかで記憶している、愛しい誰かとはどんな人物だったか――


(――助けて、×××!)


 意味のない祈りなのは、自分でもわかっていた。

 よりによって夢の中の登場人物、それも正確な発音すら思い出せない人にすがりつくなんて、どうかしてる。


 だけど。


 神様はちゃんと、奇跡の起こし方を知っているみたいで。

 ずるい人で。

 こんなの絶対心を奪われるじゃないかという、絶妙なタイミングでやってくれたのだった。


「――おーいレオナー」


 どこか間延びした声で、レオナを呼ぶ者がいる。

 声のした方に顔を向けると、白髪の男の子がブンブンと手を振っているのが見えた。

 しかも、こちらに駆け寄って来るではないか。


(嘘。あの人って……!?)


 間違いない。ずっと予知スキルで見続けてきた、未来の恋人。

 運命の相手だ。


 レオナが呆気に取られていると、不良少年達も度肝を抜かれていた。


「な、なんだてめえ……? なんでこんな呑気な顔で近付いて来れんだ?」


 白髪の男の子は、一瞬で場を支配していた。

 風貌の異様さ、只者ではない能天気さ。

 まるで真夏の海にプカプカと白い氷山が漂流してきたかのような、凄まじい違和感を全身から放っている。


「探したよレオナ。……ごめんよレオナ。俺、気付いてあげられなくて。ずっとお前のこと、誤解してて……」


 白髪の男の子は、わけのわからない発言を繰り返して泣きじゃくっていた。

 声は亡くなったお兄様とそっくりだった。顔だってそうだ。瓜二つと言っていい。


(あ。この顔好き)


 ナイーブそうな目鼻立ちで、造形だけ見れば錬金術でもやってそうなタイプ。

 さらさらの銀髪と陰りのある目元の組み合わせは、どちらかというと儚さを感じさせた。


 なのにどういうわけか、謎のワイルドさがある。

 悪っぽいというか。時々激しい喧嘩とかしてそうというか。

 

 引き締まった体型をしているからだろうか? 

 男の子は肩や背中のあたりが、筋肉で盛り上がっているのだ。下半身は一層ボリュームがあり、臀部と太ももの発達が著しい。

 槍投げが得意な兵士なんかが、こんな体つきをしていると思う。投擲系競技に打ち込んでいる人のボディラインだ。

 

 この男の子、相当鍛えてる。

 レオナは適度なマッチョがストライクゾーンど真ん中だった。


「おい兄ちゃん。急に出てきてそれはねぇよなあ?」


 一番背の高い不良が、男の子の肩を掴む。

 危ない、助けなきゃ。

 ようやく指が動いてくれたかと思えば、男の子はなんでもないことのように言った。


「待っててレオナ、全員殺すから」


 そして、彼は飛んだ。

 華麗な後方宙返りを決め、一瞬で敵の背後を取ったのだ。

 その際、服の裾がめくれて腹筋が見えた。六つに割れていた。エロい。


 やっぱりこの人、めちゃくちゃ鍛えてる。自分はもうすぐ、この完璧ボディに抱かれてしまうんだ。

 愛の槍投げをされちゃうんだ。

 レオナは既に、頭の中が沸騰しかけていた。


「将来の勇者の邪魔してんじゃねえよ、糞が」


 白髪の男の子は、目にも止まらぬ早業で不良達を撃破していた。

 速すぎてわかりにくいが、あれは相手のパンチや突進の勢いを利用して、いなすように技をかけている気がする。

 そうやって流れるような動きで関節をきめ、最小の労力で敵を破壊しているのだ。


 人体の構造を理解していなければ不可能な、高度な体術である。

 

(凄い……)


 強いなんてもんじゃない。

 この男の子だけ、何十年も先の武術を使っているとしか思えない。

 一体どれほどの鍛錬を積んできたのだろう?

 きっとレオナには想像もつかないほどの、壮絶な体験をしてきたに違いない。

 

 ぽーっとした頭で見とれていると、不良達は情けない声を上げて逃げ出していった。

 レオナは、白髪の男の子にそっと歩み寄る。


「貴方、何者なの?」


 男の子はじろりとレオナを睨みつけると、意味不明な言動を繰り返した。

 えっ、どういうこと。私の運命の相手は、責任能力がないかもしれません。


 これは大丈夫なのかと不安に駆られていると、男の子はじりじりとこちらに迫ってきた。

 気圧されて後退すると、何か硬いものが背中に当たった。

 どうやら壁際に追い詰められてしまったらしい。


(や、やだ。これって……)


 男の子はふらりと右手を上げると、ダァン! と頭上に叩きつけた。

 いわゆる壁ドンだった。


「でもレオナは、俺のことが好きなんだろう?」


 自信に満ちた笑み。……凶暴な、男臭い笑顔。

 レオナの中の雌が、キュンキュンするのを感じた。


「知ってるんだよ。お前、俺が好きになっただろ?」


 俺が望む回答以外はいらねえんだよ、という強引さ。

 全身からむらっと立ち込める雄のフェロモンに、立ち眩みさえ覚える。


「ちょ……やめてよ。口説いてるのそれ?」

「いずれお前は俺を好きになるよ」


 本当のことを言ってるだけなんだけどな、という自然な傲慢さに、レオナはノックアウトされた。


「やだ……超強引……オレ様……」


 やっぱり自分は、彼に抱かれる運命にあるんだ。

 この人に抱かれて、馬鹿になって、頭を真っ白にするために生まれてきたんだ……。

 そしたら、嫌なことを全部忘れられるんだ……。


 男の子はカイルと名乗った。

 カイル? どこかで聞いたことがあるような。

 それはもしかして、×××の中に入る名前なのでは……?


「カイル、カイル、素敵な名前。なんだか初めて会ったとは思えない名前……」


 レオナは自ら男の子を求め、処女を捧げた。

 運命の相手と結ばれて、この上なく幸せだった。


 けれど。

 一つだけ、引っかかる点があった。


(カイル、えっち上手すぎ。女の子の扱いに慣れすぎ)


 どうしてこの少年は、こんなにも自分のしてほしいことを把握しているのだろう。

 行為が終わったあと、どこからか甘い飲み物を持ってきて飲ませてくれたし、腕枕をして頭を撫で続けてくれたし……。


 これはもう、確実に童貞の振る舞いではない。

 間違いない。


 私の前に、付き合ってた彼女がいたんだ。


 なんだかカイルの態度を見ていると、自分に別の女を重ねている気配があるし。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る