第96話 九尾狐

 九尾狐ナインテール

 それは通常の獣である狐が歪魔となった二尾狐デュアルテイルの、更に深化が進んだ個体のことだ。二尾狐デュアルテイルはほとんど獣の狐と変わらない非常に弱い歪魔であり、歪園内に於いてすぐに命を落としてしまう歪魔だ。もともとの個体数が少ないこともあってその目撃例は非常に少ない。


 深化が進むごとに尾が増えてゆき、それとともに寿命も伸びてゆく。

 そうして深化が進んだ結果、ごくごく僅かな個体のみが九本の尾を持つまでに達する。世界中を探しても滅多に見ることが出来ず、歴史を遡って見ても、目撃例はほんの数件。故に、もし目撃することが出来ればその者には幸運が訪れるなどとも噂される。


 九尾狐ナインテールの最大の特徴、それは彼等が『呪い』を操る存在だということだ。魔術や魔法と異なる『呪い』は、一切の魔素や魔力を操ること無く奇跡を引き起こす。


 過去、幸運にも九尾狐ナインテールに遭遇した探索士が、その個体を捕獲しようとした時の事だ。九尾狐ナインテールに近寄ろうとしたその探索士は、徐々に足が重くなり、酷い頭痛や目眩に襲われた。立つことさえ困難なほどの体調不良に陥ったその探索師は、しかしそれでも九尾狐ナインテールへと手を伸ばした。しかしその手が届くことは無く、そのまま衰弱死を迎えた。


 また別の例では、九尾狐ナインテールへと魔術による攻撃を仕掛けた者がいた。一級探索士であったその者の攻撃は、通常の歪魔であれば一撃で屠ることが出来るほどの威力であった。しかし魔術が九尾狐ナインテールへと届こうとしたまさにその瞬間、不可視の壁に阻まれる。驚きに目を見張っていた探索士は、直後に体調不良に陥りそのまま命を落とした。死因は当時流行っていた病による病死である。


 これらのことに加え、圧倒的に少ないその個体数から、九尾狐ナインテールについて理解っていることは殆ど無いに等しい。彼等の操る『呪い』について研究しようにも、見つけることすら困難な上に、捕まえる事が出来ないのだ。


 その存在だけはまことしやかに囁かれつつも、詳細が一切分からない歪魔。

 それが九尾狐ナインテールだ。


 そんな謎の存在が、今まさにユエ達の前で偉そうにしていた。


「我に勝ったというのに何だその姿は。情けない。あのような早いだけが取り柄の犬コロに、一体何を四苦八苦している」


 どうやらユエと面識があるような口ぶりで、わざとらしく溜息を吐いてみせる九尾狐ナインテール。言っていることは非常に尊大で腹立たしいが、その愛くるしい外見の所為か、どこか背伸びをしているように見えて何やら微笑ましく思えてしまう。

 しかしユエにはこのような歪魔と出会った記憶などまるで無かった。そもそも何故狐が喋っているのか、そちらのほうが気になる程だ。


「ユ、ユエさん?・・・知り合いかい?」


「いやいや!知らん、知らんぞ!こんな偉そうなモフモフの知り合いはわしにはおらんぞ!」


 そんな場合ではないと頭では理解しつつも、しかしアルスの口をついて出た言葉。そんな問いを、慌てた様子で否定するユエ。別に知っていたところで責められる訳ではないのだが、本当に心当たりのないユエは、何故か浮気がバレた亭主のような態度になってしまっていた。


「何・・・?貴様、我を忘れたと───あぁ、そうか。以前のものに比べて、此度の器は随分と矮小な姿だからか。成程、ではこれでどうだ?」


 そう言って何やら尻尾を振り回し始めた九尾狐ナインテール。随分と必死に尻を振っているものの、ただ愛くるしいだけでユエの記憶にはまるで響かない。


「どう、と言われてものぅ・・・モフりたい欲は高まっておるが、それ以外には特段何もないのぅ」


「ぬぅ・・・」


 その見た目からは感情が読み取りづらい。恐らくではあるが、九尾狐ナインテールが少し肩を落としたように見える。何を伝えたいのか要領を得ないが、ともあれ今はこの小動物に気を取られている場合ではない。

