第6話 継承!誇り高き龍の魂


 銀龍は大量に血を流しながら、それと共に徐々に狂気と禍々しい魔力を霧散させていった。


(……覇滅龍の気配は消えた、か)


 戦闘は終わった。

 じゃが、ワシはしばらく残心を解くことができず、大地に身を横たえた銀龍の様子を注意深く伺っていた。


「……手間を掛けさせたな、人の子よ」


「お主、意識が」


 閉じていた眼を薄く開けて、銀龍は本来の深い知性を感じさせる声色で話しだした。

 ワシの一太刀を受けてしばらく身動きせずにいた銀龍だったが、じりじりと体を動かしながらゆっくり四肢に力を込め、巨体を起こそうとする。


「立つな、銀龍! お主、死んでしまうぞ!」


 体を動かしたことで傷口からは更なる鮮血が滝のようにほとぼしる。胸元を溢れる血で濡らしながらも、銀龍は微塵も弱々しさを感じさせることのない力強さで、しっかりと立ち上がった。

 ……龍というものは、これ程に誇り高いものか。


「く、くくく。もう良いのだ、人の子よ。もはやワレは助からぬ。……その剣を振るう者ならば、く知っていよう?」


「……っ!」


 銀龍はどこか満足気に喉を震わせ、笑った。

 ワシは、掌中の刀を強く握りしめる。


 神刀・天羽々斬アメノハバキリ

 剣豪ラゴウの蒐集せし神刀魔剣の一振り。

 前世での覇滅龍との最終決戦でもこの手に握った、世界最強の「」。

 「邪悪なる多頭龍の征伐」という伝承に謳われるこの刀は、【龍/竜】と名の付くあらゆる存在に対して圧倒的な優位性を持つ。その威力は、太古から生きる畏怖すべき龍神をたったの一振りで斬殺するという——まさに、全ての龍にとって「呪い」とも言うべき神刀。


(……この刀で斬られた龍は、絶対に死ぬ)

 

 銀龍の言う通り、ワシは、誰よりも深くその事を理解していた。

 ……かつて、ワシが剣豪ラゴウであった時、この刀の前の所有者によって付けられたほんの僅かな傷で友であった飛竜を失った。……あんな想いは、もう二度と御免ごめんじゃ。


「——その刀を抜いた事は、間違いではない。あのままであったならば、穢れに呑まれたワレは森の生命全てを喰らい尽くし、やがて麓の村々にまで牙を剥いていただろう。……ワレとて、それは望まぬ」


 苦々しい銀龍の声の中に、ワシは何者かに自我を奪われたことへの強い恥辱と憤怒の色を感じた。

 美しかった銀龍の鱗は、過度な魔術の連続行使によってところどころひび割れ、剥がれ落ち、無惨な有様になっている。自分の身体を破壊するほどの強大な魔力を制限なく解き放った結果が、銀龍の全身に痛ましいきずとして刻み込まれていた。……到底、通常の精神状態ではありえぬ。


「銀龍よ、お主ほどの存在に何があった?」


 ワシは、銀龍に問いかける。

 この森は家族の住む村に近い。

 かつて勇者と共に闘い世界の安寧を願った者として、そして今は近隣の村の一住人として。銀龍の身に降りかかった「凶事」に無関心ではいられなかった。


 ワシの問いに、銀龍は口調に怨嗟を滲ませながら応える。


「……五日前。突如現れた男がワレに向かい石火矢いしびやを放った。……胸に打ち込まれた鉄のつぶてワレの守護結界を容易く貫通し、鱗を砕き、骨肉を引き裂いた。……そして、その傷から『世界を喰らえ』という意思を持つ呪詛じゅそが溢れ、ワレの意識を押し流したのだ」


「…………!!」


 ワシの背に、ぞおっと怖気おぞけが走る。

 『世界を喰らえセカイヲクラエ

 それは正に、覇滅龍の意志そのもの。


 四百年前のあの時。

 封印されし亜空間で、剣豪ラゴウワシは確かに覇滅龍ラーヴァージャナを斬り、存在を討滅した。これは創世神であるミト様にも確認していただいている確かな事実じゃ。


(であれば何故!? 覇滅龍は滅んでいなかったというのか? もしや、ワシと同じように蘇ったか!?)


