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「この一連の怪奇現象にはタネも仕掛けもない。ガチってやつ。故に俺らでどうこう割って入れる事件ではないと思う」

 あの深淵な数分間のことを玉川に淡々と述べた。

 俺にとってせいぜい五分程度の出来事の間にこっちでは十一時間が経ってしまっていた。

 この理屈でなぜ歳を取らないのか説明はつく。

 老いない訳ではない。こっちとは時間の流れが、重力が異常なまでに差があるんだ。

 彼女も、先輩の婚約者もそこに居たから……。

 はい、了解しました。ではこれからどうしましょう? となっても俺達に何が出来るのかって話だな。

「洋一朗はなり損ない……それだとどうすることもできないの?」

 お前もさりげなく初対面の時以来、下の名前を呼び捨てで……。俺は心の内に留めているが、そっちはすっかり恋人気取りか。キスはしてないぞ。

 玉川の心情の変化はどうなっているんだ。なんでもするから生きて帰って来てくださいとでも願った末の胸中か?

 その興奮を、それどころではないと冷たくかわされて不貞腐れているのか。両手を重ねて甲の上に顎を乗せて、テーブルに突っ伏している。

 さすが三大欲求の性欲の前ではこの事件さえも後回しにされるのか。

「惜しい所までは達しているみたいなことは言っていたけど、そんな中途半端さが物珍しくて現れてきてくれた感はある。それでも所詮は一般人に毛が生えたくらいなのかな……?」

「その一般人からしたら、洋一朗は変わっていて面白い人だけどね」

「だから中途半端なんだよ。一方から見れば変人、もう一方からごく普通な人。なんて生きづらい種族なんだ」

 自虐的に笑う。

「これでもう終わりなの? 女性の方はもういいんだ」

 終了を宣言すれば玉川も俺の家にいる理由は無くなる。それが嫌でたまらないのか。また不満が上積みされているようだ。

「うん。あの男から彼女には関わらない方が身のためだと警告された。なんでも気分を損ねさせたら即死みたいな言い草だった。身分としてもお姫様と農民くらい差があるようなもので会うだけでも畏れおおい」

「お兄さんやお爺さんは気さくに写真を撮らせてもらえたのに? そこまで態度のでかい人なんかじゃないんじゃないの」

 ……あの悲しげな瞳がまた浮かんだ。その素性が補足されてから思い返すと一般人を前にしてなぜ縮こまり俯くことになったのか。父さんのお兄さん、卓人さんはどんな人だったんだろう。

「今日はもう寝よう。疲れたでしょ。私の方が疲れてそうだけど」

「そうだな。なんかこのまま寝ると、昨日のことは夢でしたーなんてことにならないかな。その方が楽なのにって投げ捨てたくなるくらいにまだ処理できていない」

「私はこれが夢で、目が覚めたら洋一朗がいなくなっているんじゃないかって思ってて怖いよ。今晩は一緒に寝かせてね」

 一生分の祈りを捧げてくれたのだろう。それに応えてあげるのが道理だが、それ以上のことはないぞ。

 また梟の鳴き声がどこかで。

 夜はこうしてくれないと眠れない子供のよに玉川は俺の懐に顔をうずめている。

 ただ大勢いる男友達の一人みたいにまるでそんな素振りはなくて、それがこちらからすれば好都合だったのにこの一週間で、いやこの一日でここまで一変するとはな。流石に今回はモデルだし、ハードルが高すぎるかと思っていたのになー。

 しかもどこの誰よりも体当たりしてきて……これが若さか。

 俺にはずっと先客がいる。幼少期の思い出は大人になってからも深く残る、影響を及ぼすとはよく聞くが、よりにもよってそれが恋愛事情とはな。

 空想上の人物だと思われていた。それがこの世に生を受けていてこの瞬間にもどこかで、しかもあのままの姿で息をして生活しているなら……じっとしていられるわけないだろう……!

