7

 包丁で刺されたような深い傷を心に負った賢ちゃんを気にかけることなく見捨ててしまったみたいに家を出て行ってしまった。

 刺されてもなおグリグリと抉ったのは俺自身。あそこで俺にできることは何も……慰めなんてするのは厚かましいだけだ。

 くそっ。なんだ、俺はありがた迷惑なことをしてしまったのか? あのまま害にも益にもならないような小部屋で地蔵のように座っていた方がやっぱりマシだった?

 そんなちまちまとした事やっていないでもっとド派手な事をやったらどうだ? 超能力者さんよ。

 そのつもりだったんじゃないのかよ、世の中を大きく変えたかったんじゃないのかよ……。

 辺りは無人なことをいいことに俺は地団駄した。

 俺だったら、俺だったら、何ができる……何もしてやれないのに、非生産的な所に神経を使ってしまっているが地面にひびを入れるつもりで踏みつける。そうしないわけにはいかなかった。

 きっといつかの超能力者さん達もこんな怒りや悔しさを原動力にしたに違いないさ。だが、俺はなり損ない。気概だけではどうしようもない。


「呼ばれた気がしたからまた来てやったよ。なんだ、また随分とお怒りのようだな」

 あいつだ。

 ……ラジオ音声? ザラザラとしたノイズに乗っかって爽やかな男性の声が聴こえる。フル出場でゴールの起点となるパスも演出、アナウンサーが海外でプレーしている日本人サッカー選手の活躍を伝えているようだ。次は国内のプロ野球の試合結果に移った。

「そうだ。お前のような怒りを持ってこの世の中を変えようとした奴らもいる。俺はどちかかと言えば違うが」

「お前は何者なんだ」

 声にはなっていないが、こいつとはテレパシーみたいなもので意思疎通がなぜか出来てしまう。

「俺は柏木英二かしわぎえいじだ。いくら心が広い俺でもお前とかこいつってずっと呼ばれるのは気分が悪い」

 ごく普通の名前だ。急に親近感が湧かなくもない。

「悔しいよな。新世界の扉が少しだけ開いてこの世とは全く常識が異なる世界を覗き見れているどころかお試し体験できているのに、じゃあ入会しますとはできないんだから」

 こいつが柏木……ヌルっと壁を通り抜けて来たように顔の一部が露わになった。

 長髪で銀縁の眼鏡をかけている。肌はアトピーなのか、炎症がありやや黒い。そいつが俺を嘲笑うようにニヤっと頬を上げる。

 いかにも悪人顔。ラジオの音も大きくなる。呑気に喋ってる調子が腹立つ。

「俺とお前……いや石田くんとはもう会えば挨拶はする仲だ。ならもっと仲を深めようじゃないか。どうだ?」

「気持ち悪い。石田でいい」

「ははっ。そうか。じゃあ石田よ、その素晴らしい心意気に敬意を表して短いながらも、その俺達の歴史を辿らせてあげよう」

「歴史? 超能力者達のか!」

「超能力者……うーん、そう名乗る者もかつてはそれなりにいたが、まぁそれでいいだろう。そう、その歴史を辿り現在はどんな状況で、なぜそうなっているのか、それを知る機会を与えようじゃないか」

「ちゃんとした理由があるってことか?」

「まどろこしい説明はなしだ。もう一度、渋谷駅に行ってみな。あのおっさんに聞けばパズルのいちピースを答えてくれるはずだ」

 はっ。戻った。玉虫色のような色彩は雲散して藍色が天を覆う。

 おいおいまたかよ。虫の鳴き声が。時刻を確認。時間帯はすっかり夕飯時か。

 また渋谷駅か。あのおっさんが何を知っているのか。

 玉川にはなんて言うか。久々の友達との再会につい時間を忘れてはっちゃけてしまった?

