不穏
「あ、お兄ちゃん。おかえり」
ん?あぁ、俺はいつの間にか家に帰ってきていたのか…その証拠に家の中にいて目の前には1つ下の妹、紗奈(さな)がいる。
「…あぁ、ただいま」
俺は元気なくそう言った。いつもなら笑顔でただいまと言うのだが今はそんな気分になれなかった。
「ねぇ、お兄ちゃん。何かあった?」
そう言われた瞬間、俺は心臓を鷲掴みにされたような感覚に陥った。
「…別に?何も無かったぞ」
俺はできるだけいつもの通りに紗奈に話しかける。
「…嘘つかないでよ。何年一緒に居ると思ってるの?分かるよ」
どうやらもう誤魔化すことは出来ないらしい。
「…美奈に彼氏が出来た」
「…え?そ、それって、冗談じゃなくて?」
紗奈は驚愕したような表情をして俺の事を見ていた。
「あぁ、冗談なんかじゃなかった。直接見たんだから…」
あぁ、話しているとまたあの光景が脳裏に浮き出てくる。忘れたいのに忘れられない。いっそ今日の記憶を全て失えたらどれほど楽だろうか。
「そっか…辛かったよね」
「…」
紗奈はそれだけ言うと俺を抱きしめた。やめろよ。やめてくれよ。今そんなに優しくされたら…
「くそ…なんで…なんで俺じゃないんだよ…」
1度心の声が出てしまったらもう止まらない。次から次へと美奈に対する想いが溢れてくる。みっともなく妹の胸で大泣きしてしまった。
「悪い…もう大丈夫だ」
「うん。そっか。まぁ…そんな時もあるよ。人生まだまだこれからなんだからさ」
「そうだな…」
直ぐに切り替える。そんな器用なことは俺には出来ないだろう。だがきっと時間が経てば乗り越えられるだろう。紗奈のおかげでそう思えた。
「…もういいかしら?」
そんな声が俺の後ろからかけられた。
「っ!か、母さん…いるなら言ってよ…」
そこには俺の母親が立っていた。つまり妹に慰められている兄としての姿が見られてしまったわけだ。恥ずかしい…
「だってあんまりに泣きじゃくってるから…声掛けづらくて」
母さんは笑いながらそう言った。
「んー、そうね。今日は我が家の長男が失恋したということで慰め会を開きましょうか」
「おー!いいね!」
「なんだよ慰め会って…」
きっとこの明らかに高いテンションは俺の事を気遣ってくれているのだろう。ありがたい。
「それじゃあ私は今から作るゴージャスな晩御飯のために食材を買ってくるわね」
どうやら母さんは今から食材を買いに行くようだ。
「あ、私も行くー」
紗奈もついて行くようだ。
「…俺も行くよ」
まぁせっかくだしな。
「あの人も早く帰ってくるといいのにねー」
母さんがそう言った。あの人とは、父さんのことだ。父さんは今海外へ単身赴任で仕事へ行っている。正直言って俺は父さんのことが苦手、という訳では無いがよく分からない。母さんは俺たちのことを愛してくれているということがよく分かる。だが父さんは俺たちに無関心のような気がする。いつか本気の話し合いが出来たらいいんだけどな。
その日はみんなで買い物に行っていつもより豪華な晩御飯を食べた。やはり心の傷が癒える訳では無いが少し心は楽になった。
次の日、俺はいつもより早くに家を出た。理由はもちろん美奈と顔を合わせたくないからだ。
「あ、そうだ…」
今日は委員会があるから学校に残っていなければならない。それを母さんに伝え忘れていた。
俺はポケットからスマホを取り出してメッセージアプリで母さんにその旨を伝えた。
俺の狙い通り、朝美奈と顔を合わせることはなかった。どんな顔をして会えばいいのか分からない。
早くに家を出たということは当然学校につく時間早まる。学校にはほとんど誰もいなかった。俺は教室に向かった。学校が始まるまで何しようかな…
そう思いながら教室の扉を開くとそこには既に島百合が来ていた。
「おはよう、島百合」
俺は島百合にそう声をかけた。
「あ、おはよ…」
相変わらず島百合は本を手に持っていた。
「…彩乃(あやの)君、何か嫌なことでもあった?」
体がビクッと震える。
「何も無いぞ?」
俺はそれを悟られないようにいつも通りを意識しながらそう言った。
「…そっか」
どうやら誤魔化せたようだ。ただでさえ俺の気持ちの悪い感情で島百合に罪悪感を抱いているのに、島百合に心配させてはいけない。俺はお前に心配されるような人間なんかじゃないんだよ。
「あ、そうだ…昨日、おすすめの本持ってくるって言ったから…」
そう言って島百合は本を1冊俺に手渡した。
「もう持ってきてくれたのか?ありがとう」
「どういたしまして…」
島百合は照れくさそにしながらそう言った。やめてくれ。そんな顔をしないでくれ。俺はただ同情心だけでお前に接したんだ。そんな友達に見せるような表情を俺に向けないでくれ。俺を罪悪感で潰さないでくれ。…は?なんだよそれ。罪悪感で潰さないでくれ?なんて物言いだ…本当に自分が人間ではないように思えてしまう。島百合は何も悪くないんだ。
「さっそく読んでみるよ」
俺はこれ以上自分の醜い部分に目を向けたくなくて島百合から離れた。そんな行動をとってしまう自分に呆れすら抱いてしまう。
島百合から貸してもらった本を読み始めた。
「…」
最初は全く面白くも何ともなかった。難解な文章が両目から入ってきて脳みそから抜けていく。そんな感覚だったのが、少し読み進めていくと難解な文章が少しだけ分かるようになってきた。そうなるともう止まらなかった。面白い。それ以外の感情が無かった。
「え?も、もう学校が始まったのか?」
なんと本を読んでいるともう学校が始まる時間になっていた。島百合がずっと本を読んでいる理由が少しわかったような気がした。
放課後前のショートホームルームで担任が今日の委員会は無くなったと言った。
「…朝母さんに連絡しなくてよかったな」
そんなことを思いながら俺は島百合に話しかけた。
「島百合、この本、本当に面白いな。それで…言いにくいんだが家に持って帰ったりしてもいいか?」
島百合は本を大切にしている。それは傍から見ていても分かる。きっと嫌がるんだろうな。
「あ、うん…いいよ」
「え?い、いいのか?」
俺は驚いて聞き返した。
「うん…彩乃君なら乱暴に扱ったりしないと思うから」
「っ、あ、ありがとうな」
「うん…」
俺は逃げるように島百合の前から立ち去った。どうやら島百合は俺に対して好感を持っているようだ。違う。俺はお前によく思われるような人間じゃないんだ。酷いやつなんだよ。
俺は歩く足が速くなるのを自覚しながら家を目指した。
「あ、母さんに委員会無くなったって言ってない…まぁもういいか」
家はもう目と鼻の先だ。家の敷地には母さんの車があった。
「…母さん帰ってきてるのか」
俺は家の中に入った。母さんの靴、紗奈の靴、そして俺のものでは無い男物の靴があるのを見つけた。当然父さんのものでは無い。父さんは今海外に単身赴任で仕事に出かけているのだから。じゃあ誰の靴だ?その疑問に至るのは必然の結果だった。
俺は音を立てないように家に上がった。
【あとがき】
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