第129話 虚数術式


 オレは完全に囲まれ、監禁された。


「終わりよ」


 檻「碧」を起点に地面が凍り付くのが誰の目にも明らかだった。

 これが〈氷縛の檻〉の時空凍結。

 オレはこの場から動けなくなった。一寸でも移動すれば瞬間に凍結する―――本能的にそう理解できた。


 雪華が発する冷気とは全く違う。

 これは“永遠”を閉じ込めるための時空凍結。物体の温度を氷点下にしているのではなく、時空ごと凍らせているのだと感覚的に理解できてしまうほどの冷気。


「旬さんにやったみたいに、オレを時空凍結する気か」

「あら、なんでそのことを知ってるのかしら?」

「オレが旬の弟子だからだ」


 これがオレの最後の言葉になるだろうか。


「何をしても無駄よ、とうくん。『氷縛の檻』は対象を必ず氷漬けする。それも―――精神ごと凍結させる。その人が持つ“時空”を永久に凍結する禁能」


 杏姉、あんたは強い。相当な手加減をしてこの速さ、この強さ。旬以来の圧倒性を感じる。三年経った今でもそれはかわっていないな。

 だが、この時空凍結は強さじゃない。これはオレを殺せない弱さ、だ。


「こうするしかないの。ごめんね。そして―――さようなら」


 彼女が寂しい目で謝っている理由は、感情に疎いオレでも分かった。


 徐々に周りが碧色の氷で凍り付いていく。

 横目に見ると焦った様子の里緒が近づいてきたので、今にも助けに来そうな彼女を『檻』蒼で監禁し、こちらへの進行を止める。


「統也!! ねえ、何してんの!? こっから出して! 統也!? ねえ!!」



 ゆっくりと里緒の方を向き、


 ―――大丈夫。と無声で口を動かす。



「杏姉、オレはまだ……駄目なんだ。ほらあそこに、オレの檻の中に、オレの背中を押してくれる人がいる。オレを好きだと言ってくれる人がいる。だからまだ……」


 先程から準備し、組んでいた術式――「蒼」檻による第一術式「解」の強化を使う。

 姉さんへのお披露目は初か。

 そもそも出来るのか? 人生で初めて使うんだが。




 虚数術式――――『虚空』――――。




 オレは術式を編み込んだ自分のマフラーを広範囲に振るうことで、風を巻き込み、周りに展開されていた彼女の第二術式「碧凍」を有する檻「碧」の術式を氷、檻共々解体する。

 「碧凍術式」を内包する碧の光に蒼い光波が重なり、出式を破壊していく。

 蒼い衝撃波動と合わせて爆風が吹きつける。

 

 純虚数iアイで作った、術式生成と逆転する術式解体―――。


「なっ……! 氷縛が……?」


 彼女は表情を曇らせるが、何を思ったか直後微笑む。


「術式解体のための術式――あなたらしいわ」


「なあ姉さん、オレを殺す気ないだろ」

「それは……どうして?」

「あんたがこんなに弱いはずがない。オレを殺そうとするなら、この街一体を檻で囲んでそれごと潰す方法や、第一術式を解放すればいい。それをしないってことはつまり、オレを殺そうとしていない」

 

 いや、正確には殺せないのかもしれない。どんなに厳しくしようと甘さを捨てようと。

 オレもだ。いざ杏姉さんを前にして戦闘しようとすると手加減してしまう。手心を加えてしまう。

 一瞬で殺せるのに。

 何故か自分の知る本気が出せない。殺意を交えた本気が、出せない。殺そうとできない。

 たとえ彼女がIWの人類の敵でも。殺意が湧かない。

 

 そう言えばオレはよく冷めた人間だと言われる。

 旬さんにも。


―――「統也、お前は少し冷めすぎなんだ。自分にも他人にも愛を見いだせてない。原因は俺にも分からないほど深いところにある。お前に唯一あるとすればそれは『家族愛』かもしれない」

