古代の魔術師は常識を吹っ飛ばす
その日の夜。
普段ならば一緒のベッドで寝たがるフィオナが、珍しく別々に寝たいと申し出てきた。
いくら姉弟といえど、この年代の男女が枕を共にするのは異常だとようやく気付いたのだろう。
俺は姉の変化を好ましいものと考え、喜んで受け入れた。
幸いこの部屋はベッドが二つあるし、どちらかが床で眠る必要もない。
「おやすみ姉さん」
「おやすみエイデン」
ランプを消し、俺達は静かに眠りの世界へと身を委ねた。
それからの数日間は、慌ただしく過ぎ去っていった。
廊下ですれ違うたびにリリアが意味ありげな流し目を送ってきたり、マリアンヌが切なげな流し目を送ってきたり、それを見たフィオナが「エイデンは私のだから!」と半泣きで抗議したり、とにかく女達のせいで日常生活が困難に陥っていたのだ。
まあ本格的に学業が始まれば大人しくなるだろう……とタカをくくったまま入学式を済ませ、いよいよ今日は登校日である。
俺とフィオナは鞄を片手に医療科のある棟まで歩き、それぞれの教室が見えてきたところで別れた。
「うむ」
こういうのは第一印象が大事だ。
舐められたら終わりなのだ。
俺は教室の引き戸を開けると、堂々と名乗りを上げた。
「俺の名はエイデン。貴様らの主となる男だ。ゆめ忘れるなよ」
つかつかと歩き、自分の机に座る。19番と書かれた札が置かれていたため、迷うことはない。
鞄を横にかけ、椅子の上でふんぞり返る。
クラスメイトの反応はというと――。
「……あ、あいつが噂のエイデン? いきなり二年のルーク先輩とタイマン張ってシメたんだろ? 目ェ合わせんな、殺されんぞ!」
「でも火属性らしいぜ。なら強いのは最初の数ヶ月だけだって。早熟型で伸びしろゼロなんだから、学年が上がる頃には俺らに追い越されてるよ」
「劣化元素だもんな。ハハッ」
はん、こうでなくてはな。
魔族など所詮、疎まれてなんぼの種族。
こういう扱いの方がしっくり来るというものだ。
だからといって、大人しく馬鹿にされている俺ではないがな。
授業が始まれば顔色を変えることだろうよ……とほくそ笑んでいると、ガラリとドアが開いた。
「……ホームルームを始める……」
やってきたのは、銀髪紅目の小柄な女教師だった。
女教師といっても精々十三~十四歳にしか見えないので、少女教師と言うべき風貌だが――つまるところ、リリアが教室に入って来たのだった。
ゴシック衣装の女教師はコツコツとヒールを鳴らし、真っすぐに教壇へと向かう。
「……私がこのE組の担任の、リリア……」
生徒達は大慌てで着席を始める。
男子は「可愛い先生じゃん」と弾んだ声を出し、俺の隣に座った女子は「殺さないでください」な視線を向けてくる。
「……私の担当科目は、魔法工学」
リリアはぼそぼそと呟き、腋に挟んでいたボードを教壇に置いた。
「……まず、皆に自己紹介してもらう……」
学校というのは、こんなにかったるいものなのか?
これは授業カリキュラムなど無視して、独断専行で動いた方がいいかもしれん。
出席番号順に立ち上がり、つまらなそうに自己紹介を行うクラスメイト達。
あいつらもあいつらで退屈だろうに、よくもまあこんな茶番を続けられるものだ。
「……次、19番。エイデン・フォーリー」
リリアの紅い瞳が、俺に向けられる。教室中の視線が俺に集まる。
「俺はここに入って来た時、自主的に済ませた。飛ばせ」
「……わかった」
「それとな、廊下ですれ違うたびにすがりつくような視線を送ってくるのはやめろ」
「……気を付ける」
なんかあの先生、エイデンに対して妙に従順じゃね? と背後から声が上がる。
気にするな。今にお前達も俺に従うようになるのだから。
「……次、出席番号20番の子。立って……」
そうしてクラス全員の自己紹介が済むと、リリアは「……
背後の空間に切れ目を入れ、中から本を取り出している。
空間魔法の使い手となると、この女は
見た目の印象からてっきり闇属性かと思っていたが、わからないものだ。
「……じゃあさっそく、魔法工学の講義を始める。初日だし、基本だけ。……教科書の3ページを開いて」
教科書。
そういえばそんな読み物もあったな、と鞄の中から書物を引っ張り出す。
机の上に置き、指示されたページをめくる。
……なんだこの幼稚な内容は?