 どんな誘惑があっても、最後は彼女と重ねてしまう。そしてこの人じゃないとさよなら。

 この固執は何なんだろうな。よく男友達からあの子の何が駄目なの? と批判された。

 そんな人生も、ようやく終わらせることができるのかもしれない。

 この想い叶わぬのなら、せめてあなたの手で殺してくれても構わないはしない。

 

 朝か。空の色から八時にはなっていそうだ。

 玉川はもう起きているのか。敷き布団のスペースが広くなっている。このまま置き手紙をして立ち去っていることも頭にあったが、これが日常の一コマのようにリビングでミルクティーを啜りながら座っていた。

「おはよう。よく眠れた?」

「うん、まぁぼちぼちかな」

 当たり障りのない返事をして顔を洗いに洗面所へ。玉川の様子からなんだかこの同棲生活はまだ続く気配がした。

「今日はどうするの? 疲れを回復するためにお休み? それとも彼女を探しに……」

 あの男のように玉川は心が読めるのか。洗面所から戻ってきたらドアの前でボケッと立ち尽くしてしまった。

「わかるよ、そのくらい。横になっている洋一朗は一息つく間もなく体が緊張していて、ずっとあれこれ考えを巡らせていた。これからどうするべきかって。そんなあっさり諦め切れるわけないだろうなってことは一般人の私でもわかるってこと」

 身体の状態でそんなことが。心が読める能力もそんな勘を頂点まで極めた発展系なのだろうか。

「参ったな。で、玉川さんはまだ付き合うつもりなの?」

「拒まれようが私はここに居るからね。だって私は毎日、洋一朗の安否確認をする重要な任務があるんだから」

 地味にそれは大事な役割かもな。今更、彼女の後任なんて探す手間すらもったいない。

「今日はそんな危ない所へは行かないよ。まだ話していなかったけど俺の友達に一人、あちら側に吸い込まれてそこから戻ってきた人がいるんだ。様子見がてら詳しく聞いてみるよ」

「なにそれ。そんな人がいるの? だったら私も」

「いや、できれば同行はしないでほしいかな。君みたいな美女がいると多分のぼせてそれどころではなくなる」

 そこもどんな人物なのか読んでくれ。

 頬を膨らませる玉川。いちいちこんな私も可愛いでしょアピールは止めろ。本人はそんなつもりはないかもしれんが。そのまま立ち上がって冷蔵庫からヨーグルトを取り出した。

「そうだ。その、写真見せてよ。どんな女性なのか一度見てみたい」

「ああ、いいよ」

 寝室に戻り机の上から封筒を手に取る。

「はい、これ」

「へぇー。この子が。小ちゃくて可愛いじゃん。これが洋一朗のタイプなんだ」

「いきなりなんだよ。そんなんじゃないって」

「じゃあ、なんなの」

 半ば無視して俺も朝食を食べることにした。

 実際はよく分からない。本気の恋愛なんてまだ早い小学生の頃に夢の中で現れた人。異性として惹かれることはあったが、あくまで夢だ。

 それが実在すると知る。こんな特殊な出会い方をしたのは世界で俺一人ではなかろうか。

「合成とか加工じゃないんだよね。ほんとあっち側の住人ってことなのかな」

 一転、玉川は純粋にこの神秘を前に感嘆しているのかうっとりと写真を見比べている。

「……お兄さんが撮った写真、なんだか好きな人を目の前にパニックになって固まった女性みたいだね」

「そう見えるの? とても悲しそうな表情だけど」

「好きな人の前だからって全員が嬉しそうに振る舞う、そんな恋って単純だと思う?」

「そう言われると……うん、必ずしもそうではないんだろうねとしか……」

 異性と恋愛談義は思えば初めてか。

「絶対にいるから。どんな明るい性格の子でも途端に好きな男性の前では塞ぎ込んじゃう子。それで俺のこと嫌いなんだろうなーって受け取られることもあるから困ったもんだね。お兄さんってどんな人だったの? 写真は残っているんでしょ」

「ごめん、遺影すら拝んだことない。お爺ちゃんが言うには二枚目ではあったみたいだけど」

「なに、二枚目なんて単語使う人、洋一朗が初めて」

 あははっと笑う玉川。正しい日本語なのに笑われるとは。

「美男子だったならあるんじゃない。この子がお兄さんに惚れている線。これはまずいな。洋一朗だってお兄さんの血は流れているわけだし。惚れた男性の弟の息子にも惚れるなんてどんな恋愛だよって思うけど」

 もはや遠回しに告白されている。

「そんな恋愛、俺ならごめんだけどな。不老不死も苦労するよな。好きな男性と出会えても自分だけ歳を取らず相手だけ老けていって一人ぼっちにされるんだから」

 八尾比丘尼もさぞかし苦しかったであろう。

「そうらないために、あちら側に引きずり込むかも。洋一朗にその覚悟はある?」

 もう俺が彼女に惚れているのは確定路線にしやがって。

 ……どんな世界であったとしても、それはそれでありかもな。

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