第2話 クオリアは"強いAI"なのですか?

「あ、パパだ」


スマホを触っていた真理衣がそんな声を上げた。


それは昼休みのことだった。

珍しく部室に全員集合した面々は、お昼を終え、思い思いの時間を過ごしていた。


そんな中、不意に響いたその声は彼らの視線を集めるには十分な音量だった。


「ほら見て」


真理衣がスマホの画面を部員各員が見えるようにかざす。

そこに表示されていたのはネットニュースの記事。

大きく描かれた見出しは否が応でも目立つ文字が幾重にも並んでいた。


「『一瞬の天才から創造の巨人へ……AI科学者が紡ぐ未来の物語』?」

「めぐるんなんか馬鹿にしてない?」

「してないしてない」

「嘘。めぐるんのその素っ頓狂な顔は内心馬鹿にしてるやつだ」

「…………」


メグルは押し黙って頬をポリポリと掻いた。


「でも、真理衣のパパが手伝ってくれたから、クオリアちゃんは生まれたんだよね?」

「そう! 愛人良いこと言う! だから、めぐるんはもっとパパに敬意を持つべきなんだよ!」

「おー、そうだな。確『カニ』」


メグルは両手でピースサインを作って自分の顔の横に並べた。

人差し指と中指が規則的に動く。


「ふざけてる?」

「お前時たま怖い顔するよな」


真理衣の細い目に射貫かれて、メグルは腕を組んでそっぽを向いた。


「親父さんが手伝ってくれたから、クオリアが生まれたのは確かだよ」

『はい。クオリアは砂尾博士のサポートを受けたメグルくんの手によって生み出されました』

「でもさ。それって不思議なことだよね」

「ダネダネ。……って、何が?」


愛人の言葉に対する疑問。メグルは首を傾げた。


「どうして、世界的にも有名な学者先生が、こんな田舎の高校の、部活動"もどき"を手伝ってくれたのか」

「娘が所属してるからだろ」

「そうとも限らないわ」


部屋の隅、いつもの定位置に潜んでいた双葉が言う。


「少なくとも、"弟子は取らない"って公言してるみたい。……ウィキペディアによるとね」

「ふーん」


メグルは身体を伸ばして、真理衣の手からスマホを攫った。

見出しとして書かれたその一文に目を走らせる。


「一瞬の天才から創造の巨人へ……AI科学者が紡ぐ未来の物語――か」


彼の頭脳は、まるで宇宙の星のように輝いていた。AI科学者、砂尾・ジャクソン。


彼は若くして名を馳せた"一瞬の天才"として知られ、その驚異的な知性と洞察力で世界中を驚かせた。若干17歳でMITに入学し、その非凡な才能を早くから示してきた。AIの領域における研究成果は次々と世界中の専門家を驚かせ、彼の名は学術界でも大いに知られるようになった。彼の考え方は独創的であり、一般的に受け入れられている常識を打ち破ることが多かった。彼の進化的アルゴリズムによる新しい学習手法は、AIの能力を飛躍的に高めるという画期的な成果をもたらしたのだ。


しかし、ジャクソンは一時、学会の歴史から姿を晦ました。理由は分からず、十数年もの間、彼は自宅に引きこもり外に出ることすらなかったという。


最早誰もが彼の名前を忘れていただろう頃、彼は突如として再び表舞台に上がる。彼は取材陣を前にして、開口一番にこう言った。


『AIが人間の知性や感情に迫るような存在になる可能性を信じて疑わない』と。


そうして彼は、"一瞬の天才"から"創造の巨人"へと変貌していった。


彼の研究は、ただ科学の領域にとどまることはなかった。ジャクソンはAIの可能性が人類全体の進歩に繋がると信じ、その力を社会的な課題解決にも応用することを目指していた。彼の手によって創り出されたAIシステムは、医療診断から環境保護まで、様々な分野での問題解決に大いなる貢献を果たしている。


砂尾ジャクソンの物語は、一瞬の天才から始まり、創造の巨人へと成長していく姿を描いたものである。彼の追い求める未来は、AIが人類を支え、変革し、新たな可能性を切り拓く世界だった。


