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 岡本太郎作の壁画『明日の神話』が壮観に飾られている下で葉山と別れた。今日は大きな収穫ありと満足気に白い歯をみせ手を振る。またお会いしましょうとは言うが、俺としてはこれで今生の別れとしたい。

 銀座線に乗って帰るらしいな。パッと思いつく駅名からしてなかなか高級な地名が出てくる。身なり通りにそれなりの金持ちなのだろうか。どんな仕事で稼いでいるのやら。

 時刻は夜九時を回ったところだ。葉山はなぜ陽が落ちる時間帯を選んだのか分かってしまった気がする。

 それはなるべく日焼けをしたくないからではなかろうか。これは夏本番の猛暑になったら長袖に帽子に、サングラスまで追加して紫外線対策をすることだろう。

 ここまで接した感想として、熱心に何かを探求しているように見えて自分を第一優先にしている本心が漏れていた。

 彼女がもしも何らかの力を持っているなら、ここでいう善人とはなんなのだろうとますます迷走する。

 とはいえこっちも有益な情報が得られたし今日は会って良かったのは事実だ。

 俺が生まれる前は学校の先生なんてあまりにも酷い労働環境で誰もなりたがらない職業だったとはよく五十代の先輩から聞かされたがこの劇的な改善も超能力者の力が裏で作用したのであろうか。

 問題ありと議題に上がっても長らく効果的な対処をしてこなかった国を動かしたんだ。

 子供たち現場の教員のためではなく、お前の命は無いぞと脅迫されたがために致し方がなく権力者は屈服した、こっちの方がしっくりくる。

 その庶民の味方である超能力者はどこに潜んでいるのか?

 その行方について俺は正直、関心がなかった。

 俺はただ……。

 葉山との連絡手段はささっと絶っておこうとスカイプのアカウント等を削除するためスマホを取り出した時に、原から尋常じゃないテンションのメッセージがロック画面に表示されていた。


 賢ちゃんこと広山賢一ひろやまけんいちがオンラインゲームの生配信中に消息を絶った——それが古くからの友人、原圭悟はらけいごからの緊急連絡であった。

 具体的には賢ちゃんが昨日の夕方六時からいつものように配信サイトで生配信を行った。

 二時間が経った夜八時頃にお腹が空いたので配信を中断して近所のコンビニへ夕食を買いに行く。本人が最後に残したコメントでは二十分後くらいには戻ってきてまた食事をしながら配信を再開するとのことだったが、そのまま音沙汰が無くなる。

 事情があって配信が出来なくなったのであれば、SNSアカウントからその旨を周知させても良さそうであったがそれもなく日付けが変わってしまったので配信を観覧していたリスナーは戸惑い、騒ぎ始める。

 それを嗅ぎつけた賢ちゃんの親しい友人らが個別に連絡を試みるものの何度かけても電話に出ず音信不通、いよいよこれは事件かもしれないとなったわけだ。

 そこで賢ちゃんの自宅から一番近い所に住んでいる俺に捜索願いの要請が原よりなされた。自宅を訪ねて誰もおらず、周辺を軽く探してみても無事が確認できないなら、警察に届けるらしい。これはなかなか重大な任務だ。


『石田なら見つけてくれると信じてるよ! ほら昔、近所の子供が行方知らずになった時に石田が発見したって事があっただろう? あんな風に今回も石田の鋭い勘で賢ちゃんを見つけてくれい!』


 行方不明になった子供を俺が見つけた……そういえばそんな事もあったか。

 ズキっと頭が痛んだ。こめかみを押さえる。できれば思い出したくない思い出だった。

 なぜ賞状を授与されるような働きをしたのに、奥深くに固く封印していたのか。

 それは——



 あの子から不機嫌そうにそう言われた。

 助けなくてよかった? どういうことだ。俺は助けたつもりはない。んだ。なのになぜあの子は……。

 これについて深く訊ねることはしなかったのは、あの子は俺ならこの意図を察している、その前提のもと発したように感じたからだ。

 

