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四、五歳くらいからだったか。その歳の俺にとって夢とは畏怖するべきものだった。悪夢の類いしかみたことがないからだ。
こんな夢をみた。家族とリビングで談笑をしている。が突如、母さんと父さんは石像、灰色の石と化した。喋ることはできるみたいだが口、表情も含めて動くことはなかった。
父さんと母さんは正座したまま俺の名をいつものような調子で何度も呼ぶ。二人を交互に見つめて俺は泣き叫びそうになるところで夢が終わる。
こんな夢をみた。俺は寝室で父さんと母さんと一緒に寝ていた。位置は父さんが真ん中、俺が右端、母さんが左端だった。
一度、寝返りをうち二人は視界から消える。次にまた反対方向に寝返りをうった時に父さんはピエロのようなメイクをしている道化に化けていた。
母さんは母さんで歌舞伎役者のような化粧で和風テイスト。髪の毛はボサボサで鋭い目つき。目を閉じてこれは夢だ、夢だと言い聞かせなければ正気を保てなかった。
俺は常に目眩いをおこしているのか。
映る風景はカメラが激しい揺れを起こしているようで何処だかは分からないが、雑草のような緑色で埋め尽くされていた。
同時に頭の中に誰かが居座り執拗に語りかける。決して大声で叫んでいるわけでもなかったがその声が四方八方に反響して、その跳ね返りが全て俺に直撃してくる。何を言っているのか理解できない上に、脅迫されているようで吐き気を催してしまいひざまづく。
どうやら実際の俺はあまりにも汗びっしょりだったので母さんがおろおろしているところで目が覚めた。
俺はいつも夢に苦しめられる。
こんな幼い歳にして睡眠に悩まされていた。布団に入ってもじっと怯えながら天井を見つめ、ぐっすり眠るとは程遠かった。
徹夜する体力はないのでいつの間にか眠りにはつくが、起きても寝た気がしなかった。それよりも今日は何も無かったことに安堵した。
俺には真っ暗闇よりもそこにぶちまけられるおぞましい色彩を何よりも恐れたのだ。
そこに転機が訪れた。俺は小学生に進学している。
幼稚園生時代によく俺をいじめていた奴が、どうしてもクリアできないゲームをクリアしてみろと迫った。俺はコントローラーを手に取りプレイする。
そこから俺の身はゲームの世界に入り込んだ。銀色の鎧を身に纏った敵の大軍が襲いかかって来る。
厚い雲が立ち込む空の上には鳥籠が浮かんでおり中には一人の女性が閉じ込められていた。黒いベールを垂らしていたので素顔は分からない。
直感で俺はあの人を助ければいいんだと思った。
だが俺は奮闘も空しくあと一歩のところでゲームオーバーになる。
地面をこぶしで叩きつける俺。現実でもクリアできなかったからといって、ここまで悔しがらないだろうって言うくらい俺は悔しくてしょうがなかった。
また上を見上げるとあの女性がベールを剥いでおり、悲しげに目が潤んでいた。小柄、小顔で、自然の厳しさを知らない小鳥のような天使の瞳。
ドクンと胸が鳴った。
あぁ、待ってくれ、もう一度チャンスをくれと懇願したところで現実へ戻された。
夢か。いつもだったら夢でよかったと思うところだが今回は違った。またあの夢へいますぐ戻りたい、それが真っ先に湧いた気持ち。
またあの夢へ、夢へそう呪文のように何度も唱えながら目を閉じたが叶わなかった。
その代わりに俺は想像する力を手に入れた。
あの夢の続きを自ら描く。できればあの夢の中で達成したかったことだと心残りはあったものの、もちろん俺は助けることに成功した。
そして典型的なお姫様と王子様の関係性になる。
架空の人物、アニメキャラクターに惚れてしまったようなものだがこの時に初めて恋をした。子供であれば一度はそんな恋の経験はあるんじゃないだろうか。
……そう、その想像上の伴侶がそこには写っていたのだ。
真っ白な肌、髪の長さは肩くらいまでと夢の中と同じだったがさすがに服装は異なっていた。白いブラウスに黒いリボンを垂らし、ボタンで閉じる青色のジャケット。焦げ茶色のロングスカート。
若者が行楽地ではしゃぐように白い歯を見せ右手を前に突き出し、左手は後頭部の位置にしてダブルピースサインをしていた。
ちょっと俺のイメージでは上品なお嬢様でこんなポーズをする女性ではなかったが、これはこれで有りだった。
撮影場所は木々に囲まれ地面には枝や石ころが転がっており、どこか山の一本道を連想させるが黒い革靴を履いているので険しい山ではないだろう。山中に見えるだけで自然が多いだけかもしれない。天気は快晴。青い空が遠くまで広がる。
夢じゃなかった——
写真を掲げて日差しに当てた。写真越しではあったが現実世界でも巡り会えたことに改めて「初めまして」と漏らし感激した。
このまま写真の中へ駆け出して行きたかったがこれは過去だ、と子供らしからぬ冷静さをみせた。
そして、彼女はいま現在、何処にいる?
