第2話 大英雄、頑張る
「何故私はこんなことをしているのだろうか…」
手にしていたレジ袋から買ってきたアイスを冷凍庫の中にしまいながら呟き、チラリと後ろで楽しくゲームをしている二柱の神々を見やる。
一柱は、腰まで伸びた漆黒の闇を思わせるかのような黒色の長髪をそこら辺で簡単に手に入るであろう地味なリボンで乱雑にまとめ上げ、何の変色も無い灰色のジャージ一式を身にまとう女性。
少なくとも世間一般では美少女とも言えるだろう容姿だが、そういったものに無頓着なのかまともな化粧もせずにしている。
もう一柱は、冬に広がる銀世界を思わせるような白色の髪を短く切り揃えワックスか何かで逆立て、鎖やらベルトやらで全身を装飾した─俗に言うパンクファッションと呼べる衣装を見に纏う男性。あからさまに不良、もしくは怪しい業界の人物とも言うような姿をしており居場所が間違っているのだが、楽しそうに女性と遊んでいる。
最早対照的、それも生きる世界そのものが異なるとも言うべき二柱だがまるで生来の兄妹かのように仲良くゲームをしているのだ。そんな二柱をヘラクレスが見ていると、女性の方が目敏くヘラクレスが手にしていたアイスを見つけ
「へい流石だぜヘラっち!キンッキンに冷やしておきなぁ、今日のドン勝つのご褒美はこれで決まりじゃい!!」
急にテンションが上がり出したのか、うおおおと叫びながらガチャガチャとコントローラーを動かしていく。画面の中では四人もの相手を一人で蹂躙していた。
その様子を見ながら溜息をつくヘラクレスだが、こんなことは日常茶飯事。もう諦めはついている。
「何ですか天照神、カツ丼はこの前食べたでしょう。今日は昨日買ってきた塩鮭ですよ」
「えー鮭やだー、食べるならモックが良いー!!モクドナルドー!!!」
天照大神──日本神話における主神にして、太陽の女神。高天原を統べる最高神なのだが……今やその威光は地に落ちている。ジタバタと暴れる様は子供のようで、傍目から見れば哀れに思う程に駄々をこねている天照だが、もう一柱の男神がそれを見て、彼女の頭を撫でながら、
「まあまあ落ち着いて天照ちゃん、塩鮭だって美味しいじゃない?」
「そうは言ってもさー、パサパサしてるし……食べてると口の中乾くし…何でロキっちは好きなのさー」
「ボクああいうの向こうじゃ食べたことなかったからね」
ロキと呼ばれた男神は戯けた仕草をしながら天照を嗜めていく。
ロキ──北欧神話における悪戯の神にしてトリックスターの代名詞。邪悪な気質を持ち、高い知能と狡猾さを駆使して多くを騙す最悪の神なのだが、今はそのようななりは潜めているようで純粋な思いで天照を落ち着かせている。
この二柱の神々と出会った経緯は、至ってシンプルだ。時は遡り、数ヶ月前──
「この国の人々は、何というか…冷た過ぎないか…?」
ゼウスの力で日本に飛ばされたヘラクレスだが、文化も言語も異なる日本で一人で生活するというのはかなり困難を極めていた。
それもその筈、ヘラクレスは日本人では無いのだから日本語がわかる訳がないのだ。更に身分証明書も無いと来れば働ける場所は無いにも等しいだろう。もしここが自然溢れる野山であれば狩りに出かけて生活することも出来ようが、残念ながら都会故に森も無い。
よって当たり前のように、行き倒れたのだった。
「まさか、ここで終わるというのか…?」
ヘラクレスがそんな世に絶望しそうになり、嘆きの淵に堕ちかけたその瞬間、彼に声をかける者─ロキが現れたのだった。
「なーなー、そこでぶっ倒れてる筋肉ムキムキのお兄さん。そんなとこで倒れてると通行人の邪魔だよ……って、あっれーこの顔どっかで見たことあるなぁ……」
細く閉じられた瞳がヘラクレスをジロジロと見て、ようやく思い出したのかぽんと手を叩く。
「あぁ、ギリシャ神界のヘラクレス君か!こんなところで大英雄が行き倒れてるなんて傑作だねー!!」
「そ、その声は……北欧神界の、ロキ神か…?此処で会ったのも何かの縁、どうか助けてはくれまいか…?」
「おっけー、僕が住んでるとこすぐそこだから。そこでご飯でも食べよっか」
息も絶え絶え、藁にもすがる思いで助けを乞うヘラクレスに対して朗らかに答えるロキ。
話を聞くと、少し北欧神界で揉め事を起こし、そのせいで追い出されてから日本で暮らしていたとのことだった。
そして案内された場所で出会ったのが
「うおっ!?誰だその筋肉ムキムキの変態ダルマはぁ!?……って、え?ギリシャ神界のヘラクレス…さん?え、何故こげな辺境の地に?」
