第10話 何者




「おそらく、今回長官に呼び出されたのは昨日の件––––––––––清水さんと高校での出来事の詳細について、と言ったところでしょうか」


 樋口は現在の状況を簡潔に説明した上で、その回答を船坂に求めた。


「逆に聞くけどなァ、それ以外にあるかよ」


 至極真っ当な質問として聞く樋口であったが、それとは裏腹に船坂は実に不機嫌そうに返答する。


「今日はまた普段より機嫌が悪いですね。船坂は彼に対してあたりが強くないですか?」

「当たり前だろうがっ! てか呼び捨てすんな!」

「なぜです?」


「あ?」そう言って船坂は歩きながら、一瞬後方にいる樋口に方を見ると、再び前に視線を戻す。


「なぜ、彼に対してそこまで嫌悪感を抱いているんですか?」

「……単純に嫌いなんだよ。クソったれが何があったか知らねえが、自分は悲劇のヒロインです。みてぇな顔しやがって。そのくせ、長官が自分の恋人だとか言って、わけわかんねえ!」


 船坂は苛々した感情を表に出しつつもそれを発散するようにして、自らの髪の毛をクシャクシャと掻きむしった。


「はい? 待ってください。長官がそんなことを……?」

「なんかの間違いだろ。それも含めて長官を問いただす」


 船坂がそう言い終えるなり、まるで説明不足を補う催促をするが如く、樋口は鈴鹿の方を向いて視線で訴えた。


「田村麻呂さんが勝手に言ってるだけです」


 鈴鹿は間髪いれることなくそう答える。これは何も間違っていないはずである。屋上で助けられ、プロポーズされ、いつの間にかそれが強制的に履行されていた。

 これに関しては鈴鹿自身も全く意味がわかっていなかった。


「一体何をお考えなのでしょうか。長官は」


 溜め息をひとつ吐く樋口。それとほぼ同時に3人は目的の場所に到着する。


「着いたぞ。ここが長官の執務室だ」


 そう言いながら船坂はドアをノックすると、中から「入りたまえ」と田村麻呂が返答する。それに合わせて、彼はドアを開けた。


 「あの、今回呼ばれた件は……」鈴鹿がそう口にすると、田村麻呂はそれを制止する。

「今回の件において、昨日征伐された鬼––––––––––化野愛花については評定での発表を以て解決した」

「では、なぜ私たちが呼ばれたのでしょうか」


 田村麻呂の発言に対し、樋口は挙手することで発言の許可を得た後に、そう切り返した。


「君たちを呼んだのは、清水鈴鹿くんの処遇とその身柄の保障についてだ」

「はい……?」


 鈴鹿は思わず首を傾げて疑問の念を漏らす。処遇……? 身柄の保障……? このときの鈴鹿の頭によぎったのは、それらの単語の意味についてだった。


「単刀直入に言おうか。まず鈴鹿くんだが––––––––––––––––––––身体の組成の半分が【夷】であることがわかった。」

「「「–––––––––––––は……?」」」


 今までバラバラだった3人の息がこの時初めて、1つに重なった。

田村麻呂の突拍子もない発言に対して船坂と樋口の2人は共に唖然としたまま、何かしらの反応を示すことができなくなっていた。


 しかし、鈴鹿はこのとき3人とは違うことに意識を持っていかれていた。それは、田村麻呂の発言のことだ。

 もし仮に彼女の発言が真実だとして、鈴鹿の中に存在するのは–––––––––ルイだ。


 つまり、田村麻呂はルイが化野愛花と同じ【夷】だとでも言いたいのだろうか。

 もう何が起こっても動じないつもりであったが、鈴鹿のひたいには感情が揺らいでいる証拠たる一筋の冷たい汗が滲んでいた。


「その件について、主に樋口くんと鈴鹿くんに話があってね」


 部屋の中に充満していた驚愕と沈黙の空気を晴らしたのは、田村麻呂であった。

 彼女が先ほどの言葉を次の話へと繋げようとしたその時、船坂が静かに挙手する。


「何かな?」


「それは……つまり、こいつを【俘囚ふしゅう】として幕府で雇うと。そういうことですか……?」


 淡々と話を進めようとする田村麻呂。船坂もそれに呼応して、極めて冷静に彼女がこれから言おうとしていることを端的に述べるが、その声は低く、微かに震えていた。


「話が早くて助かるよ。船坂くんの言う通り、鈴鹿くんを【俘囚】として受け入れることが【評定】で決定した」

「待ってください、フシュウ? それにヒョウジョウってなんですか……?」


 田村麻呂の発言を遮り、鈴鹿が質問を投げる。当然と言えば当然だろう。次々に飛び交う単語の数々。これらが詳しく何を指しているのか鈴鹿はに分からなかった。単語の意味について知らなかったのではない、分からなかったのだ。