 それでは通用しない気がする。またあいつと会ったからこんなに遅くなったのと即座に睨んできそうだ。

 どうせバレそうな嘘をついてまた機嫌を悪くさせるより正直に起こった事を述べるべきか。

 そういえば、あのラジオ音声……とっくに引退して今では監督をしている人の名前を読み上げていたな。

 マンションの傍まで来て何気なく自室の階に目をやると、ベランダに出ている玉川がそこには居た。手すりに掴まり夜空と対峙しているかのようだ。

 下の俺に気がついたみたいだ。遠慮気味に手を振る。あそこに立っている自分を見られてしまったことが恥ずかしかったのか。

 けど、このやり取りだけでなんだが心地よい旋律が奏でられたように空気は和らぐ。

 今日も帰ってきたよ。

 これをあと何度、繰り返せるだろう。

 鍵を開けると玉川が出迎えてくれた。帰宅の第一声は、「今日もあいつと会ってきたよ。あともう一歩で友達に昇格かもな」とユーモアっぽく。

「なんでそんなホイホイ現れるの?」

「前も言ったけど俺に一目置いているみたい。呼べば律儀に来てくれるほどに」

「だから今日もこんな時間の帰りだった?」

「そうそう。全く参るよ。こっちからしてみればほんの数分の事が、戻って来る頃には日没。一日を損した気分」

 立ち話はこのへんで、今日も疲れたとよろめきながらもをなんとか家にあがる。

「そういえば思い出したんだけど、葉山さんが調査している真の目的をチラッと聞いたことあるの。葉山さんもどうやら超能力者の中にはいつまでも老けない人がいるらしいというのは掴んでいるみたいだった。それでそれが本当だったら、そのメカニズムを解いて、あわよくば自分もその永遠の若さを手に入れたいって燃えていたみたい。それも当たらずも遠からずって感じだね。洋一郎、損したって言うけど逆に約一日分くらいは時が止まっていたって見方もできるよ」

 一日くらい稼いだとろこでなになるんだとは思うが永遠の若さか。いかにもあいつらしい。

「しかも、宇宙間を移動するにはワープみたいなことを実現しなければいけないと言われているけど、あの神出鬼没からしてそんな移動手段も獲得していると思われる。科学技術に当てはめれば遥か彼方の未来を行っている。とんでもない奴だな。あっ、そいつの名前だけど柏木英二って名らしい」

「かしわぎえいじ……普通の名前だね」

「俺もそう思った」

 ふふっとニヤける。一瞬の緩み。

 俺はこれからやるべきことは実は決まったと話す。手のひらで転がされているようなものだが、柏木の指示通りにするしかないだろう。

「ここまでの歴史を辿るかー。なぜ今は沈黙しているのかが分かるってことで良いのかな」

「どんな情報を得られるのかは、はっきりしてないけどそんなところだろう。その第一証言者はあの渋谷駅に座っているおっさん。一番目だからきっと俺たちが生まれる前に起きた事のような気がする」

「それも、一人で行くの?」

「それでいいんじゃないか。二人で行ってもって感じだし」

「私も洋一郎を経由してばかりじゃなくて、自分のこの眼で、耳で確かめたい。今回くらいは一緒に行っていいでしょ。そんな危険を伴うようなことでもなさそうだし」

 この鋼みたいな強度の意思を跳ね除けるだけの言い分はなさそうだ。命に関わる事が起きたらもう後は野となれ山となれだ。

 断ることばかりに体力を使わず目的遂行に集中しよう。

「わかった。柏木も命までを奪うような真似はしなさそうだし、次は付いて行きたいなら付いてくればいい」

「ありがとう」

 デートする気分みたいな笑みだな。好きな人と行動を共にできるならなんでもOKなのであろうか。俺にはまだその経験がない。

 心底、異性に惚れた心とはどんなものなのだろうか。

 ——もうそれはここに宿っているじゃないか。

 胸に手を当てる。これが、そうなのか?


 次の日。都合の良いことに今日は担当している教科の授業がない。

 だからといってゆっくりはせずいつも出勤している朝の時間帯に起きて準備をして三度みたびの渋谷駅へ向かった。

 これも念の為、時間の流れが異なるあちら側へまた行かされるかもしれないことへの備えだ。近場へ行くだけなのにこんなことを計算して動かなければいけないなんて実に頭が痛い。

「どうしたの? 気分悪そうだけど」

 そこまで表に調子の悪さを出しているとは思えないが、なぜだか見抜いているのが恐い。

「時差ボケじゃないけど、実際に体感した時間と現実世界で経っている時間があまりにもズレていることに、今更ながら気持ち悪いと身体が困惑しているのかも。なんかクラクラするし、胃もムカムカするし……」

「あーそっか。そんな弊害もあるのか。時間の流れが異なる空間を行き来したら人間の心身にどんな変化が生まれるのか? こんな論文が書けるようになれば世界初のテーマだね。世界中が注目するよ」

