第8話 5月23日(火)~24日(水) 代償と確認
「うーん……。まあ、こんなもんだろう。大分小さくはなくなったな」
「……し、死にたい……っ」
「とりあえず、まず一回試してみるか」
あれからいろいろとありまして、タナカくんと父のケントさん、それに医者のツユリさんはタナカくんの家にいました。辺りはもう夜の
そんな時間帯に三人は玄関にある姿見でタナカくんの今の姿の確認をしていました。
「胸の大きい子が周りの視線を気にしなくて済むようにって開発された、胸を小さく見せられる下着を今、息子ちゃんにつけてもらってるわけだが……」
タナカくんはツユリさんに用意してもらった下着を、そのつけ方を教えてもらいながら現在着用しています。抵抗はありましたが、女の子になったとばれてはいけないため背に腹は代えられません。僅かながらに窮屈さを覚えていますが、それも我慢です。
「アタシは下着だけの時も見てたけどさ、それでも3カップくらいしか下がってなかったから、正直、他の手も考えなきゃいけないって思ってた。それがまさか……」
身体を捻ったり、前屈みになってみたり、その場で跳んでみたり、タナカくんが鏡の前で、学校でしそうな動きを次々にして確かめています。鏡に映るタナカくんはいつも通りのタナカくんのようでした。
「……あそこまで着やせするタイプだったとは……」
ツユリさんが思わず声を漏らしたように、タナカくんのあの主張の激しかった胸は、ツユリさんが用意した下着と学生服を着ただけで驚くほどになりを潜めていたのです。そのことにツユリさんは感嘆していました。
ちなみに、ケントさんはこっそりとタナカくんの写真を撮っています。
「そういや、アイツも着やせするタイプだったな……。妙なとこ遺伝しやがって……」
物思いに耽るツユリさん。アイツというのはタナカくんの亡き母のことです。
ただ、今は母親の話をされていてもタナカくんは心情的に余裕がありませんでしたので、それを聞き取れてはいませんでした。
「……あ、あの、えっと……、違和感、ない……?」
今のタナカくんには自分が男として見えるかどうか、その方が重要でした。
「あ、ああ。いつものお前だ。大丈夫だと思うぞ」
「いや、違和感バリバリだわ! 女の子が学ラン着てるようにしか見えねぇんだよ! 確かに胸はぺったんこに見えるようになったけど……! もっとあるだろうが! もうちょっと体格を男よりにするとか! 声は綺麗だけど高いし! どこが大丈夫なんだよ!」
タナカくんがした質問に、ケントさんを親指を立てて答えます。その答えを聞いたツユリさんは驚愕の様相でケントさんにツッコみました。
「……そう、だよね。……女の子にしか見えない、よね。……うん、わかってた。……でも、体格も、声も、変わってるって感じがしない、から。……変わったの、性別と胸、だけ。……あ、あはは……」
ツユリさんのツッコミによってダメージを受けたのはタナカくんでした。タナカくんは虚ろな目をして立ち尽くします。
「ツユリ! ミナトになんてことを……! それは一番言ってはいけないやつだぞ!?」
「はあ!? マジであれでいつも通りなのかよ!? 神様はなんて酷なことをしやがるんだ……! っていうか、そういうことは先に言えよ!」
そのあと、ケントさんとツユリさんは抜け殻のようになってしまったタナカくんの魂を必死に連れ戻すことになるのでした。
それからタナカくんはツユリさんに、女の子の生活の仕方についてある程度教えてもらいました。タナカくんにとっては知らないことばかりでした。何か、男の子が知ってはいけない領域に無断で踏み入ってしまったような感じがして罪悪感を覚えたタナカくんでしたが、それでも知らなければいけないことです。トイレやお風呂など、これからタナカくんが毎日のようにやっていかなければならないため、必要なことだったわけですから。
「本当は息子ちゃんが心配だから泊っていってやりたいんだが」
