第17話『姉妹猫と、時を超えた絆』
あたしは
元々観光客が少ない時期な上、ちょうど船も出たばかりのようで、港は静かなものだった。
「ミミとハナがいるのは港の中でも端のほうなの。こっちよ」
目当ての二匹を探しているのか、キョロキョロと視線が落ち着かない春歌ちゃんに苦笑しつつ、港を横切っていく。
「え、ここにいるんですか?」
そしてたどり着いた場所を見て、春歌ちゃんは困惑していた。
そこは以前、彼女が猫を探していた場所。郵便局前にある港の駐車場だった。
「ゴールデンウィーク中は人が多すぎて、ミミとハナも隠れてたのよ。今日は人も少ないし、ちゃんといるわ」
そう言いながら、駐車場に停められた軽トラックの陰に視線を送る。
日差しから身を守るようにして、二匹の猫がそこにいた。
「いたわよ。あの茶白と、サビ猫の子。あの子たちで合ってる?」
「は、はい。合ってます。毛並みも一緒です。間違いないです」
その場所を指し示すと、春歌ちゃんもそれに気づいたようで、どこか懐かしそうな目をしていた。
「ミミー、ハナー。お客さんよー」
そう彼女たちに声をかけると、体を持ち上げるように起き上がり、トテトテと寄ってくる。
けれど、あたしの隣に立つ春歌ちゃんの存在に気づくと、二匹は目を見開いて、ぴたりとその足を止めてしまった。
……おかしい。特にミミは、見知らぬ観光客相手でもすぐに近寄ってくるのに。
「ミミー、ハナー、お客さんだってばー!」
「こっちに来てくださーい!」
ヒナと一緒にもう一度声をかけるも、彼女たちは顔を見わせたまま、まったく動こうとしなかった。
「……モモ、サクラ、私のこと、覚えてない?」
その時、春歌ちゃんが一歩前に出ながら、おもむろにそう口にする。
モモにサクラ? どちらも聞いたことのない名前だった。
思わず彼女の横顔を見ると、期待と不安が入り混じったような顔をしていた。
「……やっぱり、もう覚えてないのかな。それとも、怒ってる?」
ややあって、そう言いながらもう一歩近寄るも、ミミとハナはジリジリと後退する。
……そのやりとりを見て、あたしは察した。
「ねぇ……春歌ちゃんってまさか、あの子たちの元飼い主だったりする?」
少し悩んだあと、あたしはその背に向かって尋ねてみる。
彼女は一瞬だけ体をこわばらせ、猫たちから視線をそらさずに頷く。
それから小さく息を吸って、話し始めた。
「……五年前まで、うちには二匹の猫がいました。友だちから貰った子猫だったんですが、すごく私に懐いてくれて」
港の風音にかき消されそうな声で、春歌ちゃんが言葉を紡ぐ。
「モモとサクラって名前をつけて、かわいがっていたんです。でも、その子たちが2歳になった頃、お父さんの仕事の関係で引っ越すことになって。引越し先のマンションはペットが禁止で……」
そこまで言って、彼女は自分を落ち着かせるように大きく息を吐く。
その先の展開が予想できたあたしは、胸が締め付けられる思いだった。
「あの子たちと離れたくなかったので、当然引っ越しに反対しました。だけど、当時小学生だった私には、どうにもできなくて。学校に行っている間に、どこかに捨てられてしまいました」
「……それが、あの子たちなのね?」
確認するように問う。彼女はしっかりと頷いた。
かつて、ミミとハナは捨て猫だったと、おじーちゃんが言っていた。
春歌ちゃんの話とは、辻褄が合う。
「モモとサクラをどこに捨てたのか、お父さんはずっと教えてくれませんでした。子どもの言うことだから、そのうち諦めるだろうと思っていたんだと思います」
お父さん、猫が嫌いだったから……と、消え入るような声で付け加える。その言葉の端々に、悔しさがにじみ出ている気がした。
彼女の強く握られた拳が、震えている。
