滅んだ者、生き残った者

 三時間目は歴史の授業だった。

 担当教師は痩せ型の若い女。眼鏡の位置を直しながら、過去を学ぶことの意義をとうとうと語っている。


 ……なんの興味も湧かなかった。

 俺自身が歴史上の偉人だというのに、今さら何を学べと言うのだろう?


 そろそろ学校というものに飽きてきたかもしれない。

 さっさと昼休憩にならんかな、とあくびを噛み殺し、ぼんやりと黒板に目を向ける。

 瞬間――


「!」


 凄まじい衝撃が、全身を駆け巡る。

 眠気は一瞬で吹き飛んでいた。

 若い歴史教師は、神経質な女字でとんでもない文章を書いていたのだ。


『魔族の絶滅について』


 ……絶滅?

 ……絶滅。


 そういえば転生してから、まだ一度も魔族を見ていない。ただの一人もだ。 

 確かに前世の時代から、少数種族であったが……。

 

「ふん、死に絶えたか」


 同族がいなくなったからといって、悲しむような機能は持ち合わせていない。

 なぜなら魔族にとって同胞とはただの競争相手であり、憎むべき敵でしかなかったのだから。


 魔族が価値を見出すものは、たった三つ。強さ、美しさ、富だ。

 その全部を持ち合わせていなかった俺は、まだ幼いうちに親に捨てられた。

 兄弟はそんな俺を見下し、いい気味だと笑っていた。

 あんな連中、いなくなってせいせいするというものだ。


「辺境にお住まいだった方はご存知ないかもしれませんが、魔族は六百年前に一人残らず死んでしまいました。彼らは互いの領土を巡って争い、絶滅に至ったのです」


 ……ああ。

 それで現代は魔法の平均レベルが落ちているのか、と納得する。

 なんせ魔法を研究し、他の種族に伝授していたのは俺達魔族だったのだから。


 ろくでもない学校だと思っていたが、たまには役に立つこともあるようだ。

 田舎では手に入らなかった現代知識を身に着けるためにも、真面目に授業を受けてみようか。


 そんな風にやる気を出した矢先、それは起こった。


 昼休みのことである。

 フィオナと飯でも食うか、と教室を出たところ、いかつい連中に取り囲まれたのだ。

 

「お前が一年のエイデン?」

「ちょっと顔貸してくんねえかな」

「俺ら風紀委員なんだわ」


 筋肉質な金髪の男。釣り目の赤髪。人を殺していそうな目つきの黒髪。

 その人相で風紀委員は笑わせにきてるのか、と言いたくなるような集団だ。

 首元に目をやると、二年の襟章が付けてある。


 上級生か。


「飯がまだなんだ。手短に済ませろ」

「おーおーそれが先輩に利く口かねぇ」


 こりゃとんでもねえ新入生が来たなぁ、と風紀委員どもは笑う。


「俺らも別に、ルークの親友ってわけじゃねえけどさ」

「仮にも風紀委員の一員が一年……それも劣化元素なんかにやられたら、示しがつかないわけよ。俺らまで校内で舐められちゃうわけ。わかる?」

「っつーことで面貸してくんない? 顔に痣が付くぐらいで済ませてやっからさ。要はケジメってやつだな」


 お前ら、誰に喧嘩売ってるのかわかってるのか?

 俺は親兄弟ですら憎み合い、しまいには互いを食らい尽くした魔族の転生体だぞ?

 

「貴様ら人間は、生き残っている時点で甘ったるい。真の闘争を知らぬと見える」

「あ?」


 適当に身体強化魔法でやり過ごすか、と目の前の大男を見上げた。

 その時だった。


「そういやこいつ、姉貴が美人らしいぜ。A組にいんだとよ」

「マジで? そっちも呼び出してみっか?」

「こういう自分をサイキョーとか思っちゃってる馬鹿は、身内に手ェ出されたら大人しくなるっしょ」


 へらへらと笑う風紀委員達。

 ブチッ、と頭の中で何かが切れる音がする。

 

 フィオナに何をするつもりだ、こいつら。


 あれは俺の姉だ。俺の肉親だ。

 実の弟にすら石を投げてきた、前世の兄とは違う。俺のために泣き、俺のために笑う姉なのだ。


 それを貴様――


「気が変わった。死ね」

「あん?」

「貴様らは生きるに値しない。死ね」


 こいつプッツンしちまったみてえだな、と大柄な風紀委員が肩をすくめ、魔法を詠唱した。


「硬化! 悪いな一年、お前骨折じゃ済まねえぞ」


 硬化魔法?

 ならこの金髪は土属性か。この属性の適性は「育成」であり、防御力の強化なんぞは入門レベルの技術でしかないのだが、学院内では身体強化のプロフェッショナルと勘違いされている。


 どこまでも愚かな連中だ。


 身体能力の強化は本来、火属性の領分だというのに――!


