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 賢ちゃんの自宅まで徒歩で訪問することにした。バスと電車を利用すれば二十分で着くが歩きなら約一時間。こんなことをするのは交通費を節約したい貧乏人か暇人のどちらかだ。

 ある日、平凡な生活が突然、空から宇宙人が飛来してきたかのように激変してしまった。

 それを経てまたこのいつもの生活に戻ってみると、見慣れた街並みすら愛らしくなってくる。でるみたいにその街を歩く。失ったら痛感するありがたみってやつだ。

 プロゲーマーとして活動している賢ちゃんの日課はゲームプレイの生配信だ。大きな大会が控えていれば練習の様子を毎日配信するし、それがないオフ期間も最低でも週に二、三回の頻度は欠かしたことはない。

 それが一週間以上、更新がないわけだが各方面に無事は報告し、今日の俺の訪問に対応する気力はあった。

 本人としても落ち着きを取り戻してきたので、当日のアポだったがここで気晴らしにでもと快く招き入れてくれた。

 賢ちゃんの大好きなチェーン店のドーナツを携えてインターホンを押す。

「よくきたね」

 賢ちゃんが半開きのドアから顔を出す。頬が痩せこけていた。げっそりしているとはこのことか。漫画ではえらく腹を空かせたキャラクターを描くためにその頬をへこませて空腹を誇張させることがあるが、それはリアルでも起こり得るものとは。

「だいぶ痩せたね。ダイエット成功したの?」

「みたい。運動せず部屋にこもっていても痩せられる方法があるならこれまでの苦労はなんだったんだろう」

 中へ入ると昼間なのにカーテンは全て閉められていて光が届きにくくなっている。これがそのまま賢ちゃんの心の内なのか。

「はい。これ差し入れ。いくら痩せたとはいえその顔は不健康そのものだよ。今日くらいは好物を食べても問題ないでしょ」

「ありがとう。いや、食欲がなかったわけじゃないんだよね。ただ買い物すらする気がなかっただけで、食料が尽きるのを延ばそうと節食してたんだ」

 テーブルに品を置くと餌を待ちわびていた動物のように箱を開けてかぶりつく。本当に我慢してたんだな。

「そんな食品の買い物すらできなくなるくらい何があったの。あの日の事が原因でしょ?」

「あ、うん。それについては後で話すよ。俺も誰か一人くらいには聞いてもらってスッキリしたいからさ」

 緑茶が入ったペットボトルを片手に賢ちゃんは寝室にやって来た。一口飲むと「あー生き返った」とゲップ代わりの雄叫び。

 俺の分のドーナツは一つもないだろうな。

「いやー生きるってなんなんでしょうね」

 腰を下ろすと酔っ払った中年サラリーマンのようなテンション。

「洋ちゃんにはあんな無様ぶざまな俺を見られたわけだし、包み隠さずぶっちゃけるけど……俺もう生きることに疲れたんだよね」

 この切り口はまさしく酒の力を借りないと殻を破ることができない人のお悩み相談ではないか。なお賢ちゃんは体質的にお酒は飲めない。

「それは俺も常日頃、思っているわけだけどそれがあの事件と何の関係が」

「俺って一応はプロのゲーマーで成功者みたいな扱いを多方面からされるけどさ、この地位を維持するためには毎年トップレベルの大会で結果を残すことは必須なわけですよ。それをなんとか高校生から十年ちょっとは頑張ることは出来たけど、そろそろ限界かもしれないって日に日にボヤく回数が増えていって。最低でも上位入賞を果たしてようやくまともな収入が入ってくるからここらで隠居生活ともいかず、プラスいつでもモチベーション高い気鋭の新人プレイヤーに淘汰されるってプレッシャーには耐えたれなくなったわけです。かといって今更ね別の職業に転職しましょうとなっても俺に何ができるんだって考えたらもう死にたくなって……」

「あの男が突如、出現した」

「えっ、なんでわかるの」

「俺も会ったことがあるんだ。その男に何を吹き込まれたの」

「洋ちゃんも……洋ちゃんはその、悪魔の契約に負けなかったってこと」

「俺はまた別件で。とりあえずその続きを」

「……うん。配信中はボケをかましつつワイワイ視聴者と交流しているわけだけど、ふと一人になったらいつもその黒い塊みたいな物がのしかかってきて意気消沈する、それがあの日もあったわけだけど……そんな感じでぐったりしながら歩いていると背後から『おい』と年寄りみたいな男の声が。びくっとしたけど振り向くことはできなかった。あれが金縛りってやつなのかな。胸が圧迫されているような症状も襲いかかってきて、その特徴も金縛りと一致しているはず」

