第26話「おわりは唐突になの」

「今の声……聞こえた?」

「えぇ、ものの見事に上空から」


 ブラックエネシアがいた日本海上──ローゼバルら、魔法少女達は唖然としながらも全銀河に響き渡った悲痛とエネシアの咆哮を確かに聞き取った。

 それも姿を変えた彼女達が姿を消して、たった十秒後のことである。

 しかして、全員がその後の状況結果を知る術を持ってはいない。


「エネシア……シンジ君……」


 不安そうに蒼穹を見渡し、傷だらけの躰を支えるリリィ・ミスルト。

 どこの空にも見当たらず不安は募るばかり──まさか……、と嫌な予感を想像して首を横に振ってしまう。


『──…………。俺の魔法少女マスター、九時の方角を視ろ』


 突然、澄ましたような声でシャインが喋りだし、言われた方角へ視線を送った。


「……ッ!」


 するとミスルトは驚愕した表情を浮かべながらも、急いで空へと跳躍していった。


「どこに行くの、ルーキー!」

「す、すみません、少し離脱します!」


 ローゼバルが呼びかけるも、ミスルトは一心不乱にへと飛び去って行く。

 特殊魔製女服ジェネレイティブ・スーツに負荷が掛からぬ程度に速度を上げ──痛いから、と止まる事はしなかった。


 ※


『──大丈夫、シンちゃん? 痛くない? 私重くない?』

『──姉さんの頑張りに比べたら、こんくらいどうってことねぇよ』


 美々しく優雅。

 まるで異生命体の様な神々しさを放ちながら、魔法聖少女エネシアは全身すすだらけのまま、空と太陽に見下ろされる中で一人の男に抱きかかえられながら帰還していた。


 彼の四肢の先は黄金こがね色に彩られ、流れるエネルギー流体は虹色の採色血。

 ヒロイックながらも豪華さを放つ造形美は、魔法聖少女の特殊魔製女服ジェネレイティブ・スーツに勝るとも劣らない戦闘の芸術品となっていた。


『このアルティメット究極フォームになってなかったら、姉さんを連れて脱出できなかったかもな……』


 まさか土壇場で発現した映画限定フォームみたいな姿でやることが、まさか姉さんを連れて脱出だけとはな。

 この姿で戦ってみたかった、という欲はあったが、これ以上動いたら本当に体が引き千切れられかねんので戦わなくて正解。




『──ねぇ、何であの子が着いて来るの……』


 すると、エネシアの拗ねたような声色が伝わり──遠望で振り向いてみると、その意味に納得して前を向き直した。


『アレは良い、そういうだから』

『約束?』

『さ、早く帰ろ』


 そう優しく呟き、彼らはふわりと故郷の風を浴びながら自分たちの長い旅の終わりへと羽ばたいて行った。


 ※


 小さな、そして見慣れたマンションの屋上へと降り立ち、ゆっくりと彼女を下ろした。

 カツリ、とヒールが鳴ると同時に二人の特殊魔製女服ジェネレィティブ・スーツは解除され、元の人の姿へとその身を戻す。


 産まれた姿となった瞬間、奈朶音なたねは傷だらけの肢体を彷徨ふらつかせ、真士の胸の中に抱きしめられた。

 本当に軽い、と心配になりながら、悲鳴を上げ続ける自分の身体状態など無視して奈朶音をぶりだす。


 刹那、後ろから風のと硬い足音が聞こえ、真士は解り切った様子で振り返った。

 それを見て──弟は顔色一つ変えず、姉は眉をひそめ相手を睨みつける。


 傷ついた身のまま、彼らの前に颯爽と現れた蒼い魔法少女──リリィ・ミスルトは感情を表に出さぬまま人間の姿に戻った二人を凝視し、頭を下げた。


「この度は私の私情による愚かな行為で、ご迷惑をお掛けして──大変申し訳ございませんでした!」


 謝って済む事ではないことは、彼女自身理解していた。


 深々とこうべを垂れ、薄水色のポニーテールが下がる姿に真士は何も言わず、ただ沈黙として見つめていた。

