奪い愛
「あ……失礼しました」
見てはいけないものを見てしまった。彼女は開けた扉を閉めずに走り去る。
私は追いかけようとしたけれど七瀬に肩を掴まれてとどまる。七瀬は静かに保健室の扉を閉めて、二人はそのまま職員室とは反対の廊下へと歩いていく。
「あれは、俺の責任でもある。まさかあそこまでだったとは」
「でもなんでいきなりあんな派手なことを始めたの?」
「見れば分かるだろ。誰にも取られたくないからじゃないのか。式屋先輩が来たときなんか露骨に見せつけるようにしていたぞ」
「そういうものなのかな」
唐突に、七瀬は私に尋ねる。
依然彼は桜の意向を窺っていた。
「お前は、どっちの見方をするんだ」
「そんなのは」
「俺は別にどっちが先生と結ばれようがかまわない。だけど、この部活に誘ったのはお前だ。あんなことまでして俺を誘ったんだからやりたいことがあるんじゃないか?」
「私は……」
恋する気持ちが知りたい。だけど、何をしたいかなんてことはまだよくわからない。
私は今もこうやって事態がどんどん複雑になっていって戸惑ってるだけ。二人の気持ちをどちらも叶えるなんてできない。きっとどちらかに加担すればそれは叶うけどそれが正解じゃないことは分かる。だからこそ投函部である私が動かないといけないんだ。
「チャンスは同じだけあったほうがいいと思う。式屋先輩にはちゃんと正面から棟方先輩と奪い合ってほしい」
「それがお前のやるべきだと思ったことなんだな」
「うん」
「なら、桜は式屋先輩を探しに行ってくれ。俺は棟方先輩をどうにかしておく」
「分かった。ありがとうね、七瀬」
七瀬とは反対方向に走って、先輩を探しに行く。
とは言っても、今は授業中。下手に動いて先生に見つかったらと思うと先輩だってそう遠くには行けないはず。
あたりの視線を気にしながら廊下を進んでいく。最初に目に入ったのはトイレだった。ここなら先生に咎められることもなく時間の許す限りいられる。
「うっ、うっ」
嗚咽を吐く声がトイレに響いている。一つだけ赤色表示になったドアを見てそこに先輩がいることは明白だった。
「式屋先輩、ここですか」
コンコンとノックすると、ガタッと蓋の音がして同時に嗚咽もやんだ。ポタポタと水滴の落ちる音。何粒か落ちた頃にかかっていたロックは解除されて、私はドアを引く。先輩は制服の裾で涙を必死に拭いていた。
「わざわざ泣いてるところを見に来たの」
「そんなんじゃないです」
釈明をしようとするけれど彼女は感情が昂って人を信用できるほど落ち着いていない。
「なら何、もう関わらないでよ!あんな手紙結局ただの都市伝説だった!私が叶わない夢を見てただけなんだから」
また彼女は顔を伏せて肩を震わせる。閉じようとした扉に手をかけて彼女の手に触れた。
「先輩は、先生のことが好きなんですよね」
隙間から彼女の目がのぞく。涙が反射している。
「そうだよ」
「ならどうして諦めるんですか」
「だからそれは」
「私たちは、まだ先生の気持ちを知らないんですよ」
言われなくとも二人の気持ちは十分すぎるほど理解した。大泣きするなんてそれほどその人のことを思っていないとできない。だけど、私たちはまだ先生の気持ちを聞いてない。答えを出すにはあまりにも早計すぎる。私は式屋先輩に手を伸ばす。
「なぜかは分からないですけど、私は先輩の恋が実ってほしいと思ったんです。だからまだあきらめないでください」
彼女は暫く黙り込んでいた。だけど何かが切り替わったのか、自分の頬を叩くと、私の手を握って立ち上がった。
「確かに、私のはやとちりだったかもしれない。まだ私、告白もしてないんだった。何にも始まってなかったね」
彼女の目は腫れている。だけど諦めてはいない。
「行きましょう先輩。きっと七瀬が棟方先輩を説得してますから」
桜の前ではそうは言ったものの、俺にはあの先輩をどうにかできるような考えは持ち合わせていない。むしろ人前でもあれだけ堂々と好きですアピールをするやつにやめろと言ったところで素直に聞くわけがないんだ。
桜はきちんと見つけられてるのか。同時に、先日の出来事が脳裏に浮かぶ。
「あぁ、俺はなんで今こんなことを」
必死に頭から振り払おうとしていると、保健室の中から先生が出てきた。そのままトイレに入ってしまう。
それはつまり中は先生と棟方先輩しかいないということで。
「先生、やっと二人きりになれたね」
また彼女は先生に接近しているのか。外からじゃ窺うことは知れない。
まずい。考えるより先に俺がやるべきことは、雰囲気を壊すことだ。
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