 みなそれぞれの語彙で口々に男への恐怖を語るが共通しているのは身動きができないほどの怯えか。この世の者ではない接近は人間も動物も無条件で降伏するしかないのか。

「そんなピンチの中、男はこう提案してきたんだよ。

 『今、直ぐにでも死にたいような兄ちゃんだな。だが自ら死ぬ勇気はない。どうだ。安らかに眠るように死ねる方法を教えてやろうか』って」

「安らかに死ねる方法って。安楽死ってこと?」

「いや、そんな医学的な方法じゃなくてゲームからログアウトするみたいにこの社会から離脱できるって男は言ってくるんだよ。そこで当分の間、眠ってこの生きづらたくてたまらない人間社会が滅ぶのを待つのも有りだってよく分からないことを言ってた」

「別の世界があるってことか」

「そうなのかな。ただ一つ懸案事項があって、

『眠っていればいつか目覚める。そして体を動かしたくなって起き上がる、そうだろう。たまに瞼が開いてこれまで過ごしてきた世の中を眺めることになる。それでまたあっち側が恋しくなっても帰ることはできない。それでもいいか』って。

 で、なんでたまに目覚めることになるんですかって質問してみたら、

『完全にあっち側に行ってしまったら自力でも他力でも元居た世界には戻って来れなくなるから』だって」

「それで賢ちゃんはそれにサインしてしまった?」

「っていうか……普通いきなりこんなこと吹っかけてきたらやばい奴だって即座に逃げたくなるでしょう。でも、あの男の言うことは真実であるって前提で耳に入ってきているみたいで……そのまま身を任せてしまったって言い方が正しいのかな? 気絶するみたいにバタンって倒れて、その後は記憶がない」

「……そこに俺が賢ちゃんを見つけ出して、救出に成功した。男の言う他力とはこのことなんだろうな。運良く通りすがりの人が見つけてくれたらまた戻って来れる」

「なんか助けてもらった気になれたのはそういうことか。じゃあ自力は? 自分の力でも抜け出せることは可能って意味でしょ」

「それはもう憶測で物言うしかないかな。それで賢ちゃんは……これで良かったと思っているんだよね?」

「……うーん、ずっと意識が無くなっているなら死んだに等しいからこれで俺の人生終わりかってことで眠りを妨げるなって思うけど目覚めるとね、また牛丼食いてなーとか、ゲームしたいなーって思っちゃうからこれで良かったんだって思うよ。だから洋ちゃん、助けてくれてありがとう」

 胡座をかきながら深々と頭を下げた賢ちゃん。

 そうだ。これも失ったら痛感するありがたみだ。元居た世界から切り離されてまた戻って来れた。これで賢ちゃんはまたこの幸運を噛み締めて生きる活力を持てるはずだと信じたい。

 暗澹とした空気をかき消すべく息抜きに賢ちゃんとデッキを借りてカードゲームを三時間ほど楽しんだ。

 また健康的な生活ができるだろうと見込めたところでそろそろ帰ろうとした。

 が、まだ言いたいことがあったのか。賢ちゃんが意を決したように口開く。

「あの男、悪魔のような声だけど悪い人じゃないんだよなきっと。俺みたいに転落しそうな人やどん底にもう墜ちている人、そんな人達にもう生きなくてもいいって寄り添ってくれて安らぎの場を設けてくれる。これって悪いことじゃないよね?」

「……」

「洋ちゃん……なんか怒っている?」

「そうだね。色々な性格の人が生きている中で、この資本主義社会が必要としている能力は一律に定められている。それ以下は、いやそれ以上の優秀な人でも酷使されてまともな人生を送れないことがある。ならいっそのこと、この社会に適応できないので死なせてくださいと主張するのはおかしなことじゃない。その男はそんな人間社会を解体してまた新しく創り直そうとしているのかもしれない」

 また沈黙。のちに項垂れる賢ちゃん。

 助けなくてよかった——か。そこから何もしてやれない俺はやはりなり損ないなのか。

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