012 悪くないのに巻き添えで死ぬ人の話
都市から出るときに大量の視線を感じた。遠くにはギルドマスターたちの姿もあった。
その視線に籠もる熱は、執着にも似た色を宿している。
サリア――私は深く内心でため息を吐く。勇者様が今後どこに行くにしても、一度は必ずここに連れて帰って、この都市で様々な人々の世話になって貰わないと、故郷の人々があまりにも哀れだった。
女神教はこの世界における人々が必ず信仰している宗教だ。モラルや常識を含めた基本思想と言ってもいい。
また、女神教から分派した様々な宗教がこの世界にはあるが、思想の根幹には必ず女神教が存在する。
無論、幼馴染のラジウスのように信仰心の薄い者もいないわけでもないが――恵まれた市民階級出身者ながら領軍ではなく冒険者などを目指すラジウスと一般の人々を一緒に考える意義は薄いだろう。
勇者様への助力は、その女神教が信徒に課す、神聖な義務だ。
それに携われる私たちは、機会すら与えられない他の信徒たちからしてみればなんとも贅沢な栄誉に浸っているとも言える。
そう、私が人生のほとんど全てを捧げて聖女になったように、勇者様に使ってもらうだけの為に武具を鍛え続ける職人や、勇者のパーティーに所属することを夢見て武技を練り上げた武人などがこの世には存在する。
たぶん私が知らないだけで、この都市には虎視眈々と勇者様のパーティーメンバーになるべくやってきた人間も――否、いないか? 王都の偽勇者の方に向かったか? 法を犯す覚悟さえあれば、私のように勇者様に強引に押しかけることは可能だ。あまり推奨すべきではないけれども。
ただ、考えてしまうのは王都でのことだ。
偽勇者がやっていることは、女神様もそうだが、この国の人を馬鹿にしすぎている。
(きっと偽勇者には理解できないだろうけれど)
まぁいいか、と私は都市を出ていく勇者様のあとに続いて歩いていく。恥知らずが活動する遠い地のことよりも目の前のことだ。
本当なら馬車でも馬でも無料で用意されるだろうに、この人は徒歩で行くらしい。
馬車ならば運転する御者もそうだが馬を育てた牧場主に、馬車職人や木こり、用意した領主の評価になるが、この人が歩くと、そういう人々に恩恵は行き渡らない。
勇者特権について納得させるにはどうしたらいいんだろう。
たぶん偽勇者をどうにかしないといけないのだろうが……。
ランクの高いダンジョンからは馬車の魔導具なども手に入ると聞く。
勇者タロウはダンジョン産の馬車に、ゴーレムの御者を持っているから、この人がそれを手に入れるまで歩き続けたら、この国の馬車職人たちが評価を得る方法はなくなるだろう。神聖な義務に携わることなく、人生を終えることになるのだ。
機会すら与えられることのない人生が、多くの人に待ち受けていた。
(悔しいだろうな)
背後の都市からじっと、勇者様に向けられるすがるような視線を感じて私は内心のみでため息を吐いた。
勇者様があの都市に半年以上滞在して、利用したのがギルドのほんの少しの施設と、娼館を数回だけ。
いろいろな技術の先達から、様々な技術を師事して、それらの人々に評価をもたらすはずの勇者様は総軍教本を取り出して、遠目に見える川のことを話し始めている。
あの本も、よくないのかもしれない。
あれは勇者様に必要な情報が載りすぎている。
総軍教本、覇権国家であるグランウェスト大王国のかつての王である、征服王グラン七世が自ら記した軍事教本。
(今はもう、そういう騎士じみた高度な兵士を育てる資金力はないから総軍教本での訓練なんかは廃れていると聞くけれど)
詳しくは知らないが、今の流行りは、なんでもできる兵士を全軍に配備するのではなく、それぞれにできることを専業化させた兵士を組み合わせた形の軍だとかなんとか。
聞くところによると総軍教本で全軍を訓練させると、とんでもなくお金がかかるらしい。
あと人間相手の戦争もなくなって久しく、魔物災害相手だとそういう兵士が働く場所も少ないとか。
ただ、大陸の半分以上を征服し、いくつもの大国家を蹂躙した征服王の教本の記述は勇者様の役は立っているようだ。兵士がなんでもできる必要はないけど、勇者様がなんでもできたら最強だからね。
だから総軍教本は役に立つ。立ちすぎている。
様々な技術を網羅しているうえに正確すぎて、それに勇者様が頼り続ける限り、征服王の評価はぐんぐん上がっていくだろう。
それはもちろん悪いことではない。征服王もまたこの世界の人間であったならば評価を得る機会はあって然るべきだからだ。
