第一章:願いをキャンセルした代償と望まない生活

第7話 5月23日(火)の日中~診察と診断結果~

 ハッとして、自分の下半身に手を伸ばすタナカくん。布越しに感じたのはいつもとは違う感触でした。


「ひぅ!?」


 いつもだったら感じる感触がありません。タナカくんは恐る恐る覗いてみて、そして絶望しました。


「……な、ない……っ!」


 あまりのショックにタナカくんはその場でへたり込みます。その様子を見て、今度は父・ケントさんがタナカくんの心配をします。


「お、おい! 大丈夫か!? ……ど、どうしてこうなったんだ?」


 父は近寄って背中を擦りながらやさしく聞いてくれますが、タナカくんにもどうしてこうなったのかなんてわかりませんでした。


「……わ、わからないっ。な、なんで……!?」


 タナカくんはパニックに陥りました。それは、いきなり性別が変わってその原因もわからない、となれば無理もないでしょう。両サイドの髪の毛をクシャッと握りながら震えるタナカくんにケントさんは言いました。


「き、今日は学校休め。父さんも会社休むから」


 タナカくんはその提案に頷くことしかできませんでした。



……………………



 タナカくんはとりあえず病院へ行くことになりました。そこはケントさんの知人が、いいえ、正確にはケントさんの亡き妻の友人がやっている診療所です。念のために、タナカくんの身体や精神状態を配慮して、ケントさんがこの診療所を選びました。


「ん? お前……、アイツのダンナだな! いやあ、大分老けたなぁ! けど、面影はあったからすぐにわかったぞ。久しいな。あいつが死んでからだから十年ぶりくらいか?」


 タナカくんたちが車で診療所を訪れ、ケントさんがその扉を開けると、髪をアップスタイルに纏め眼鏡の奥に鋭い目をした長身で凛としている雰囲気の白衣を着た女性が出迎えてくれました。


「あ、ああ……、ひ、久し振りだな、ツユリ。君は、変わっていないようだな……」


 ケントさんはこの女性、ツユリ・イチカさんを前にしてぎこちなくなっていました。実は、ケントさんは女性と接するのがあまり得意ではありませんでした。いいえ、ケントさんというべきでしょうか。それはちゃんとタナカくんに受け継がれています。


「日頃の努力の賜物だよ。……それで? 今日はどうしたんだ? いきなり連絡があって驚いたが――って、え……。ミナモ……?」


 ツユリさんの視線がケントさんの後ろにいたタナカくんに向けられた時、彼女は大きく目を見開いてぴたりと止まります。亡き友人の名前を呼びながら。


 そうです。タナカくんの今の姿は、亡くなってしまった母・ミナモにそっくりだったのです。


「な、なんで生きて……!? い、いや! アイツは死んだ! 死んだんだ……っ。十年も前に……。じ、じゃあ、この子は一体……?」


 狼狽えるツユリさんにケントさんが説明します。


「……息子だ」

「……そ、そうか。確か、そうだったな。あいつが亡くなった時、五、六歳の子がいたっけ……。アタシはその時しかあったことがねぇけど……。あれからもう十年、だもんな。……アイツが亡くなった年齢に近づいてる。なら、似てても不思議じゃ――って、おい! 息子!? 息子って言ったか、今!?」


 ケントさんの言葉に、ツユリさんの動揺はピークに達しました。



「どぉぉぉぉう見ても女の子だろうがああああ!」



 ついつい叫んでしまったツユリさん。その猛ツッコみのような絶叫を聞いてタナカくんは「やっぱりそう見えるんだ」と気を落としてしまいました。


「朝見たらこうなっていたんだ。未知の病気かもしれないと思って病院に行こうって話になったんだが……。その、か、身体が変化してしまっているし、いくらお医者さんといっても知らない奴に検査を任せるのは気が気じゃなくて、な。この子も注目されるのは苦手だから、好奇の目には晒したくない。どうしようかと考えていたら、君のことを思い出したんだ」


 しょんぼりしてしまったタナカくんに代わってケントさんが経緯を伝えると、ツユリさんは顎を触りながら困った表情を浮かべます。


「なんだ? 本当に息子だって言うのか? 性別が完全に変わっちまう病気なんて聞いたことないぞ……。兎に角、ボウズ……でいいんだよな? 検査するからこっち来い」


 わからない、と言いながらも、ツユリさんは親身になってタナカくんの身体の異常について調べてくれるようです。一度タナカくんを一瞥したツユリさんはその身を翻して奥の方へと歩いていきました。タナカくんとケントさんは彼女の後に続きました。が。


「おい、ダンナ! 何ついてこようとしてんだ! お前はそこで大人しく待ってるんだよ! 息子ちゃんの身体、見ようとするんじゃねぇ!」


 ケントさんは止められました。



……………………



「……。マジで息子なの? 娘じゃなくて?」


 すぐにわかる程度のかなり簡易的であまり精度がいいとは言えないものでしたが、レントゲンを撮っても、遺伝子の検査をしても、出てくるのは「タナカくんが女の子」という結果でした。この残酷な現実にタナカくんは瞳に涙をたたえます。


