第19話「あの朝に逢った、ような……」
目を覚まして最初に見るのは、いつも母さんの顔だった。
離婚した理由は知らされてないし、二人に何があったかもわからない。
夜勤から帰ってくるといつも早朝で、隣の布団から俺が起きるのを見届けてから眠りに入る。
朝ごはんは用意されていた物をそのまま食べていて、別にそれを不思議とも思っていなかったし、朝に母さんの顔を見ると安心して毎日朝を迎えられていた。
しかし、それも新婚旅行に行ってから見る事は無くなった。
とはいえ死んだと知った時は特に泣きもしなかった。悲しかったわけでもなくて実感が持てなかったからだ。
それに母さんが再婚して一緒に住むことになった姉である
小さい手で、何も出来ない体で、それでも四歳なりに一生懸命励まそうとした。
ある日、朝起きると突然悲しみが津波のように押し寄せてきて、俺は一人泣きだしてしまった。
嗚咽を抑えていると、奈朶音さんが俺の部屋に心配そうな表情をしながら入って来た。
「泣いてない」と言い張り、先に朝ごはんを食べて欲しいと強がったが……あの人は俺の言葉とは裏腹に近寄って来て、泣き止むまで一緒にベッドで寝てくれた。
その時、今まで流れ出てこなかった涙が全身に水分を追い出していくかのように溢れ出し──暖かくて、優しい気持ちになったのを覚えている。
今でもそれを、鮮明に思い出せる。
※
「──
「──ッ!」
脳内からボンコイの声が響き、目を覚ますと──今置かれている状況を直視しながら、ゆっくりと起き上がった。
「意識を
「いや……最初からバカみてぇに全身痛い以外は特に変わらねぇよ」
この痛みに自分自身が何の反応も示さなくなってきている、本当だったら発狂もんだというのに。
辺りを見渡せど、見えるのはまるで幻想──至る所に純白半透のフリルカーテンたちが風と踊る事もなく物寂し気に虚空から吊るされていた。
一歩前へ歩くとひき肉を握りつぶしたかのような気味の悪い音が聞こえ、下を見ると俺はある物に驚き後退ってしまったが、ソレは周りどころか床全体を埋め尽していた。
「んだよ……これ……」
まるでホラー映画のように、いろんな動物たちの内臓をぶちまかれた一面グロ肉で敷き詰められた地面。踏みしめればしめるほど、ばら撒かれた内臓からは血が毀れ出してくる。
タイテイの仮面によってその光景もハッキリと観察できているが、実際は正真正銘の暗がりで自分の手脚すら迷子になってしまう程、ここには光がない。
突然の光景に嘔吐しかけるが『進化途中のブラックエネシアよりはマシだ』と自我を保ち、解らぬ道を
「とりあえず進めば何かあるはずだ」
それが救いになるか地獄に落ちるかは、未知数だけど。
体内独特の異臭も感じること無く、空気もない。ここだけ別の世界だ。
下を視ずにいると気味の悪い音にもすぐに慣れ、邪魔なカーテンは
カーテンから顔を出して行くと、白カーテンとグロ肉の紅白のみだった空間で不可解にも一つだけ佇むある物を発見し、観察する。
「ドアだ……」
それも見知った形状。
家の玄関の扉が汚れ跡も残したまま置いてあり、裏を回ってみてもやはりそれは家の物だった。
他に行く当ても無いからと恐る恐るドアノブを握り、開けて行く──中に広がっていたのはマンションの玄関そのまま。
その先には見慣れた廊下が続いており、奥のリビングからは自然光が差し込んでいる。
戸惑いや不信感を拭う事ができぬまま、廊下へと俺は足を踏み入れていく。
スーツ越しでも分かる廊下を踏みしめる時の馴れた感覚に、リビングの家具の配置や窓から来る
敵の中だという認識が無ければ、安心もできるんだが。
気を引き締めつつ冷蔵庫を開けてみると──『やっぱり』、ここは造られた幻想の空間だと確認する。
今朝見た冷蔵庫と中身が違う、丁度これは……三日ほど前の物だったか。
昨日や一昨日使った物や賞味期限が切れている物も置いてあり、姉さんが囚われた三日前の我が家だと気づくことが出来た。
時間が止まった部屋、微細な所まで変に再現されている。
リビングを抜け、二つの扉の前に立つ──左は俺の部屋、右は姉さんの部屋。
最初から右に行こうかとも思ったが、まず試しに自分の部屋を視たくなり躊躇なくドアノブを引くと──
突如、一斉にエネシアの武器が中から雪崩のように飛び掛かって来た。
