第七話〝入れ違う視界〟



 チカくんの目の色がなんだかいつもと違うように感じた。

様子がおかしいというよりも、たった2日間で大人びたように見えた。

きっと何かがあったのだと私は思った。それは私もなんだけど……


「ルカ!! そのメガネ……それにやけに大きな荷物があるようだけど……」

「あぁこれね。ええっとどこから話せばいいんだろう……

 メクジラのタマゴを見つけたらね。市場の副商長さんがね。

 私を正式な冒険者にしてくれたんだけど……」


私はそそっかしいなりに端的に言葉を選んだ。けど……


「それは何のタマゴなの? それはもしかして……ゴールドメガネ!? 」


 言葉が通じない。様子がおかしいと思っていたんだ。

だって今のチカは何よりも、メガネをかけていないのだ。

そんなことありえないもん。外しているわけでもないし……

彼の目は少しだけ濁って、でも、けれど静謐な美しさを灯している。

白く〝とごり〟を見せているようで、でもこの世界を透かして見ることのできるような、そんな目になっていた。


「あ、そっか、今、僕……耳が……聞こえなくなっちゃったから……ルカ」

「えぇ!? そうなの! じゃあ筆談……あった。ペンと……ああもう

 地図の裏でいいや! 勿体ないけど!! 」


 私は2日ぶりに再会したチカともっとお話がしたくて堪らなかった。

だから、私の手製の、大切な、でも全然正確じゃない地図の裏に書く。



『私はさっきのおっきな音でスキをついて

 チカを探してたらメクジラのタマゴを見つけて

 それでたまたま市場の偉い人と会って

 ゴールドメガネを貰ったんだよ』



 焦った私は慌ただしく汚い字で書く。チカは頷いてくれた。

良かった。耳が聞こえなくなったのは不安だけど、なんとか伝わる。

チカは私よりずっと疲れているようにも見える。



「僕……ルカの……こ、と、心配で……聞こえる? 喋れて、る? 」



『だいじょーぶ』



「色々あって……僕……メガネが無くても……

 全部、全部見えるようになったんだ。

 その代わり耳が聞こえなくなった……」



 えぇええ!!? ど、どういうこと?

さっきの轟音で耳がキーンってなってるだけじゃないの? 治るの!?



『なんで? 全部見えるってどれくらい?

