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鐘を軽く鳴らし、俺は仏壇の前に正座をして手を合わせた。
仏壇の引き出し……俺はお椀型の鐘や蝋燭が置かれている台を丁重にどかしてそこに手を伸ばす。
左の引き出しには茶色い数珠と白い冊子が入っていた。お婆ちゃんが日課で読んでいたお経だろうか。ガサゴソと漁ってみてもそれらしき物はない。
なら右の引き出し。なんとそこには真珠のレックレスが裸で放置されていた。どのくらいの価値があるのだろうと、欲望が出てしまっが値打ちのありそうな物がそのままなのは、この中は手付かずのまま何十年が経過している気配がある。
なら写真もいつの間やらどこかへ移動されていることがなさそうなので、それは安心材料だった。
下には細長く、分厚い本。それをそっと持ち上げるとそのさらに下には茶封筒があった。中に厚紙のような硬さの何かがある。サイズ的にも写真は入る大きさ。
ここで開封するのはやめよう。母さんや父さんに不審がられる前に俺はささっと
立ち上がると飾られているお爺ちゃんの遺影が視界に。笑顔でなんだか「頑張れよ」とエールを送ってくれているような気がする。
見守っていてくれ、お爺ちゃん。
ここ日本で歳をとらない、イコール不老不死という単語で連想させられるのは人魚の肉を食べれば……という云い伝えが有名か。
帰りのバスの中でそのキーワードで検索してみると、その人魚の肉を食べて約八百年も生きたと言われる伝説上の人物がヒットした。
その名は
性別は女性だ。まさかあの
その云い伝えを読んでみると自身は一向に老いる気配はないのに夫を始めとした周りの人々は次々と寿命を迎えるので、孤独だったのかもしれないことが窺える。その途方もない人生の長さから何人もの男性と結婚もしたそうだ。こんな人生を羨ましいと思える人は浮気性の人だけか?
彼女もそんな不老不死だと仮定するなら、どんな悩みを抱えているものなのか? ただ何百年も生きていると、どこかでその終わりなき人生がもう嫌になっておかしくなってしまいそうだな。
歳をとらないというのも考えものだな。
何より家族、友人は大人になり老けていくのに自分だけいつまでもあの、まだ高校生なのか微妙なラインの外見を保っていたら周りは大騒ぎになるだろう。
そんなニュースは耳にしたことはない。ということはここまでなんとか人目を掻い潜って生活できている事になる。
ちゃんと母親のお腹から生まれてきて両親がいて、この科学技術が発達し情報伝達も尋常じゃないスピードの近代でそれを達成するのは困難だ。
となると彼女はやはり八尾比丘尼のように情報が拡散されにくい大昔から生きていることになるのだろうか。
いや、彼女こそまさに、この伝説として語り継がれている人物なのかも……その割には写真を撮るのを二度、許可しているのは矛盾はしているが、どういうつもりなのか。
色々と考えを巡らせても憶測に過ぎないので結論は行動せよ、彼女を探し出せだな。それで解決する。
自宅である駅前のマンションの一室に戻って来ると早速、二枚目の写真を拝見してみる。
驚いた。
一方はきっとお爺ちゃん自慢の高級カメラで撮られた写真、もう一方はまだスマホが普及していなかった時代のカメラで撮られた写真であろう。
質感からして大きな違いがあるがそこに写っているのはどちらも服装、外見は変わらぬ同じ人物。
いくら被写体は美しくても、だからこそか、これだけで脳がびっくりして戦慄してしまう。
著名人にいつまでも若さを保っている人はいくらでもいるが、それでも十年前の姿と比べればやはり多少なりとも老けているんだなと思うもの。が、皺が増えているなどその微細な差異も探知することができない。
これは神の遭遇に等しい。
父さんのお兄さん、卓人さんが撮った彼女はお爺ちゃんが撮った写真とは真逆で大人しく静かに佇んでいる。目線も俯いていて嫌々、撮られた? とさえ捉えることもできなくない。その姿を少し斜めの角度から撮った写真だ。
場所はまた草木が生い茂ってそうな所だな。バックには大きく太い木が聳え立っている。その木の下へ行くまでが段差になっていて、その最上段に立っている構図。
カメラマンがあるコンセプトを軸に芸術的な写真を撮るためならまだ納得できるが、思い出の写真と呼ぶにはこの写真はかなり浮いてしまうだろう。
卓人さんはどんな想いでこの写真を撮ったのか。既に本人がこの世からいない以上、それが明らかになる術はもうない。
ふとこの表情が、あの夢で囚われの身となっていた彼女の悲しげな瞳と重なった。それがこっちでは解放されたかのように満面な笑みに。
この間に大きな心境の変化を読み取ることができなくもないが、そもそもこの二枚の写真が撮られた時期に大きな開きがある。そりゃあ気持ちの変化、浮き沈みなんて何度もあっただろう。あまり参考にならないか。
また、ふるさと村自然公園に行けば会えるのなら、それほど簡単な事はないがお爺ちゃんの手紙で気になる箇所がいくつかあった。
『すごい、正真正銘の善人なんですね』
彼女は自分の姿が見える人物と出会えた事に感激していた?