ツユリさんがそう言うと、タナカ家の二人がピシッと身体を強張らせます。二人とも女性と接することが得意ではありませんし、特にタナカくんは恩こそ感じてはいましたが、検査後に半日以上身体を弄り回されていたため、ツユリさんに対して完全に苦手意識を持ってしまっていました。
二人が乗り気でないことを察すると、ツユリさんは苦笑を浮かべて玄関の扉を開けました。
「ははは、冗談だよ。明日も仕事があるしな。――おい、ダンナ! いくらその子がアイツに似てるからって倒錯して襲いかかったりするんじゃねぇぞ?」
そう忠告するようにしてツユリさんは外に出ていきました。
そこでタナカくんはハッとします。首を左斜め上に動かして視界に収めたのは妙にもじもじしている父の姿でした。タナカくんは後悔しました。ツユリさんには残ってもらうべきだった、と。
そのあと、何かにつけて絡んでくる父への対処にタナカくんは追われることになりました。「ウザイ」「キモイ」という言葉をぶつければ一旦は沈んでいきますが、すぐに不死鳥の如く蘇ってくる父・ケントにタナカくんはうんざりさせられます。トイレ、お風呂、寝室にまでついてきて、タナカくんは精神的苦痛を味わわされました。その所為でタナカくんは今の自分の身体がどうなっているのかを確かめる余裕がありませんでした。
「ミナト! 今日は父さんと――」
「――!? い、いやああああああああっ!」
☆☆☆☆○○○○
日が明けて水曜日になりました。
タナカくんはあまり寝ることができませんでした。父の奇行がなかなか止まなかったということも一因ではありますが、頭を悩ませた最も大きな要因はやはり身体が女の子になってしまったことでした。
目が覚めたら全てが夢でした、という展開になっていてくれないかとタナカくんは切に願っていたのです。けれど、無慈悲なまでに現実は知らせてきました。
朝起きて顎を引いて見れば、そこには主張の激しい二つの塊。
念のためにズボンの中に手を突っ込んでそこの確認までしてみましたが、タナカくんは更に空しくなってしまう結果に終わってしまいました。
「……はあ。……学校、行きたくない……」
自然と溜息が零れます。多くの人が集まる学校は比較的、女の子になってしまったことがばれやすい場所と言えるでしょう。学校へ行ってもし身体のことがばれてしまったら、タナカくんのこれまでの生活は崩れ去っていくに違いありません。そんなことをタナカくんは望んでいないのです。
けれど、それでは行かなければいいかと言えばそうではありません。タナカくんには心配してお見舞いに来てくれる親友がいるのです。タナカくんが油断している際に彼がここに来てしまってもばれることになります。
彼は一番寄り添ってくれそうではあるのですが、それが却って申し訳なくて、タナカくんは気づけば「一番ばれたくないのは彼」という認識になっていました。
重い身体に鞭を打って、タナカくんは制服に着替えます。女の子用の下着を着けたくなくて今まで使っていたシャツの上から学ランを着たのですが、それだとどうしても主張の激しい胸を抑えきることができませんでした。それなので、タナカくんは泣く泣く女の子用の下着を着けました。初めて一人で着けたので若干歪な留め方になってしまいました。
タナカくんはその上に下着の形が出ないよう、ツユリさんからもらったタートルネック型の黒いタンクトップを着ました。あまり男性が着ないタイプの服という印象がタナカくんにはありましたが、これにも胸を小さく見せる効果があるため、天秤にかけるとやはりばれたくないという方に傾きました。
それから顔を洗って、朝食を食べて、歯を磨いて、通学用のカバンを手に持っていつもより大分早い時間に家を出ました。顔を洗う際、洗った後に鏡を見たら元に戻っていてほしい、と神に祈りましたが、それは無駄な期待でした。
ちなみに、平日はいつもタナカくんがお弁当をつくっているのですが、この日は流石につくる気になれず、父にはつくれない旨の置手紙を残しています。
この身体になって初めて一人で外に出ることにタナカくんの身体は躊躇いを見せました。けれど、コバヤシくんを家に来させるわけにはいかないという思いで、なんとか外に出ることはできました。