「……炎人イフリートの加護よ、我が拳足を凶器と化せ」


 腰のひねりを使って、思い切り金髪の風紀委員を蹴り上げる。

 狙いすましたハイキックは、大の男を軽々と持ち上げた。


「ごぶっ!?」


 金髪男は窓に直撃し、ガラスを粉々に叩き割り――そのまま屋外へと飛び出していく。


「なんだこりゃあああああああああああああああああ!?」


 遠ざかる悲鳴、アーチを描く血しぶき。

 このまま学院の敷地外まで到達するかと思ったが、どうやら向こう側の校舎に突き刺さって停止したようだ。

 穴から飛び出した足が、ピクピクと痙攣しているのが見て取れる。


 硬化魔法を使っているなら、死にはせんだろう。

 別にくたばってしまってもいいのだがな。


「なんだこいつ……人間を小石みてえに、垂直に何ヤードも蹴り飛ばしやがったぞ……!?」

「調子こくわけだわ。重力制御系魔法じゃねえか今の? 多分こいつ、火属性じゃねぇわ。闇か空じゃねえかな」


 またそれか。

 どうしてこう、こいつらは火属性に負けることを認められないのか。


 俺は赤髪男と黒髪男の眼前に手のひらをかざし、「飢炎」魔法を唱える。

 

「さっさと食い死ね、下郎」


 言葉と共に、魔力を放出する。

 二人の風紀委員は一瞬だけきょとんとしていたが、やがて猛烈な勢いで涎を垂らし、倒れ込んだ。

 下腹部を抑え、血走った目でじたばたともがく様は、狂犬病にかかった野良犬だ。


「お、お前……何した……!?」


 赤髪の男は足元に落ちていた綿埃を舐め、空腹を満たそうとしている。

 黒髪の男は床に落ちていた髪の毛を、舌ですくって飲み込んだ。


 だが、そんなもので足りるはずがない。


 やつらは震える指で襟章を外すと、美味そうに丸飲みした。

 それが済むと、今度は風紀委員の腕章を取り外し、無我夢中でかじりついている。


「お前らが今食ったのは、誇りそのものなんじゃないか? どうした風紀委員? 自分で自分の身分証を食うのは、校則違反に見えるが。まずはお前ら自身を取り締まったらどうだ」


 二人の風紀委員は涙を流しながら、己の革靴にかぶりついている。


 がつがつと。ぐしゃぐしゃと。

 品のない音を立てて、咀嚼し続ける。


 何を食べるべきで、何を食べてはいけないのか。

 それを判断する能力は消え失せている。


 しまいには自分の手足すらご馳走に見え始め、文字通り食い死ぬこととなるだろう。


「……美味い……食べたくない……美味い……食べたくない……美味い……美味い……嫌だ……食べたくない……でも、美味い……があ、ぎ、ぐ……」


 嗜虐的な衝動が湧いてくる。

 どれだけ苦しめても足りない。何度殺しても足りない。

 全て奪い抜く。衣服も尊厳も生命も人格も、何もかも。

 貴様らの全てを殺し尽くしてやる。


 頭の中で炎が燃え上がる。

 絶え間ない怒りが、俺の思考を殺意一色に染め上げる。


 なぜここまで怒った? 

 憎いからだ。


 なぜ憎い? こいつらが俺を侮辱したからだ。

 ……侮辱。そんなものは前世の頃、何度も何度も受けたものだ。とうに慣れていたはずだろう。

 俺がこうなったのは――


 この男達が、フィオナに手を出すと脅しかけてきたから。


 じゃあ、俺は自分のためではなく、姉のために怒っている?

 

「?」


 なぜ姉が絡むと、そこまで怒るのだ? 


 ……フィオナに魔法の素質があって、将来の側近候補だからかもしれない。

 見た目も美しく、連れ歩けば気分がいい。あれは価値のある人材で、有能な部下となりうる肉親だ。

 だから俺は怒っている。そうに違いない。


 狂った風紀委員を見下ろす。

 既に人格の大半は燃え尽き、泣きじゃくりながら己の衣服に食らいつく餓鬼と化している。

 そうだ、そのまま死ねばいい。虫の死骸を眺めるような気分で観察していると、

 

