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「これは、殺人になるのか?」
「そんな証拠どこにあるの? ってか殺してなんかいない」
これはけっこう本気だ。可愛い方ではないムッとした玉川。殺人は言い過ぎたが……。
こうなってしまうと、いつか葉山の消息が分からなくなったとニュースになることもあるだろうし、報道は無くても家族や友人がいなくなったと大騒ぎすればおのずと警察は動くことになる。捜査の手がこっちにまで及ばなければいいが。
「罪悪感はないのか?」
「うーん、さすがにバールのようなもので頭をぶん殴ったりしたいほどの憎しみはなかったし、そんなことを万が一にもやっちゃったら後悔が
「それでも、結果的に……」
「それよりも、おじさんを探しに行こう」
玉川は俺の腕を掴み引っ張る。邪魔者をこの世から追放できて上機嫌でもあるのか。
人間を
それが各地で起きている……。
「俺たち今日は何をしにここへ来たんだろうな。葉山という目の上のこぶを切除しただけ?」
この日本屈指の一大ステーションで何のあてもなく一人の人物の捜索をどれだけ神経尖らせてできるのか? 五分も持たなかった。
玉川が興味ある店へ寄ってみたいと言い始めたらもう雪崩れのように止まらない。本人的には意外性のある所を探すのも重要だという建前。こうなるのはお察しだったけど、こうなってしまったか。
観光地でも食事は地元にもあるファーストフード店をチョイスしてしまいそうな性格の俺にはこのジャンル問わず様々なお店を開拓してみようというのは性に合わないからなおのことかったるい。
駅から歩いて十分圏内の範囲をぐるぐる周るだけで日が暮れようとしていた。駅まで続く長い坂を下っているさなか、ここから臨める夕空が綺麗だった。ビルと夕焼けの共演は都会ならではか。
渋谷とは漢字の通り谷なんだな。
「これだけ探したんだからもういないよね、でいいのかな? この人混みだしただ見逃しているだけかもしれないし難しいよね」
これだけ一緒に行動していたら肩と肩をくっ付け合い歩くことにぎこちなさは無くなっていた。慣れってやつだな。もう髪の毛に触れようが手を握ろうが、どうされても笑って許容してくれるまで温まっている。並の男ならもう欲望に負けているだろう。
吹雪のように銀色の粒が降り注いだ。
これは……たまに見るあれだが、量もこれでもかと過剰なくらい降ってきて、もう幻覚だと逃避はできない。
「なにみてるの。雨でも降ってきた?」
玉川には目視できていないか。やはり俺だけということは……。
痛みなどはないとはいえ、これをいつまでも浴び続けても害はないのか若干、不安が過ぎっていたが突然、意志があるかのように銀の大群は右へ方向転換して去っていく。
あっちか。手の鳴る方へ、俺は走った。
「えっ、ちょっと、どうしたの?」
不思議とこの走りだったら玉川に追いつかれる気がしなかった。これは俺の足が速くなったわけではない。
一般人は通ろうとは思えない裏ルートを使って走っているからだ。
玉川は進行を妨げる通行人とぶつからないために出力全開で追っかけることは不可能。
俺には道案内人がいる。これに沿って進めば全て人の裏をかける。これなら五人だろうが六人だろうが華麗にドリブル突破できて伝説をつくれる。
相手が隙と認識していない隙を突く。天才からしてみればそれで大丈夫か? と小馬鹿にしたくなる隙。
だから、俺が通り過ぎても向こうは呆気にとられるだけ。状況把握だけで混乱が生じて屈する。
無我夢中で走ると言うより、ステップに近いものを刻んでいるとスタート地点に
ハッとして足を止めるが、ツルツルとした床に尻もちをついてしまった……。幸いにも周囲に人はいなかった。
いた。おっさんがあの壁の前に帰って来てた。絶望感いっぱいでなんとか立てているように映るが果たして。
俺は忍び足でおっさんの元へ。
「また会いましたね。探してたんですよ。どこへ行っていたのですか?」
「あっ、あの時の。まさか、これあなたがやったのですか?」
語気が強い。憤っているのか。
「これ、と言うのは?」
「僕の定位置ですよ。長年かけて固まった型がぐちゃぐちゃになっている。これじゃあもう僕は座れない。お終いだ」
まさか……葉山をここへぶち込んでしまったせいだろうか。よくわからんがあれでその、型が壊された……?
