第71話 再会、あるいは初遭遇

 ――見つけた。


「はあっ……! は、ぁっ……!」


 ――見つけた、見つけた見つけた見つけた、見つけた。


「ぐふっ、う、げひっ、はっ――く、うふふひっ」


 感に触れたのは、ほんの一瞬。高速で過ぎ去って、正確なことはわからない。

 ――けれど、あの姿かたち。顔の骨格を、鼻の高さを、唇の厚さを、首の太さを、指の長さを、私が間違えるなんてあるはずがない。


「――っぅ、ぎゃうっ!?」


 興奮のあまり、足を踏み外す。全力で走る勢いのまま、土の上を転がり巨木に激突した。

 鼻が痛い、鉄の味の液体が口に垂れる――けど、そんなことはどうでもいい。


「ふはっ……! ひ、あ、はぁ……!」


 駆ける。

 がどこにいるかはわからない。けれど、大きな大きな目印があるのだから、その辺りにいればいつか補足できるはず。


 私の向かう先――巨大な蜥蜴種リザードが幾度目かになる火炎の吐息を放っていた。











 ――マズい、と思う。

 具体的に何が、というわけじゃない。順調とは言い難いけど、決して悪い状況でもない。ただ、だからこそマズいと言うべきか、


「やることがない……!」


 単車バイクの後ろに座るわたしは、師匠の戦いを間近から眺める以外にすることがなかった。


 拡大魔物ラージスケールがその巨体をゆっくりと回し、異常なほどに長大な尾が木々を容易く薙ぎ倒す。

 その下を潜り抜け、薙ぎ倒された勢いのまま飛来する木を避けつつ、敵と一定の距離を保つ。生半可な攻撃が通用しないこの魔物を一刀で屠るべく、師匠は奇蹟まじゅつを溜めながら機を窺っていた。


 ――対して、わたしはただ師匠にしがみついているばかり。

 何かあった時のサポート要員として同行し、炎で他の冒険者に合図なんかも出したけど、いざ戦闘となるとわたしの出番は全く訪れない。あの巨体を燃やし尽くすほどの熱量は今のわたしには出せず、火の吐息ブレスを相殺することもできない。


 拳も炎も通らない相手に、わたしの力は通用しない。

 他の冒険者が逃げる手伝いをしようにも、この視界の悪い森の中じゃわたしの方が迷いかねない。そもそも実力で言えば大半の冒険者はわたしより格上で、わたしが手を貸すまでもない。


「一手、欲しいな――」


 師匠が呟く。焦っている様子ではないけれど、この人がわざわざ口に出したのなら本音には間違いない。

 やはり問題は、口から吐く火炎だ。広域に広がるあの攻撃は単車バイクでも回避が難しく、防ぐ術は断裂の魔術しかない。そして防御にその能力ちからを使うと、攻撃の術がなくなってしまう。


