2章 もう一人の…… ー<神域>、そしてー

♯26 小さなお嬢様と、女の戦い(?)に巻き込まれた



 アリシアを正式に乗組員クルーとして迎え入れた、その日の夕刻。カグヤはなんとか動き回れるくらいには元気を取り戻し、夕食の席に顔を出してくれた。

 それ自体はとても喜ばしいし、ボクもホッと胸を撫で下ろしたのだけれど……。


「あっ。だんなさま、口元にパンくずが付いちゃってるよ! わたしが取ってあげるね☆」

「え? あ、うん……。ありがと」

「(パクッ)はい、取れたよ☆」

「……って、今、取ってくれたパン屑を食べなかった⁉」

「知らないの? だんなさま。こういうときはね、こうするのが作法なんだよ☆」

「どこの作法⁉ 確かにラブコメのお約束ではあるけども! ボクとキミはまだ恋人同士でもなんでもないんだから、そういうのは自重しなさい!」

「そうだね☆ 『まだ』恋人同士じゃないもんね☆ こういうのはちゃんと恋人同士になってからだよね☆」

「一歩も譲らないなこのコ!」


『あれ』から、以前にも増してグイグイ来るようになっちゃったよ、このコ……。


「ほら、こっちの炒め物も美味しいよ! わたしが食べさせてあげるね。はい、あーん☆」

「じ、自分で食べられるってば」

「遠慮しなくていいんだよ? わたしとだんなさまの仲じゃない☆」

「どんな仲⁉」

「それをわたしの口から言わせようだなんて……だんなさまは意地悪だなぁ。わたしの初めてを強引に奪っておいてそれは無いよ☆」

「誤解を招くような言いかたをしないでくれる⁉」


 今、パリン! パリイン! って、食堂のあちこちで、動揺したオッサンたちが手に持っていた皿を落っことして割ってしまった音がしたよ⁉

 今の、この見た目十二歳くらいの女の子にボクが手を出したと思われちゃったよ絶対!


「誤解じゃないよ! だってあれがわたしのファーストキスだもん! えへへ☆ ねえ、だんなさま。挙式はいつにする?」

「だーかーらー! あのキスはボクの我儘わがままのせいでキミに無理をさせてしまったお詫びであって、まだキミと結婚するつもりは無いってば!」

「『まだ』ってことは、いずれはしてくれるんだね☆ やったぁ! 楽しみ☆」

「マジで一歩も譲らないなこのコ!」


 くっ……。やっぱ『あれ』はやりすぎだったか……。ついほだされてサービスしちゃったけれど、失敗だったかもしれない……。


 つーかそこのオッサンたち! ヒソヒソ話しない! 『まさかマジで手を出すとは……』『やはりロリコン……』じゃねーよ! だから違うって言ってるじゃん!


 あと、なんでそっちのオッサンはガッツポーズしてんの? ……え? 『船長と最初に恋仲になる女の子は誰かっていう賭けを仲間内でしていて、自分はカグヤに賭けていた』? 何やってんのアンタら⁉ そして髭面ひげづらさん、アンタはどうして床にくずおれてんの⁉ ……は? 『自分はルーナに賭けていた』? アンタも交ざってたの⁉ ルーナはまだ十歳だよ⁉ ……『十二歳も十歳もヤバいのは同じ』? 『大体、船長が最もでているのは明らかにルーナだし』? それとこれとは話が別じゃないかな⁉


「ちょっと待て、旦那様! 今のカグヤの発言はどういうことじゃ⁉」


 向かいの席で固まっていたツバキがそこでハッと我に返ると、ボクと、ボクの左隣の席に座っているカグヤを交互に見遣り、


「ま、まさか本当に接吻キスしたのか⁉」


 とテーブル越しに詰め寄ってくる。


「お、落ち着いてツバキ。接吻キスとは言っても、チュッって、軽ーく、触れるか触れないかって感じのヤツだよ」

「だとしても接吻キスしたことは事実なんじゃろ⁉」

「それは……まあ、うん」

「あのな旦那様、おまえさまがカグヤの『だんなさま』である以上、いずれ二人がそういうことをする日が来るんじゃろうなぁとは妾も思っとったぞ⁉ 夕べも寝床でその日が来ることを想像して枕を涙で濡らしとったし!」