「……うう。……見られてる、気がする……っ」
登校するタナカくんはそわそわしっぱなしです。人を見かけるだけでその人の視線がこちらを捉えているような感じがして落ち着きません。タナカくんは少し前傾姿勢になり、胸を腕の陰に入れるようにしながら速足で学校へと進んでいきました。
……………………
朝が早かったということもあり、人とすれ違うことはそれほどありません。登校時間が部活動をしている者と帰宅部である者のちょうど間であったということもあり、同じ学校の生徒とばったり出くわすこともありませんでした。
タナカくんはその足で教室へ、とは向かわずに別方向へと歩いていきます。向かった先は、文化部部室棟、その四階です。
例の空き教室に入ったタナカくんの目に入ってきたのは魔法陣のシートでした。タナカくんは昨日、学校に来ていませんでしたから、あの六人になんの効果もなかったと思われて捨てられていたらどうしようと少し不安を抱えていましたが、そのままになっていました。
すぐに確かめたかったタナカくんですが、まずは確認です。周りに誰もいないのをちゃんと見てからタナカくんはスマホを手にして、ニュースを調べました。その一つに目的のものを見つけます。
――爆発止む。世界的に見てもゼロ。何故?――
目次にはそう書いてありました。タナカくんはその見出しのニュースを開いて見てみました。するとそこには、
――昨日、火曜日におけるこの国の謎の爆発件数は0であり、被害者も0人。
――世界的に見ても昨日は丸一日、爆発は起きておらず、当然ながら被害者も出ていない。
――何故、急に爆発は止んだのか? そもそも、何故爆発は起こるようになっていたのか、その究明が急がれる。
という記事が載っていました。
これはもう決定的と言っていいでしょう。タナカくんが「叶えられた願いをキャンセルしたいという願い」を聞いてもらってから爆発は起こらなくなっているという現実が記されてあったのです。そして、タナカくんの願いが叶えられたと同時に、その願いを叶えるために必要だと言われていた対価の支払いが行われました。タナカくんの身体で。時期的に見ても、もうこれらには因果関係があると思わざるを得ません。
それでも、万が一ということもあります。
もし、偶然が奇跡のように重なっていただけだったら?
恋愛に恨みを持つ謎の巨大な組織が殺傷能力の高い超小型爆弾を開発して世界中でカップルを狙っていたとしたら?
その活動開始日があの六人が祈った日と偶々被ったのだとしたら?
その謎の組織がなんらかの理由で昨日のみ活動を控えていただけだとしたら?
そして、自分は間の悪いことにこのタイミングで未知の病気を発症しただけだったとしたら?
悪魔も願いも代償も関係なく、また爆発は起こるということになります。
タナカくんとしては、ここははっきりとさせておかなければならないところです。仮に、これらが全て偶然だった場合、謎の組織が活動を再開させたら、恋人がいるコバヤシくんの身の安全が保障されないということになるのですから。爆発は悪魔の力によって起きたとこだと高を括っていて、もし、コバヤシくんに何かあったなら、タナカくんは悔やんでも悔やみきれなくなってしまいます。
「……この状況だから、たぶん、そんなことはない、と思うけど、ちょっとでも可能性があるなら、確かめなくちゃ……!」
ですので、タナカくんは魔法陣の元へと向かいました。気持ちが急いて、寄せて固められていた机や椅子に脚を何度かぶつけてしまいましたが、それは無視します。
魔法陣のところまでやって来たはいいものの、重要なことを考えていなかったことにタナカくんは気づきます。どうすれば答えを確かめられるのか、その方法がわかりませんでした。
タナカくんは魔法陣の中央で祈るようにして呼びかけてみますが応答がありません。
魔法陣に血を垂らしせば、彼女は現れるかもしれませんが、何か別の契約みたいなものを交わされる可能性があります。そう思うと、タナカくんは二の足を踏んでしまいました。