「……」


 こくり、そうゆっくりと頷くのがやっとだったタナカくん。そんなタナカくんに更なる現実が叩きつけられます。


「っていうか、マジでアイツにそっくりだな、その胸も……。最初から女のアタシが負けてるってどういうことだよ……。調べても、偽物ってわけじゃなかったし……」


 ツユリさんは何気なく呟きましたが、その言葉はタナカくんにズシンと伸し掛かりました。クリティカルヒットです。「タナカくんのHPはもうゼロよ」です。タナカくんとしてはなりたくてなったわけではないのですから、女性らしさが際立っても嬉しいわけではなく、むしろ困ってしまいます。


 ふるふると涙を堪えていると、それまでの検査中に何度もしていた質問をツユリさんは繰り返しました。


「……もう一度聞くが、本当に心当たりはないのか?」


 性別が変わった原因について思い当たることはないか――これでもう十回目です。

 タナカくんは振り返ってみましたが、本当に思い当たる節はありませんでした。病気に罹るような行動は取っていない気がします。少なくても、こんな奇病に罹るようなことは。


 自分の身に降りかかった不幸に、タナカくんの涙の防波堤はついに決壊してしまいました。「本当は女の子なのではないか」と揶揄われ続けた人生だったのです。そんな後ろ指を差されていたから、タナカくんは男らしくなりたいと願っていました。それなのに本当に女の子になってしまうなんて、それは展開でした。


(――あれ?)


 それまで病気なのではないかという考えに囚われていたタナカくんでしたが、ここでようやく気付きます。



――これがあの悪魔・リリムシェディムが言っていた『これからあなたの身に起こる最も望まないこと』なのではないか――と。



 今までと違った行動を取ったとすれば、それはあの悪魔・リリムシェディムと会ったとこです。そしてタナカくんは、その悪魔に代償が必要となるお願いをしていました。その所為で女の子にさせられた可能性は大いにありました。「何を非現実的な考えを?」となるかもしれませんが、身体の構造が完全に女の子のものに書き換わっているこの状況が既に非現実的なのです。そう考えれば、到底納得はできませんが、この状況の説明はついてしまいます。


「……呪い、なのかも……っ」


 タナカくんは思わず口走っていました。


「はは、現実的じゃないって言いたいところだが、そう言いたくなる気持ちもわかるな……。もう最初から女の子だったんじゃないかってくらい完璧に女の子って結果が出てるんだ。それなのに、身体には数値上、他の異常は見られない。今の医学じゃ、完全にお手上げだよ」


 タナカくんがぽつりと言ったことをツユリさんは聞き取っていました。そして、それに対するツユリさんの感想に、タナカくんは今の状態が『代償による影響』なのではないかという線が濃くなった感じがしました。

 ツユリさんが続けます。


「まあ、科学で説明できないことは多い。ここ一週間、『人が突然爆発する』っていう謎の現象も起きてるわけだし。昨日は少なかったみたいだが……。ああいう解明できない現象がある以上、『人の性別を変える呪いなんてものは存在しない』なんて断言できないかもな」


 「医者であるアタシが言っていいことじゃないな」と付け加え、やれやれといった様子でツユリさんは肩を竦めます。彼女の言葉に、タナカくんはドキリとしました。

 『リア充が爆発する』ことも、自分たち(正確にはあの六人ですが)があの悪魔に願って叶ってしまったことなのです。一応、あの悪魔は仕込まれた映像で多くの偶然が重なりに重なったまぐれである可能性も残ってはいるのですが、タナカくんにはリリムシェディムが立体映像のようには見えませんでしたし、今まさに自分の身にあり得ないことが起きている最中なのですから、これを偶然として片づけるには些か気持ちの悪さが残ります。それなら、タナカくんの身体をこんなのにしたのも、イチャイチャしているカップルだけが爆発したのも、彼女の力によるものと考えた方が自然であるような気がタナカくんはしました。但し、そうなると、元をただせばリア充が爆発するようになったのはあの六人が願った所為ということになるのです。そして、それを止めなかったタナカくんにも非があるということになるのです。タナカくんはその責任を痛感しているため、ツユリさんの言葉は針で刺されているみたいでした。