 奈朶音は奥歯を噛み締め、真士を傷つける形となってしまった戦犯かのじょに苛立って、思いのままの気持ちを舌へ乗せようと口を開く。


「許してあげろ。

 姉さんを助けるのに一番協力してくれたし、命運先輩がいなかったら詰んでた場面も多かった」


 すると真士は奈朶音の気持ちを察し、慟哭どうこく一歩手前であった彼女を耳打ちで静止させた。


「顔……上げてくださいよ。魔法少女が一般人に頭下げなくていいんすよ」


 徐々に霞みだしていく真士の視線の中でミスルトの頭が上がり、美麗たる深蒼の双眸が真士を見据えてくる。


「貴方はそのまま、かっこいいままでいてください……んじゃ」


 真士は微笑を浮かべるとミスルトに背を向け、奈朶音を背負ったまま扉の方へと歩み寄っていく。




「約束、守ってくださいね」


 思い出したかのようにその事を言うと、ミスルトは「えぇ」とだけ返事をし──そのまま二人は階段を降りていった。




「ボンコイ、いんだろ」


 遠くへと拡散されていく階段のを耳にしながら話しかけると、真士のポケットからスマホ状態のボンコイが飛び出して、周辺を浮遊し始めた。


「姉さんに何か掛けてあげて」

「──私がコートになってあげる事は可能ですが、魔動力燃料マナの甚大なる枯渇により、そのまま数十時間程スリープに移行します。

 宜しいでしょうか?」

「……良いよね?」


 二回ほど無言のまま頷いた彼女を尻目に視ると、ボンコイは白く大きな布へとその身を変え、彼女に覆いかぶさる。


「あとはご近所に遭遇しないのを祈るだけ、か……避難してるだろうから会わないだろうけど、それなりの嘘を考えててね」

「うん、わかった」


 本当に大丈夫だろうか……。


「ねぇ、さっき言ってた“約束”って……何?」


 すると子供の様な声色で先程喋っていた言葉の意味を問いかけだし、やや暖かい彼女の吐息が背中に当たる。


「今回の件──俺たちの事は『知らない』の一点張りと、これ以降姉さんを政府の魔法少女に勧誘しない、ってこと。

 その代わりに英雄になれるんだ。安い条件だと思うけどね」


 俺たちの事は誰にも言わず秘密のまま、真面目な命運先輩ならこの約束は決して破らないであろうと確信している。


「俺も……静かに暮らしたいんだよ」


 その言葉を呟いた時、背中越しではあったが──彼女が微笑んでいたような気がした。


 ※


 家へ着くと姉さんの体をゆっくりとソファに置き、力尽く様な形で俺も隣へと座りこんだ。


 ブラックエネシアの体内で見た夕焼け色のリビングによく似ていたが、これは正真正銘いつもの我が家だ。

 彼女の白髪に黄玉おうぎょく色の夕光せきこうが差し掛かり、微かに金色へと化していく。

 その瞬間を、俺は黙ったまま見据えていた。


「お腹の痣……大丈夫?」


 ブラックエネシアと化した原因、それがどうなったか気になると姉さんは全身に纏っていた布を少し退かし、腹部だけを見せだした。


「跡みたいな感じで残っちゃってるけど、平気」


 見えた物は、まるで何かがあったかのようにぽっかりと丸く抜けた薄い傷跡。

 それ以上は何も聞くまい、と小さく頷くと姉さんはお腹を瞬時に隠した。




「お腹いきなり……見せてなんてさ」


 突然、不貞腐れたような表情で彼女は呟く。


「なんだよ、別に変なとこ無かったじゃないか」


 何に怒っているのか今一イマイチ理解できぬままでいると──体育座りの状態でうずくまりだした彼女は鼻までを膝で隠し、此方の方へと視線を向け、目を細めた。


「私、デブだもん……お腹ぶよぶよだもん……」

「……別にデブじゃねーだろ」

「デブだもん……下着も上下全部よく取り換えてるし」


