2

 俺は平山の亡き骸の上に重なってしまっている福西を介抱して、実際のところはどうなのかを呼吸の有無でチェックする。

 ごく小さいが息遣い、生暖かい吐息が耳に当たる。よかった生きている。外傷もないわけだしこれならそんな重症ではないのでは。

 ……ほんとなんで美女からは甘い香りが匂ってくるんだろうな。

「えっ、い、石田さん……?」

「おっ目覚めたか。良かった。どこも痛む所はないか?」

「わ、私、たしか、いきなり辺りが煙で覆われて、それで火事だと思って……」

「そこからはなんとか脱出したよ」

「もしかして、石田さんが助けてくれたのですか?」

 いいや、俺じゃない。君を助けたのは……痛烈な罵声を容赦なく直接、撃ちまくるくらい嫌っていたあの男だ。

 ここで、それを告げるべきなのか?

 もう死んでいる男。災害に遭い弱っている彼女にいちいち小さくても心に影を落とすようなことを言うべきなのか。

 俺は……。

 ここから少し遠く離れた位置にあるビル上階の大型モニターから音楽が聴こえてきた。

 若い男の鋭利なシャウトが大気圏を貫くんじゃないかと思うくらいに昇っていく。それに気を取られた俺は福西から目をそらす。

「そう、なんですね……? ありがとうございます! 私あの煙で周りが見えなくなった時はもうこのまま死ぬんだって覚悟しました。それを、石田さんが助けてくれるなんて……私なんて幸運なんだろう」

 息を吹き返したみたいだ。

 今できる最大限の感謝をされる。なんで俺が認める前に。そういう事にしておきたいだけという思惑が透けてみえたような……。

 メンタル的には回復したわけだし、こうなったらもうそういう事にしてしまえと真実を塗り潰してしまった時に……どんよりとした雲が逃すまいと俺の顔面を隠すように横からゆっくり飛来してきた。

 灰色に埋もれる。

 このもはや何度目かも分からない奈落へ堕ちるような絶望感に平山はこれまで苛まれてきたのだろうか。

 それは俺のせいじゃない、それは俺がやったのに、それは俺が……悪者にされて、信用されず、手柄を横取りされて、報われない日々を。

 その怒りを聴こえてくるこの音楽、歌声が代弁しているみたいで、嬉しくない偶然の演出。

 そこに福西の涙が零れおちると傷口に塩を塗るように刺激されて息ができなくなるほどもがき苦しむ俺がいた。

 俺はいつか平山の怨念に殺されるんじゃないだろうか。いまも抑えられない怒りを、音にならない絶叫を撒き散らしながらさまよい続けているような気がしてならない。

 それができるのが


 平山を除き倒れた人々の容態は、らしい。

 福西と同様、体に目立った傷や骨折など大怪我をしているわけでもないわけだが静かにまだ眠っている。なぜ意識は戻らないのかは不明。

 そこにただ一人、意識が戻った福西。唯一の生存者みたいな好奇の眼に晒されるのを嫌い数日間は入院することになった。

 次の日。俺は再びふるさと村自然公園へ訪れようとした。超能力が人体に与える影響、それについてほんの少しでも知見を得たかった。

 長谷川さんでは心許ないが頼れるのはそこしかない。

 昨日、家に帰った時から玉川まであのまま眠ってしまったのか無防備な服装でスヤスヤ眠っており寝室に運んで布団をかける。

 やはりと言うべきか、今朝もまだ起きてくる気配はない。

 それが気がかりだったが、それよりも大きな事が起こり始めている焦燥で放置せざるを得なかった。

「石田さん」

 福西の声。

「私……こんな時に言うことじゃないかもしれないですけど、私ずっと石田さんのことが……」

 平山からしてみれば何をほざいているんだと首を絞められそうだが、福西も玉川もいわゆる恋愛市場では交際どころか、気を許す仲までこぎつけるだけでも難易度はとびきり高いはずだ。