「あの子たちのこと、私はずっと忘れませんでした。それこそ、何年もお父さんに問い続けて、やっと、ここに捨てたと聞き出したんです。この島なら、仲間がいっぱいいると思ったからって」
彼女の言葉を聞いて、あたしの胸中にはなんとも言えない感情が渦巻いていた。
いまだにこの島を、猫の楽園だと考えている人がいるのだ。それは違うというのに。
「それで、わたしたちを引き取りに来たの?」
「……今更?」
その時、遠くで話を聞いていたミミとハナが、こっちにまで聞こえる声で言った。
けれど、その言葉がわかるのはあたしだけ。春歌ちゃんに伝わるはずもない。
「……春歌ちゃんは、二匹を引き取りに来たの?」
だから、彼女たちの言葉を代弁するように、そう尋ねてみる。思わず語尾が強くなったのが、自分でもわかった。
「違います。せめて一言、謝りたかったんです」
春歌ちゃんはまっすぐな視線を猫たちに向けたまま、はっきりと、そう言った。
「でも、やっぱり怒ってるみたいですね。近づいてきてくれないですし」
続く声が、わずかに震えていた。直後、静かに嗚咽を漏らす。
かつて家族だった猫たちを何年もの間思い続け、ようやく会えたにもかかわらず、その思いは通じない。
なんて声をかけるべきか、あたしは迷っていた。
……そんな中、ミミがゆっくりと近づいてくる。
「……懐かしい匂いがする。もう、長いこと嗅いでなかった匂いだよ」
そう言って、春歌ちゃんの傍らに座り込んだ。
それを見た彼女はおずおずと腰を落とし、その頭を撫でる。
「モモ、私がわかるの?」
触れても逃げないとわかると、その小さな体を慎重に抱きかかえた。
「あの時、何もできなくて、ごめんなさい。捨てちゃって、ごめんなさい」
……そしてミミを抱きしめたまま、彼女は涙を流す。
それはまるで、これまで抑え込んでいた感情を全て吐き出しているようだった。
「ハルカのせいじゃないよ。誰も悪くない。仕方のないこと」
「……仕方のないことだって。春歌ちゃんのせいじゃないって言ってるわよ」
気がつけば、あたしは再びミミの言葉を代弁してあげていた。
「……ありがとう」
それを聞いた春歌ちゃんは、絞り出すようにそう口にした。
あたしとミミ、どちらに向けた言葉なのかわからなかったけど、一瞬見えたその顔は笑顔だった。
どうやら、彼女は多少なりとも安心してくれたようだ。
……そんな中、ハナは相変わらず離れた場所にいた。
「ハナ、ハルカも謝ってるんだから、許してあげなよ。いつまでも意地を張ってないでさ」
「……わたしは簡単には許せない。突然捨てられたわたしたちが、どれだけ心細かったか」
ミミがそう言うも、ハナは微動だにせず。少しの間をおいて、小さな声で続ける。
「やむない事情もあるのだろうけど、それは人間側の都合。捨てられた側からすれば、たまったもんじゃない」
「でもさ、一度捨てたあと、こうやって探しに来てくれる飼い主がどれだけいると思う? 島に長いこと住んでるけど、聞いたことないよ」
「……それは、そうかもしれないけど」
ミミから諭すように言われ、ようやくハナは口調を和らげる。
「でしょう? はるばる来てくれたのだから、わたしはハルカを信頼する」
そう言って春歌ちゃんの胸に顔をうずめるミミを見ながら、ハナは考えるような仕草をする。
そのピンと立ったさくら耳が、せわしく動かされていた。
「……捨てられてからというもの、正直、人間はあまり好きじゃない」
しばしの間があって、ハナはゆっくりと口を開く。
「けど、長年連れ添ったミミが信頼するというのなら、わたしもそれに従う」
彼女はそう言うと、ゆっくりと春歌ちゃんのそばへ寄り、その体を擦り寄せた。
春歌ちゃんは一瞬驚いた表情を見せたあと、寄ってきたハナを優しく抱き寄せる。