タナカくんは困り果ててしまいました。悩んでいるうちに時間は無情にも過ぎていき、学校が始まる時間が迫ってきます。自分の意気地のなさからくる悔しさと押し寄せてくる焦燥感に、タナカくんの目には涙が溜まってきました。それが吸い寄せられるかのように魔法陣の中央へぽたりと落ち、紋様と文字が淡く輝き出しました。
「――!」
魔法陣から浮き出てくる悪魔・リリムシェディム。タナカくんは偶然にも魔法陣を反応させることに成功したのです。
「お久しぶりですね、我が契約者様。……あ、こちらの世界ではほんの数日でしたね。どうも私がいる世界とは時間の流れが異なっていて、いけませんね……。んんっ、それはそうと、今回はどうなされましたか? 血液でない呼び出し、ということは願いを叶えるというわけではなく、それ以外の用が私にあると推察しますが?」
前回呼び出した時とは違って、半透明になっているリリムシェディムがタナカくんに要件を訪ねてきます。透けている以外は前回と同じで物腰が柔らかく、丁寧で、メイドがいたらこんな感じなのだろうと思わせる所作をしていました。
「契約者」という気になる単語が出てはいましたが、余裕のないタナカくんには気にしていられませんでした。タナカくんは彼女に会えないかもしれないと少し諦めかけていたため、奇跡的に会えたことでどもってしまいました。ですが、そうなりながらも懸命に質問を口にしました。
「だ……っ! ……代償、なの!? ……ぼ、僕の身体が、こんなになったのって……!」
聞かれたリリムシェディムはタナカくんの身体をまじまじと見たあとに返します。
「……ふむふむ。そういう結果になったのですね。はい、左様です。リア充の爆発を止めるという願いを聞き入れるために、あなたには『あなたが一番起こってほしくないことが起こる呪い』を掛けさせていただきました。私たち悪魔は、人の悲しみや怒り、憎しみや悔いといったマイナスの感情を、願いを叶える力に変換できますので。ただ、『呪い』は掛けますが、その内容までは操作できません。今のような姿になってしまったのは、あくまであなたの心の奥底にあった『こうはなりたくない』という意識が『呪い』に作用したから、と考えられます」
タナカくんの身体に衝撃が走りました。ただ、それ以上にもやもやしたものが晴れてすっきりしたような感覚を受けます。
「……ってことは、僕は、『呪い』で女の子になったってこと? ……僕がこうなったから、もう、爆発は起きない……?」
タナカくんの確認に、
「はい」
リリムシェディムは表情一つ変えることなく端的に肯定します。それはあまりにも機械的な返答ではありましたが、嘘をついているようには感じられませんでした。
「……そ、そっか……」
タナカくんがリリムシェディムの答えを聞いて、一番最初に支配した感情は安堵でした。自身が女の子になってしまったことは悲しくてつらいのですが、それよりも女の子になってしまったのが無駄ではなかったこと、そして何よりも、親友であるコバヤシくんを守れたとわかったことが、タナカくんにとって大きい部分を占めていたのでした。
しかし、その感情が過ぎ去ると、やってきたのは底知れない恐怖です。
このからはずっと女の子の身体のままで生きていかなければいけないという事実。
もし、女の子になってしまったことが周囲に、特にあの六人に、ばれてしまえばどうなるかわかったものではないという不安感。
最悪、無理やりという展開になることだってあり得ないことではないという絶望感。
それらが、親友を守ることができたというタナカくんの誇りを食い潰しにやって来たのです。性別が変わったことなど親友を失うことに比べれば些事だと割り切ってその恐怖に抗おうとしたタナカくんでしたが、上手くいきません。タナカくんは恐怖に呑まれてしまいました。
女の子になってしまったことがばれた時のことを想像して、両方の二の腕を擦りながらぶるりと震えたタナカくんにリリムシェディムが言ってきました。
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