「枕を涙で濡らしたの……?」


 まあ、名目上ツバキはカグヤの後見人らしいし、その日を想像したらちょっとだけ淋しくなっちゃったのかな? 我が子の結婚式でむせび泣く親みたいな心境?


「しかしじゃぞ、接吻キスはまだ早くないかの⁉ 妾、そーゆーえっちぃのはカグヤがもうちょい大人になるまで待つべきじゃと思う!」


 えっちぃって……接吻キスくらいで大袈裟だなぁ。


「だから深刻に考えすぎだって、あの接吻キスはあくまでお詫びに過ぎないんだからさ」

「じゃけども――」

「お兄ちゃんが実の妹とか、妹分の親戚の女の子とするチュウと似たようなモノだよ。スキンシップ感覚のヤツ。カグヤは妹でも親戚でもないけれど、ついにするのと同じ感覚でしちゃって――」

「「「「「「「ん?」」」」」」」


 ん?


「な、何?」


 なんでみんな……ツバキやカグヤ、ルーナまで、そんな狐につままれたような顔をしてるの?


「……旦那様、妹御いもうとごがおったのか?」

「いないけれど」


 今も昔も一人っ子です。

 素直で可愛い妹が欲しいなぁって昔から思ってました。


 優しいお姉ちゃんも欲しかったといえば欲しかったけれど、従妹アズサの家の神社でバイトしていた巫女さんたちがその役目を果たしてくれていたトコがあるから、どっちかというと妹のほうが欲しかったんだよね。


「…………じゃけども、今『アイツ』って」

「相手は妹じゃなくて二歳ふたつ年下の親戚だよ。母さんの妹に当たるヒトの娘さん。従妹いとこってヤツ。流石にお互い思春期を迎えてからはしなくなったけどね。でも、幼稚園とか小学校低学年くらいまでは子供特有の気軽さでチュッチュしてたからさ。年齢で言うと七、八歳くらいまでかな?」

「「「「「「「っ⁉」」」」」」」


 従妹アズサはなぁ……、ホント小さいころから我儘わがままかつ横暴だったんだよなぁ……。


 叔父さんと叔母さんに格闘術と薙刀術を教わるため毎日家にお邪魔していたボクに、なんとか構ってもらおう、自分と遊んでもらおうといつも必死で、でもボクに構ってもらえないとすぐに拗ねてしまって……。そんなときボクが『修練が終わったら遊んであげるから待っててね』ってご機嫌取りのチュウをしてあげると、たちまちニコニコになって、大人しく待っててくれたんだよね。……そういう意味じゃ扱いやすくもあったなー。いつの間にかアイツも一緒に修練を積むようになってたし、今じゃもう我儘かつ横暴なだけで扱いやすさの欠片かけらも無いけれど。

 たぶん今アイツにチュウなんかしようものなら、『この変態!』とか言われてパイルドライバーを喰らうだけだと思うし。

 ホントなんであんなに生意気に育っちゃったんだろ……。叔父さんとボクが甘やかしすぎちゃったのかなぁ。


 ボクがそんな感じの説明をすると、


「……………………スマン旦那様、ちょっと待っとってくれ」


 ツバキは言って、カグヤとオッサンたちを連れて食堂の隅へ移動し、円陣を組むように頭を突き合わせてヒソヒソと内緒話を始める。『今の話、どう思う?』だの『地球じゃそれが普通なのか? 文化の違いってヤツ?』だの『うーん……まあ、七、八歳くらいで、相手が親戚ならギリあり得る話か……?』だの『だんなさまがたまに無自覚イケメンになっちゃうのは、その従妹さんの影響もあるのかもしれないね……』だの、好き勝手言ってくれているようだ(バッチリ聴こえていた)。


 ……はて。

 今の話に、そこまで引っ掛かるようなポイントがあったのだろうか?