「家族愛?」

「そう」

「よく分からない」

「お前はまず、好きな女の子を作れ。その人を愛し、その人と結婚しろ。そして家族を持て。子供を持て。そして―――――愛せ」


 難しいことじゃないだろ?という顔でそう提案(命令)されたのをよく覚えている。まだ11歳のオレにもよく記憶に残るほど強烈に海馬に刺激を与えた言葉だった。

 要はオレが冷めているらしいということだ。

 だが、家族に対してはそうじゃないと、彼は言っていた。

 それは無能者で孤独だったオレに寄り添ってくれた杏子や白愛という家族の存在が起因しているかもしれない。それに近かった旬や凛、ディアナも。


 オレはもうこれ以上家族を失いたくない。

 かつて命を落とした父・わたるのように。母・美音のように。

 第一、父が生きていれば杏子が名瀬家の当主をこの若さで務めるはずがない。


 だからオレには家族の杏子を殺せない。

 多分そこに変な理屈はない。ただ、殺せない。

 どうしようもなく家族だから。どうしようもなく愛している姉だから。


 どういうわけかこの感覚。この変な、敵意をはね返される感覚は一度家族以外でも味わったことがある。

 初見で鈴音を前にしたときに、彼女が異能者であると気付いていながら敵視できなかった。むしろ無意識に守ってあげたいなと。力になってあげたいなと。そう思ってしまった。


「私は強くないわ。影人のことを知り、人類の命を天秤にかけた。そこにあなたも入っているというだけ。だからこうして会話して確かめているのよ。私にとってのあなたを」


 軽く俯きつつ疑問を投げつけてみる。


「しばらくの間シベリアへ遠征していたようだが、姉さんは影の発生原因を突き止めたのか」

「……」


 この無言の反応。

 オレは自分でも表情が険しくなるのを感じた。

 まさかとは思うが、影のことをオレや茜以上に知っているのか。

 だとしたら何故それを上に報告しない?

 

「姉さんの補佐指揮官コンダクターは誰だ?」

「……どうして?」

「茜に聞いてもらう。そしてはっきりさせる。どこまで情報を持っているのか」

「私の補佐指揮官コンダクター、そんなに弱くないわよ? 甘く見てると茜さんを再起不能にまでするかも」

「大丈夫だ。茜はそんなに柔な女じゃない。むしろそいつを叩き潰す可能性だってある」

「信頼し合っているのね。仲間外れは私だけかしら?」


 何を言ってもかまをかけても、うやむやにして曖昧な回答をよこすだけ。

 きりがないし、オレの方はそんなに力も残ってない。


「姉さん、今のオレには家族を犠牲にしてまで何かを得る必要があるのか分からない。だからこれから先、しばらくオレは姉さんの邪魔をしない。だが、その代わり互いの意図が交わり干渉し合うまで不戦協定を結ばないか? それまでに自分なりの答えを出しておく」


 もしここでオレと杏姉が本気で争えば町が一つ無くなる恐れがある。この一帯を更地にするわけにはいかない。


「あなたも私に似て、凄く甘い。この世界状況を作った人のセリフとはとても思えないわね」

「仕方ないだろ。今のオレにはあんたを殺すだけの覚悟がない」

「いつでも殺せると言っているように聞こえたのは、私の気のせい?」

「いや、いつでも殺せる。そこに誤解はないから言っておく。IWでオレは大抵の奴には勝てる」

「そうね。なんせ、とうくんは零の術式『律』を発動すればのだから。すべてが静止した世界で唯一動けるのだから」


 第零術式『律』の能力。

 空間と時間を繋ぎ、停止させる。厳密には『檻』内部の時間を制御しオレの基準を光速度並みに設定して相対的に時間を極限値「0」にする。

 アインシュタイン考案の相対論を利用した擬似的時間停止の究極術式。

 

 はじめの方は時間という神や物理学の神聖な概念をいじくるのに抵抗があったが、いざやってみると術式操作とマナの出力制御、空間支配律さえ間違えなければとても有用だった。


 だがそんな能力にも当然リスクはある。弱点もある。

 そもそもこれはオレが『檻』の内部にいる前提の術式。空間を制していないのに時間を操作できるわけがない。『檻』で制御してる空間でのみ使用できる。

 つまり『檻』の内部でしか発動できない禁能。


 しかもこの術式は脳に多大な負担をかけるため長時間または複数回発動できない。

 加えて術式操作・マナ出力制御のいずれかを誤れば脳が焼き切れるほど複雑で多重な術式となっている。

 それほどのリスキーな緻密マナコントロールは、もはや使わない方が推奨されるほど。

 

「ああ。けどそれは家族を殺すためじゃなくて世界を救うために、大切な人を守るために使いたい。そのために力を使いたい」

「それがあなたの命題として認識しておくわ。またね――とうくん」


 彼女は頬を緩めた。

 さらに大きめの「碧」檻をオレと彼女の間に展開して隔てる。まるで巨大なスクリーンのよう。

 その巨大な檻表面は不可視化され、カメレオンのように背景と同化した。その視界からはオレの姉、名瀬杏子は消えていた。


 去る時も閃光のように速い、か。




 これでオレは、敵となる者を増やし、守るべき者を増やした。

 

 

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