あくびが出そうなほど低級な魔法ばかり取り扱っているではないか。
こんなもの、前世の時代に出回っていたら子供向けの絵本扱いだ。
読むに値せんな、と本を閉じた瞬間、斜め前に座っていた男子が勢いよく立ち上がった。
尿意でも催したのか? と目を向けると、そいつが震えながら俺を指差しているのに気付く。
「き、君! さっきからその態度はなんだ! リリア先生に失礼だとは思わないのか!?」
「ほう?」
「君は劣化元素の火属性! なのに担任教師に偉そうな口を利くなんて、身の程知らずにもほどがある! あげく教科書もまともに読まないつもりかね! それでこれからの三年間をやっていけると思ってるのかい!? 君のような問題児が、学級運営を煩わせるのだよ!」
見れば男子生徒は、分厚い眼鏡をかけている。
一生懸命勉強して入学資格を得た秀才君、といったところか。
チラチラとリリアに視線を送っているところを見るに、素行不良の生徒を注意して点数稼ぎがしたいのだろう。
……少々リリアを見る目に熱が入りすぎているので、一目惚れした女にアピールする目的もありそうだが。
この眼鏡、幼く見える女が好きらしい。
「お前、あの女教師が俺にどうやって媚びるのか教えたら卒倒しそうだな」
「な、なんだと!? まさか君、リリア先生におかしな真似をしたんじゃないだろうな!? 火属性の分際で、麗しのリリア先生に……!」
「暑苦しい眼鏡だ。いいから座れ。あのな。俺は教科書を読む必要などない。この程度の知識なら生まれる前から頭に叩き込んである」
「……なんだ君、予習をしてきたのか?」
眼鏡男のレンズが一瞬、キラリと光ったように見えた。
「それじゃ、七属性の基本術式を言えるかい? ほら言ってごらんよ。教科書を見ずにそらで答えられるものなら! もちろん僕はちゃんと丸暗記してるがね? なんなら披露してあげようか? ははっ!」
「お前は大きな勘違いをしているようだな。そもそも魔法は七属性ではない、九属性だ。風属性と空属性、光属性と金属性を混同するのは初心者が陥りがちなミスだな」
「……九属性? 何を言ってるんだ君は?」
――それで合ってる、と鈴を転がすような声が響いた。
声のした方角は、教壇。
リリアが言葉を発したのだ。
「……エイデンが正しい。魔法は全部で九属性ある。世間では七属性と誤認されているけど、魔法学校ではその間違いを正すようにしている。といっても、二年生に上がってからだけど……」
こんなのは993年前の世界なら、一般常識と言ってよかったのだがな。
魔法が衰退しきった現代では、もはや専門知識として扱われているようだ。
「なっ、なっ、なっ……。馬鹿な……!? ガベリン村一の神童と呼ばれたこの僕が……学問で負けるだと……!?」
「田舎の神童など、自慢の種にもならん。理解したか? だったらさっさと席につけ、リリアが困っているようだぞ。お前今、学級運営の邪魔になってるんじゃないか?」
「ぐっ……ぎ……っ」
さわさわとクラスメイト達が囁き出す。
「あの劣化元素、入学前から二年並の知識があんのか。マジでなにもんだよ」
「不良っぽいのに勉強もできるの? なんかいいかも」
「今の眼鏡、二年に兄貴がいるらしいぜ。委員長やってるらしいけど、性欲の塊だって噂だ」
「確かにあの眼鏡、スケベそうな顔してるもんな。遺伝か」
「担任が美少女だったもんだから、エイデンをやり込めて格好つけようとしたんだろうが……。それで返り討ちはダセエわ」
眼鏡の男子は、羞恥と屈辱で今にも憤死しそうになっている。
ろくな知識もない身で、妙な見栄を張るからこうなるのだ。
「……授業を再開してもいい?」
無感情な声で告げるリリア。
教科書を胸に抱いてそわそわしているが、それが何の役に立つというのだ?
「リリア、お前もだ。いい機会だからついでに言っておくが、この教科書、三割近く内容が間違ってるぞ」
「……え……?」
どこ? と眉をひそめる担任教師に、淡々と指摘を続ける。
「12P。魔法の三大原理が『行動、気力、感情』になっているが、正しくは『行動、思考、感情』だ。また226Pにも記述の狂いがある。『空間魔法は、何もないところから収容スペースを生み出す技術です』だと? これは大きな間違いだ。あらゆる物質は内部に莫大な空間を秘めている。俺達は予想以上にスカスカの物質からできているのだ。そこに付け込むのが空間魔法なのだがな。お前、空属性なんだろう? なら今言った通りのイメージに切り替えてやってみろ。空気中を漂う微小な物体の中から、スペースを取り出すことを意識するのだ。そうすれば収納魔法はより強力なものとなる」
「……?」
何がなんだかわからない、といった様子でリリアは詠唱を始めた。
「……
リリアの背後に、巨大な時空の裂け目が出現する。
それは人の背丈の数倍はあり、教科書を取り出した時とは比べ物にならないサイズだった。
「……嘘……!? こんな簡単なことで、術式に改善が……!?」
普段は人形のように表情を変えないリリアが、目を白黒させている。
よほど驚いているようだ。
「……この件は、すぐに職員会議にかける。いえ、学会で発表する……! エイデン、貴方アカデミーから推薦状が来るかも。一瞬で魔法技術を数世紀も未来に進めたんだから……」
「は。お前なら知っておるだろうが。未来に進めたのではない。過去に戻してやったのだ」
「……貴方、どこまで底なしなの……?」
リリアは興奮した様子で教室を飛び出し、一時間目の授業は自習となった。
クラスの話題は「エイデンとリリア先生は付き合っているのかどうか」で持ち切りになり、眼鏡の男子はわけのわからないことを叫びながら退学届を書き殴っていた。
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