 師匠の全力の一撃なら、あの拡大魔物ラージスケールもきっと倒せる。

 けれどその一撃を温存してやり過ごせるほど、この敵は甘くない。……というか、シンプルにわたしたちの手札が少なすぎる。


「……前に見せてくれた封印の魔術じゃダメなんですか?」

「あれはただでさえ維持するのが難しいし、対象のサイズが大きいとさらに消耗する。あの巨体が相手だと、万全の状態でもコンマ数秒が限界かな」


 存外に役に立たない……まあ、わたしが言えたことじゃないんだけど。

 ともかく、このままじゃ師匠が一方的に疲弊するばかりだ。せめて少しでも負担を軽減することができれば――


「――っ、師匠!」

「わかってる!」


 幾度目かになる、断裂と火炎との衝突。

 さらに森が焼かれ、斬り拓かれ、熱気と黒煙が蜥蜴種リザードの周囲を覆う。環境破壊という意味でも、この敵は早く倒さないといけない。


「接近して背後に回り続けて、魔物自身を盾にして火炎を凌ぐのはどうです?」

火炎それだけなら試すのもアリだけど、近接戦闘の手段がわからないからなあ。回避不可能な広範囲攻撃を連発されでもしたら、普通に死ぬだろうし」

「……なんか、弱気ですね」

「まあ、慎重にはなっているかな。――後ろに弟子きみがいるんだから」

「――――」


 その言葉に、わたしの心は大きく揺さぶられる。

 ――つまり、今のわたしは何の役にも立たないどころか師匠の行動を制限する、ただの足手まといに過ぎないということ。その事実を、たまらなく悔しいと思う。


「――わたし、降りましょうか」

「降りてどうするのさ」

「囮になります。少なくとも、わたしが降りればその重量分だけ軽くなります」

「……捨て駒になるつもり? せめて避けるか防ぐか耐えるかできないと、囮は務まらないよ」

「避けるだけなら、炎で飛べばどうにか――」


 と、言いかけて――気づいた。


「――あ、それだ」

「うん?」

「思いつきました。――加速しましょう」


 同時、魔術を発動する。

 わたしの死角――この単車バイクの後部から、勢いよく炎が噴出する。それは高温高熱でありながら単車バイクや森を燃やすことなく、しかし確かな推進力を与えて、


「う、おっ――!?」


 高速の鉄騎がさらに速度を増す。長時間は維持できないけど、要所要所のタイミングに絞って使えば体力も温存できる。


「この速度なら、火炎を避けられますよね」

「ああ、うん……こういうことするなら事前に言ってもらえる?」

「師匠なら大丈夫かなって」

「うーん、あんまり嬉しくない信頼」


 やや危なっかしいハンドル捌きで、自然が作り出した悪路を走る。

 放射状に広がる吐息ブレスを回避するなら、敵との距離は近い方がいい。もちろん近すぎても危険だけど、最高速度の上限を突破したことで多少の無理は許容できるようになった。


 拡大魔物ラージスケールを中心とした大きな円を描くように走る、その軌道を少しずつ変えていく。輪を狭めて、距離を縮めて、敵に近づいていく。

 速度は出しつつも、敵の耳目はこちらに引きつける必要がある。逃げている他の冒険者が火炎の巻き添えになるのを避けるため、こちらで敵の攻撃を誘導しないといけない。


「行くよ」

「はい!」


 黒々とした燃えカスが点々とする、見晴らしのいい焦熱地帯の半ばで、師匠は大きくハンドルを切った。

 敵まで続く何一つ遮るもののないこの一本道は、あの蜥蜴種リザードが最初に吐いた火炎の射線上。誰にとっても不意に訪れた暴虐の証が、時折転がる炭化した遺体という形で現れている。


 真正面から近づくこちらの姿は、相手にも見えているはず。

 真っ当な生き物とは思えない、不気味な挙動の多い拡大魔物ラージスケールだけど、さすがに感覚器官は生きているだろう。だから明らかな敵意を持って接近するこちらに対して、


「来ます!」

「うん」


 大口を開けて、腹の底に熱を溜める。

 こちらはまだ直進する。薙ぎ倒された木々に紛れるように逃げ込めば、その射線上にいる他の冒険者が犠牲になるかもしれない。よって誰もいない、この第一射の攻撃の跡に火炎を誘導する必要がある。


 大口の奥から微かな赤い灯りが覗く。

 ――瞬間、師匠はまた大きくハンドルを切って斜めに曲がり、わたしは単車バイクを魔術で加速させる。増した速度は決して大きくないけれど、その少しの加速がこれまでできなかったことを可能にする。


 結果、火炎の吐息ブレスが放たれ――それを一秒差で脱することができた。

 炎熱の余波に肌を焼かれながら、師匠はさらに前進する。距離を詰めて魔術を行使することで、威力の不足を補い溜めチャージの時間を短くしようとしているんだろう。


 本体の動きは緩慢で、けれどそれに反して長大な尾が俊敏に蠢いた。それ自体が別の、独立した生命体であるかのように振り回される。

 前に戦った拡大魔物ツィルニトラとは明らかに違う動き――これが人工的に生み出された魔物だとするなら、改良版ということだろうか。


 正面から接近するこちらを、尾は本体の上から叩き潰そうとしならせる。

 勢いよく地面に叩きつけられる縦に伸びたそれを、師匠はセオリー通りに横に移動して回避し、


「飛べ!」

「――っ!」


 言われ、炎で単車バイクを高く浮かしたと同時、その真下を長大な尾が薙ぎ払った。あれだけの質量が相手だと、無造作な動きでも接触すれば容易く吹き飛ばされてしまうだろう。

