5

 数メートル先に窓が。そのガラスは薄い赤で染まっている。俺は今、大体何時頃になるのか瞬時に計れなかった。

 まさか夕方? と思ったところで勢いよく起き上がる。二階の物置で作業中に寝てしまっていたようだ。夕刻ならとんでもないことになる……!

 やらかしたかと心臓が張り裂けそうになったが、鳥の声が。間をおかずバイクの走る音。小刻みに発進と停止を繰り返している。新聞配達のバイクか。

 恐る恐る腕時計で時間を確認するも予想は当たり胸を撫で下ろした。

 表示は十七時ではなく五時六分。早朝の五時をちょうど回ったところだった。

 しかし、やってしまった。布団もかけず寝室以外で眠ってしまうとは。あまり普段は換気されていないであろう生暖かい空気に段ボールに囲まれた部屋でなら布団もこの時期なら不要としたか。

 段ボールは廊下に二つあるだけで粗方、物置は作業前の状態にされてある。消した記憶はないが部屋の電気も点いていない。

 まるで他人事だがやったのは紛れもなく俺だ。そういえば起き上がった時に胸から何かが落ちたな。

 ……視線を下へ落とすと、その何かとはあのアルバムだった。ダンゴムシのように丸まってこれを抱きしめて眠ったのか。我ながら気持ち悪い体勢で眠ったものだ。

 アルバムを開こうとして、でもそれができなくて気を失ったように殻に閉じこもってしまったのかもしれない。

 最後に力を振り絞って手を伸ばし電気のスイッチを押して消灯、そのままバタンと。

 昨日、目撃した彼女。バス停の前で何をしていたのだろう。ちょこんと立ち左方向を向いていたのでやはりバスを待っていた?

 予め開きたいページは決まっているので慣れた手つきでパラパラと五ページ目を開く。このアルバムに隠して収められている一枚の写真。

 二十数年前と変わらぬ場所にまだあの写真はあった。変わらないのはそれだけじゃない。

 どうしたことか。彼女は俺の望み通りにずっと変わらぬ姿でいてくれた。おまけに服装まで変わっていないのはどういうことだ。風呂に入っていないのか。

 そういう問題でもないか。だが、ばかに物持ちのいい服だ。

 この写真を抜き出した時に一枚の、何回かに折られた紙も出てきた。こんな紙は以前、無かったはず。お爺ちゃんが新たに加えた物?

 俺はこの紙をすかさず広げた。


『洋くんへ。

 この手紙を洋くんが読む日が来るのかは分からないけど一応、またこっそりとアルバムを手にする事を想定して書き記しておこうと思う。

 このアルバムを洋くんに渡したまま買い物に出かけた道中、初めて触れる、見る物には隈なく物色をする好奇心旺盛の洋くんであればもしかしたらあの写真が隠されていることに気づくかもしれないと思った。元々、厳重に隠しているわけでもないし。

 しかし、洋くんは俺が帰って来てからもあの家族でも親戚でもない他人で、しかもとびきり可愛い女性が写っていた謎の写真について一言も喋らないのであぁ、気が付かなかったかと一度は思った。

 だがどうしたことか、俺は洋くんはやはりあの写真を発見したかと後で知ったよ。なぜ分かったかって? 写真が裏側を向いた状態で入れ直されていたからだ。あの写真は素直に五ページ目から抜き出せば表側が顔を出すように入れてあった。それが裏側になっていたということは誰かが一度は取り出した証拠。俺は洋くんからアルバムを返されてその日の夜にこっそり確認したのでタイミング的にも洋くんしかいないと確信した。

 こういう詰めの甘い所はまだ子供だなと微笑ましくもあったが。

 さて、ではなぜ洋くんはあの写真を見ても俺に何も質問せず戻してしまったのかを考えた。しかも思わず裏側にしてしまったということは何か心の動揺も伺えるが、俺はどう思考を巡らせてもその心理に辿り着くことはできなかった。

 逆に俺がどうして? と洋くんに聞いてみたいくらいになってしまったがどんな理由があるにせよ洋くんはそれを胸の奥にしまっておくことを選んだ。あまり無理して聞くのも良くないと俺も思い留まることにしたよ。

 そこで俺はこの手紙を書くことにした。きっと本心では知りたくてたまらないであろうこの写真のことについて書いていこうと思う』


 俺はここにきてあの時にやってしまった小さなミスを初めて教えられた。その意思を尊重してお爺ちゃんもそれに同調してくれたんだ。さすが孫想いのお爺ちゃんだな。

 そんな俺の気持ちを察してお爺ちゃんは手紙として知りたいことを教えようとしている。ありがとう、俺は随分、遅くなってしまったがこの気遣いに感謝した。


『洋くんはこの点には気がついたかな。

 あの写真は他の収められている写真の年代と一緒にされると勘違いしてしまいそうだが、俺が定年退職してから撮った写真なんだ。だからカメラも高性能なカメラだ。しっかり並べて比較すれば一目瞭然なのだが子供にはちと簡単ではないかもしれない。

 俺の趣味であるハイキングや登山で自然巡りをしに外出したある日、これはその最中に撮った写真だ。時期的にはまだ洋くんがお母さんに抱っこされていた時だな』


 意外にも当時から数えれば最近、撮られた写真だということが発覚した。ショックが大きくそこまで気が回らなかったな。

 なぜ定年退職した老人がこんな若い女性の写真を撮ることができたのか。


『ここで先ず説明しておかないといけないことの一つに、俺とこのとはどういう関係なのかだと思うけど全くの初対面、赤の他人だ。犯罪に手を染めたりはしていない。

 この日、ある場所でばったりと出会った。その場所とはうちから電車とバスを使えば一時間以内に行けるふるさと村自然公園という同じ市内にある、名前の通りのどこか懐かしい田園風景が臨める小高い丘の公園だ。