 思い返してみても、ボク、別に変なことは言ってないと思うのだけれど。


「うーん……?」


 誰かに確認しようと思って、斜め前、ツバキの隣に座っていたアリシアを見る。


 彼女はいかにも『興味ありません』といった感じのすまし顔で、こちらに一瞥いちべつもくれず、マイペースにアンモナイトとアサリのスープを啜っていた。


 が、ボクの視線に気付くと、ニコッとほがらかに微笑み、


「……まったく。どいつもこいつも、たかが接吻キスくらいで大袈裟よね?」


 と肩をすくめてみせる。


「イサ……船長が『あの接吻キスに深い意味は無い』って言ってるんだから、そんな大騒ぎすることないじゃないねえ? なんでわざわざ外堀から埋まりにいくような真似をするのか、私には理解できないわ」


 おお……。大人の余裕を感じるなぁ……。

 実際はツバキやオッサンたちのほうが年上のはずなのだけれど……。


 とか思ってたら、


「そうよ……接吻キスくらいなんだっていうのよ……先に既成事実さえ作ってしまえばこっちのモンよ……お母さんもそうやってお父さんを捕まえたワケだし……」


 よく見ると、スプーンを握ったその手はプルプルと震えていた。

 口のもヒクヒクと引き攣っている。

 さっきまであんなに朗らかに見えた笑顔が、今は怖い……。


「あ、アリシア……? どうしたの? 何か様子が変だよ?」

「なんでもないわっ」


 ほ、本当に?

 その割に、ボクを睨んでいるアリシアの目が、なんていうか……獲物を狙う狩人ハンターみたいに鋭いのだけれど。

 ひょっとして、目の前でボクとカグヤのイチャイチャ(?)を見せつけられて怒っちゃったのかな?

 でも、怒るのならボクじゃなくてカグヤにしてね。イチャイチャ(?)してきたのはあっちなんだからさ。


 と、そのとき。


 クイクイ。


 ボクの服の裾を、誰かが引っ張った。

 まあ、誰かとは言っても一人しかいないのだけれど。

 カグヤとは反対側――ボクの右隣に座っていたルーナである。


「どうしたの、ルーナ?」

「……あの。イサリさま。カグヤちゃんと本当に接吻キスしたんですか……?」


 じっ……と上目遣いでボクの顔を見つめ訊ねてくるルーナ。


 …………えーと…………。


 な、なんだろ、この気まずさは……。


「き、接吻キスって言っても、あくまでスキンシップ感覚のヤツだよ? もしくは外国のヒトが挨拶でするようなヤツ」

「でも接吻キスしたんですよね? カグヤちゃんの唇に」


 ……さっきツバキとも似たようなやりとりをした気がする。


「ま、まあ、そうなんだけども……」

「……わたくしにおやすみなさいのチュウをしてくださったときは、オデコにだったのに……」


 いや。

 そうは言うけども、本当はオデコにするのだって『いいのかなぁ……』ってメチャクチャ悩んだんだよ?

 キミはボクにとって『親御さんからお預かりしている、なるべく丁重に扱わなきゃいけないお嬢さん』だし。

 あのおやすみなさいのチュウは、キミが『いつもお母さんにチュウしてもらってから寝てるんです。だから代わりにしてください』っておねだりするものだから、仕方なくしてあげただけで。

 見知らぬ場所へ放り出され、家族と離れ離れになってしまったキミが不憫だったから、それで多少なりとも淋しさがまぎれるのなら……と、葛藤かっとうの末、キミのおねだりに応えることにしただけでさ。


