14.お延、安土へ行く
※本作は空想の歴史を書いたものなので、史実や実在の自称・人物・史跡とは全く色々微妙に異なりますのでゴメンナサイ。
※今回長めです。
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私はどこの生まれだか、親が誰だかも解りません。
気が付けば恐ろしい坊主達に叩かれ蹴られ、姉さん達が嫌な事をされる、恐ろしい寺にいました。
あの地獄みたいなな寺。
その比叡山が焼かれて、私達は謎のおじさんに助けられ、琵琶湖を挟んだ反対側に逃げました。
私達を助けたおじさんは私達に時に優しく、時に厳しくしてくれました。
山間の荒れた田畑をみんなで耕し、初めて食べる芋や豆を一緒に育て、とても美味しく料理してくれました。
初めての夕餉は、皆美味しくて泣きながら食べました。
私達はもう死ななくていい、叩かれなくていい、ここで生きていける。
そう安堵して泣きました。
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朝起きて朝餉を頂き、作物の世話をし、田の虫取り、雑草抜き、畑の水やり。
おじさんも私達と一緒にやりました。
陽が傾くと、深い井戸から湧くお湯で体を洗い、髪を洗い、綺麗になって夕餉を頂きます。
衣も柔らかく温かく、とても気持ちがいい。
夕餉を済ますと、おじさんは昔の話を教えてくれます。
壁に字を貼り、言葉の意味とそれにまつわる唐の国の話を教えてくれます。
皆笑い、聞き入り、感じ入ります。
いつしか田畑の仕事も慣れ、空いた時に紙を漉き、その紙に字を書き、読み方を習う様になりました。
更には数字を習い、数え方や足し引きまで教わる様になりました。
更には「私に殴り掛かれ」とか「私を投げ倒せ」とか無理を言ってきました。
怖くて泣き出すと、「ここを掴んで引っ張る、そして横に押すんだ。やってみろ」と優しく教えてくれました。
その通りすると、おじさんがたやすくころりと転がりました。
「お!お許しください!!」頭を土に打ち付けて謝ろうとすると、おじさんは頭を手で覆ってくれました。
「いつか、君達を襲う大人が来る。その時、君達は自分を護るんだ。その技を教える」
と、大人を投げる技を教えてくれました。
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時には村や町に色々な品物を求める事もありました。
その時、銭勘定をすると、村や町の人々は驚きました。
それを見ておじさんは
「やりすぎたか?」と顔を覆いました。
他の子が乞食の子供に施しを請われた時、その子は物乞いに向かって言いました。
「何でもいいから代わりになる物を出せ。
そうしたらこれは商いだ、施しじゃなくなる」
そう話し、道端の花を摘んで差し出しました。
その子は道端の地蔵に花を供えて
「俺の代わりにお供えを出した、これはそのお代だ」
と作物を与えました。
それを見ていたおじさんは、上を向いて頭を抑えていました。
仏様に祈っていたのでしょうか?
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それから数年。
私達は飢える事も凍える事もなく、冬に罹る病も軽く、誰一人欠ける事無くおじさんに育てて頂きました。
あの山寺にいた、地獄の日々がまるで嘘の様。
一緒に住む子供も、いつかの物乞いの子も含め10人も増えました。
それでも食べるのに困る事はありません。
時には山の獣の肉まで焼いて味噌や醤油に漬けて食べます。
姉さまもとても綺麗になり、
「どこかお大名の町でお侍さんに仕えて、娶ってもらうんだ!」
と笑顔で話してくれました。
「おじさんに娶って頂ければいいのに」
と言えば
「おじさんは恩人だけど年がずっと上だし、お顔が綺麗でないよ」
と。
姉さまは恩知らずだ。姉さまが来ている綺麗なお袖もおじさんから頂いたものなのに。
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ある日、何だか凄い荒々しい人が馬を走らせて 私達の小さな家に来ました。
おじさんは何だかとても渋い顔で、私達に田畑の世話に行く様言いました。
私は気になって、蔵に居ました。
時折、「今三蔵」「弁天わらし」「安土」「来ぬか!」等、気になる声が聞こえました。
ああ、あの荒々しい方はきっと偉い方で、おじさんを安土の町に呼び出して使える様命じているのでしょう。
おじさんは、私達にこの家や田畑を与えて下さるのか、一緒に安土に連れて行くのか。
するとあの人は、織田…右府(右大臣)様の使いの方?
私や姉さまや、皆を焼き殺そうとした閻魔の様な恐ろしい織田!