まぁあの王は当時の女神教のあり方に否を唱えて、政教分離を進め、勇者の育成権利を教会から国家へ委譲させたので、教会としてはとても許しがたい人物なのだが。
(それに既に死んでいる征服王が評価を得すぎているのも、どうかと思うわけなのですが……)
私はそんなことを考えながらも話しかけてくる勇者様に言葉を返す。
「で~~――なわけだけど」
「そうなんですか。――ですね」
勇者様と話をしながら歩いていく道は心地よい。こんな偶然や奇跡でもなければ、けして享受できなかった幸福だ。嬉しい。楽しい。ずっと二人きりならいいのに、という喜びが溢れてくる。好き。
(でも本当なら、あの公爵令嬢がここにいて、聖騎士と剣聖が勇者様の傍にいたんだろうな)
だが、その三人は王都で活動し、勇者タロウ様の種で孕んでいる。もう勇者レイジ様の傍には寄れないだろう。勇者同士の異性の奪い合いを避けるために、一度勇者が手を出した異性はその勇者の専属になる大陸法がある。
ふふっと笑ってしまう。ちょっと性格悪いかもしれないが、私に冤罪をかぶせて王都から追い出した公爵令嬢の醜態に、ちょっとしたざまぁみろ感はある(他の二人はとばっちりだが)。本来の勇者様はこんなにも美しく、凛々しく、かっこよく、知的で、イケメンで、一緒にいて嬉しくなれるのに。
偽勇者に仕える彼女たちは自分の父親よりも年上の、後輩勇者から女を奪うような卑劣なおじさん勇者に抱かれているのだ。
加えてレベルが高くなればなるほど
とはいえ、ざまぁみろ、と思うのはその程度のことで、それ以上に抱くのは哀れみだった。
彼女たちが偽勇者のパーティーメンバーである以上、族滅は避けられない。
それは、ちょっとなんか可哀想かなとも思うが、【無限残機】も【パーティー編成】もない相手と一緒に行動しているのだ。どうやってもわかるだろう。違うと。偽物だと。
勇者でないとわかっていて勇者を騙るのを止めない以上は、当然の報いだった。
勇者様のために用意された聖剣まで使わせているし……やっぱり族滅は当然、かなぁ。
「総軍教本に書いてある丘の陰って具体的に何なんだ?」
「正面からは見えにくい場所のことじゃないでしょうか」
そんなことを勇者様と話しながら、丘を迂回しながら歩いていく。少し緊張。まぁ人間の賊なら勇者様とわかったら襲わないだろうけど。旨味がない以上に女神の天罰が下るし、背教者であっても無限残機を持つ勇者様に狙われたらどんなに時間がかかってもいずれ死ぬしかない。死んでも復活する復讐者とか最悪すぎるしね。
(ん……返信が来た。【夜に話そう】か。とりあえず、次の野営地で【聖女通信】だな)
頭の中に旧友からの連絡がきた。私が唯一登録している聖女、アメリアだ。安心する。彼女がダメなら、もう王都と連絡する手段なかったしね。
というか、あの評価表の通りなら、アメリアもタロウ様の子供を産むのか。
超絶イケメンの勇者レイジ様を知っているから抱いてしまう、可哀想という感情は、私が持つ傲慢なんだろうか。
◇◆◇◆◇
王都の教会にある自室で聖女アメリアは聖女サリアに対して聖女通信を行うべく精神を集中した。
(あの娘が私に連絡してくるとはなぁ)
王都の教会はちょっとした騒動の最中だった。偽勇者をいつまで放置するのかと、反対派閥が運動を起こしていたのだ。
というのも偽勇者を擁立している現在の管区長派閥が様々なことをやりすぎてたからだ。
今回の勇者オークションで勇者様を
そもそもが今回ダメなら次の来年の勇者召喚に期待すればいいというのに、現在の王国上層部、冒険者ギルド、女神教教会はヴェグニルド王国の勇者資源のほとんどを勇者タロウ様と偽勇者ガノートに投入しすぎてしまっている。
今回の件において管区長を兼任する枢機卿の説明は言い訳臭くて、どうなってるんだろうなぁとアメリアは祖国の窮状に苦悩しながら久しぶりの旧友との通信を行うのだった。
◇◆◇◆◇
(もしもし? アメリア? 久しぶりね)
サリアは野営地点にやってきて、聖域の魔法で魔物避けを作ってから、夕食用のパンをパン窯の魔法で焼きつつ、シチューを鍋で煮込み、今日の勇者との会話なんかを日記に記しつつ、王都との聖女通信を行っていた。
勇者レイジは近くの小川で地形探索と剣の修業をすると言って総軍教本片手に出かけていっている。一応簡易復活のマーキングを行っているので死んでもサリアの傍で復活するから問題ないと見送ったが、勇者の単独行動はサリアとしてはあまり嬉しいことではないし、その手に握った総軍教本をどうにかして取り上げて、現世の師匠を見つけたくて仕方がなかった。もちろん勇者様に嫌われたくないのでサリアはやらないが。