その答えはお爺ちゃんに聞かなければいけないのは言うまでもなかった。
どういった関係性なのか。出会ったきっかけ。撮影場所は。カメラを持っているのはお爺ちゃんでいいのか。なぜこの一枚の写真を隠していたのか。質問など山ほど出てくるがなぜか答え合わせをするのに二の足を踏む。
想像上の人物であったはずの彼女と瓜二つの女性。その存在を認めたくない自分もいた。
これでもしも昔、付き合っていた忘れられない人だと言われたら?
実在するのであれば歳も重ねる。そうなると彼女は現在いくつなんだ。写真に年、日付の記載はなかったが、これはお爺ちゃんとお婆ちゃんが結婚前か間もない時期のアルバム。同じくもう相応の年齢であろう。
彼女にはこのままでいてほしかった。それが崩れてしまうのはどうも受け入れ難かった。
未練たらたらだったが俺は「さようなら」とあまりにも潔い、早過ぎる別れをした。そっと写真を元の位置に戻す。
もっと早く生まれたかったと恨めしく思うも彼女は
よりリアリティを増して。
夢の中の人物が写真で現れ、遂に二十数年の時を経てこの世界に降り立った? 馬鹿馬鹿しい、と嘲笑ったところで静止した。
この瞬間、心の中の彼女はもう孵化をして飛び立っていき巣には居ない気がした。俺がそばにいないと動けない操り人形から、生命が宿り一人の人間になった。その重みはもはや俺の手ではどうしようもなく、コントロールは利かない。そんな彼女が改めて俺と出会った時どう思うのだろうか。
それを考えるだけで長い年月をかけて築き上げた城が指一本で穴が空く砂であったと突きつけらてしまいそうで、振り払いたくなる。
風呂から上がると父さんが足早にやって来てある物を差し出した。
「あった、あった。お前が探しているアルバム。どうやら写真は段ボールなんかにしまっておかないで俺達のと一緒に保管しておこうって決めたのをさっき思い出したんだよ」
ここまでの作業は無駄だった、その脱力感はなかった。既に軟体動物のようになり体は立っているだけでもやっとだったから。
全体が薄く黄ばみがかったてしまっていた白い冊子をつまむ。
「これでいいんだろう?」
あまりにも俺が無反応だったので父さんは執拗な調子で聞く。
「うん。ありがとう。ちょっと借りるね。二階、片付けてくるわ」
トボトボとした足取りでリビングを出て二階へ上がると水中から顔を出したみたいに息を吐いた。
あれほど求めていたアルバムなのに新聞を放り投げるように段ボールの上に置いて物置を元通りにする作業をしようとしたが、ガクンと膝が曲がりひざまづく。
電源をオフにしたように四つん這いのまましばらく俺は動くことができなかった。
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