 こういう場所ではたとえ赤の他人でもウォーキング中にすれ違えば会釈くらいはよくするもんなんだが、流石に写真を撮るとなると稀だ。余程、何か大きなきっかけがないとそんな流れにはならない。

 ではどんなきっかけがあったか? これは今、振り返っても実にかいと言っていい。

 こんな事を話しても信じてもらうのは難しいだろうが正直に話すとこの、俺はだいぶ前に見たことがあったんだ。どこで? それはに収められていた。

 ここでもまたアルバムが出てきたが、そのアルバムの持ち主は洋くんのお父さんのお兄さんだ。言い換えれば俺の息子である。二十代前半に病気で早くに亡くなったので洋くんは会ったことないが、ばあさんからお父さんには兄弟がいたとは聞かされているだろう。そのお兄さんが生前に撮った写真にあのが写っている写真があったんだ。

 それはある日、お兄さんの、ここからは卓人たくとと呼ばせてもらうがその卓人の遺品を整理していた日。その中に例のアルバムがあったわけだが、大体は学生時代に撮った青春の写真で占められていた。だからもちろん俺が存じ上げない若い衆は何人も写っていた。

 その並びにあのの写真がある分には特に何の違和感は無かったのだが……それは一旦、置いておく。

 それでも俺は芸能人のような特別な人としか思えない一際、美しい女性が写っているこの一枚だけは何年経っても脳裏に焼き付いていた。卓人は親の色眼鏡を抜いても美男子だったからきっと生きていればこんな女性と結婚していただろうとしんみりもした。

 これでなぜ俺が信じてもらえるか分からないと言ったのか分かっただろう。

 卓人のアルバムに写っていた女性がそこに居たんだよ。しかも、変わらぬ姿で!

 変わらぬとは念を押して補足しておくが、という意味だ。同じ系統の顔とか、そんな比じゃない。さらに俺を驚かせたのは服装までもが上から下まで一致していたんだ。ここまでくればもう確率的にも別人なんて有り得ない。

 何よりお嬢さんお風呂入っているんですか? と心の中で突っ込んでしまった。いや、問題はそこじゃないんだが。それでも長持ちする服だなとは言えると思う。

 やや脱線してしまったが、ともかく俺はその衝撃でボカーンとしてしまった。ただ彼女が横を歩いていくのを眺めることしかできなかったよ。

 その俺の視線を察知したのか彼女が足を止めた。そしてこう言った。

「おじいさん、もしかして私のこと見えるんですか?」と。

 質問の意図は図りかねたが俺は「はい」と力なく答えた。彼女は「すごーい!」と口を両手で押さえながら飛び跳ねた。なにを驚いているのか。

「おじいさんはなんですね。ここで会えたのも何かの縁でしょうから一つ願い事を叶えてさしあげます。誰かこの世から消えてほしい人はいますか?」

 こやつ、天使の顔をして悪魔みたいなことを言ってきやがった。何者なんだこいつは。

 外見とは裏腹に頭がおかしい危ない人かもしれないと危険信号がともったので、俺は退散する段に入った。が、その前に……。

「そんな物騒なお願いはけっこうですので、よろしければ一枚写真撮らせてもらえますか?」と投げかけてみた。彼女は快諾した。

 パシャリ。

 これがその一枚というわけだ。家に帰ったら卓人のアルバムを取り出して見比べてみた。一方の写真はやや傷んでいてもこの二人はやはり同一人物だろうと俺は見立てたよ。

 俺はこの怪異についてどう向き合うべきか腕を組んで熟慮した。卓人が生きていて詳しい事情が聞ければまた違った行動を取れていたのかもしれないが、俺は……追い求めはせず忘れることにした。こんな摩訶不思議な現象を前に情けないようだが、もうそこまでの体力は残っていなかったよ。

 卓人のアルバムに収められていた写真に写っていた女性が、歳を取らずに俺の前に出現した……洋くんはここまでを読んでどう思ったかな?

 この手紙を読んだのであれば是非、感想を。その時にはできれば洋くんが隠し持っている秘密も聞かせてほしい。

 大丈夫、俺はどんな奇想天外な内容でもしっかり受け止めることができる。この通り俺自身もそんな体験をしているのだからいわば仲間だ。安心してほしい。ではご返事を気長に待っています。

 そうそう。ちなみに卓人の方の写真は仏壇の引き出しの奥に隠しておいた。洋くんもこの怪奇現象を目撃して、俺が成し遂げられなかった謎解きに挑戦してみてはどうだろうか?』


 俺はなぜだが込み上げてくるものがあった。お爺ちゃんはじっと生涯を閉じるまで待ち続けてくれた。

 しかし、交わることはなかった。ごめん、お爺ちゃん。

 亡くなる直前、ベッドに仰向けになっているお爺ちゃんは見下ろしている俺の顔を見て必死に踏ん張りながら身体を起こそうとして何かを俺に訴えていたのを思い出した。

 きっとこの事について結局、互いに打ち明けることのなかった悔いもあったからだろう。今となってはこれは痛恨の極みだ。

 ……よし、決めた。お爺ちゃんの意志を継ぎこの謎を追いかけてみようじゃないか。

 幸いにもあの例の場所、ふるさと村自然公園で二度も目撃されていて、しかもその内の一件は昨日の事。大きな手がかりはある。雲を掴むようなものじゃない。

 歳をとらない人間。これは人類の夢でもある。その謎にどこまで迫れるか。

 なにより俺はただ純粋に彼女と……会って話しがしてみたい。

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