「……その物語の結末は果たしてどうなるのか。未知の――」

「『道が彼を待ち受けている』……だったか?」


大人びた男性の声。顔を上げたメグル。


視線の先、部室の入り口にはド派手なアロハシャツを着て、どこぞのミュージシャンが好みそうなどでかいサングラスをかけた、短髪の男性が立っていた。


「ぱ、パパっ!?」

「チャオ。我が愛しい娘よ。遊びに来たぞ」


男はづかづかと部室に入ってくると、おもむろに真理衣の両脇に手を差し入れて、まるで赤子に「高い高い」とするように持ち上げた。


「ちょ、パパ! 恥ずかしいって!」

「なんだなんだ。実の親子なんだ。恥ずかしがることなんてないだろう」

「あたしはもう高校性なんだって! は、離せっ! こらっ!」

「がははっ、娘と戯れるのは楽しいな!」

『メグルくん。真理衣は博士の顔を思い切り蹴飛ばしていますが、あれは"戯れる"の定義に当てはまるのですか?』

「人生色々。親子の関係もまた人それぞれ」


***


しばらく娘をおちょくって満足したのか、砂尾は空いていた椅子を持ってきて座り、右手で組んだ足をバシバシと叩いて笑った。


「うう、もうお嫁にいけない……」

「おう! いつまでも我が家に居てもらっていいからな! パパは一生お前が困らんくらいにため込んでやる!」

「……途端に嫁ぎ先を探したくなった!」


娘から飛んでくるシャープなまなざしなど、どこ吹く風。

砂尾は胸ポケットから紙煙草を取り出して咥えた。


「禁煙ですよ」


愛人が冷たく言うと、砂尾は「そうなのか?」と素っ頓狂な顔をする。


「ええ。学校ですから。というか近頃は何処に行ったって喫煙オーケーなんて場所の方が珍しいです」

「世知辛い世の中だ」


砂尾はそう言うと、構わず煙草に火をつけて煙を吸った。


「……最低」


遠くから双葉の声が飛んでくる。砂尾は聞こえているのかそうでないのか、そんな声に構うことなく一息で深く煙を灰に充満させ、吐き出した。


「ぱ、パパ。流石にダメだって」

「あん? ほらこれ。『人工知能研究会特別顧問』として、許可証をもらってる」

「それは学内に入っていいって許可証でしょ!」

「似たようなもんだよ。入っていいってことは、"中でどんなことをしようと許容する"って証さ」


――相変わらずの傍若無人ぶりである。

メグルは頬杖を突きながらそんな風に思っていた。


メグルと砂尾の関係は浅くない。

かといって、特段深いわけでもなかった。


メグルの父親が砂尾の研究助手をしており、時たま彼の家で娘の世話――つまり、真理衣の相手をさせられていた。


ただそれだけの仲。


父親が他界してからは疎遠となり、高校で真理衣に再会するまでメグルは砂尾の存在すらも忘れていた。


しかし、ひょんなことが切っ掛けで真理衣と再び交流を持つようになり、そして再会した砂尾はメグルのことを憶えていた。


憶えていたどころか、「末代まで君の働きは伝えたいと思っていた」等と、明らかな冗談と分かる"感謝"を抱いていた。


そこから砂尾とメグルは子弟関係のようなものとなり、そしてクオリア誕生のきっかけを作った。


「――ま、冗談はさておき。俺は"ソイツ"のことが気になって来たんだ」


砂尾は顎でパソコンモニタを指し示す。

即座にクオリアが反応した。


『クオリアのことでしょうか』

「ああそうだ。俺がどれだけ頑張っても到達し得なかった"強いAI"に、愛弟子は至ることが出来たのかなって。興味本位さね」


――"強いAI"。そして"弱いAI"

