第5話 素直になれない
私達が子犬亭を出たときには、月が頂点にのぼっていた。炎魔法とオーク油で焚かれた外灯が、暗黒の路地を薄く照らし、あたりには微かな脂臭さが漂っている。
エレナさんとジークさんに見送られ、私たちは表道に出た。私の意識はわりとしっかりしていたが、クローネは千鳥足で右にフラフラ、左にフラフラしている。
段差に引っ掛かりそうになって、見かねた私は肩を貸した。
クローネの顔が隣にあった。整った顔立ちだ。汗を少しだけ含んだ男の子の匂いが鼻をくすぐって、心臓が早鐘を打った。思わず手を差し伸べてしまったが、とんでもなく恥ずかしいことをしてしまっている。
いつもなら突き飛ばしていたかもしれない。でも今はお酒が入っているから仕方ない。不可抗力というやつだ。
そんなわけのわからない言い訳をしながら、私とクローネは夜道を歩いていた。すれ違う人影はほとんどない。街が眠りについている。その事実に、少しだけほっとしている自分がおかしかった。
こういうふうにクローネと私の仲の良さを周りにアピールできれば、女避けにもなるから都合がいいはずなのに。いつも余計な羞恥心が邪魔をする。
いつもそうだ。
こいつと一向に距離を詰められないのは、この恥ずかしさのせいだ。もう少し勇気を持って踏み込むことが出来たら、と何度も後悔しているのに変われない。
素直になれない。
「……」
クローネの温もりを感じる。
クローネ。私の何よりも大切な存在。私を独りぼっちの闇から救い出してくれた人。ただの幼馴染みなんかではなく、私にとっては自分の半身のように無くては生きていられないものだ。
私の大好きな、男の子。
だからこそ、クローネを自分だけのものにしたい。そのために私はなんでもやってきたし、これからもそれは変わらない。変えられない。
もう、後戻りはできないんだ。この右目を自分でえぐり取ったあの日――私はクローネからすべてを奪い去った。そして、真実を何も知らない彼を十年間ずっと欺き続けている。大好きな人を、ずっとずっと。
良心から発せられる痛みには慣れた。慣れねば、私は潰れてしまっていただろう。好きな人を騙して、平気でいられるほど魂を悪魔に売っているわけではない。圧し殺し圧し殺し、ようやく私は私の良心を殺し切った。
そうでなくては手に入らない。
――彼との幸せな日々は。
「……なあ、アイファ」
びっくりして隣に目をやると、クローネが眉間にシワを寄せて苦しそうにしていた。
「なに? 気分悪いの?」
クローネは答えない。
「吐きたいならさっさと言ってよね。アンタのゲロで装備を汚すのはごめんだわ」
「……嫌じゃないのか?」
「は?」
「俺とパーティを組んで嫌にならないのか? 俺は、死神なんだぜ?」
小さく紡がれた言葉は、苦しい自嘲だった。
私の足は止まった。クローネが前に倒れそうになったが、力を込めて支える。
夜鳥が遠くで鳴いていた。
「なあ、どうなんだよ?」
クローネの声は微かに震えていた。
「……」
愛おしい。なんて愛おしいんだろう。
私の心には喜びが広がって満ちている。すがるような眼差しも、不安を隠せない声調も。彼の中で、私の占める範囲がどれだけ大きいのか察することができて。
クローネも、私を失いたくないんだ。
「なに笑ってんだよ?」
ムッとした表情で、クローネは言った。
「別に。あんたがそんなことを訊くなんて、らしくないなって思っただけよ」
「わるいかよ」
「いや」
私は首を振って、
「さっきも言ったけど、どれだけ長い付き合いだと思ってんの。右も左もわからないガキの頃からの付き合いなのよ。今さらそんなことくらいであんたを見捨てないって」
「……」
「ま、まあ、しょうがないから、あんたが納得いくまで付き合ってやるわよ」
私はそう言って、クローネの背中を思いっきり叩いた。小さく悲鳴を上げて、クローネが涙目になりながら睨んでくる。快活に笑って見せると、クローネはやがて諦めたように微笑んだ。
「アイファ」
「ん?」
「俺はぜってー魔法騎士になるぞ。そしてアインまで昇格して、モンスターどもから世界を救うんだ」
「なれるといいわね」
「なってやるから、よく見てろよ!」
「はいはい」
私の適当な返事は聴かず、クローネは片手を天に上げて、「魔法騎士になるぞ!」と一人声を上げ続けていた。
クローネの腕の先で光る三日月は、真実を知っているように笑ってみえた。
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