 溜めチャージにはまだ時間が必要らしい。それまでは、わたしの魔術が生命線だ。……役割は欲しかったけど、これはさすがに荷が重すぎないかと思わないでもない。


 ゆっくりと地面に着地したけど、それでもやはり尻を打ちつけた。痛い。

 そんなわたしたちの前で、尾に新たな動きが生まれる。高く掲げられたそれは、まるで蕾が花開くように裂けていき、


「厄介だな……!」


 根本で分かれた八本の尾となって、こちらに再び襲い来る。

 これから起こるであろう猛攻を前に、師匠は接近を諦めたのか速度を維持したまま大回りで反転し、


「できるだけ地上に!」

「っ、はい――!」


 敵から距離を取りつつ、背後から迫る尾を避ける。

 空を裂く振り下ろしの一撃はハンドル捌きで地を駆け、地を這う横薙ぎの一閃は炎で空に逃げる。師匠に言われた通り、跳躍で回避した後は逆噴射で速やかに地に降り、その度に尻が痛い。


 わたしの一手の誤りで、二人揃って死ぬ――とまでは言わずとも、師匠が迎撃の札を切ってしまうことになる。これまでの溜めチャージの時間が無為になる事態は絶対に避けたい。

 数分、あるいはほんの数秒か、時間の感覚もわからなくなるほど死に物狂いで状況を判断しながら魔術を行使した末に、


「――あと三十秒!!」


 待望の言葉を言い放った師匠が、また反転して敵へと突っ込む。

 疲弊した肉体と精神に最後の活力を入れる――が、それと同時に蜥蜴種リザードがまた口を開いて、


「嘘っ――!?」

「いや、今までより間隔インターバルが短い――全力フルパワーじゃないはずだ」


 諸共に斬り伏せる覚悟を覗かせて、静かだが強い声で師匠は言う。

 であれば、そちらはわたしが心配することじゃない。雑念を捨てて尾の対処に注力すべきで――


「嘘ォッ――!?」


 ――その尾が、さらに細かく分かれる様を目にして声を抑えられなかった。

 敵にどれほどの知能があるのかは不明だけど、おそらくはこちらにまともな防御手段がないことに気づいて、威力より命中率を優先したのだろう。さらに四分割――計三十二本となった尾であっても、あの速度と質量であればまだまだ人ひとりを再起不能にするのは容易いはずだ。


 この数を前に、残り二十数秒を耐えるのはぜつぼ――




「いいいいいいぃぃぃぃぃぃたああああああぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」




「「――――っ!?」」


 突如、声が響いた。

 見れば遠く、拡大魔物ラージスケールの側面方向の森を抜けて、現れる影があった。


 その姿には、見覚えがある。

 黒い髪、赤い装い、そして巨大な胸部を誇るその人物は、


「――おっぱいさん!?」

「……………………、なんて?」


 訊き返す師匠は無視して、突然の闖入者に意識を向ける。

 彼女はなぜか近くの脅威には目もくれず、血走った目を見開かせた喜悦の表情でこちらに走ってくる。端的に言って狂気だ。


 そんなことを考えている内に、尾が放たれた。

 こちらを襲った半数はどうにか回避できたが、残りの半数はおっぱいさんへ向けられていた。脇目も振らずこちらへ走る彼女は、それを一瞥すらしようとしない。


「あぶな――」


 わたしが発した声より先に、魔物の攻撃は彼女の元に到達し――


「うあっ、うああああああぁぁぁぁぁぁっ!!!」


 ――言葉にならない咆哮を上げる彼女は、十六もの致命の一撃を


「――ぃ、っえ?」


 悲鳴にも似た自分の声が、一瞬で困惑に変わったのを自覚した。


 彼女は疾走の速度、身体強化の魔法の出力こそ優れているものの、肉体を操る才覚センスに秀でているとは決して言えない。それは走り方や、尾を避ける際の動きから見ても明らかだ。