 いや、銀龍はこうも言った。

 見知らぬ男から『つぶて』を打ち込まれた、と。


「そのつぶて。……ワシがさっき斬った覇滅龍の気配はそれがみなもとじゃろうな。……一体何者なんじゃ、その男は。何故、時空の狭間で滅したはずの覇滅龍に繋がるものを持っておる?」


 銀龍は静かに首を横に振る。突然のことで細かいところは曖昧なのだという。その後すぐに精神汚染が始まったのだ、覚えておれずとも無理もない。


 下手人に繋がる何かしらかの手掛かりが欲しかったところだが、今これ以上銀龍を問いただしても有力な情報は無いと思われた。今は、銀龍をこのような目にあわせた卑劣な者がいる、という事がわかればそれでよい。いずれ、きちんと報いを受けてもらうが。


 だが、今はそれよりも大切な事がある。


「……そろそろ刻限のようだ。人の子よ、ワレはかつて、その剣を握った男と共に戦った事がある。……貴公によく似た眼をした、人間の剣士と」


「……覚えて、おったのか」


 そう。かつて剣豪ラゴウワシはこの山の銀龍と知己を得た事があった。

 人魔大戦の折、アトラスティカ山脈が戦場となった時に銀龍とワシら勇者パーティは種族の壁を越えて共に魔族と戦ったのじゃ。……今から四百年もの昔の出来事。まさかその時の龍が生き永らえて、ワシらのことを覚えておるとは。


 ワシが驚いた様子を見せると、それだけで銀龍には全てが分かってしまったらしい。


「——成程、魂は流転する、か。貴公もなかなか数奇な星の下に生まれているようだ。……ならば、我が魂もまた、次代へとなぐ事としよう!」


 銀龍は残された力を振り絞り、頭を天高く掲げ、一声高く鳴いた。


 龍という種族は魔獣でありながら精霊に近い存在である。それはつまり、肉体を持ちながら同時に精神生命体であるという事。

 高密度の魔力によって編まれた肉体は、魂魄こんぱくが離れる事によって再び元の魔力へとほどけ、世界へ環流していく。


 銀龍の身体は見る見るうちに光の粒子となって空気中に溶けていった。飛んでいった光の粒は魔力を奪われて赤茶けた地面に落ちると、一瞬にしてそこには草花が生い茂り、生命が息を吹き返した。摺鉢すりばち状に抉れていた地面はなだらかな平地へと戻ってゆき、倒れていた木々の間から新芽が天に向かって伸びていく。


「おお、なんと! 森が蘇ってゆくのじゃ」


 銀龍の命が、枯れた世界を再び生命で満たしてゆき、やがて森は元の平穏な姿を取り戻した。


 そして、その場には眩く光り輝く銀龍の魂魄が残った。

 銀龍が今まで居た場所に真新しい卵がある。艶々と光を反射して輝くそれは、銀龍が生命の最期にこの世に残したものじゃった。


 銀龍の魂魄は、卵に向かって吸い込まれるように同化していく。

 ——すぐに、変化が起きた。


 ピキ。

 バキ、ピキピキ、パキ。


 鏡面の卵に細かいヒビが走る。

 内側からモゾモゾと動きながら、そのヒビは徐々に大きくなっていく。……そして。


 パキィーン!!


「きゃおおおおおっ!!」


 甲高い、それでいてどこか舌足らずな鳴き声が天高く響いた。


「おおっ、生まれた!」


 割れた卵の中から、キラキラと陽光を散らす白銀の鱗に包まれた幼竜がこちらへ顔を出している。こっ、これは可愛いのう!!


 銀龍の幼竜は、外の世界の空気をフンフンと少し嗅いだあと、口を大きく開けて「くぁふー」とあくびを一つすると、くりくりのおめめをワシにしっかり向けて、こう言った。



「おはようです、ご主人しゅじん。ぼく、おなかいたのですー」


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