第五章 晴雨 2
「ふぃろりす~」
シークネンが言うと同時に間抜けな声が店に響く。
フィロリスまで二メートルの距離で飛び込み、真横からフィロリスにくっついた。
それと同時に首に腕を絡ませそのまま、締め上げ、いや抱きしめた。
「や、それは…くる…しい……」
フィロリスが声にならない声で助けを求める。
「ル…イ…たす……」
フィロリスは必死で隣のルーイを見たが、妙な微笑のまま見返しているだけだった。
「ふぃろりすだ~ふぃろりすだ~」
フィロリスが首を振るが、しがみついているものは動きに合わせてゆらゆら揺れているだけだ。
「エミリア、もうやめなさい」
「え~え~」
のんきな声は続いている。
「マジ…で…やめ…て…」
フィロリスの動きが止まり、カウンターに頭を打つ。それを合図にしてとりついていたものも腕を放した。
無言でシークネンが差し出した水を一気飲みする。
「はぁ、はぁ、ここ最近で一番危険を感じた」
思いっきり振り返るフィロリス、そこにはにこにこと満面の笑みの少女がいた。
「エミィ!」
「?」の表情をしたままフィロリスの怒鳴り声を聞く少女。
エミリア=グラディエ、似ても似つかない顔をしているが、正真正銘シークネンの娘である。
肩ほどまで伸ばした髪に、ちょこんと赤いリボンがついている。身長はフィロリスより頭一つ分低い。
十二歳になるこの少女は、話し方からも分かるように少し天然の節がある。しかもフィロリスよりも遥かに上をいっていて、同じ波長を感じ取ったのか彼女はフィロリスが大のお気に入りだ。
「やっぱりふぃろりすだ~」
抱きついていたのにも構わずフィロリスの顔をぺたぺた触りながら確認する。
「見て分からないのか!」
声を上げてフィロリスが顔の手を振り解く。
明るい、という表現が一番合うのか、それともそれしか当てはめることが出来ないのか、とにかくエミリアはよく表情を変える。どうみてもシークネンの性格を受け継いだとは思えない。あの子の母親も確か病気で亡くなったはずだ、昔シークネンがそう言っていた、エミリアを連れて十年前にここにやってきたと。どこまで本当か分からないが。
「るーいもお久しぶり」
ペこりと頭を下げるエミリア、ちょっとだけ引きつった笑顔で返すルーイ。
そりゃあそんな顔にもなるわな、とフィロリスは不思議そうにルーイの顔を覗き込むエミリアを見て心の中で呟いた。
エミリアは、無邪気にも初対面の時、ルーイの尻尾を持ちテールスィングと称して振り回したのである。
流石にもうそんなことをすることはなくなったが、未だにルーイの心にはあの時の傷が残っているらしい。
「あのね~あのね~」
エミリアが楽しそうにフィロリスの膝を叩く。
「ん、なんだ」
少し冷静さを取り戻してフィロリスが聞き返す。
「私ね~私ね~火が出来るようになったんだよ~」
「へぇすごいなそりゃ」
適当に相づちを打つフィロリス、エミリアは身振り手振りで解説をする。
エミリアの言う火とは炎系の魔法のことである、学校で教えてもらったらしい。
それでも苦手でずいぶんと使えるようになるまで時間がかかったようだ。外氣術の属性にはそれぞれ得手不得手があるから、それはどうしようもない、エミリアは大きな口をさらに大きくしながらできたときの喜びを不器用な言い方で伝えようとしている。
「それでね~それでね~今みせるの」
小さい手を一杯に広げるエミリア、なぜかカウンターの向こうでは手際よくグラスを遠ざけるシークネンがいた。
「いくよ」
フィロリスとルーイがエミリアに注目する。
「火のせいれいよ、わが力かてにしそのいろどりをしばしかりん、全ての始まりの色にして終わりの色よ」
くるりと手を広げながら一回転し、たどたどしく詠唱をする。
「あたたかなぬくもりを約束せん」
エミリアがフィロリスの前に両手を差し出す。
「リルフレイム」
ボンっと音がして、エミリアの手から炎が一瞬膨らみ、そして消えた、フィロリスの前髪を焦がしながら。
「あちぃ!」
フィロリスがちりちりしている前髪を叩いて熱さをこらえる、完全に焦げてしまった髪が空しく縮れ落ちる。
「あれ~」
エミリアは今の魔法が気に入らなかったらしく、小首をかわいくかしげてうーうー考えている。
「あれ~じゃないだろ!」
「しっぱい、したかな?」
「それで済むか……」
フィロリスは情けない髪型でルーイを見る。
「ノーコメントです」
ルーイは小声でそう言った。
「え~え~るーいー」
「だ、そうだ、教えてあげなさい」
ルーイの口調を少し真似するようにフィロリスが言う。
「練習、じゃないですかね」
苦笑いをしながらルーイは答えた。
エミリアはくるくるとまわりながら意味不明な歌を歌っている。
「出発はいつにするんだ? 急いでるんだろ」
シークネンが離れたグラスを元に戻す。
「明日中にはつかないといけないみたいだからな」
ライゼンが残したと思われる石版を思い出していた。
何度も考えた疑問が頭を駆け巡る。
なぜ、こんなものを残した?
「だったら出発は明日の朝だな、今からじゃ途中で朝になっちまう」
回る少女が動きを止め、足元をふらつかせながらフィロリスにのしかかる。
「ふぃろりすあそぼ~」
「ん、いや」
「どうせだったら泊まっていけ、どうせ宿屋に泊まる金も持ってないんだろうし」
ルーイが断ろうとしたが、現実の財布の中身を思い出して言葉を呑んだ。
「じゃあいっしょねる」
「それは困る」
エミリアの言葉に即答するフィロリス。
不服そうに小さな拳をフィロリスの背中にぐりぐり押し付ける。
「それでは、お願いします」
丁寧にシークネンに頭を下げるルーイ。
いいさ、というようにシークネンは首を振った。
「それじゃ、ちょっと出かけてくるわ」
「フィロリス?」
フィロリスがサンドウィッチの皿をカウンターの向こうに戻し、席を立った。
「外に出るだけだ」
「わたしもいく~」
「いい」
「いくの」
珍しく語気を強めてエミリアがフィロリスの袖を引く。
「……わかったよ」
「わ~い」
楽しそうに観念した男の左腕にまとわりつく。
「夜までには戻ってきてください」
ルーイに背を向けて空いた右手で返事をした。
「心配ですか?」
2人がいなくなってからシークネンに声をかけるルーイ。
「フィロリスのことか」
グラスを置くシークネン。
「いえ、エミリアさんのことです」
「さあね」
シークネンが軽く笑う。
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