第3話
一時間ほど歩いた頃、逢魔はこれ以上ないほどのしかめつらをしていた。
「不機嫌!」「人間の不機嫌!」「こんなに面白いことはない!」
「あー、もううるさいな!」
けたけたと笑うのは、頭上にいる白い人型だった。
全体的にぼんやりとした白で、はっきりした境目がない人の形をした者が、樹上には何人もおり、歩く雨夏たちをどうやったかついてきていた。
いらいらする逢魔と違って、刻はきらきらとした目で彼らを見上げていた。
「あなたたちは何て名前なの?」
「木霊」「木霊木霊」「え、ボクら木霊なの?」
おちょくるような彼らの言葉に、逢魔がふくれつらをする。
「どうしてあいつらに構うんだよ。さっきからからかわれてばかりじゃないか」
「だって兄さん、このヒトたち、初めて会う異世界人。貴重な情報源。自治団と兄さんがけんかしたせいでほとんどこの世界のことを知らないんだから、ここで知っておかなきゃ」
痛いところをつかれた逢魔は黙り込む。
代わりに、刻が木霊たちに問いかけた。
「ここはなんて名前の世界?」
木霊たちは顔を見合わせた。
「自分たちがいる世界に名前をつけているのかい」「この場所は『朝焼け苔』という名前だけど」「ばかっ、世界自体の名前を聞いているんだよ」「君らの何人かは、『ことほぎ』と呼んでいた」「自治団から聞かなかったのかい」
木霊たちが途端に、不審者を見る目で雨夏兄妹を見た。
面倒ごとの予感に、逢魔は嫌そうな顔を隠さない。
「隙を見て来たんだよ。あのわからず屋の団長が、行かせないなんて言うから」
「兄さん、言わなくてもいいじゃん」
小声で非難する刻に、逢魔は首を振った。
「異世界初めての味方だろ。かくしごとはないほうが良い」
木霊たちはじっと二人を見ていた。
異変に最初に気がついたのは、木霊たちと話していた刻だった。明るい森のなかには、先ほどまで木霊たちのさわさわと流れる話し声が響いていた。
それがいま、シンと静まり返っていた。
雨夏たちが立ち止まる。その様子を見た木霊たちは、抑えられないといったように笑い出した。
「このヒトたち、ボクらのことを味方だと思ってる」「初対面で味方をするヒトなんて、この世界に一人もいないのに」「教えちゃおうか、獣たちのこと」「木霊がそんなことをしなきゃなの?」「こっそり嘘ついちゃおうよ」「面白そう!」
「やめて!」
ぎょっとした刻の声に、木霊たちの爆笑が返ってくる。それは悪意に満ちていた。
「こらっ、おどかすんじゃないよ」
雨夏たちは、はっと振り返った。
「そこのキミ、投げようとしている石を置いてくれないか。木霊は怪我しないが、痛みは感じるんだ」
逢魔が声に従って、拾い上げていた大きな石を地面に放り投げた。
「きれい」
ぽつりと刻はつぶやき、逢魔はぶんぶんとうなづいた。
彼は、ゆったりとした着物に身を包んだ、半透明な緑色をした美丈夫だった。どこもかしこも半透明をして、背後にある木々が見えている。それなのに目を離せない存在だった。
強い日光の中で、彼はにっこりと笑った。
「よく来たね。ここからは『黄金の間』だよ」
彼はひときわ大きな木の幹に手のひらを当てた。
次の瞬間には、逢魔たちが通れるほどの大きな穴があいていた。穴は地下へと下る階段に続いている。
階段は黄金色に光って、苔と花に飾られている。
あっけに取られたような様子の雨夏たちに、彼は言った。
「これは生体認証システムだ。帰ったら親御さんに聞いてごらん。元の世界にもここまでの精度でなくとも、似たものがあるかも」
雨夏たちはそっと目くばせしあって、口を噤んだ。この、別格のように見える木霊に、自分たちに気軽に話せる親はいないと告げるのははばかられた。
その代わりに、刻は聞いた。
「あなたの名前は?」
「私も木霊。異世界転移者に魔法を授けて、冒険に送り出す役割を担っている」
「あれらと一緒だとは思えないよ」
煽るように揺れる白い人型を見ながら、逢魔は言った。
半透明な木霊はにっこりと笑った。
「では名前をつけることだ」
唐突な提案に雨夏たちが疑問を問いかけると、彼は答えた。
「名前には特別な意味がある。君らの世界でも言うだろう。名は体を表す。この世界でヒトを動かしたいなら、名前をつけるといい」
理解できないながらも、逢魔は言った。
「じゃあ、ガンダさんで」
兄のつけた、有名なゲームに登場する、主人公の師匠の魔法使いの名前を名付けられて、ガンダは微笑んだ。
「そうか。君はそう求めるのだね。ならばそうしよう」
彼は手を振り、手のひら大の炎を階段のわきに浮かべた。
「では行こう。魔法を得に」
黄金の階段は地下深くにつながっているようだった。
「いよいよだ」
逢魔はつぶやき、刻の手を強く握り直した。
握り返した刻は、逢魔に引っ張られるように、階段を下りていく。
木の虚の穴はしばらく森にあいていたが、そのうちにすっと姿を消した。
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