(おー、サリア。久しぶり。お前が王都から逃げるように出ていって、だいたい一年ぶりか? 着信拒否しやがって)
(着信拒否はごめん。で、ええと私が王都から追い出されたことはどうでもいいんだけど。あー、今回はなんて言ったらいいのか。ええと、ああ、そうだ。アメリアは偽勇者の支援とかしてない? それだけ最初に聞いておく必要があって、ああ! あと私に対して真偽看破やってもらっていいかな。いちいち本当かどうか聞かれてもちょっと困ることがあって。一応、今から話すことは全部真実だと女神様に誓っておくけど)
(なんだなんだ? いきなり宣誓に真偽看破とは物騒だな。で、偽勇者の支援ねぇ。私はあれとはあまり関わってないから大丈夫だよ)
ほっと息を吐くサリア。支援したらダメというのは祝福一つしててもダメなのだ。では聖女で死ぬのはあの主席の子だけか。いや、関わっている貴族の娘なんかでも死ぬかもしれないだろうが。罪もない聖女が死ななくていいのはほっとする。サリアにとってアメリアは、貴重な聖女仲間だ。純潔を勇者タロウにささげてしまっているから勇者レイジの仲間にはなれないが、いずれ王都に向かったときにはレイジを連れて会いにいってもいいかもしれない。
友人が無事であるということにウキウキしながらサリアは念話を飛ばす。
(念押しするけど、偽勇者に祝福一つしててもダメだからね?)
(わかってるって、しつこいな。関わってないって言ってるだろ?)
(じゃあ、よかった。真偽看破は発動した?)
(してるよ。じゃあ試すが、サリア、お前が最後のテストをカンニングしたってのはマジだったのか?)
(あのときも弁明したけど、してないわよ。最終学年のテストよ? 自分でやらなきゃ意味がない)
(オッケー。ちゃんと真実を語ってるな。で――ここまでさせて、一年ぶりの連絡。何があった?)
サリアは息を吸って吐く。ここに勇者様が放置されている理由はわからない。どうして王国が監禁せずに野放しにしているのかも。秘匿騎士という人間が何かやっているのか。これはその騎士の負担になるのか。わからないが、もう自分たち教会が女神の評価を認識したのだから、悪いことにはさせない。
それに敵対者は全員脳みそがナメクジになって死ぬのだから、時間の経過で勝利は決まる。
だから覚悟を決めて、それを伝えた。
(今、本物の勇者様と一緒にいるのよ)
(待って……いや、続けて)
アメリア側の念話に緊張が走った。サリアは鍋やパンが焦げ付かないように火加減を見ながら念話を続けていく。
(勇者様の人間不信がひどくて、昨日ようやく仲間にしてもらえて、そのときにやっと評価を確認できたんだけど。それがとても酷いことになっててね。ええと、その、なんて言ったらいいのか。ああ、もう送った方がいいわね。評価部分だけ送ります)
聖女通信に勇者レイジのステータスを省き、評価部分だけを送りつけるサリア。というか評価を見ればまた征服王のポイントが増えていて、悔しくなる。
総軍教本がそれだけ役に立っているのだろう。ただ、自分の評価がちょっとだけ上がっていて嬉しくもなる。一緒に歩いて会話するだけで評価されるとかレイジ様ちょろすぎでしょ。好き。愛してる。抱きしめたい。
沈黙。喜悦に浮かれるサリアと違い、アメリア側からはほんの少し以上の動揺が通信で伝わってくる。評価を読んでいるのだろう。あれは、ちょっと以上の爆弾だ。女神も降臨しているし、いきなり警告から入ってくるから。
それでもこれ以上の犠牲を出さないためにはアメリアが頼みなのだ。偽勇者の活動を止めさせて、支援する人間をなくさないといけない。すでに族滅が決まっている人間はしょうがないにしても、巻き込まれて死ぬ人間は少ない方がいい。
そんな気持ちでサリアが待っていればアメリアから読んだよ、という通信が来る。サリアは息を吐いて、懇願するように言った。
(そうしたらその、それを偉い人に渡してくれる? これ以上族滅される人が増えないようにして、少しでも犠牲を減らさないとこの国が滅んでしまうわ)
(……あ、ああ、わかった。管区長に提出するよ。そうか。王族が滅ぶのか)
(ええ、お願い。あの、アメリアは大丈夫よね? 貴女の家は領地貴族だけど家業でなにかやっていたりしないし、王都からは離れてるから偽勇者の支援とかしてないわよね?)
