第80話 果報を寝て待つ


暗い月の夜だった。


アンの王都湊晶ソウショウ。王宮内の庭園。


月明かりの乏しい中を歩く一人の文官。


白い鶴氅衣かくしょういが淡い月の光に輝いた。


そんな神秘的な美しさを放つ中性的な男に、逞しい体つきの武官が近づく。


鸞龍ランリュウ殿」


声をかけてきたのはアンの将軍法翼ホウヨクであった。


着物を着崩したラフな服装だが、腰には剣を差している。


「剣も帯びずに夜歩きですか。

 不用心ですな」


鸞龍ランリュウはくすりと微笑み頭を下げた。


「もっとも、あなたには剣など必要ありませんかな!」


自分で言って自分で笑う。法翼は豪快な武人であった。


「法翼殿こそ、おひとりでどちらへ?」


「ただの酔い冷ましです」


そう言って法翼はぐーっと体を伸ばした。


「では、一緒に見に行きませんか?

 獲物がかかっていればよいのですが」


鸞龍ランリュウは妖しい笑顔を浮かべると、真意を告げずに法翼を誘い出した。




兵舎の裏に、まんまと“獲物”がかかっていた。


丁度月明かりの影になっている暗がりに一匹の“けだもの”がのたうちまわっている。


見ると、全身に白と黒の二色縄が巻き付いて身動きが出来ない様子だ。


「これは…誰だ?

 こいつを縛った者はどこにいる!?」


即座に剣を抜こうとする法翼の右手をスッと抑えて、鸞龍ランリュウが静かに伝える。


「“操氣術”です。

 外側からこの窓に手を触れると

 俺の術を帯びた縄が侵入者を捕縛するよう

 仕掛けておきました」


「侵入者だと…!?」


「まぁ、抑えて」


鸞龍ランリュウが“獲物”の荷物を検める。


茶色く汚れたボロ布の中から、酒瓶と、桃が三個。他には何も持っていない。


侵入者の正体が単なる盗人である事を確認し、幾つか質問を投げかけた。


「一昨日昨日もここで

 残飯を食ったな?」


「はい!」


盗人はまるで悪びれる感じもなく元気な声で答えた。


「何故王宮に?」


「街で町人から盗むよりも手軽に取れると思ったからです!」


それを聞いた法翼が釈然としない顔で割って入る。


「馬鹿な。なぜ町人より

 見回りの厳しい兵舎の方が

 手軽に盗めるのだ」


初めは「なんとなくです!」とはぐらかした盗人だったが、「思ったことを言え」と鸞龍ランリュウに諭され自分の考えを口にした。


「町人は自分たちで働いて手にした食料には

 ものすごく気を遣っています!

 兵は自分たちよりも

 お偉いさんの警備に気を回しています!

 また、見回りの時間も決まっています!

 見回りのルーティンさえわかれば、

 わざわざ自分たちの食い終わった残飯に

 気を回す者は少ないと考えました!」

「酒はかめから汲みました!

 桃はたまたまそこになっていたので

 盗りました!」


正直でよろしい。と、鸞龍ランリュウが青年を褒める。


「この男の理論が正しいかはともかく、

 王宮に自由に忍び込んでいたのは事実。

 盗人なりに経験から学んでいるのでしょうな」

 

「それで鸞龍ランリュウ殿はなぜわざわざ罠を?

 見回りの兵を使えばよかったのでは」


法翼の疑問に、くすりと微笑みながら答える。


「兵に言いつければ

 こいつは昨日とは違う違和感を察知して

 盗みに入るのをやめるでしょう。

 俺なら気付かれずに罠を仕掛けられる」


「びっくりしました!

 縄が勝手に動き出すなんて

 見た事ないですもん。

 でも、覚えました!」


次は捕まりません。そう言っているとしか思えない口ぶりであった。


そのまんま“盗人猛々しい”青年の態度に、法翼は腹を立てた。


「わかったもういい。

 あとは俺がやろう」


そう言って法翼が帯刀していた剣をすらりと抜く。


「どうするつもりです?」


「斬り捨てる」


マジですか!?と盗人が慌てるも、縄に締め上げられて逃げられない。


何とか逃げようともがく様はまさにまな板の上の魚であった。


鸞龍ランリュウは口元に手を当て法翼へと視線を流す。


「殺すほどの罪ではないかと」


「殺す理由ならある!」


法翼は動けない盗人の脂ぎった前髪をがしっと掴みあげた。


「見てくれ!この男の瞳を!