「【評定】は【幕府】の上層会議、【俘囚】ってのは幕府に帰属した【夷】のことだ」


 鈴鹿の質問に対して回答したのは、意外にも船坂であった。間髪入れずに回答する船坂の声からは、話を遮るなということを暗に言っているような圧を感じさせた。


「ということは、ここでは僕以外にも【俘囚】が、似たような存在がいるということですか……?」

「少し違う。幕府に属する【俘囚】は完全な者……つまり、鈴鹿くんのように半分が【夷】という存在はいない。君はかなりイレギュラーな例なんだ。だから【評定】は本部での保護監督を条件に、君を受け入れることを承諾した」

「––––––––––––––納得いきませんっ!!」


 声を上げたのは樋口であった。

 説明を続ける田村麻呂に対し、鈴鹿と船坂は分からずも納得せざるを得ないといった心持ちで耳を傾けていたが、その間にずっと沈黙を守ってきた樋口が声を荒げて異議を唱える。


「【俘囚】の指揮監督や諸事情は【奥羽探題おううたんだい】の管轄のはずですよね!? どうして、【幕府】本部なんですか!」

「おい、樋口……事情はわかるが、お前もわかるだろ? 長官が言ったようにイレギュラーな例なんだ。本部での保護監督は仕方がない」

「……っ! でも、私は……私は【夷】とは歩み寄れません!」

「……」


 声を荒げる樋口に対して船坂がこれを諫めようと試みるものの、依然として樋口の感情の高まりが収まる様子はなく、ただ俯きながら唇を噛んでいるだけだった。


 おそらく樋口には何かしらの過去や事情があるのだろうと、鈴鹿は思う。

 それだけの納得してしまう理由が当の鈴鹿にもあった。化野愛花。その理由と樋口の事情を語る上では、この名前を出すだけで十分であろう。そのことを考えると、鈴鹿にはかける言葉がなく、黙っているしかなかった。


「それにね」凍てつくような空気感の中、田村麻呂が話し始める。

「鈴鹿くんについてはそれだけじゃない。彼はボクたち【夷伐者】と同じく英雄の名を冠する存在だ」

「「!?」」


 船坂と樋口がまるで雷に打たれたような衝撃を受けた反応を見せる。文字通り驚愕であるが、鈴鹿はイマイチ何を話しているのか把握しかねた。


「待ってください……それじゃあ、彼は–––––––––––––」

「そう。自身の冠する英雄としての名前が不明な存在だ。ボクが昨日さくじつ高校に赴いて鈴鹿くんを保護して連れて行ったのも彼の性質が理由かな」


 「さて」田村麻呂が一息をついてある程度の説明ができたことを確認して、次の言葉に繋げようとする。一方で3人はこれからされるであろう言葉に耳を傾けて、固唾を飲んだ。


「本題に入ろうか。目下、【幕府】が課題とするところは日本三大怨霊の一角【平将門たいらのまさかど】を封じる【七星しちせい結界】及び、【山手線結界】の維持だ」


 言いながら、田村麻呂はまず最初に船坂の方を確認し、次に樋口、鈴鹿と順に視線を配り終わるとこう告げた。


「しかし、君たちには個別にやってもらいたいことがある。まず、船坂くんは2人の指揮監督代理を。そして清水鈴鹿くん、樋口琴巴ひぐちことはくん。君たち2人には、自分が一体なのかを突き止めて欲しいんだ」

「自分が何者か……ですか」


 発言を振り返ってみると、田村麻呂は鈴鹿は自分たちと同じように英雄の名前を冠すると言い、樋口もそれは同じらしい。自分がまさかそのような存在であったことに実感を覚えられないまま話は進んでいく。


 そもそも、田村麻呂の言う英雄の名前を冠するとはどういうことなのだろうか。【夷伐者】とは一体何者なのだろうか。疑問は増すばかりであった。


「あ、そうそう! 代理は船坂くんだけど、監督権はボクに属するから、鈴鹿くんに不穏な動きが見られたら、文字通り首を飛ばすから!」


 先ほどまでの緊張感のあった会話から一転、田村麻呂はまるで冗談でも言うかのように、笑顔で朗らかにそう告げ、困惑する鈴鹿は船坂と樋口の顔を徐に覗き反応を促すと。


「当然です!」

「当然だな」

「えぇ……」


 帰ってきた言葉はこれだけ。なんとも先の思いやられる気持ちであった。

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