 まだ成長するのか……。


 姉のまだ見ぬ可能性に驚きつつも気を取り戻すと、何か良い言葉は無いかと模索し、言葉として乗せてみる。


「け、健康体って言うのかな……その、太腿やお腹や、胸があって……そういう体系が好みな男もいるらしいし……全然、大丈夫だよ」


 これが正解かはわからない。

 しかし、失礼極まりない言葉を言った自身もあって不安しか残らない。

 彼女の視線は此方を捉えたまま、離れず、表情を変えず、こう口にする。




「シンちゃんも、わたしお姉ちゃんみたいな体形の女性ひと……好き?」




 反応に、困ってしまう。


「……自分を基準に弟の性的嗜好を探ろうとするな」

「……ふふふっ」


 そう答えると、姉さんは何処か少女らしく、そして嘲わらうかの様に笑みを浮かべだした。

 彼女の面妖とした口元は見えぬまま、俺の顔は不思議と熱くなる。


「それに……シンちゃんがいるから、別にモテなくていいし」

「なっ、そういう勘違いするようなこと言わない!」


 声を荒げてしまう弟を姉は嬉しそうに目を細め、微かに笑いだす。


 こんな意地悪な感じだったろうか、性格悪いぞ。


 すると、徐々に体が倦怠感に襲われだし──ソファに背凭せもたれを預けていた体がズルズルと横の方へと落ちて、腕掛けへと頭を乗せてしまう。


 疲れて当然だ……たった数時間だが、命を懸け過ぎた。

 慣れない事はするもんじゃない。


「今日で……魔法少女は廃業だな……」


 微笑を浮かべながらも小さく呟き、薄れていく視線を姉さんへと向けた。

 彼女は何やら慌てた様子で俺の両肩を持ち上げ、体を勢いよく揺さぶってきた。


 眠い人間にそんなことすんなよな……ったく。


「そういえばさ……夏休み、そろそろだな……どこ行こっか」

「わ、私、レンタカー借りるから、普段行かないとこ! 遠い所に行こ! ね?」

「ペーパードライバーの運転……?」

「あ、安全運転で行くから平気だよ!」


 頭の中で浮かんだことが、そのまま言葉となって彼女へと伝えられていく。

 無意識だからであろうか、自分が話す言葉の意味すらも考えることをやめてしまっている。

 視界はその色を無くし、鼓膜も壊れたラジオのように途切れだしていく。


 だが、彼女の聲だけは鮮明として聞こえていて──すすり泣きながらも、笑いながら俺へと話しかけてくれている。


 どうしたんだよ、いったい。


「遊園地とか……海とかも良いね! 行こうよ! 私、がんばって水着着てみるから!」


 あぁ、海か。良いな、それも。

 楽しみだ。夏休み。


 でも、だけどさ、どうして泣いてるんだよ。


 全部終わったろ、悲しい事なんて何もないじゃないか、嬉し泣きってやつか?


 尋常ではない程の眠気が強制的に体の力を落としていく。


 だというのに、目前の姉は涙を俺に落としながら、弟が夢の世界に行くのを妨げようとしている。


 あと数時間したらまた起きるから、それまで休んでろっての。


「今日のシンちゃん、カッコよかったよ……! どんな人よりも、すごく、カッコよかったよ……!」

「あぁ……そりゃ、あんがと……」


 わかったから、寝かせてって。


「ごめん、ちょっと寝る……お姉ちゃん、お休み……」


「ダメ! ダメだよ! 絶対ダメ! 寝ちゃダメだって! ねぇ!」




 意識が途切れていく、体がもう熱いかも寒いかもわからない。






 大丈夫だって、お姉ちゃん。






 また、起きるから。






 ただ、今は眠るだけだからさ。








 だから、








 泣かないでよ。

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