 小さな闖入者に対して多少の警戒を見せ、ここまでは様子見をしてくれていたものの、いつまでも敵がこの小動物とのコミュニケーションを待ってくれる筈もない。僅かな沈黙を破って厄災が踊りかかったのは、ユエ達ではなく九尾狐ナインテールの方であった。最も刈り取りやすい首から狙うのは狩りの鉄則であり自然の摂理だ。厄災からみて、ユエ達よりもこの小動物のほうが与し易いと考えたのだろう。


 片足を失っているというのに、先程までとさして変わらぬ速度で姿を消した厄災。瞬時に移動し、その爪が九尾狐ナインテールを無惨にも引き裂くかと思われたその時だった。


「・・・ん?」


 九尾狐ナインテールへと迫る厄災の前足が、見えない壁に阻まれていた。防御魔術にも似たそれは、しかし防御魔術とは強度が異なるようだった。その強度はまさに圧倒的で、フーリアが数十枚の障壁を用いても減速させるのが精一杯だったその攻撃が、九尾狐ナインテールへと届くこと無く弾き返されてしまう。たった一枚の、不可視の障壁によって。


「喧しいぞ犬コロが。これでは落ち着いて話も出来ぬ」


 愛くるしい姿とは裏腹に、言葉の端々から伝わる圧倒的な強者の雰囲気。ユエ達が散々苦戦したその相手を、さっさと片付けるなどと事もなげに言い放つ九尾狐ナインテール。この九尾狐ナインテールが一体何者なのかは未だ分からないままではあるが、このままではジリ貧になると考えていたユエ達からすれば、それは願ってもない事だ。そう思い戦いの様子を見届けるつもりでいたユエ達であったが、しかし現実はそう甘くは無かった。


「おい、わし。さっさとコイツを処理しろ」


「おぬしがやるんじゃないんかい!」


「何・・・?馬鹿を言うな。我はこれしか出来んぞ」


 そういって障壁を展開して見せる九尾狐ナインテール。誇らしげに尻尾を膨らませ、なんとなればドヤ顔をしているようにすら見える。尊大な態度をとっていた割に、どうやら攻撃手段は持っていないらしい。


「なに、多少の手助けはしてやる。故にさっさとしろ」


「・・・と、いうことらしいぞアルスにノルン。どうやら楽は出来ぬらしい」


「それは残念だね。とはいえ防御を任せられるというのなら随分楽にはなるよ」


「彼を。信じても良いものでしょうか?喋る狐など、怪しいを通り越して気持ち悪いのですが」


 アルスは素直に喜んでいるものの、どうやらベルノルンにはその愛くるしさが通用しないらしい。胡乱げな目で九尾狐ナインテールを見つめるベルノルンは、突如として現れた怪しい歪魔が信頼に足るかどうか、それが疑問のようであった。防御を任せるということは、命を預けることと同義だ。当然その分攻撃へと意識を割くことは出来るものの、それには信頼関係が必要不可欠である。


「失敬な。そもそも我は雌だ」


「な、なんじゃと・・・」


「いやいや、それどころじゃないから!来るよ!」


 厄災が狙うのは徹底して狩りやすい者からであった。身構えたアルス達の方ではなく、次は再度、アクラとイーナの方へと凄まじい速度で襲いかかる。当然、痛めた腕を抑えたアクラと、耳をやられたイーナでは攻撃を防ぐことなど出来るはずもない。アルス達からの距離も遠く、どう考えても間に合わない。