 なのに、避けている――避けられている。それも反射で対応したというよりは、あらかじめ攻撃の軌道がわかっていたかのように安全地帯に潜り込むような様子で。視覚に頼らず周囲の様子を把握する、スキルか何かを持っているのだろうか。


 その能力は確かに有用だけど、それだけで凌げるほど甘い相手じゃない。

 次いで放たれた二度目の連撃も、彼女は同様に回避しようとして、


「――――ぅぎゃうっ!?」


 けれど急な方向転換に対応できず、尾の一撃を受けて宙を舞った。

 その様を目の端で追うと、彼女の周囲を光の壁が覆っていた。防御の魔法で直撃は免れた――いや、砕かれながらも威力を軽減したようで、


「邪魔をっ――」


 弾き飛ばされながらも、多量の魔力を滾らせる。

 追撃としてさらに尾が放たれ、


「――するにゃああああああぁぁぁぁぁぁ!!!」


 紅雷が奔る。

 大雑把に魔物に向けて放たれた、数多の電撃――それは接近する分かれた尾に導かれるように命中し、その先端を破壊した。


 それだけじゃない。轟音を発して広がる赤い雷は、蜥蜴種リザードの本体にも命中し、さらに地面にも降り注ぐ。

 それはこちらに向けられた残りの尾を焼いてなお、わたしたちの周囲にいくつも落ちる。雷撃を掻い潜って接近する先、敵の口の奥に灯りが見え、


「ししょ――」


 言うよりも早く、




「【一太刀の道引き】」




 師匠が、七支刀まじゅつを振るう。


 断裂は、多くを呑み込んだ。

 尾も、雷も、炎も――斬り拓く道の妨げとなる一切を引き裂いて巨獣に届く。


 確認するまでもない。

 大地に生じた巨大な亀裂――それを見れば威力の程は容易に知れた。


 強敵を斃した師匠が、単車バイクのハンドルを切る。

 目指す先は、おっぱいさんの落下する方向。僅かの達成感も匂わせず、淡々と為すべきこと為そうとするこの姿勢は純粋に尊敬する。


 背後で大きな音と揺れが生じる。真っ二つになった拡大魔物ラージスケールが地に倒れたのだろう。

 落下するおっぱいさん。その顔はこちらに向き、気色の悪い喜色の表情を見せている。師匠が運転している以上、キャッチするのはわたしの役目になるんだろうけど――


「――師匠、受け止めてもらえます?」

「なんで」

「あの人、師匠しか見ていないので」

「んー……わかった」


 速度は十分、真下に潜り込んで単車バイクを停止するだけの余裕はある。

 ……彼女はこちらを見ている一方で、わたしのことは少しも見ていない――見えていないように感じられた。とにかく視線が交わらず、ただ師匠だけに目を向けているとしか思えなかった。


 そんな彼女の様子を疑問に思いながら、けれど理由を探る暇はない。

 ゆっくり単車バイクを減速させた後、それをわたしに預けて師匠は走る。落下地点に入って数秒の後、


「――っ、と」

「いっひゃあああぁぁぁ!?」


 口から血を吐きながら気持ちの悪い嬌声を発するおっぱいさんを、師匠は難なく受け止めた。

 ……お姫様抱っこされながら奇声を上げて手足をバタつかせる様は、先日わたしを助けてくれたあの人と同一人物とは思えない。それくらい、様子が変だった。


「あの……大丈夫ですか? 立てます?」

「むっ、無理ぃ……腰、抜けて……あッ、濡れてる……」

「は?」


 うーん、師匠がすごく戸惑っている。

 モジモジクネクネする彼女は、顔を真っ赤にしながら震える唇で、


「あ、あのっ! あひっ――芦原くん!」

「うん――……うん?」


 ……『芦原くん』?


「わた、わたしっ! お、同じクラスの、柏よよですっ、けど……覚えてる!?」


 めちゃくちゃ噛みながら、知り合いである旨を打ち明けた。

 ……師匠の知り合い。冒険者、というかこの世界の人間にしてはちょっと奇妙な言葉の数々。可能性として一番高いのは――




「――ごめんなさい、どちら様ですか?」




 ――……本人に訊くしかないみたいだ。




「――それでこそ、芦原くん……っ!」




 そして、なんでこの人は喜んでいるんだろう。

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