棒立ちで大量の武器を浴びると、無傷のまま手に持ったソードの一振りで全攻撃を無力化した。
こんなトラップの様なものではフォースフォームは止められない──しかし体の痛みが襲い掛かり、壁に
目の前に見えている自室にはまだ武器が山のように残っており、部屋の状態が確認できない。
どういう心境でそうなるんだよ……俺の部屋。
飛び出してきた武器で溢れ返る廊下をかき分けて行くと姉の部屋の前に止まり、少し戸惑いもしながらもドアノブを強く回した。
見えたのは、黒一色。
まるで宇宙の様に広く、孤独な闇の世界──だが。
「………………いた」
すぐ一直線、視界に入って来たものに様々な感情を抱くも“ソレ”を無言のままに静視した。
真ん中には純白なシーツを被せられた高級そうな円形ベッドがポツリと置かれており──その上には美麗なクリスタルが大事そうに置かれていた。
宝石が如く煌めきを反射するクリスタルを凝視すると、中には裸体の女性が蹲った状態で埋め込まれているのが見えた。
白髪のボブカットに子供の様な小さな背、そして全身に残る痛々しい傷跡たちに幼い形相。
スノードームの様に閉じ込められており、ベッドの上で深い眠りにつく女。
まるで大きな卵のようなに、大事そうに、壊れないように、孵化を望まぬ生誕を拒む鳥。
ここにも飛べない鳥がいた。
「姉さん」
俺はいつもの
「こんな見た目だけど、俺だよ。真士だよ。ボンコイに助けて貰ってここまで来たんだ」
歩くだけで全身が軋む、裂ける。倒れ込むのは簡単だけど、だけど、あと少しなんだ。
「ね、姉さん。痛くない? 苦しくない? ──?」
すると紙の様な物を踏み、拾い上げてみるとそこには何やら文字が書かれていた。
日記帳と同じ紙──そこには
視線をずらすといつの間にか文字が書いてある紙が増えており、床には五枚の紙が置かれていた。
『ボンコイ、何で巻き込んだの』
『どうして? どうして?』
『シンちゃんをどうして巻き込んじゃったの』
『シンちゃんにこんな私を見せたくなかった』
『彼は関係ないのに』
文字が浮かび、歪み、言葉が産まれては消えていく異常な状況。
「姉さん、話を聞いてくれ!」
紙を持つ手が微弱に震えだす、ここまで来てどうしてこうなるんだよ。
「──恐らく天使の影響でしょうね。
魔法少女は変身すると、変身者は本能のままに動いてしまう
ボンコイの冷静な分析を聞き、やはりブラックエネシアの行動は姉さんの本能をフィールドバックしてやっていたことなのだと改めて思い知らされる。
何はともあれ、救わなくてはならないが──
『『──よくも私の男を戦わせたわね』』
姉さんの声が聞こえた、それも六方向から同時に。
刹那、持っていた紙の文字が突如
手放すと紙は徐々に形状を変えていき──手紙はエネシアへと変貌する。
見た目も全てエネシアそっくりで、本物と全く見分けが付かないほど酷似した人形。
散らばっていた紙達も変形を始め、合計六体のエネシアが君臨し四方八方を塞ぐ。
この全てが偽物だが、中からは彼女の意識を感じる。ただの人形ではないという事か。
エネシアたちはスカートに付けていた武器パーツをそれぞれ組み上げ、俺も自分の両手にそれぞれソードとランスを装備した。
十二個の瞳は俺を……否、タイテイを睨みつけ──武器を交えだす。
サイズも用途も違う二つの武器を巧みに操り──敵の
フォースフォームでなければ、今頃反応に追いつけずに八つ裂きにされていたであろう。
重なった力を受け流すと気配を察し、一人奥で構えていたエネシアの
ブラックエネシアの体内にも関わらず光は一直線に突き進み、射線上に入っていた部屋の扉をそのまま焼き尽くされ退路を絶たれてしまう。
「ボンコイ」
「ボンコイ」
「許さないから」
「シンちゃんから引きはがしてやる」
六人がランダムに喋りだし、怒りと共に攻撃を仕掛けてくる。
「クソッ! 不安定状態を解く方法は無いのか!」
「今のところはないですね。
手詰まり、しかし先程のように何かしら方法をあるはずだと希望は捨てられない。
「何でこんな事させたの?」
「答えて」
「……答えてよ‼」
エネシアの憤怒は手に持っていた大鎌に力を与え、ソードで応戦するも骨が折れる程の振動が伝わってくる。
──なんであと少しってとこで、姉さんと戦わなきゃいけないんだよ!