楽しそうに大人向けのゲームをしてぐへへしていた天照だった。
その後、2人から日本語を教えてもらいつつ働く上で必須の身分証明書各種を裏技を用いて用意し、今に至る。
その為2人には感謝しているし、彼等の為ならゼウスから下される使命に影響の出ない範囲で、如何なることも成し遂げるつもりでいるヘラクレスだが
「まあいいや、鮭でも。でも次はモックだからなヘラっち!さあてどうせご飯出来るまで時間あるだろうしー、またやろうぜぃロキっちー!!」
「はいはーい、んじゃヘラクレス君。ご飯よろしくねー」
………先が思いやられる。そしてため息を吐きながら、ヘラクレスはそそくさと台所に向かい、調理を始めるのだった。
日本の関東にある某県山入市。そこは山と海、そして人の住まう都市が見事な調和を見せる奇跡の都市。観光名所は無いにせよ、住みやすい街として世間的にも有名なその市にある一店のコンビニ、アルゴーマートのカウンター内にてヘラクレスと女性の姿─暗褐色に輝く髪の毛をゆる巻きのミディアムヘアに整えており、常に柔らかい笑みを浮かべる天女のような女性─が2人仲良く話し合う姿があった。
「はぁー、大変なんですねぇ平良さんも。でも良い同居人さんだと私は思いますよ?毎日が退屈せずに楽しそうですもの〜!」
「そういうものですかねぇ……神原さん」
身長が2メートルを超すヘラクレスと彼女を比べればまるで親子のようにしか見えないのだが、2人は何も気にしていない。彼女の名前は神原 結衣。このアルゴーマートでヘラクレス─今は平良 大と名乗っているが─の教育係をしている大学生である。
余りにも対照的な2人ではあるが、お互いの気性が合っているのだろうか初日からある共通の話題で盛り上がったことですぐに仲良くなり、共に仕事に励んでいるのだ。
その話題というのが──
「やはり世界中の神話の中で一番知られているのはギリシャ神話だと思うんですよ。いや別に他の神話が知られてないと言いたい訳ではないんですが…平良さんはどの神話がお好きですか…!?」
「まあ確かに、少し歩くだけで関連する言葉をよく目にしますからね。私もギリシャ神話、好きですよ?」
「ですよねですよね!」
──神話である。彼女はどうも、俗に言う神話マニアらしく初日からこの話題で持ちきりだ。しかし平良─ヘラクレスからすれば、遥か昔共に過ごした仲間であり、見守ってくれていた神々の話を遠く離れた日本でするとは到底考えていなかった。
だが、かつての功績や友達との冒険譚がこうして広まっているのは嬉しかったというのもまた事実である。そしてそれを熱く語る彼女が、まるで自分の娘のように思えてしまい─一瞬かつての狂気がトラウマの如く脳裏に浮かんでしまうが、それを頭を振って掻き消していく。
忘れろ、あれは既に起きてしまった我が罪なのだと、自らに言い聞かせている最中
「大丈夫ですか?もしかして具合が悪いとか…」
「あぁ…少し疲れが出ているのかもしれませんね…ですが大丈夫です。ご心配いただきありがとうございます、神原さん」
結衣に声をかけられすぐに意識を彼女に向けて、問題無いと答える。既にかつての狂気は消え去った、後は己の自覚の問題なのだから。
そして、店内に客が来ればお互い仕事に戻り、また居なくなれば業務を行いながら談笑する。そのようなことを繰り返していった後に、結衣は申し訳無さそうにしながら
「あ、そうだ。あの…もし平良さんがよろしければ何ですが……今度のお休みの日、一緒に出掛けませんか…?お願いしたいことがあるんです…っ」
手を合わせながらそう懇願する彼女を見て、ほんの少し考える。普段から世話になっているならば、それを返すのが人としての義理、英雄としての責務である。とヘラクレスは昔から考えている。恩には恩を、仇には仇を。ならば返す答えはただ一つだけだ。
「良いですよ、いつも神原さんにはお世話になっていますから。自分に出来ることがあれば喜んで」
「やったぁ!!」
そう答えると、結衣は嬉しそうにぴょんぴょん飛び跳ねる。この場に客が居ないことが不幸中の幸いだったなと、苦笑しながらヘラクレスは安堵して。
だが悲しいかな、これが後の悲劇に繋がるとはこの時誰も予想しなかった。
店内に差し込む太陽の光は、徐々に地の果てに沈んでいった。
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