「エイデン、お前何やったんだこれ?」


 背後から質問された。

 振り返ると、クラスメイトがこわばった顔で俺を見ている。

 確か……自己紹介で実家が肉屋だとか言っていた男子だ。


「こいつらの『食欲』に火を点けた。概念着火の魔法だ」

「な、なんだそりゃ……? とんち話みてえだな」

「これこそが火属性の真骨頂だ。目に見えないものを燃やすことにより、世界の法則すら書き換える。人の心を操ることも容易い」

「……凄えな。まさに天才のなせる技ってやつか」


 この程度で大げさな、と俺は息を吐く。


「ところでよ、その魔法はうちの親父でも使えるのか? 通行人の食欲に火を点けて、牛肉の売り上げ十倍とかも狙えるのか? 親父はローンを返せるのか?」

「六十年ほど真面目に鍛錬すれば、できるようになる」

「……その頃にはとっくに寿命が来てるな、親父……」


 肉屋のせがれが肩を落としたのを皮切りに、教室からワラワラと生徒が出てくる。

 おそらく入り口前で俺と上級生が口論していたので、怖がって出てこれなかったのだろう。

 クラスメイトは俺と風紀委員を指差して、好き放題まくし立て始める。


「エイデン君、なんで風紀委員と揉めてるの?」

「途中まで聞いてたけど、あいつらエイデンの姉ちゃんにちょっかい出すとか言って脅してたんだわ。自業自得だよありゃ」

「やたら校内でデケー顔してたからな、風紀委員は。いい気味さ」

「姉貴のために暴れたのか。やべーやつかと思ってたけど、案外いいとこあんじゃねえの」


 おさげ髪の女子生徒が言う。


「本当は優しいのかもね」


 ……優しい?

 待て、なぜそういう解釈になる。敵が憎いから痛めつけた。ただそれだけの話だ。

 それが人間の解釈だと、「身内を守るために奮闘している」になるのか?

 俺を劣化元素と侮りながら恐れていたくせに、たったこれだけのことが評価が覆るのか?


 意味がわからない。

 なぜこんな甘っちょろい思考の種族が生き残り、魔族が絶滅したのか。

 いくら同族間で殺し合っていたとしても、ここまで軟弱な生き物に後れを取るはずはないだろうに。


 呆然としていると、廊下の向こうからリリアが出てきた。

 銀色の髪を揺らしながら、とことこと歩み寄ってくる。

 

「……なんの騒ぎ?」


 リリアは無言で俺の前に来ると、地面を這う風紀委員に目をやった。

 それからまた、視線を俺に戻した。


「……説明して……」


 俺より先に、背後のクラスメイト達が騒ぐ。


「ルーク先輩が負けた腹いせに、エイデンに絡んできたんですよこいつら!」

「姉ちゃんに変なことするって言われたら、エイデンが怒ったみたいで。でも先に手を出したのは風紀委員ですよ」

「外に蹴り飛ばされた人もいるけど、一応生きてるみたい」

「これエイデン君が悪いんですか? 違いますよね?」


 リリアは感情がどこにあるのかわからないような顔つきで、淡々と頷き続けている。

 それはいい。そんなことはどうでもいい。

 問題はクラスの連中だ。


「お前ら、どうして俺を庇うような真似をするんだ?」


 俺の質問に、肉屋の息子はなんでもないことのように答える。


「そりゃ身内のために喧嘩するやつがいたら、普通はそっちの肩持つだろ」


 お前にとってなんの利益にもならないのに、それは普通なのか?

 大体こいつは、最初からおかしかった。高度な概念着火魔法を目にした時、真っ先に自分ではなく父親に覚えさせられないかとたずねてきたくらいだ。

 どうして自分自身ではなく、親のことを優先する?


 いや……おかしいのは俺もか……?


 前世の俺なら、風紀委員の三人はとっくに死んでいる。

 ルークの時もそうだ。なぜわざわざ、一瞬では死なないような手段ばかり選んでいるのだ……? 


 死人を出したら退学だなんて校則、本来ならどうだっていいはずだ。

 俺はこの学校を恐怖で支配するつもりだったから、むしろ誰かを殺した方が目的に適っているはず。


「……喧嘩両成敗が我が校の規則……」


 リリアはぼそぼそと呟くと、俺の袖をつまんだ。

 顔をリリアに向ける。


「……かがんで」


 ぼーっとしていたせいか、気が付けば俺は指示に従っていた。

 前かがみになり、視線の高さをリリアと合わせる。


「……めっ」


 こつ、と白い指で額を小突かれる。

 

「……風紀委員の予算は、百分の一に削る。エイデンに因縁をつけた二年生達は停学処分。これで一件落着」


 明らかに俺に対してのみ甘い処分を下すと、リリアは消え入りそうな声で囁く。


「……彼らはもう罰を受けた。エイデン、この子達にかかってる魔法を解いて……」

「……ああ」


 なにがなんだかわからなくなっていた俺は、言われるがままに飢炎魔法を解除する。

 正気に戻った風紀委員達は、ほうほうのていで逃げ出していった。



 この件をきっかけに、クラスメイトは普通に話しかけてくるようになった。

 どうやら教室内における俺の立ち位置は、「本当は情に厚いヤンキー」ということになったらしい。


 机の中には、女子からの手紙が何通か入っていた。

 どれも「もしよかったら文通してください」という内容だった。

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