 ……オデコにとはいえ、こんな幼気いたいけな女の子にチュウしてしまった時点で、警察のご厄介になっても仕方ないし、あのお祖父じいさんにぶっ飛ばされても文句は言えないよね、ボク……。


 だというのに、


「今夜はわたくしにも唇と唇の接吻キスをしてくださいね……?」


 なんかトンデモないことを言い出したぞこのお嬢様。


「い、いや、それは――」

「ダメよ」


 と、そこで会話に割り込んできたのはアリシアだった。


「お子様に唇と唇の接吻キスはまだ早いわ。アンタたちは同じ<漂流者>ではあっても、実の兄妹ってワケじゃないんでしょう? だったら尚更なおさらよ」

「……わたくし、子供じゃありません」


 ちょっぴり唇を尖らせて、珍しく不満顔になるルーナ。……けど、十歳で『子供じゃない』は流石に無理があるよ、ルーナ……。


「ふーん。子供じゃないんだ」

「はい!」

「聞いた話じゃあ、本当はツバキやカグヤと同室なのに、一昨日の夜も昨夜も『イサリさまと一緒がいいです!』って言い張って同衾どうきんしたんじゃなかったっけ? 大人なら、今夜からはちゃんと船長と別の部屋で寝られるわよね?」

「やっぱり子供でした」


 変わり身早っ。


「子供かぁ。じゃあやっぱり、船長と唇と唇の接吻キスはまだ早いわね」

接吻キスするときだけ大人になります!」


 無茶を言う……。


「ダメよ! どっちかにしなさい! さあ、どっちを選ぶの⁉ 子供だから今夜も船長と一緒に寝る⁉ それとも大人だからそれは我慢して、明日の朝おはようのチュウをちゃんと唇にしてもらう⁉ どっち⁉」


 なんで一緒に寝ることを我慢できたら唇へ接吻キスしてもらえることになってるの……。

 そんな交換条件、ボクは了承してないのだけれど。

 当事者抜きで話を進めないでほしい。


「むー……。わかりました! わたくし、今夜大人になります! そして明日の朝、起きたイサリさまに大人のチュウをしてもらいます!」


 だから言いかたァ!


「明日の夜以降はその日の気分で決めさせて頂きます!」


 しかもこのコ、日によって子供と大人を使い分ける気だ! 意外とちゃっかりさん!


「ふーん。……ま、いいわ。とりあえず今夜は別の部屋で寝るのね。頑張って(ニヤリ)」


 てっきりツッコむものと思ったアリシアは、しかし、そこはツッコまず『してやったり』という笑みを浮かべる。


「ひとまず邪魔者は排除……と。あとは今夜のうちに勝負をかければ……」


 なんだ……? アリシアはいったい何がしたいんだ……?

 何やらブツブツ呟いているけれど、意図が読めない。


「イサリさまっ。わたくし今夜大人になりますから! よろしくお願いしますね!」


 だーかーらー、そういうことを大声で言うのはヤメて!

 ほら、あっちで話し合いをしていたツバキたちがぎょっとして振り返ってるじゃん!

 絶対誤解してるよあれ! 顔が青ざめてるもん!


「旦那様⁉ どういうつもりじゃ⁉ まさか今夜ルーナと……⁉」

「そんな! 酷いよだんなさま、もう浮気するの⁉」

「落ち着きなさい、アンタたち。ルーナは今夜、大人の階段を昇ると決意した。それだけの話よ。ね、ルーナ」

「はい! 今夜はどんなに(淋しさで胸が)痛くても我慢します!」


 ざわ……

  ざわ……

   ざわ……


 あーもうメチャクチャだよ! どこからツッコんだらいいのかわからない!






 ……その後、みんなの誤解を解くのに小一時間を要した。


 そういえば、すっかり疲れ果ててテーブルに突っ伏していたボクの耳元で、先に席を立ったアリシアが、


「……あとで部屋に行くから」


 と小声で囁いていったけれど、何かボクに相談したいことでもあるのかな?


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