 目の付け所に感心してしまう。

 宇宙飛行士が地球に帰って来て間もない頃はいきなりクラっと倒れたりすることがあると動画サイトで観たことがある。無重力だから筋力も衰えるとか。

 これも本質的には似たようなもので環境が異なる場所へ身を置けば俺の身体、精神になんらかの影響が全くないなんてことはないだろう。

「俺は実験体か。柏木は普段はどっちで生活しているのかとか今度、色々と聞いてみようか」

「うん、是非知りたいね。好きなタイミングであっち行ったりこっち行ったりする生活はできませんとか思わぬ苦労があったりして」

 人は不意にここじゃないどこかへ旅立ちたいという欲求を持つが、いざそれが叶っても思ってたのと違ったとなるのが世の常かもな。

 生きるのが楽な世界なんてどこにもありはしない。それは時空の境を跨いだとしても例外ではないのか。

 渋谷駅へ着くと気が張っているのが分かる。ここはもう俺にとっては魔界のような街だ。ビル群が魔王の城のようだ。

 背後から両肩を揉まれた。

「ほらリラックス、リラックス」

 どうやら玉川は強がってるわけではなさそうだ。さすがこの若さで成功を収めて、経済的にも自立している人物。異例の緊急時に直面していても動じていない。

 心強いというよりなぜそんなにも平常心でいられるのか腹が立っている自分に、さらに腹が立つ。ややこしいな。

「いない」

 そこにあのおっさんは居なかった。

「そういえばここで柏木とご対面したら、消えてしまっていたな」

「どこへ行ったんだろう?」

「見当もつかないな。柏木だったら行方を……」

「ねぇ、私に合わせてそのおじさんが座っていた場所から一定の距離を保っていてくれているんだろうけど、ちゃんと訳があるのを覚えている?」

「あれか。あちら側に吸い込まれるぞってやつ。こんな殺風景な地下の壁際、座ろうとなんて思う人はそうそういないと思うが」

「それこそホームレスみたいな境遇の人じゃないとね。渋谷駅周辺ならそんな人けっこう居ると思うし、探してみようか。私はこの目では見てはいないから洋一郎、お願いね」

 そういえば玉川は実際には見ていなかったか。なんらかの要因で賢ちゃんみたいに抜け出したのか。かと言ってまだ渋谷駅に留まっているとも限らない。徒労に終わりそうだが、やるしかないか。

「ようやく、来ましたわね。きっとまたここへ訪れるだろうと辛抱して待った甲斐がありましたわ」

 そっか。こんなリスクがあったか。

 声のした方向へには頭上から湯気が立ち込めているような剣幕で葉山が仁王立ちしていた。

「葉山さん……あの、仲間外れにして申し訳ありませんでした! お詫びに葉山さんが欲しがっていた情報をお教えします。この何もないように見える壁が永遠の若さへの入り口なのです」

 おいおい。そんな根拠も何もないことをサラッとセールスするな。それにしても素早い反応だ。葉山の奇襲にうろたえる間も殆どもなかった。

「そうなの! やはり……なぜあの時、石田が忽然と姿を消したのかこれで腑に落ちた……」

 そうか。あの日も見張られていたのか。それにしても葉山は激怒すると幼児向けのアニメキャラクターみたいな声色を出すんだな。

 女は男より怒ると怖いと思っていたが、葉山に関してはなんとも言えん。ただ、なんとかして宥めてあげないと可哀想とは思う。

「はい、それで石田さんの身体はここまで僅か十分ほどしか時間が経過していないんですよ」

「あれから十分しか経っていない! そういうこと。そんな空間があるから、歳を取らない人が目撃されている……」

「そうなんですよ。もちろん、そんな神聖なる入り口なんてそう簡単に口は割れませんが……葉山さんはその執念に免じて。絶対に他の人には言わないでくださいね」

「あなたたち、この短期間で予想以上の成果を上げたみたいですね。ではそれが真実なのか、確かめるために、どっちかがその空間へ私を案内してちょうだい」

 喜んで一人で飛び込みますとはいかんか。玉川に考えがあるそうだ。アイコンタクトでそう受け取った。

「分かりました。僕が案内します。中はどうなっているのかは入ってからのお楽しみです」

 使用人が客室へ案内するように横に開き左手を壁へ伸ばした。そして玉川はその壁までスペースがぽっかり空いたのを見計らい素早く葉山の背中をとりドンと突き落とすように両手で押した。

「えっ、きゃ」

 豪快に倒れて、そのまま壁へ顔面が直撃……とはならず葉山は消えた。いや、吸い込まれたのか。あちら側、特異点へ。

 グッバイ。葉山。

「……あのまま壁にぶつかっただけだったら、どうするつもりだったんだ?」

「宣戦布告を表明したってことでいいんじゃない?」

 さすが自立した若者だ。

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