「……仲直り、できたですか?」
「そうみたいねー。これで一安心ね」
わずかに声を弾ませるヒナにそう言葉を返しつつ、あたしは幸せそうな彼女たちを眺めていたのだった。
◇
……その後、時間の許す限り、春歌ちゃんはミミとハナと一緒に過ごしていた。
やがて最終便の時間が近づき、港に人が増えてくるも、彼女たちはこれまでの空白の時間を埋めるかのように、人目をはばからずに戯れていた。
「……あれ? 小夜にヒナ、迎えに来てくれたのかい?」
そうこうしていると港に船が着岸し、おじーちゃんが降りてきた。
困惑した様子だったので事情を話すと、元飼い主が現れるなんて前代未聞だと驚いていた。
「あのー、そろそろ時間なので、乗船する方はお急ぎください! 本日の最終便になります!」
その時、船の係員をしている
どうやら、状況を察してギリギリまで待ってくれていたようだ。
それを聞いた春歌ちゃんは一瞬だけ悲しそうな顔をするも、最後にミミとハナの頭を優しく撫でて、すぐに立ち上がる。
「……本当に連れて帰らなくてもいいのかい?」
船に向かって歩き出した彼女に、おじーちゃんが優しく声をかける。
「はい。お父さんは相変わらず猫が嫌いですし……この島で元気にしているのがわかっただけで十分です。また、会いに来ます」
彼女は振り返り、そう口にする。その顔に涙はなく、穏やかな笑顔があった。
「……ミミ、ハナ、またね」
「またね。ハルカ」
「……元気で」
そして、自分がつけた名前ではなく、島で得た新しい名前で彼女たちを呼び、猫たちもそれに応えた。
「それじゃあ、小夜さん、お世話になりました!」
春歌ちゃんは最後に一礼すると、晴れやかな顔で船に乗り込んでいく。
そんな彼女がタラップを渡るとすぐに、船は港を離れていった。
「……ハルカは優しい子に育った」
「いやいや、ハルカは昔から優しい子だったよ」
離れゆく船のデッキから、いまだに手を振り続ける春歌ちゃんを見送りながら、ミミとハナはそんな会話をしていた。
ちなみに、彼女たちは手を振り返すことができないので、懸命にしっぽを振って応えている。
そんな光景の中に、あたしは彼女たちの間にある確かな絆を見た気がした。
◇
船が見えなくなるまで見送ったあと、あたしはヒナと手を繋いで帰路につく。
その道中、あたしの脳裏に浮かんでいたのは、春歌ちゃんにミミの言葉を伝えたときに彼女が見せた、心の底からの笑顔だった。
思い出すだけで、あたしの心まで温かくなる。
あたしの猫と会話する力によって、あの笑顔を生み出すことができたのなら、これ以上の喜びはない。
むしろ、より多くの人に、彼女と同じように笑顔になってもらいたいと考えるようになっていた。
――猫と話ができる、不思議な力。
これまではなんとなく猫たちと会話をしてきたし、あたし自身、この力をひた隠しにしてきた。
だけどこれからは、皆の前でも積極的に能力を使うべきかもしれない。
猫たちの思いを人に伝える……それこそが、この力を与えられたあたしの役目ではないか……そんな強い気持ちが、ふつふつと湧き上がってきていた。
「……サヨ、どうしたですか? なんだか楽しそうです」
そんな感情が顔に出ていたのか、ヒナが不思議そうな顔であたしを見てくる。
「ん、なんでもない」
……手始めに、この子や親友たちにあたしの力のことを打ち明けてもいいかもしれない。
あたしはそんなことを思いながら、夕日に染まる路地を歩く。
そこから見える屋根や石垣の上には、何匹もの猫たちがいて、まるであたしを祝福してくれているかのようだった。
しまねことサヨ・第一章『しまねこと、春に拾った少女』 完
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