「よく見つけたね」「あんな場所をなんで探そうと思ったの?」

 

 見つけ出すと周りの大人から次から次へとそんなニュアンスの質問を浴びせられる。

 その子が居たのは建物と建物の間にある狭い隙間。

 そこから顔を突っ込み見上げると石の階段があった。ちょっとした段差をよじのぼり階段も上がっていくと一番上の段に体育座りでじっとしていた。

 そこには小さな赤い鳥居にほこらも。こんなものがここにあったとは。

 古い建物を壊しては、新しい建物に建て替えるを繰り返しても撤去してはいけないものだと仕方がなく残したものか。

 なぜそんな所に目をつけたって、これだけ大人数で探して見つからないのであれば普通は気にも留めない所を当たるしかない、というのはそこまで難しい発想ではないと思う。

 が、

「どこ見ているの?」「そんな小さな虫、天井にいるってよく気がついたね」


 俺はまさに普通であれば気にも留めないような箇所を真っ先に見つめる癖と言うのか、とにかくそんな習性があるらしい。

 俺からしてみればこれが普通なのだが。

 そんなことを何度もやっていると、ごく稀に見ては、触れてはいけないものに出会す事は、確かに、ある……。

 俺は渋谷駅とは思えない無人の空間をいつの間にか歩いていた。地下鉄へ向かっているはずだが道案内によれば外れてはいない。

 そう、こんな店も何もなく誰も行きたがらない空間にわざわざ足を運んでは、あの子のように膝を抱えて座っている人を見つける。

 いた——

 四十から五十代半ばの男性であろうか。端っこの壁に背をぴったり付けている。髪の毛は薄くホームレスにも見えなくはない。

 目が合う。そこから何秒過ぎただろう。ニカっと微笑んだ男。

「あなた、僕のことが見えるんですか?」と快活に言った。

 俺はその言葉を聞くや否や、払い除けるように全力で走りその場を離れた。

 普通は誰も気がつかない人を見つける、これが俺の能力なのか?

 もう二度とここは通らないと誓い、先ほどの光景を無かったことにするくらいに俺は一心で走り抜けた。


 ホウ、ホウ。これはふくろうの鳴き声か。大都市から離れた俺は賢ちゃんを探している。六月になればカエルの鳴き声も聴けるだろう。

 賢ちゃんがよく利用しているコンビニの前にやって来た。ここから五分とかからず賢ちゃんの住むアパートに着くが……。

 コンビニの裏は河川敷であった。そこへ行ける出入り口を抜けて柵に腕を乗せて川を眺める。

 橋の下? いや違う。

 そこから歩道を歩き右側の新しく建てられたマンションの駐車場を覗く。その隣にも小さな二階建てのアパート。

 その隙間に……あの体型で入れるわけがないか。

「賢ちゃん」

 端に設けられている自転車置き場。雨を凌ぐための屋根が備えられてある。その上に賢ちゃんは座っていた。

 五月、暖かくなり夏の気配も漂ってきたこの時期に賢ちゃんは雪山の洞窟の中で凍えているように小刻みに震えていた。

「屋根が壊れる前に降りてきな」

「洋ちゃんか。洋ちゃんならしょうがないかもな」

 友人にいつものおどけた調子を取り戻そうとするが、もはや別人のようだ。

よかったんだけどなー」

 同じだ、あの時と。

 だが、何があったのかあれこれ詮索するのは今はよそう。

「よっと」

 ドスンと音を立てて降りた賢ちゃん。着地は成功する。

「ごめん。いきなりいなくなるのはやっぱり良くないよね。助けてくれてありがとう」

 無言の笑顔で返す俺。今は何事も無かったかのように賢ちゃんを自宅まで送るのが先決だと言い聞かせて、俺達はゆっくりと歩き始めた。

「なにゾンビみたいに歩いているんだよ」

「いや、なんか久しぶりに戻って来たからぎこちないんだよね」

 戻って来た? どこから。

 それを聞くのも今日ではないんだろう。


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