16
長谷川さんか。恐る恐るといったような
しまった。いつまでここにいるつもりなんだ。
「お恥ずかしい所を」
「由衣ちゃんに会ったのですか?」
「はい。その名前はあなたが付けたみたいですね」
「そうなんです。名前ないんですよねって愛嬌たっぷりに言うもんですから」
これは……現実なのか?
不意に没入感からやや抜け出せたようにこの場を俯瞰した時、なにかをどかそうとした。
警報ランプが点く。このままでは……。
正面が螺旋状にねじれる。ここじゃない、ここじゃないと連呼して空気を欲するようにもがく。
針の穴のような抜け道。なんとか崩れゆく洞窟から脱出して俺は九死に一生を得た。
……今のは夢だった? ここは、ふるさと村自然公園の、あの場所……。
長谷川さんはいない。
いや、まだだ。まだ脱出できていない……くそ、どうすれば……。
これは、夢なんだ!
突風がほんの一瞬、通過したような音。
今度こそ、ここが俺の居るべき場所のはずだと信じたい。
首を回す。細部まで視界に入る
この感覚、感触……ここでいいはず。
「石田さん……」
長谷川さんの声。
振り向くとこの表情はさっきも見た。
「その……由衣ちゃんに会ったのですか?」
この台詞も。
「お恥ずかしい所を」
この台詞も。
まて。この台詞を言うタイミングは一つ前じゃなかったか?
「ご気分に変わりはありませんか? さぞつらかったことでしょう」
ズンと重い何かが空から降ってきて俺の頭にぶつかる。
何気ない会話だ。が、この些細なズレがのちに大きなズレとなって取り返しのつかない事態を招くと動物的な勘が作動して、慟哭する。
これは神からでさえ責められるような過ちだと。
「気分は正直に言うとよろしくありません。彼女は何者なんですか?」
「由衣ちゃんはあんな可愛い子ですけど、神のような存在です。極めて純度の高い真っ白で、淀みなく澄んでいる透明な神様です」
柏木が裸の特異点なら、長谷川さんは神ときたか。
またこの人は何を言っているんだと異論を挟む気にはなれない。表現は人それぞれだろうが、それも一つの答えとしてストンと腑に落ちたから。
あの神であれば俺の過ちは許してくれるような気がした。
「でしょうね。目的はなんなのでしょうか?」
「新世界の創造です。この地球が消滅したのなら、次はこちらの生きやすい理想の世界を再構築していくつもりです」
ガクンと首を垂らす。
これは……現実でいいんだよな?
うるさいな。そんなに俺のことを耳元で叫ぶな。反応はないかもしれないが聞こえてはいる。ちょっと待ってくれ。
やんだ。俺の要望が通じたか。ザーっという音。これは雨の音か。叩きつけるような雨音だ。これはスコール並みか。雷の音まで。
自然の音であればなぜだか煩わしいとは思わない。意識はスーっと上昇していくにつれて聴覚もこもった音からクリアになっていく。
意識はやがて降り立つ。準備は整った。目覚めのときだ。
コンクリートの床。ここは……マンションの廊下……俺の……。
「あっ気がついた」
「玉川?」
「そうだよ。一体なにがあったの? 帰りは遅いわ、帰ってきたと思ったら座り込んでいて……怪我はない? 見える範囲だと傷はないけど……」
身体検査をするように胴の辺りをまさぐるのが癇に障る。が振り払う気力はない。
「だい、じょうぶだよ。心配かけてごめん」
なんとか立ち上がったが、壁に寄りかかってしまう。まだ、まだ夢うつつだ。意識が斜め上にいて、また窓の外側へ行ってしまいそうな……。
「とりあず中に入ろう。いきなりすごい雨が降ってきたし、肌寒いし。ここにいても水飛沫で濡れちゃう」
この季節に大粒の雨はもう風物詩だが、その内側にうごめいている色がどす黒い水のようなのは気のせいだろうか。
その刹那ピカっと雷光が。
「きゃ」
ひるむ玉川。
「そうだな。安全な場所に移動しよう」
「……うん」
雷鳴がしきりに鳴り響く。あの玉川でさえやせ我慢しているくらいに自然が猛威をふるっている。
玉川の寄り添いにはなりふり構わず靴を脱ぎ自室へ。腕時計を光らせる。時間は……二十一時二十四分。思ったより時間は過ぎていなかった。
膝を曲げて横たわる。眠い。着替える気にもなれないくらい。こんなに眠いのは学生時代に朝まで飲んで帰って来た以来だな。せめて水分は補給しようとひと呼吸して……。
「なんでそこにいるの?」
ドアを開くと玉川が直立不動でいた。
「本当に大丈夫なの? なんだか胸騒ぎがして。不吉なこと言うけどもう帰ってこないんじゃないかって」
「帰ってこない? 俺の家はここだが」
他人の気遣いを蔑ろにして不敵に笑う。
「そうじゃなくて、もう部屋から出てこないんじゃないかって言いたかったの」
相変わらず勘はいい。俺もまたあのまま眠りについたら、使者に運びこまれてどこか異世界へ彷徨ってしまいそうだと想像した。
再び雷の光。廊下を照らす。
「いやっ」
「だから、子供じゃないんだからそんなに怖がるなよ」
胸に
「電気点けていないのか?」
「えっ、うそ。さっきまでリビングは点いていたのに」
「停電か? ブレイカーが落ちたのか……」
洗面台にあるブレイカーを確認しようとした時に長方形の窓ガラスの網戸に水滴とは思えない塊が付着していることに気が付く。
「雪……」
「雪って、なに言っているの……」
とはいえ痛いくらいの真冬の冷気が漂っているのは事実。急いでベランダの方へ行きカーテンを開けると雨が雪に衣装替えしていた。これは数時間で積もりそうだ。
「エアコンは点いているな。暖房に切り替えるか。明日は休みでよかったよ」
第一声はそれかと冗談をいじる余裕も玉川にはないようだ。なら淡々とエアコンのリモコンを探す。
玉川は窓の外を見つめているが眼が泳いでいる。心ここにあらずと言ったところか。
雷は引き続き点滅しては、太鼓を威勢よくを鳴らす。
「雪と雷の組み合わせって珍しいって知ってた?」
まだ無反応。メデューサにでも捕らえられて石化でもしてしまったか。
宴が始まろうとしている。天が堕ちてきて、全てを破壊してリセットさせるような祭りが。
歯をみせて俺は笑っていた。なにが可笑しい?
……それは世界が破滅するからだ。人はみな頭のどこかで世界がいますぐ滅んでくれないかと熱望している。
暖房が稼働し始めたのでカーテンを閉める。次あける時にはどんな光景になっているだろう。
玉川の頬にそっと触れる。美女はどんな感情になっても画になるな。
手首を掴まれた。潤んだ瞳。水分が浸透してを渇きを潤したか。
「どこにも行かないで」
と囁きながら両手で右手を包み込んできたが、俺はそれを振り解き何も言わずリビングへ行った。
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