その夜、おじさんは皆に言いました。
「君達を比叡山から助けた時、こうなる事は解っていた。
私達は安土へ行き、他の貧しい子供達、飢えて死にかけている子供達を助けて育てる孤児院を開く。
みんなはここに残って田畑を耕すのもいい、私と一緒に行って安土で暮らすのもいい。
相手は君達を焼き殺そうとした織田だ。無理強いは出来ないが…」
「「「行く!!!」」」皆、話も終わらぬ内に答えました。
「よし、みんなは必ず私が守ろう。もうお構いなしだなあ!」
上機嫌になったおじさんはお酒を煽り、姉さまもその酒をねだっていました。
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安土の町は、京より賑わい、多くの人が行きかっていました。
そしてお山の上には金に輝く「天守」。
いずれ比叡山の様に焼け落ちるのでしょうか。
安土でおじさんは御城下の外れに「護児堂」という邸を建て、田畑を開きました。
そして私達と一緒に来た子達だけでなく、新たに連れて来られた子達と共に田畑を育て、読み書きを習いました。
勿論、武芸や料理、そして絵を描き歌を詠み…まるで殿上人の様な暮らしでした。
おじさんは言いました。
「今の暮らしは、あの安土の城におわす右大臣織田信長公より賜った金子によって守られている。
右大臣様のおわす限り、我等は織田の天下のために御恩を返さねばならない。
勿論最も大切なのはみんな一人一人の命だ。
みんなが自分の命を守れる限りの中で、右大臣様のために出来る事をしよう」と。
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比叡山から逃げて5年か6年が過ぎたでしょうか。
右府様が西国征伐に出立された後、おじさんが言いました。
「みんな、この手毬歌を憶えてくれ。
『ときはいま あめのしたしる さつきかな』
それを京までの道々で歌ってくれ」
おじさんの名前が時様?
「それは関係ないよ。足利将軍家の家臣の土岐と、その一族の事だよ」
私は山科でこの歌を歌って遊ぶ役になりました。
「娘。その歌、誰に聞いた?」
立派なお侍さんから聞かれて、おじさんから言われていた事を話しました。
「都の北から来た商人さんが言ってました。そろそろ梅雨で儲かるよって言いふらしていました」
「その商人、どこへ行った」
「坂本帰りって言っていました」
お侍さんは元来た道を引き返しました。
私は、とても恐ろしかった。
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迎えが来て、安土に帰るとおじさんは留守でした。
安土から侍が大勢出発して行きました。
みんな、とても怖かった。おじさんに、すぐ帰って来て欲しかった。
でも、帰って来なかった。
「帰ったよ」
何日も経ったある日におじさんが帰ってきた。
みんながおじさんに飛びつきました。
「ごめん、怖がらせたね。もう大丈夫だよ。
もうしばらく出たり帰ったりするけど3日程でいつも通りの暮らしに戻るよ」
「もうお出掛けしないで!ずっとここにいて!」
私は泣きながらおじさんに言いました。
おじさんは、私を抱きしめて
「おじさんがいない時はみんなのために戦っている時だ。
こうやってちょいちょい帰って来るから、待っていてね」
「嫌!もう怖いの嫌!ずっと一緒にいて!」
結局、私は一晩おじさんにしがみ付いて泣いた。
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それからおじさんは時々いなくなったが、朝と夜は戻ってきた。
そして数週間後。
安土に音楽が鳴り響く。
大きな、先が茶碗の様に大きく開いた笛を護児堂の楽好きの子達が鳴らし、右大臣様の行列を迎える。
その子達をおじさんが棒を振って笛の音を一つにまとめている。
馬の上では閻魔の右大臣と、穏やかなご嫡男様が皆に手を振って、大手門に入っていく。
何か凄いニコニコしていました。
あの閻魔の笑顔は少し恐ろしく思いました。
おじさんが言った「もう大丈夫だよ」と言った言葉の本当の意味は、後で知りました。
私はこの日から、私の一番大切な人の事を「おじさん」ではなく「時様」と呼ぶ事にしました。
これから、私が死ぬまでずっと、私は時様とお呼びする事にしました。
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※キーワードは明智光秀が謀反を宣言したと言われる(ホントかどうか異説あります)連歌会「愛宕百韻」の有名な句です。
カゴ直利先生の歴史漫画、再販されないかなあ…あれ山川の歴史用語集レベル5まで網羅してる逸品なのに。
※日本で洋風の管楽器が演奏されたのは、江戸初期にチャルメラ(チャラメーラ)が渡来したのが最初ではないかと言われていますので、本能寺逆転後に演奏しちゃったのは主人公による歴史改変です。
伴天連と一緒に渡来したのはオルガンとリュート、そして教会の鐘ですがこれも人々には新鮮に映った事でしょう。
現代風な軍楽隊の初上陸は、ペリーの楽団で、初演奏は米国家「星条旗」と、旧国歌の「ヘイル・コロンビア」他でした。
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