「もしかしたら、一人の人間をここにぶつけたらまずかったですか?」
「やっぱり。駄目に決まっているじゃないですか!」
そんなの常識でしょと言わんばかりの説教ぶり。幼く自己中心的だな。見た目はおっさん、中身は子供か。五本の指に入る厄介な人間の特徴。
「あなたはいつからそこに? それなりに長い間、居たんですよね」
「はい、まぁ、数えたことないですけど二十年以上は……って質問の前に謝ってください!」
めんどくせぇ。
「すみません。壊したつもりはなかったので。それであなたにどんな不利益になるっていうんです?」
「
「自宅が……もう入れなくなってしまったと?」
「そうだって言ってるでしょ。あぁ、もうお終いだー。今更、苦しんで死にたくないよー」
頭を抱えてお終いだと連呼する。生活基盤が崩壊した絶望だったか。
「いた! もう、なんで私を置いてどっかに行くの?」
玉川が遅れて来る。迷子のような泣き顔だった。親を発見していよいよ決壊しそうなまでに。
「あっ、まさか……。見つけたんだ」
「そう。見つけた」
成果を上げられずに帰宅は免れた。これでその悲しみは飲み込んでくれるか。
「うわっ……すごい美人」
あの絶望から絶世の美女という特効薬で復活したか。男は古今東西、時代が目まぐるしく変化しようが美人に弱いのは鉄則。これでガードが下がりこちらの要望にも応えてくれるか。
「お前が相手してくれ。お前にならなんでも話してくれそうだ」とすれ違いざまに小声でつぶやく。
「お前って……」
しまった。ついどんどん言葉が悪くなっていく。そこは許せ。
「もうっ」
いや。なぜ喜怒哀楽の喜、楽が占めている。
「おじさん。お名前はなんて言うんですか?」
「ぼ、僕は、
「藤原さんね。藤原さんは、なんでそこにずっと座る、ことを……選んだのですか?」
「話せばすっごい長くなりますね。それにしてもこんなことを聞いていくるということは、まさかあなたも柏木さんと同じような力を持っている人なんですか。柏木さんはご存知で?」
柏木と同じ力……藤原ともやっぱり関わっていたか。
「はい、藤原さんもご存知なんですね。柏木さんみたいな力は無いんですけど、柏木さんとはこっちも知り合いなんです。それで、俺のことを詳しく知りたかったらここに居る藤原さんに聞けって言われたから来ました」
「僕に聞けって……僕は特に何も。まてよ、あの事を話せばいいのかなー」
「あの事って?」
「はい。僕にとって、渋谷駅とはある意味、思い入れのある所なんです。初めて野宿をしようとした街なので」
美女を前にすれば昔話もスラスラ話したがる。水を差さないように俺は一歩下がって、会話を盗み聞きするみたいに聞くことにした。
「野宿……そんな波乱万丈な人生だったのですか?」
「いえ。苦労はしましたけど、お恥ずかしながらドキュメンタリー映画にするようなドラマチックなイベントは特にありません。僕、俳優になりたくて高校卒業したら上京して劇団の養成所に入って一人暮らしを始めたんです。そこで演技の勉強はしたものの劇団の入団試験には落ちて、それでもなんとかフリーで活動していきましたが一向に売れる気配はなく、でも諦められなくて四十代までずるずるきてしまったってところです。その前に足を洗おうとは何度も思いましたけど、ある有名な演出家のワークショップに参加したらお前は芝居が個性的だし俳優に向いていると思うよって言葉に感激しちゃってめげずに頑張ったんです。でもこの世界なんで厳しいかって言われているかって、それは向いている人なら誰でも売れるわけではないからなんです。僕、バカなんでその現実に気がつくのが遅すぎました……」
二十年以上の努力も虚しく、夢を叶えることができずホームレスか。それだけ継続することが出来ただけでも賞賛に値すると思うが、報われることはなかった。芸能界は本当に厳しいんだな。
「それで就職することなく、渋谷で野宿生活が始まったってことですか?」
「この人手不足のご時世なので待遇や職種にさえ拘らなければどこかに雇ってもらって、それは逃れることはできたかもしれません。けど、お芝居に関わらない生活を送るなんてどうしても嫌で、僕にとってそれは死に等しいんです。芝居をやってもまともな報酬は入らず生活が苦しくなるだけ、堅気の職は就きたくない、生きる道は閉ざされた。それで、アパートも解約して歩ける所まで歩いて、お金も底を尽きて極限まで飢えてどこかで朦朧として倒れてそのまま死ぬ、そんな感じで天に召されたらいいなと、それだけが望みでした」