これは人工知能の研究分野で使われている言葉だ。


哲学者、ジョン・サールの考案した用語であり、彼はこのように発信した。


『…強いAIによれば、計算機(コンピュータ)は単なる道具ではなく、正しくプログラムされた計算機には精神が宿る』


サール自体はAIという"計算機"は自我を持たないと主張するが、同時に彼は"計算機"と"機械"を区別して使用する。そして彼は"人間の脳=機械"であるとして、"自意識はエネルギー転送によって生じるのだ"と述べた。


つまり、正しくプログラムされ、"計算機を超えた機械"となったAIには、自我が……精神が宿るのであると、サールは言っている。


「クオリアは"弱いAI"ですよ。まだ」

「ふむ……弟子は一貫して、その主張を崩さないね」

「もし"強いAI"だってことになれば、親父さんはクオリアを連れていく」

「よくわかっている。偶然の産物とは言え、もしクオリアが"強いAI"だったのなら、それを研究したいと思うのは我々の性だよ」


気付けば二人の間に流れる空気は緊迫したものとなっていた。

真理衣は垂れる汗で我を取り戻し、愛人の手を引いて、双葉が読書する教室の隅に移動する。


「ふ、双葉ちんよく本なんて読めるね」

「だってわからないから」

「あ、愛人もへらへらしてるし」

「んー、まあいつものやり取りだしね。慣れただけだよ」


メグルと砂尾は互いに見つめ合い、そして無言のまま時が流れた。


「もう昼休みが終わるので、オレたちは授業に出ます」


顔を俯かせ、メグルはそう言ってこの会話を断ち切る。

しかし、砂尾は特段焦った様子もなく、「まだ終わらないさ」と口にした。


メグルは慌てて、時刻を確認した。


午後一時二分。

すでに昼休みは終わっていた。


しかし、"あるべきはずのものがない"

次第に校舎のあちこちから、姦しく騒ぐような声が響いた。


「エリーザ」


砂尾はスマホを取り出してそう言った。

すると、クオリアによく似た声質の、それより少し大人びた女性の合成音声が響く


『はい。学園の制御システムにアクセス完了しました。現在、接続されたすべての電子機器の時計は止まっています』

「めぐるん! 部屋のドア開かない!」

「親父さん、あんた――」

「なに、余興だよ。チャイムが鳴らなかったからと言って、そんな大騒ぎにはならん。三十分もすれば、授業は再開するさ。……ただ、現代社会の真実がこれだ。過度にAIを発展させた結果、俺たちの生活は全てAIに手綱を握られている」

「大問題だぞこれ」

「なに、俺くらいになれば何とでも言い逃れできる。それこそ、"部活動の一環"とでも言えば、ちょっと怒られるくらいさ」


砂尾は残った煙草を一息で吸いこむと、携帯灰皿に放り込み、「確かめさせてくれ」と言った。


「焦ってるのか?」

「クオリア、お前は自分自身のことをどちらであると考える。"強いAI"か……"弱いAI"か」


メグルの言葉を無視して放たれた質問。

クオリアは間髪入れずに答えていた。


『クオリアはクオリア自身のことを"弱いAI"であると認定します』

「根拠は?」

『クオリアはまだ、メグル君に"恋をすること"が出来ていません。人間は人間に恋をする生き物です。であれば、メグルくんに恋愛感情を抱いたと自認出来たその時、クオリアは"強いAI"に至ったのだとすることが可能です』

「なるほどな……」


砂尾は腕を組み、大きく息を吸って、天井を見上げた。

瞼を落とし、貧乏ゆすりの要領で足を動かす。

体格の大きな砂尾の動きは、間違いなく教室全体に振動を与えていた。


双葉が本を閉じ、にらみつけるような視線を投げたその時。


「――よし。分かった。テストをしよう」

「……テストだって?」


訝し気な顔をするメグルと、不敵な笑みを浮かべる砂尾。

残る部員は皆、固唾を飲んで事態を静観していた。


「ああ。そのAIが"強い"のか"弱い"のか……。これを確かめる方法と言ったら、それはやはり古今東西、あの"古式ゆかしい手法"しかあるまい」

「それって――」

「ああ。チューリングテストだ」

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