第30話
「海斗、あんたにあたいを殺せるのかい? お互い協力しながらダンジョンを脱出してきた仲だぜ?」
「それはそうだけど、僕が見ていたのはまるで別人だ。少なくとも、華凛は他人を傷つけて喜ぶような人じゃなかった!」
「ふぅん?」
拳銃を油断なく構えたままで、華凛は首を傾げてパキポキと骨を鳴らした。
「当り前のことだけどさぁ、海斗だって気づいてるんでしょぉ? 人間誰だって、自分をよく見せたり、嫌なところを隠そうとしたりする。でも、何がいい姿で何が悪い姿なのか、決定権を持っているのは本人だけ。あんたにどうこう言われる筋合いじゃないわぁ」
かちり、と拳銃を構え直す音が、廊下に妙に大きく響く。
ふう、と海斗は息をついた。自分の力でどれだけできるかは分からない。だが、この狭い廊下であれば、まだ勝算はある。
背負った剣の鞘に手を遣りながら、海斗は死を覚悟した。
それは恐怖からではない。義務感からだ。自分には自分の為すべきことがある。
背後からの視線を感じつつ、二、三回瞬きをして、海斗は一気に距離を詰めた。
頬に軽い裂傷ができる。自分の頭部が〇・五秒ほど前にあったところを、弾丸が通過したのだ。
華凛は相変わらず、しかし冷静に引き金を引く。今度は海斗のシャツの脇腹に灼熱感。掠めた程度ならいいのだが。
いいや、そんなことは最早どうでもいい。自分は皆に傷ついてほしくないだけだ。少なくとも今現在、自分が皆の先陣を切る程度には。
「ふっ!」
壁を蹴りながら海斗は抜刀。思いっきり振りかぶるが、華凛は後退してそれを易々と回避。
海斗もまた、華凛の弾丸を躱したものの、両足を床について重心の位置を固定させてしまった。
「終わりだぁ、和泉海斗ぉ!」
華凛の口が耳元まで裂ける。少なくとも、海斗にはそう見えた。
海斗の顔が恐怖と諦念で真っ白になった。が、その直後。
「伏せて、海斗!」
誰の声かは分からない。いや、分からなくて構わない。まだ生きていてもいいのだというのならば。
「がっ!?」
目を上げると、華凛が向こう側へばったりと倒れ込むところだった。
「だはっ! はあぁ! はあ、はあ、はあ、はあ……」
自分が息を止めていたのに気づき、海斗は肩を激しく上下させた。そう気づくや否や、後ろからどかどかと鈍い音がする。
「だ、大丈夫か、海斗!」
「ん、あ……。僕は、撃たれ、た……?」
「掠めただけよ、心配しないで」
自分を寝かせておこうとする池波を無視して、海斗は上半身を上げた。
「華凛は? あいつはどうなった?」
「ちょっと待って、海斗」
答えたのは舞香だった。華凛はばったりと仰向けに倒れ、その腹部には金色の矢が刺さっていた。
「舞香が弓矢で華凛を射たのか?」
「あたし以外に誰ができるのよ、この武器はあたしにしか使えないんだから」
そういえばそうだった。ダンジョンから離れても、まだ多少は使えるようだ。
いや、それよりも。
「どうするんだ? 重傷者二名だぞ」
咳き込みながら海斗が言うと、泰一と舞香もまた視線の先を合わせた。池波の方へ。
「そ、それは、医務室に運ぶしかないでしょう? 荒っぽくなるけど、私が外傷の応急処置をやってみる」
池波がそう答えた直後、どぉん、という衝撃が『しらせ』全体を襲った。
皆が短い呻き声を上げる中、海斗はフィルネに目を遣った。
「こ、これはどういうことなんだ、フィルネ!?」
(私にも分かんないよ! 水龍がどうして――ん?)
フィルネは耳に手を当て、聴覚を研ぎ澄ました。
(水龍は今の戦闘で気分を害されたようだね。見逃す代わりに、生贄を一人置いていけと言ってる)
「なっ!」
海斗の喉を、空気の塊が流れていく。
い、生贄って……。食い殺されるということだろうか。
皆が同じ結論に至ったらしい。そして、ある人物がすっと手を上げた。
「私が行こう」
「な……!」
絶句する泰一の前で、毅然とした立ち姿を見せている。その人物は、言うまでもなく相模だった。
「フィルネ、水龍が言うには、生贄は一人でいいんだな? それだけは確認してくれ」
(ええ、私が何度も確認しました)
「分かった。池波一尉!」
「は、はッ!」
「無茶な命令だということは承知しているが、頼まれて貰いたい。本艦に蓄積された、今回の件に関するデータを、できる限り広範囲に拡散していただきたいのだ」
「そ、それは……!」
「もちろん、貴官の経歴に傷がつくことになるだろう。心よりお詫びを申し上げる」
深々と頭を下げる相模の前で、池波は慌てて両腕を振り回した。
「そっ、そんな! だったら私が全ての罪を――」
「駄目だ」
ぴしゃり、と相模は一蹴した。
「池波一尉。あなたには、まだ未来がある。子供たちと同じだ。その人生を打ち壊そうというのだから、私ほどの悪人はいないだろう」
「そ、それは」
「もちろん貴官が私くらいの年齢で、同じ階級だったとしたら、私は何も言わなかっただろう。……が、私の代わりに生贄になるというのなら私は断固反対する」
その言い分に、池波は声を詰まらせた。
と同時に、相模は脇腹を押さえて膝をつく。
「相模艦長!」
「構うな、捨て置け。ここで別な誰かを犠牲に生き残ることはできないのだ。さもなければ、私は君らを守れなかった自分を恨みながら余生を過ごすことになる。重傷者は私だけ……。貴官らが気にすることではない」
死相を浮かべ、しかしその言葉は、聞く者を捉えて放さない。
人間というものを認識できるのなら、水龍だって圧倒されたはずだ。
相模はゆっくりと立ち上がり、両手で拳銃を構えた。
銃口の先には窓がある。相模の狙い通り、窓は呆気なく砕け散った。相模は片足を引きながら、窓があった淵に手をかけた。
誰も邪魔をするな。その狂気じみた相模の形相に、皆は完全に怯み、彼の言動を引き留められはしなかった。――一人を除いて。
重傷の相模を易々と突き飛ばし、その人物は機敏に窓枠を掴み込んだ。
「か、華凛!?」
真っ先に叫んだのは舞香だ。
「華凛、何をするつもり――」
舞香の悲鳴のような声音を無視して、その小さな人影は荒波へと飛び込んだ。
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