第83話 凶獣


小難しい話が続いて肩が凝ったのか、フェラクリウスは首をゴキゴキ鳴らし一息ついた。


「用件はこれで全部か」


「いや、もう一つ…」


鸞龍ランリュウが言いかけた瞬間、屋敷に一人の使いが駆け込んできた。


鸞龍ランリュウ様!

 跳虎チョウコについてご報告が届きました!!」


使いは侍女のいない屋敷を不審に思ったのか各部屋を手あたりしだい探して回る。


客間だ、という鸞龍ランリュウの呼びかけに応じてようやく四人のいる部屋に現れた。


使いの若者は珍しい北と内側からの来客を見て一瞬言葉に詰まる。


「あ、ご来客でしたか。あの…」


「ここでいい。

 どうした?」


鸞龍ランリュウは優しい口調で若者に「どうぞ話なさい」というジェスチャーをして促した。


跳虎チョウコがまた移動を始めました!

 北上し、三日後には湖紗ゴシャへ到達するとの事!!」


「うん」


「腕自慢の猛者たちが多数、

 名を上げるため跳虎に挑み返り討ちにあっています!」


「うん。ひとまず湖紗ゴシャから兵を出して、

 一般人を近づけないように。

 討伐は少数で行うから兵たちも接近禁止。

 超越者ちょうえつしゃを選定したら、改めて使者を出すよ」


さらさらと筆を滑らせあっという間に書簡を書き上げると、鸞龍ランリュウはそれを若者に託した。


書簡を受け取った若者はすぐに屋敷から飛び出して行った。


「…跳虎チョウコとはなんだ?」


若者を見送ったばかりの鸞龍ランリュウに、フェラクリウスが問う。


「或る虎の名だよ。それもただの虎じゃない。

 魔法によって特殊な魔力を合成させ

 筋力を強化する能力を得た化け物さ」


「動物にまで作用させられるのかよ…」


魔法の用途の広さに、カートは改めて脅威を覚えた。


「自らの才能に溺れた愚かな研究者によって

 生み出された産物だ。

 野放しにしておけば人々の暮らしだけでなく

 生態系にも影響が出る。

 可哀相だが国を管理する者として

 始末しなくてはならない」


フェラクリウスがテーブルに身を乗り出した。


「そいつはどこにいるんだ?」


跳虎か?と聞き返すも、フェラクリウスは首を横に振る。


「跳虎を生んだ研究者だ」


「もういない」


即答した鸞龍ランリュウの暗く冷たい眼差しがフェラクリウスの視線と交差した。


一瞬の緊張感が客間に走る。


「殺したのか?」


「結果的にね」


「殺すつもりはなかったと?」


「大人しく全部吐くなら」


…拷問か。淡々と話す鸞龍ランリュウはこれまで見せた事の無い無機質な表情をしていた。


「…好きでやってるわけじゃない。

 無感情になった方がいい事もある。

 国を守るためにはね。

 気に入らない?」


「事情を知らない俺が口を挟む問題ではない」


客人の返答に、家主は微かな笑みを浮かべた。


「さて、それで…」


「俺が行こう」


話題を変えようと切り出した鸞龍ランリュウの言葉を遮って、フェラクリウスが名乗りを上げた。


「…跳虎討伐に?」


思わず聞き返す。


「超越者を探しているのだろう」


「…アナタは客人だ」


「腕を治してもらった恩がある。

 魔法の情報についてもな」


それは違う。治療と情報はヘルスメンからの条件であり俺に恩を感じるべき事ではない。


そう説得するも、フェラクリウスは頑として聞かない。


しかし鸞龍ランリュウもなかなか申し出を受けようとはしなかった。


「気持ちは嬉しいが、

 ではお願いしようとは言い難い。

 相手は悪人じゃない、動物だ。

 それも人間の悪意によって生まれた被害者だ。

 後味の悪い狩りになる。

 これはアンの人間が行った愚行であり、

 アナタが手を汚す必要はない」


「…俺では不足か?」


真っ直ぐな眼差しが鸞龍ランリュウを射抜く。


「…アナタなら勝てる」


「ならば任せてくれ」


鸞龍ランリュウがふうと息を吐く。こうも固持されては説得のしようもない。


「それではお言葉に甘えよう。

 案内人を用意する。

 東に二日進めば湖紗ゴシャに着く。

 そこで跳虎を迎え撃ってくれ」


「俺が案内しましょっか」


長い間ずっと黙っていた赤い友人が役割を買って出た。


普段飄々としていて掴みどころのない男だが、意外に空気の読める男である。


だが彼の申し出を鸞龍ランリュウは拒否する。


「お前は休暇だ。

 久々の故郷、ゆっくりしてくれ。

 案内人は別で手配する。

 アナタの場合、男でないと駄目だったね」


鸞龍ランリュウがフェラクリウスの困った習性に理解を示す。


「女性でも構わない。

 こんな俺の性癖に引かないような

 二十代黒髪の、見た目は清楚系

 中身はちょいビッチ入った軽めの女の子ならな」


「そんな娘はいない。

 男を用意する」


「うむ」


さりげなく出会いを求めてみたつもりだったようだが、はっきりあしらわれた。


久々に味わうフェラクリウスのみっともない姿に、カートは顔を覆った。


「あ、そうだ鸞龍ランリュウさん。

 こいつ、馬に乗れないんだ」


「聞いている。ここに来た時のように

 馬車を用意するよ」


「よし、じゃあ俺たちも準備するか」


カートが立ち上がり、グッと身体を伸ばす。


閉塞感のある山道を移動するだけで一週間。


ようやく開けた土地に出られたのだ。


また馬車での旅になるが、アンの景色を見て回るのにも丁度いい。


そう思っていた矢先、唐突に彼は鸞龍ランリュウに呼び止められた。


「カート。君はここに残らないか」


どういう事かと振り返る。鸞龍ランリュウは優しく微笑み、先程言い損ねた最後の用件を告げた。


「君さえよければ、

 ここで魔法の使い方を教えよう」

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