 シルバーランクのメガネと同じくらい? それともゴールド? 』



目を白黒させて驚く私に対して、何やら言いにくそうに答える。



「ぜ、……全部……本当に全部……見えるように、なったんだ」



 10m先を見通すシルバーランクのメガネ

そしてたった今、私が偶然にも手にできた100m先を見渡せるゴールドメガネ

チカはそれよりももっともっと、遥か先を見通すことができるようになったのだという。

うぇええ!? とても信じられないことだけど……



『霧が全部とっぱらって見えてるってこと? 』



 チカは長い沈黙の後、頷く。

今のチカは500年前と同じように、見えているんだ。

謎の霧が世界を覆う前の……モノクロじゃなかった頃の景色

カラフルで色鮮やかで、この世界いっぱいにあった色んな色を……



『じゃあさ。この草は何色なの』



「う、薄い……緑……色……っていう名前……でいいのかな」



『あの果物は? 』



「……とっても綺麗な……赤……でも、明るい赤に見える……」



 私は生まれて13年間、あの果物は灰色がかった茶色にしか、見えなかったのに

だから、思わず羨ましく思ってしまって私は地図の裏に3文字の言葉を書いた。



『ずるい』



『ずるい』


『ずるい』

『ずるい』


 私とチカはミミナガの一族の村から数キロほど離れた道を

筆談と言葉でお互いの2日間を整理しながら道中を向かい続ける。

森を抜けて小さな草原を抜けて、橋も掛かっていない川をまたぎ

今度は巨大な山を登る。ゴールをいい加減に決めようと思っていたけど

でもやっぱり、チカの目がずるくて、羨ましくて、なんだかズルくて

ちょっとだけ一方的な気持ちを押し付けるような口論になってしまうんだけど

でも、口論とは言ってもチカは聞こえないから

申し訳なさそうに黙り込んでしまって、私のほうが子供みたいで

それがなんだか嫌で、だから……わかんなくなっちゃって、半日歩いた。


『なんで教えてくれないの? 』


 ゴールドメガネになった私はもう、怖くなってもチカと手を繋がなくても

100m先の景色を見ることができる。けど今チカと手を繋がないのは別の理由だ。

私は今、プロの冒険者と同じくらい凄いアイテムを扱っているのに

霧そのものが晴れたわけじゃないから、見えるだけで色もまだうすぼんやりだ。

それなのにチカは、全部が見えているのに、そうなった理由を教えてくれない。


『喋ってよ。別に口が利けなくなったわけじゃないんだから』


 俯いて、時折私の荷物の中にあるメクジラのタマゴを見て

哀しい表情をしながら、その回答を断った。気まずい雰囲気のまま

道中当てもなく、次なる目的地を探そうだなんて言えないまま

山の中腹の、開けた場所までついたところでもうその日は暮れてしまった。


『やっぱり筆談は嫌? 怒ってる? 』


 私ばっかり訴えて、拗ねられているようにも男んでいるようにも見えて

それがどうしようもなく息苦しくて、嫌な気持ちになった。

山の斜面は今はなだらかだけど、きっと明日には急斜面な地形になる。

私はメガネを、チカは〝眼〟そのものが、もっと広いものを見えるようになって

それは冒険をする上で本当に便利になったのに

でもこの喧嘩をした後のような険悪な雰囲気はなんなんだろう。

私はさっき書いた『ずるい』の文字を手でごしごしと消した。

こんなことするんじゃなかったなぁと後悔して、焚火を起こした。


『も、もしかしたら耳だって治るかもしれないよ? 』


 そうしたらチカは首を横に振る。焚火の火がゆらゆらと揺れる。

きっとチカは耳が治らないことを予感しているのだろう。

そう思うといたたまれなくなって私は空を見上げる。

100m先が見える。100mしか先が見えない。

闇夜に輝くお月様も、今のチカには見えているはずなのに

きっと目に入っている〝情報の量〟が多すぎて、混乱しているのかな。

誰だって最初は慣れないんだ。仕方がないと思う。

でも、それでもやっぱり寂しい。なんでもいいから喋って欲しい。

その時だ。その時チカはがばっとこっちを向いた。


「……ルカも……ずるい……同じくらい……ずるい……」

「え!? 喋てくれた!? 」


『どういうこと? 』


 チカは耳と目がそうなってしまった理由は、教えてはくれなかった。

でもその代わりに『ずるい』と言った。

私とは違うけど、同じ気持ちを教えてくれた。


「僕……が……本当に……欲しかったのは……こんな目じゃ、ない……

 僕はにいちゃんみたいな……ゴールドメガネが……欲しくて……」


私はチカの視界が羨ましい。でも、チカはその視界を望んでない。


「……今……ゴールドメガネ……かけてももう、意味ない……

 見え過ぎる……見たくないものも……視える……

 僕は……冒険して……いっぱいお宝を発掘して……」


 チカが本当に欲しかったのは私のメガネだ。

世界中の色鮮やかな景色を見るより、おにいちゃんみたいになることの方が……



『ごめんね』



「チカ……」

「え? 何……聞こえないよぉ」



『ごめんね』



「キミが視たくないものも、……見えちゃうんだもんね」

「だから……なんて言ってるか……わかんないよ……」



 夜は冷えるから、でも焚火は近づきすぎると危ないから

だから私たちは吐息がかかるくらいまで身体をくっつけて

有り合わせの毛布にくるまって、ゆっくりと意識を飛ばしていく。