正真正銘の善人……妖精など神秘の存在は人を選んで出没するとはおとぎ話では定番だ。彼女は誰にでも見えるわけではないのか。
よくあるパターンは無垢な子供の前にしか現れないだが、一通りの人生経験をしてきた老人や、酒やタバコなど大人の遊びに興味を持つ青年でも目視できるということは年齢は関係ないらしいな。
ここでいう善人とはどんな基準なのか。お爺ちゃんは疑いようもなくお人好しで、詐欺師に騙されないか時折、心配になるくらいだ。そんな父の血を引いている息子、卓人さんも受け継がれている部分はあるだろう。
肝心の俺は……胸を張って善人ですなんて宣言できる人が善人なのかは一考の余地はあるが、客観的に見ても俺はお爺ちゃんのような裏表がない陽気な人間ではない。
それでも姿を拝むことができたが……一抹の不安はある。
お爺ちゃんのお葬式では妹さんに「洋一朗くんは一体、誰に似たんだろうね?」と不思議がられたくらいだ。
体質や性格は母さん寄りだろうと思われているが、母さんは普段から口調が若干きつい。これはマイナス点か。
彼女は俺を近寄らない方が良い人物と避けたりしないだろうか。
第一の目的地ははっきりしているが、当の本人がその接する資格がないかもしれない絶望に俺は早くも壁にぶち当たる。
正真正銘の善人って何なんだよ。
あまりくよくよしてもしょうがない。資格うんぬんは置いておいておくとして、もう一つはこの世から消えてほしい人を消してあげるというとんでも発言。
神に近い者に接するに値する善人に対して、誰か消してあげるとはなかなか相反することを持ちかけてくる。
あなたは正直者なので、誰か憎い人を一人消してさしあげましょうとはならんだろう。
そんな力があるとして、俺はそんな周囲から疎まれている人が都合よく消えてしまった事件には心当たりがある。
昨日の高校生……万が一俺の違和感通りにあのまま行方不明になっているなら、ニュースになってもおかしくない。俺は寝室にあるパソコンを開きニュースを調べてみた。
最新のニュース記事のタイトルにざっと目を通してみたが、昨日の今日ではまだ表沙汰にはなっていないようだな。行方不明の事件は公開捜査にならないと全国的に報じられないんだっけ。
なんの罪もない人が殺害されたら、それは逆恨みであることが多く亡くなってもただ嘆き悲しむだけが、例えば政治家が殺されたとなるとそれは犯人なりの正義を大義名分とした犯行という筋になり得る。
誰かがやった……抵抗しない弱い者をこき使う男子高校生も、罵詈雑言を生徒に吐き続ていたあの教員も、誰かに。
鼓動が早まる。
黒い煙の中で一筋の光が真っ直ぐ放たれその根源にまで導かれたようにほんの一時だけ、正体が照らされたような気がした。
それはお爺ちゃんの言う通り天使の顔をした無邪気な悪魔だった。
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