 これは金瞳きんどうと言って

 不吉の象徴なのだ!」


薄汚れた顔の盗人の瞳は美しく金色に輝いている。


「この男が王宮に出入りしている事自体が

 不運の兆し!アンに何かが起こる前に

 斬ってしまおう!まだ間に合う!!」


いきり立つ法翼に向けて、鸞龍ランリュウは手の平を突き出し静かに、しかしはっきりとしたトーンで彼を制止した。


「そういう理由であれば

 おやめください」


「なにっ!?」


「金瞳だから凶兆だとか

 月が太陽を食うと国が亡ぶとか、

 俺はそういう根拠のない迷信を

 国民の意識から取り除くことを

 一つの目的としています」


「しかしこいつは…」


「俺にチャンスをください。悪いようには致しません」


鸞龍ランリュウは法翼に頭を下げた。


「軍師殿にそこまでされては…」


法翼がしぶしぶ剣を納める。


「ご安心ください。ただで逃がすつもりはありませんよ」


その一部始終を見ていた盗人は、命が繋がった事にほっと息をついた。


だが、鸞龍ランリュウが突き付けた条件は決して易しいものではなかった。


「一週間。

 お前に指名手配をかける。

 追手から逃げてみせろ」


兵は全力でお前を探す。捕まれば、お前の身柄は法翼殿に渡す。


厳しい口調でそう申しつけた。


「一週間後の晩、遅れずここに戻ってこい。

 それが出来たら指名手配は解いてやる」


盗人はウンウンと何度も必死に首を縦に振る。


「俺は何の手助けもしない。

 出来るな?」


鸞龍ランリュウは盗人の縄を解き、体を自由にした。


「へえ、お任せください!」


「行け」


威勢よく飛び出していく盗人の青年。


法翼はその背中を見て呆れたようにため息を吐いた。


「戻ってくるわけないですよ」


「それでもいいではないですか。

 もう殺す気も失せたでしょう?」


鸞龍ランリュウが微笑む。


「無抵抗の人間を斬って呑む酒はまずい。

 さあ呑み直しましょう、付き合いますよ」


一度はむうと口をへの字に曲げて黙ってしまった法翼だったが、酒という単語に反応してすぐに気を良くしたようだった。




一週間後。


法翼を連れて鸞龍ランリュウは兵舎の裏へとやってきた。


そこには既に泥だらけの、一週間前よりもずっと汚らしい身なりになった盗人の青年が座っていた。


「…どうやって逃げ切った?」


法翼は信じられないという顔で声を震わせた。


「そこで寝てました」


盗人が指差す先には背の低い木の茂み。


見回りのルーティンで一時的に手薄になるとはいえ、兵舎の周りには人が多く集まる。


「あんなところで寝ていて気付かれないはずがない…!」


「バレなかったっす。

 土に埋まってましたから」


いっ…!?と、法翼は思わず声を漏らした。


茂みに埋まる低木はアンの建国後に植えられたもので、根巻ねまきされていて簡単に掘り起こせる。


土を掘り起こし、その上にもう一度木を被せてずっと横たわっていたのだという。


「一週間…か?」


「ええ、まぁ…。体痛いっすけど」


盗人はバキバキと肩を動かして関節を鳴らした。


ただ寝ているだけで、一週間。逃げ回るよりよっぽど体に堪える。


しかし、幼少期から差別に晒されながらもしぶとく強く生きて来た金瞳の青年は、耐え忍ぶ事には自信があった。


「一週間、飲まず食わずで

 ただ寝ていたというのか?」


「一週間なら水だけで生きられますよ。

 ま、俺はほら、お弁当もあったしね」


法翼は桃と酒の事を思い出した。


ハッとして鸞龍ランリュウの方を振り返る。


縄を解いた後、彼がこっそり手渡していたのだ。


「ね、ちょっと面白いですよね。

 この男」


鸞龍ランリュウが法翼に微笑みかける。


「ただの怠け者だろう…」


「でも、もう嫌いじゃないでしょう?」


…悔しいが、確かにそうだ。


へへっと卑しく笑う泥だらけの男に愛嬌を感じてしまった。


「お前、名前は?」


改めて鸞龍ランリュウがその名を問う。


「姓はありません!名はセキと名乗っています!!」


青年は威勢よく跪いて兵士の真似をした。


「姓はあった方がいい。

 俺のをやろう。

 今日より鸞赫ランカクと名乗れ」


突然の賜与しよに、セキは思わず顔を上げて鸞龍ランリュウの顔を見た。


鸞龍ランリュウは月を背負い優しい笑みを浮かべたまま跪くセキを見下ろしている。


鸞赫ランカク、俺に仕えろよ」


名を鸞赫ランカクと改めた泥だらけの青年は、不敵ににやりと笑った。


「…その言葉を聞くために、

 俺はここで待っていたのです」


彼が後に鸞龍ランリュウ直属の諜報員“千里眼”となる男、ヘルスメンであった。

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