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「その背後から語りかけた男、背丈とか服装とかどんな外見だったか覚えていますか?」

「いいえ。そんな余裕はありませんでした。もう体中がざわつきまずい、逃げろ、後ろを見るなと細胞レベルで訴えているようでそこから逃げるだけで精一杯でした。ここで高校時代まで陸上部で鍛え上げた足が生きました。逃げ足だと火事場の馬鹿力を発揮してとんでもなく速く走れるって的を得ていますね。あの走りだったら全国大会に出場できたかもしれません。私、これでも県内では有名だったんですよ」

 ここで豆知識が登場。なぜ玉川さんが俺に追いつけたかこれで合点がいった。家でオンラインゲームばかりに励み、就職してから数年後、運動不足解消のためジムに通い始めた俺の走りでは敵うわけがなかった。

「どうやらその男が鍵を握ってそうですね。接触することができたら、もしかしたら……」

「できますかね。私達のようなに。あっ石田さんは葉山さんのように特別な力を持っているんでしたっけ? だから私には見えないものが見えた」

「その、僕が見たものとは一見するとただの人です。ただ、その人が俗に言うのだとしたら、そんな人を透視する力が僕にはあるのかも」

「なぜその人はあちら側に? ってかあちら側って何ですか?」

「それを知っているのがその男でしょうが……そのあちら側とは、科学的に言うなればこっち側の物理学が一切通用しない領域とでも思っておけばいいですよ」

「それが科学的な説明なんですか?」

「いわゆるってやつです。聞いたことありません?」

「あります! 有名な専門用語じゃないですか。……その先輩の婚約者もその中に?」

 威嚇している猫のように刺々しい毛がしゅんと畳んだみたいだ。玉川さんの圧力は沈んだ。

 そうなるのか。あの子供も、あのおっさんも、賢ちゃんも事象の地平線の奥に居た……。

 我々の居る時空とは異なる、区別するべき時空。


 助けなくてもよかった——


 ここにきてあの言葉の真意がより深みを帯びてきた。この世界で何が起きているっていうんだ。

「あの、ここまできたらもう葉山さんっていりますかね? お互い苦手意識があるっていうのは共通してるわけですし、抜きでもいいんじゃないですか? 当事者は僕達で、あくまで葉山さんは第三者へ情報提供したに過ぎません」

「そんなことしていいんですかね……。葉山さんが作成したサイトもあってここまでやって来れたのもあるはずですけど」

「所詮は机の上でやれることじゃないですか。あちこち駆け回っているのはどっちですか。きっと自身は高みの見物で手柄は横取りする、独占するみたいなことをしますよ。なにを企んでいるのかは定かではありませんけど」

 これでどう金儲け等に転換させるのか、利益になることは今のところ思いつかないが葉山からは距離を置いた方が得策だと説得をする。嫌いな人を出し抜きするのは皆んな大好きなはずだ。

「よし。幸い私は失踪せずに信頼されているので住所とかの個人情報は割れていないんですよね。石田さんのお住まいもまだ報告していません。ここからは二人で頑張りましょうか!」

「はい、よろしくお願いします」

 玉川さんとはフラットにやっていけそうだ。この案件の相棒として女性なら絶好な人だろう。ここでも男女特有の空気になるのはごめんだ。


 俺は玉川さんの車に乗っている。電車の方が時間はかからないだろうし、帰りは空いていて座れないことはないので車の移動だからって楽になることはないのだが手を組んだ直後だ。せっかく自宅まで送ってくれると言っているのだし、ここは親密度を上げておこう。

「石田さんはどんな体験をして葉山さんに出会えたのですか?」

 こんな風に二人が持っている事情を話すのにはもってこいの時間もできる。俺はその摩訶不思議な体験をぎこちなく語る。喋りだと文章とはまた勝手が違って手こずってしまった。

「若くして亡くなったお父さんのお兄さんが生前に撮った写真と、お爺さんが老後に撮った写真に同一人物の女性が若さを保ったまま写っていた……しかも石田さんはその人をついこないだ目撃したのですか? すごいじゃないですか。そこはどこなんですか?」

「通勤ルートの道中です。その近辺に隠れ家があるんじゃないかと葉山さんとは意見交換しました。まぁ後ほどメールで教えるからと、あそこでは明かさなかったわけですけど、そうして正解でしたね」

「しかも石田さんの後を追った私は重要人物になりそうな男と接触した。楽なポジションにいるから重要なものを見逃すんだよって葉山さんにアドバイスしてあげたいですね」

「情報が集まる場を作ったのは功績に値しますけど、それでリーダーにするのは些か適正に欠けましたかね」

「その、リーダーがいたんですよね。葉山さん曰く三十年くらい前に特別な力を持った人達が結束して反乱を起こしたそうじゃないですか。それが長続きしなかったってことは案外、そのリーダーも人望に欠けていたのかもしれませんね」

「ははっ。それはあるかもしれませんね。統率の取れた国の正規軍ではない、野良の傭兵みたいなもんでしょうからね。暴れるだけ暴れて焼け野原にしようとしたけど、そこからまた新しい国を築くまでは計画になかったなんてオチなのかも」

「その名残り? 爪痕かな。それが残っているのが現在なのかも……」

「あっ……」

 短期間でもそんな動乱を起こしたら無傷なわけはない。その意志を継いだ人が各地に散らばり、単発的でもちょいちょい騒ぎを起こしている。それが不可解な現象の正体か……。

「石田さん、今日は泊まらせてください。実家だとしてもご両親にご迷惑はかけないので。今夜はこれからについて綿密に話し合いましょう。葉山さんの使いっ走りにされてからこの車にはお泊まり道具が積んであるので、準備はしてあるんです」

「泊まるんですか……実家住まいではないですけど、玉川さん芸能人ですよね。そんなの所属事務所が許さないんじゃ……」

「事務所と言っても今は独立して個人事務所っていう体裁を取っているんで社長は私です。そこは心配しなくていいですよ。ちなみにその先輩とは前の事務所で知り合いました」

 こんな美女と一つ屋根の下で二人っきりになるのかー。それだけ信頼されているってことなのか。

 なんで俺の人生はもっとマシなシチュエーションで恋のチャンスは訪れないものなのか。いつも肩に重荷を担いでいる時に美女はやって来る。

 手伝いましょうかと手を差し伸べられても、その荷物があまりにも重いため恋どころではない。

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