「……あの、えっと、じ、実は――僕たちかもしれなくて。……その、爆発を起こしたの。……そ、その、悪魔に頼んで――」


 タナカくんは隠しきれない気持ちになって白状しました。けれど、ツユリさんは、タナカくんの決死の独白も、信じてくれませんでした。


「悪魔? 高校生にもなって中二病かよ! ははっ、こりゃ重症だな」

「ち、ちが……っ! ……ほ、本当のこと! 悪魔に頼んだら、カップルが――」

「なあ、息子ちゃん。



――そういうことは嘘でも言っちゃいけないぞ」



「ひぅ……」


 タナカくんはツユリさんに真剣な目で諭されるようにそう言われて何も言えなくなってしまいました。



 少しの間、沈黙が続きます。そこでパンパンと切り替えるようにツユリさんが手を鳴らしました。


「さて! そんじゃ、今後の方針を決めてかないとな」

「……方針?」


 タナカくんはツユリさんの提案の意図を推し測れずに聞き返します。タナカくんが疑問に思ったことにはツユリさんからすぐに答えをもらえました。


「そっ。方針。息子ちゃんが娘ちゃんになっちまったんだから、考えておかなきゃいけないことがあるだろ? 一番重要になってくるのは、これからは女として振る舞っていくか、女になったことを隠して今まで通りにやっていくか、どっちにするかってことだな」


 ツユリさんが考えていたことは、タナカくんには思いもよらなかったことでした。タナカくんの思考からは抜け落ちていたのです。病院に行けばなんとかなると思い込んでいたものですから、それが駄目だった時、どうやって生活しようかなんて全く決めていませんでした。


「……そ、そう、だった。……身体、治らないんだ。……どう、しよう。……これ、隠せそうにない。……どうせばれるなら、最初から明かした方がいい……?」


 タナカくんは視線を下げました。そこには昨日まではなかったのに大きく、大きく主張するようになってしまった自分の胸があります。到底、自分が男の子だと言い張るには無理があるほどの。

 抵抗がないと言えばそんなことはないのだけれど、誰にも何も伝えないで女の子になってしまったことがばれた時のことを想像すると、タナカくんは最初から秘密にしないで打ち明けておいた方が後々面倒なことに巻き込まれるリスクが減るのではないか、と推測できて先の発言をしました。

 ツユリさんが腕を組んでタナカくんの予想の最後の方を肯定します。


「まあ、最初からばらしておけば、いつかばれるんじゃないかってひやひや怯えながら毎日を過ごさなくてよくなるっていうのはあるな。それに、息子ちゃんも女の子の生活の仕方はわかんないだろ? だったら、明かしておいて協力してくれそうな女子に教えてもらうっていうのは一手ではあるな。ただ、いきなり性転換したから騒ぎになるかもしれないが……。あと、悪い虫がつく可能性も……」

「――っ!」


 それに付け加えて他に考えつくメリットとデメリットを教えてくれるツユリさん。その最後の言葉にタナカくんはぞわっとしました。

 悪い虫がつくかもしれない――という言葉に。


 その言葉の本来の意味とは異なりますが、問題なのは男子が寄ってくる可能性がある、ということです。

 タナカくんはおモテにならない男の子たちの集いに参加させられていました。

 その中の一人がいきない女の子になった、なんてことになったら、それを知った周りの男の子たちはどうするでしょう?

 千載一遇のチャンスと捉えるに違いありません。

 何故なら彼らは滅多なことがない限り、女の子とお近づきになることがないからです。

 最悪の場合、他の者には取られまいと強硬手段に及ぶ、なんてこともあり得ます。

 そうなれば、女の子になってしまった者の身の保証はありません。


 そのことが手に取るようにわかったタナカくんは震える両方の手でツユリさんの白衣の裾を掴み、蒼白い悲愴に塗れた顔をふるふるさせながら懇願しました。


「……い、いやっ! 女の子になったって、ばれたくない……っ! お願い、男に戻して……! 手術でも、なんでもする……っ!」

「いや、原因もわかんないのに手術は無理あるだろ! 経過を観測してみないことには身体に何が起こるかわからない! お前の身体に起こってることははっきり言って異常だ! 下手に手を出したら危険な状態になるかもしれないんだぞ!?」


 女の子として過ごしたくない、助けて――と縋りつくタナカくん。

 しかし、一蹴されてしまいます。

 それでも、タナカくんは女の子になったことを周知させるという方法を選択することは悍ましくてできませんでした。


「……で、でも! ……女の子になったって、ばれたくない……っ! ど、どうしたら……!?」


 タナカくんが慄きます。そんなタナカくんの頭をツユリさんは撫でながら言いました。


「はあ……。仕方ない。嫌な男に絡まれたくないって気持ちは理解できるし、アタシが一肌脱いでやるよ」


 絶望の淵に追い込まれていたタナカくんに一筋の希望の光が差し込みます。ツユリさんが協力してくれると言ってくれたのです。タナカくんが俯いていた顔を上げ、見上げたそこには笑顔のツユリさん。彼女はタナカくんに微笑みかけてくれていました。

 その表情にドキッとしたタナカくん。それでもまずはお礼を、と言いかけた時でした。


「あ、ありが――」


「じゃあ、まずは採寸だ! おい、服脱げ!」


「――え」



 採寸と言って、巻尺を手にそびえ立つツユリさん。

 タナカくんはこの時、この後に「男の子だったならまず受けることのない体験」が待ち受けていることなど知る由もありませんでした。あえてそれを一言で言うなら、「辱め」であったとタナカくんはのちに語っています。

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