 しかし厄災の攻撃は、三度障壁に阻まれる。

 九尾狐ナインテールが『呪い』によって作り出す障壁は、魔術によるそれを、強度面で遥かに凌駕していた。更に有効射程も長い。距離にして30mは離れているであろうアクラ達のもとに障壁を展開出来るほどだ。防御という一点に於いて、九尾狐ナインテールのそれは魔術よりも優れている。


 攻撃を阻まれた厄災が再度姿を消す。

 どうやら初期の頃に行っていたヒット・アンド・アウェイを再び始めたようである。レイリを削ったことで大胆な動きが増えていた厄災であったが、怪しげな小動物が加わった事により警戒レベルを元の基準に戻したらしい。


「また追いかけっこに戻ったぞ!いい加減鬱陶しいのぅ!!」


「しばし待て」


 憤慨するユエを他所に、九尾狐ナインテールが何やらごそごそと動き始める。

 尻尾を左右に振ってみたかと思えば、背伸びをするように前足を伸ばして尻尾を高く突き上げる。傍から見れば巫山戯ているようにしか見えなかったが、本人の顔を見れば至って真面目そのものであることが理解る。


「『丑時参うしのときまいり』」


 そう九尾狐ナインテールが呟いた直後、厄災の速度が目に見えて低下した。およそ二割減と言ったところだろうか。元の速度を考えれば、それは余りにも大きな減速だった。


「おお!?なんか遅くなりおったぞ!」


「速度低下?凄いな・・・これが噂の『呪い』ってやつなのかな」


「好機。これならば今の私でも追いつけます。それに───」


 ユエ達が歓喜する中、もはや肉眼でも補足出来る程度の速度まで落ちた敵の手足の、その魔素による鎧の剥がれた部分を輝く光の柱が貫いた。


「これは・・・『銀の雪線フリーズ・ライン』か!」


 アルスが後ろを振り返れば、フーリアが息を切らせつつも魔術を行使している姿。今までは補足することすら出来なかったが、敵の速度が落ちたことで漸く魔術が使えるようになったらしい。


「長くは保ちそうにありません!」


 時間にすればほんの一瞬。

 銀の雪線フリーズ・ラインによって僅かとはいえ動きを止めた敵の身体を、間髪入れずにソルの拘束魔術が襲う。

 ソルが使用したのは『重縛グラビティバインド』と呼ばれる一級魔術。魔術によって作られた鎖が敵の胴体へと絡みつき、不可視の重圧によって敵が地面へと縫い付けられる。


「アルス!」


「分かってる!」


 この好機を逃すわけには行かなかった。骨折の痛みなど、頭の片隅からも追い出したアルスが駆ける。ユエもまた宵の柄を放り投げ、氷翼を腰から引き抜きアルスに続く。

 二人の攻撃は見事なものだった。

 互いが互いの邪魔をすること無く、片方が斬りつければもう片方がその隙を埋めるように斬りつける。まるで合いの手のように、交互に振り抜かれる剣閃が厄災の魔素を剥ぎ、肉を切り裂き、足を切り飛ばす。


「ノルン!とどめじゃー!」


「───ふッ!」


 上空から迫っていたノルンの、渾身の一突き。

 拘束され、もはや満身創痍となった厄災に、その一撃を躱す術など残されていなかった。ノルンの双剣による一撃は見事に敵の頭蓋を貫通し、もう片方の剣で素早く首を刎ねる。歪魔とは首が落ちたところで死なない者も存在するため、念には念を入れたというわけだ。

 敵に肉薄していた三人が距離をとり、そうしてたっぷり1分ほど敵の様子を見つめる。すっかり静かになったフロアの中、黒く濁った敵の瞳がゆっくりと光を失ってゆく。


 漸く訪れた終わりに、一行は大きく息を吐く。

 ユエは投げ捨てた宵の柄を拾い上げ、それを見つめ、しょんぼりとした様子で、しかしどこか安堵するように呟いた。


「寄って集って見栄えの悪い戦いじゃったが・・・どうにかなったのぅ」



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