その横からまた別のエネシアたちが割って入ると俺は分身を使用し、六人全員を一人ずつ迎え撃った。
「酷い」
「あんまりだよ」
「なんで」
「巻き込まないって」
「私たちで守るって」
「決めたじゃん」
アクション映画さながらの速度と力がぶつかり合う
「あなたが変身させるから」
「シンちゃん……傷ついちゃってるじゃん!」
「何をさせたいの⁉」
どう考えても攻撃してきた側なのに、やはり思考が
分身も一体ずつ倒されていき、残るは本物の俺一人──最初から俺が本物だと見抜いていたようだが。
俺を一点に見つめていると突如、憎しみに表情を染めていた六人のエネシアたちの双眸が潤おいだし、
「シンちゃんをどうして巻き込んだの……ボンコイ!」
相棒への憎悪のままに、六人のエネシアが同時に刃を下ろす。
これで何もかも終わりかもしれない、だが俺は──
「変身すると決めたのは、俺の意思だ!」
ボンコイの無罪を晴らそうと叫んだ。
刹那、大鎌の刃先が当たる一歩手前で停止する。彼女らは驚きの表情を浮かべ、その場を動かなかった。
「なに、それ」
一人のエネシアが問う。
「俺が戦うって決めて……ここまで来たんだよ」
「どう、して」
別のエネシアも更にその意味を問いた。
「
「で、でも、体、ボロボロじゃん」
全身鎧で中身なんて見えないはずなのに、流石というべきかエネシアには俺の状態が全てお見通しのようだ。
「それはそうだけど、そんなの関係な……──?」
「わ、わ、私が……」
すると、声色が突然狂い出し、皆の瞳から透明な涙が先程よりもぽろぽろと流れて落ちてきた。
それはまるで、不安を覚えてくる悪夢のようで。
「私が」
「私がぁ」
「私がっ」
「私、が」
「わた、しが」
「どうしたんだよ……おい」
壊れていく、止まらなくなっていく、水分を全て吸い上げ分身たちは懺悔をする者のように泣き続ける。
「……君を追い込んでしまったんだ」
一人がポツリと呟いた瞬間、全員が俺から大鎌を離してある方向へと歩み出して行った。
ゆっくりとした重たそうな彼女らの足取りに、心臓の鼓動が高まる。
「だから、どうしたんだよ」
「ごめんね」
一人が謝る。
「だから何が……」
「ありがとう、来てくれて」
一人が感謝する。
「まだ何も済んでないのに、感謝すんなよ!」
「でも、このままじゃシンちゃん死んじゃう」
一人が未来を悟る。
「俺は姉さんを助けるために来たんだって! だから命なんて」
「ううん、貴方は生きなきゃいけないの」
一人が望みを口にする。
全員が大鎌を解除し、荷電粒子砲へと組み替えていく。
「な、何する気だよ……」
「この天使が死ねば、シンちゃんはそんな事しなくても良くなるんだもんね」
一人がそう頷く。
すると、
まるで信仰の儀式のように──荷電粒子砲の銃口を構え、光を充填させる。
「
「この天使も死んで」
光が広がっていく。
「シンちゃんは、死なずに済むんだよね」
愛は自壊をも恐れず、ただ暴走する。
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