「そして渋谷駅に来たんですね。それで、藤原さんの言うあの事とは?」
「はい。そこそこ長い旅になるんだろうなと思いながら下北沢から歩き始めましたが、その旅はわずか一日……厳密には数時間かな。とにかく短いものでした」
「下北沢からのスタート……渋谷からそんな離れてませんね」
なんだ。てっきりホームレスかと思っていたが、そうなる手前だったか。思えばホームレス特有の異臭はないし、衣服の汚れも見当たらない。野宿をしようとしたとはそういうことか。思えわせぶりな。
「そうなんです。いや、柏木さんとの出会いは人生何が起こるか分からない、それを象徴する
「ここ渋谷駅で柏木さんと出会ったんですね」
「はい。渋谷駅に着いたらお店もたくさんあるし、ここで夕食を食べようと思いました。で、ケバブサンドが美味しそうだったのでそれを注文してお店の横で食べていたのですが、その隣がライブハウスだったのかな。ちょうどライブが終了してお客さんがゾロゾロと出てきたんです。キャーキャー叫びながら若い女の子たちを中心に出て来るので自然と気がそちらに向いたのですが、なんとびっくり。お客さんの他に青白く発光している蝶々が溢れんばかりに出入り口から羽ばたいていったのです」
青白く光る蝶がライブハウスから羽ばたいた……? なんだそれは。ここまでとは何の関係もなさそうな単語に俺は思考がフリーズしてしまう。
「演出で使われた小道具みたいなものですか?」
「いやいや。どうやら違うみたいです。僕は口をポカンと開けたまま見事に映画のワンシーンみたいにケバブを地面にポロッと落としてしまいました。で、柏木さんが僕の横にいつの間にか立っていて声をかけてきたのです。『大爆発が起きるぞ、これは』と。この世の終わりみたいな口調でした」
唾を飲み込んでしまう。大爆発……ビッグバン。
「いつも余裕しゃくしゃくの態度をしているあの柏木さんですが、ファーストコンタクトは大興奮していたんですよ。これは
「その蝶にはどんな意味があるって言うんですか?」
「そう慌てずに話を聞いてください。柏木さんは『お前には見えるみたいだな』と続けました。僕がはい、と答えると『よし、今夜は祝杯をあげよう。そのなんとかサンドの穴埋めにもなるしいいだろう』と意気揚々となって近くの居酒屋に連れて行かれたのです。そこで柏木さんなりの解釈を話されました」
青い蝶は誰にでも見えるものではないんだろうな。藤原には見えたのなら、その資質があるようだが、俺みたいになり損ないか否か……。
「それにしても美しかったなー。夜空にはその蝶が連なって龍が天に昇っていくようでした。その龍が今度は渦を巻いて渦巻き銀河みたいな形になったんです。あんなのを見ちゃうとお祝いもしたくなりますよね」
藤原の瞳の中にお星様マークがあるようにキラキラ輝いている。さぞ美しかったのだろう。俺も見てみたかったと思わせてくれる。
「なんだか凄い光景じゃないですか! 写真とか撮っていないんですか?」
「それが、カメラには写らなかったのです。携帯のカメラを構えたら柏木さんが『多分、写らんぞ。カメラが人間には見えないものを写すなんて変な話だろう』って言って。本当に写りませんでした。その訳も居酒屋で教えてくれたんですけど……あっ、その前に気になる人が出てきたとか言って喫茶店にも……」
「もういいだろう」
藤原の肩と顎のわずかな隙間から、まさか柏木か? その左目が……。
「藤原よ。お前はもうここでは生きられない。そうだろう。ほんとだったらお前、幾つだ? 身分を明かしてしまうとさぁ、大変」
「かしわ、ぎさ……」
「いやっ……!」
なに? 藤原の身体が掃除機で吸い取られるように……そして、柏木に取って代わった。なんてマジックを披露してくれているんだ。玉川がたまらず俺の腕に縋って来た。
「藤原が仰った通り、要はお前さんたちが生まれる前だな。この渋谷の地でとんでもない事が起きたんだ。さすが元俳優の藤原が雄弁に詩的な比喩をしてくれたが、大袈裟でもなんでもねぇ。新しい宇宙、銀河団が誕生したんだ」
「その集団とは、柏木のような力を持った面々ってことだな」
「物分かりのいいこった。そう、各地に眠っていた新人類たちに目覚めろと号令をかけた。そんな歴史的瞬間に藤原は
パチパチと拍手をする柏木。
新人類か。
国籍や人種じゃない。もっと根本的な性質が異なる従来の人類に似た何か……。
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