(ああ、
その返事にほっとしながらサリアが(じゃあ、鍋が焦げ付くと嫌だからそろそろ通信切るわね)と送れば、アメリアが思い出したように。
(勇者様ってマジでイケメンなの?)
と聞いてきたので、脳内に保存している勇者レイジのスチル記憶から、【一緒に旅をするサリアとレイジ】【昼食の弁当を一緒に食べるサリアとレイジ】などの記憶情報を送っていく。
(うわぁ、マジでイケメンじゃん。あ、もうヤッたの?)
(ふふ。ヤッてないけど、私側はいつでもオッケーです。でも、今の勇者様は人間不信気味なので、手を出してくれないだろうからレベルアップ直後の性欲過多のとき狙います)
(うわぁ、肉食ぅ)
うふふ、あはは、と会話しながらサリアは通信を切るのだった。
「アメリア、元気そうでよかった」
◇◆◇◆◇
聖女アメリアは自室の椅子の背に、身体を預けて呟いた。
「そうか。死ぬのか。私」
少し大きくなった腹を擦る。子供も、生まれる前に死ぬだろう。
目を閉じて、大きくため息を吐いた。気鬱になる。
そして偽勇者ガノートの、初ダンジョン攻略の出陣式を思い出した。
(あの出陣式のせいで、みんな死ぬのか)
出陣式では第三王女の夫であるガノートの為に、サリアのように王都教会から睨まれている聖女を除く、国内の聖女がほとんど呼び集められた。
何時間も掛けて、偽勇者に祝福を掛けさせられたことを思い出す。
偽勇者の権威を高めたかったのか教会学校の生徒まで動員し、祝福儀式をサポートさせた。
王都の騎士に加えて、騎士学校の生徒たちも偽勇者に披露するために行進などをやらされた。
聖女の因子を持っていれば勇者の区別は誰にでもつくから、学校の生徒たちもあれが偽勇者だとわかっていて、だけど国には逆らえないから従うしかなかった。
偽だとわかっていても、本気でしていなくても、支援と言えば支援だ。
過去の歴史を紐解けば、こういった祭典などの準備や出し物でも支援になる。勇者を楽しませたとか士気高揚の為になったとか、そういう理由だったはずだ。
「死ぬのか。
死ぬのだ。王都の住民のほぼ全員が。
加えてあの出陣式の直前に結婚式も行われて、王都と、その周辺都市に加えて、諸外国から要人も集まっていたはずだ。
あまりにも盛大な結婚式と出陣式だった。王国の歴史に残るようなものだった。大規模だっただけに何人死ぬのかわからないぐらい死ぬのだ。
くく、ふふふふ、とアメリアは笑いながら涙を流すしかなかった。
「サリア。私は羨ましいよアンタが」
本物の勇者様と一緒に旅をしているサリアが羨ましい。
――サリアの言葉に嘘はなかった。真実しか語っていなかった。
アメリアは、なにか間違いがないかともう一度サリアから送られた評価情報に目を通すも、女神の呪いの言葉が目に入って、目を通す気力を失った。
この国の聖女たちは、卑劣なおじさん勇者が唯一の男性経験になって、卑劣なおじさん勇者の子供を孕んだまま、脳みそをナメクジに置換されて家族諸共死んでいくことになった。
ガタガタと身体が震える。吐き気と涙が止まらない。
アメリアは、連座で死ぬ家族に謝罪しながら、翌朝まで、ずっと一人で震えることしかできなかった。
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