ごめんねと書いて、口でも言ってみる。

充分過ぎるくらい気持ちは伝わったようだった。


「ご、め、ん……ね。チカ」

「……なんでルカが……謝るんだよ……」


 チカがどんな経験をしたかだなんて、今だけはどうでもよかった。

その焚火の火のように、白く綺麗になったチカの目が、溜まった泪に揺れる。

このあたりにどういう獣が生息しているかわからないけど

メキキダケと焚火を使えば、1晩くらいなら動物に襲われはしないだろう。

あぁこんなことならもっとミミナガの一族の人に

このあたりの詳しい生態を聞いておくんだったと後悔する。

でもきっと、この心細いような、申し訳ないような切なさは

近くで身体をくっつけあったって、解消されるものじゃないんだ。


「……無視したのは……僕の方だから……だから……

 チカが謝ることなんか……無いんだ! 」


 自分の言葉を自分で聞き取れていないということもあり

けれど、チカはそれでも感情を押し殺せないまま、ぎこちなく吐く。

私もどうして謝りたくなったのか、ちゃんと整理が出来ていなかったし

大きな感情が揺らめいて仕方がないから、ペンを動かす手が止まる。


「……タマゴ……」

「だ、だから……なんて言ってるか……わからないけど! でも……」


 私は起き上がってメクジラのタマゴを触る。

この世のものとは思えないような模様と色を再確認しながら

もうすぐ生まれそうな。でも、今はもう少し眠っていたそうな

そして、チカが何かの視線を向けていたかのような、そんなタマゴ……



『チカ』



「な、なんだよ。ルカ……」



私はチカが見ている色づいた景色が見たかった。

チカは私がかけているような憧れのメガネが欲しかった。



『もしこの旅が終わっちゃってもさ……』



まだ、喧嘩の途中なのに

どうしてこんなにも、くすぐったい言葉が、出てくるんだろう。



『そしたら一緒に、育てよう。メクジラの……赤ちゃん……』



 副商長のおじさんとの約束、破っちゃうことになるけど

お互いの憧れと、この見えている視界を、取り違えちゃったけど

沢山の驚きがあった代わりに、旅のゴールが曖昧になっちゃったけど

キミがさっき、どんな怖い景色を見てしまったのか

私はまだ何も知らないけど……でも、嗚呼、そっか……



『きっと、笑ってくれると思うの。メクジラの赤ちゃんだって』



 私の思い描いた絵本の中にいた空飛ぶ不思議なクジラなんだもの

きっとすっごく色めいて、怖くないよって笑うに決まってるんだ。



「わ、……わ、……」



 チカは一瞬、その文字が読み取れなくてびっくりして

それで少しだけ間を置いてから、ぽうっと頬を赤く染めた。

焚火の明かりのせいなんだろうけど、でも、それが分かった。



「わ、……わかった。うん。そうしよう! きっとそれがいい。

 僕も……とっても素敵なことだなって……思うから……! 」



 くすぐったくて堪らない。私の心が筆で撫でられているかのようだった。

私はタマゴを壊れないようにそっと抱いて、また毛布に戻る。

ペンをしまってしまったからもう、チカに言いたいことは伝わらないけど

でも少しだけ私とチカは見つめ合った。タマゴを包むように

焚火の揺らめきが空気を温めて、深い霧に気流の渦を作る。

その色と、タマゴの深淵な渓谷のような模様と

白く美しく濁ったチカの瞳を、私はメガネを外して

おでこをくっつけて、見つめる。

きっとチカも私の瞳孔をじぃっと見てる。

かすかな揺らめきが触れ合う。



「ねぇチカには何色に見えてるの? 私の瞳」



「……え? ……なんて、言ったの? 」



やっぱりちょっぴり不便だけど、今はこれでもいいんだ。



「なんでもない」



私はこそばゆい気持ちをそのまま笑顔に押し出して、毛布をがばっと被る。



「おやすみ」



※※※



 燻った炭の匂いで目が覚める。

焚火の後が真っ黒に炭化して昨日の景色が嘘みたいにボロボロになってる。

火の粉が飛んで毛布が少しだけ焼けている? 気がするけど

猛獣に襲われなかったのだからこれでいい。

もっともっと北の方には、獣避けの匂いを出すキノコもあると聞くから

これからの冒険に合わせて、もっといい道具が欲しくなる。



「あれ、チカ? 」



 チカはもうとっくに毛布から出ているみたいだった。

朝の心地の良い風に充てられて、じぃっと山の峯を見ている。

私はどうしたの? と聞いたけど答えない。そうだった。聞こえないんだ。

私はペンと地図を出す。でも、もっと遠くの景色を見つめるチカは

なんだか真剣で、とてもすました顔をしていたから

近くの転がっている岩と相まって

整っているような……なんというか絵になっていた。



『どうしたの? 』



「あ、ルカおはよう。……なんか……小さな建物が……ある」



そういえば、仲直りしてないのに、普通に喋りかけてくれてるんだ。嬉しい。



『どこに? 』



 ゴールドメガネを使っても見えないということは

100m以上も先の景色なんだろう。そう考えたら本当に凄い目だね。



「……なんだろう、白くて……一部が高くなってて……まるで……」



1時間も歩けば到着するところに、それはあるという。



「……研究所」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る