 そんじょそこらの男では惚れさせることはできないだろう。そう、彼女たちはどっしりと構えているだけでいいはずなんだ。

 焦らず、じっと耐えて短絡的な手段に出ず茨の道を突破して、人間性にも優れている選りすぐりの男だけが接見を許されるお姫様だ。

 そんなお姫様がプライドを捨てて、ドレスの裾を両手で持ち上げながら下民の俺に忠犬のようにホイホイ懐いてくるなんて……もっと憧れの的でいさせてくれよ。

 俺が行かなきゃ駄目なんだって挑戦させてくれ——

 頼むから、手の届かない存在のままで……。

 そうしたら……。


『会いに来てくれるのね』

 そう。そうして、手を繋いでそこから連れ出して僕達だけの朝焼けをみよう。


 変な夢を見たな。俺が家に居た時に大地震が起きる夢。その緊迫感はなかなかリアルだった。

 あぁ、遂にやって来てしまったのか。これで家は、街はどうなるのだろう。その揺れを感じている最中に、何かが横切った。

 そこで目を覚ますのだが、俺は涙を流していたことに気がついた。そこでそのよぎったものは、俺は上を見上げて太陽なのか、舞台の照明のようにも見えなくない何かの光に照らされながら同じく涙を流していて、それを手の甲で拭っていた。

 ぼわんというような音が両耳をくすぐる。それは今も続いていた。

 雪の道……丘や田んぼも雪化粧に染まっていた。手を伸ばすと、白い粒が次々と手のひらを濡らしていく。

 どういうことだ。俺は……バスに乗ろうとしていたはず。陽気も夏まっ盛りだった。

 前方に黒い影が。柏木だ。思えばしっかりと身なりまで拝見したのはこれが初めてかもしれない。

 ジーパンに、銀色のネックレスを巻き付けてドクロのイラストがプリントされた黒いシャツの上にベージュのジャケットを着ている。なんとも言えないセンスだ。

 なに、赤子を抱いているだと……?

「滅亡ではなく、され始めた」

 ……いきなり何を言う。

「なんで俺がここに最初からいるか分かるか? 侵食され始めたからだ」

 また同じ言葉を。

 ……そういうことか。柏木と接触する時は決まって……。

「つまりは、逆転した?」

 こくっと頷く柏木。

「厳密にはまだ不完全だが、部分的には蝕まれている。これからは。きっと夢のような世界なんだろうな。うん? 夢が現実になるのに夢のような世界……よくわからなくなってきたな」

「なぜそんな事が急に」

「あいつに子供がいたなんてな。三十年前にリーダー格だった奴の子供だ。子は親の血を継ぐ。それは能力も例外ではないらしいな。これが確認されたのは初めてだ。そいつが再び号令をかけ始めた。本人にその気はあるのかないのか。どちらでもそうなってしまうのは宿命なのか。そこにあの裸の特異点ときた。あの娘にさえ効果が及ぶとは。まだ幼虫のようなものだったのに、つぼみだった全ての能力を最大限まで全て開花してしまった。それで本格的に侵攻を始めやがった。

 あいつの子供とは……バベルのボーカルか! そいつが神を完全に蘇らせた。

 まさか、昨日聴こえてきた声の主が……。

 好みの音楽ではなかったがゾワゾワとして、耳を引っ張られるように傾いてしまったのはそのせいか。

「なんとなく勘づいてはいたけど、あいつが三十代の若さで亡くなったのは不運なんかじゃないさ。新人類を覚醒させるあの能力がこっちの世界を破壊するための第一条件だ。そんな危険極まりない能力を持っている者をこっちの世界が長く野放しにするわけがない。きっと子供も既にそんな長くはないだろうな。でも逝く前に間に合っちまったんだから、これはもう逃れられない運命だったんだろうな」

 こっちでは長生きできない唯一の新人類か。数奇な運命なことだな。

「で、それはお前の子供か?」

「この子か。いや違う。保護者みたいに見守ってはいたが……まさかここまでの事態になっちまうとはな。ここまでくるとこの子がどうこう関係なくなった」

 この子にまつわる事情なんて知ってもしょうがないかと俺はもうそのまま流した。

「ここからどう、過ごせばいい?」

 もうこれまでの物理や科学の常識は無いに等しい。なら出てくる素朴な問題。

「そんなの俺でも知るか。あいつに聞いてくれ。もはや俺なんてこの世界ではただの一般人だ」

「お前が一般人になったなら、俺はここでは新人類か?」

「……ふっふふ。そういえばそうだな。いや、ただお前はどっちに世界が転ぼうが変わらないんじゃないか。これまで通りなり損ないだ」

 変わらないんだったら、ここでも卒なくやっていけるってことでいいのかな。

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