第70話 魔人の暗躍
クランドリア公爵領、バルトローガの街の北に広がる大森林。
その中を確かな足取りで行く、手練れの一団があった。
「――まあ、予想はしていたが」
木々のざわめきが静寂を乱す、緊張と倦怠が満ちる空気の中で、一人の男が声を発した。
「この依頼はハズレだな。大ハズレだ」
「はあ? なんでだよ、むしろ大アタリだろうが」
中年の男の嘆息に、この場で最年少の男が反応した。彼は一団の中で唯一、気楽な表情を浮かべ、
「もう三日目だぜ? あれだけの人間を集めて、それで見つからないってことは、きっとここにはその魔王軍とやらはいないんだよ。捜索の日数が増えれば増えるほど報酬も上乗せされるんだから、後は早々に打ち切られないことを祈るだけじゃないか」
そんな楽観的な――否、愚かしいことを口にする。
当然、一団の他の者たちは呆れと失望を多分に含んだ視線を向けた。勇猛として名の知られた、しかし見るからに知恵の足りない即席の仲間に対し、彼らは歩みを止めず苦言を呈する。
「あのなあ……こんだけデカい森を、たったの三日で隈なく調べられるわけがねえだろ。仮に今の十倍の人数がいても、三日じゃ半分にすら全く届かねえ」
「……そうなのか?」
「当たり前だろうが。探知の魔法が使えればもっと楽にはなるが、仮に何らかの魔力の痕跡があったらその魔法の魔力に塗り潰されちまうからな……だからこうして、原始的な方法で捜索してんだ」
「そもそも、『見つからない』ことと『いない』ことがイコールだと証明する術はない。万が一、というか普通に見逃した結果デカい被害が出ちまえば、俺たち個人はもちろん冒険者全体の信用に関わりかねない」
「潜伏者がいないに越したことはない――が、見つからないとそれはそれで不安になるってんだから、とにかく
戦闘要員、もっと言えば護衛役として同行している彼は、捜索の状況に関して仲間たちほど深く理解してはいなかった。それ故の先の気楽な発言なのだが、その誤りを認める程度の素直さは持ち合わせている。
「面倒だなあ。さっさと現れて、真正面から襲ってきてくれた方が楽だぜ」
「おいおい、相手は王城を襲撃して逃げおおせているようなヤツだぞ? 騎士団や親衛隊を相手にそんなことができるなんて、並外れた実力者でもなけりゃ不可能な芸当だ」
「けど、大量の魔物を引き連れてたって話だろ? 意外と単体じゃ大したことないんじゃないか?」
「なら今回だって魔物を用意してると考えるのが普通だろうが。……いやまあ、どうやって魔物を制御してんだって話にはなるんだけどよ」
冒険者としての確かな経験値を有する彼らの歯切れが悪くなる。
今回の大規模捜索の大元となった、王城襲撃の件――その真偽を、魔物との戦いに精通する彼らだからこそ信じきれずにいる。
「……実際のところ、例の襲撃事件をどう思う?」
「嘘くせえ、ってのが本音だ。魔物を操るなんて真似、見たことも聞いたこともねえ」
「俺としては、王城が襲われてるのに王都に一切被害が出てないのが気になるな。仮に魔物を従える方法があったとして、じゃあそいつらはどうやって街を抜けていきなり城内に現れた?」
「城で魔物の研究やってて、事故って被害が出たから『魔王軍』なんて存在をでっち上げた――みたいな話をしてる奴はいたぞ。荒唐無稽だが、まだその方が信じられるとは思ったね」
この三日間、常に先頭に立ち捜索を続けてきた彼らは、いつ如何なる状況にも対応できるよう気を張っていた。
だが、人の集中力には際限がある。酷使した神経は摩耗し、今日を終えれば一度後方に下がれるというのもあって、彼らの注意力は平時と比べても散漫になりつつあった。
無駄話に耽るほどの意識の緩みは危機への対応を遅らせ――けれど彼らの周囲に異変や違和感の類は一切なく、
「――結局、魔王軍って何なんだ?」
「知らねえよ、知ってる奴の方が少ねえだろ」
「つーか、その一端を探るために俺たちが出張ってるんだろうが」
「……まあ、言いたくなる気持ちはわかるよ。探すべき場所や倒すべき相手が絞れている普通の依頼とは明らかに違うからな。行き着く先が見えない道を行くってのは、不安になるものだ」
「うーわ……お前、老けたなあ……」
「当たり前だろ、俺の息子だって今年でもう十五にな」
『――――――――ッ!?』
冒険者の一団が息を呑む。
空間を支配する、濃密で異質な気配。その強烈な感覚の正体を、最も若く最も強い男だけが経験から理解していた。
そう、これは、
「っ、上だ!!」
誰かが声を上げると同時に、彼らのいた場所を影が覆う。
見上げながら距離を取ろうとする彼らが目にしたものは、陽光を遮り空中に広がる巨大な闇――それは粘性のある水のような質感で。
どぷん、と一際大きな音が鳴った。
その闇の中から、ゆっくりと現れる姿があった。それはありふれた
「――
若い男が叫ぶ。
その名が示す脅威の程は、彼らの記憶にも新しい――よって一も二もなく逃走を開始する。
闇から這い出た
その巨躯と重量は、容易に木々を薙ぎ倒して地面を大きく揺らす。あの圧倒的な質量は、ただそれだけで有象無象を寄せ付けることのない攻防の力として機能する。
彼らに勝ち目はない――少なくとも、ここにいる面々だけでは。
だがこの異常事態には、同じく捜索に参加している他の冒険者も気づいているだろう。彼らと連携し、さらに後方からの支援もあれば、決して勝てない相手ではない。こういった事態のために、ギルドは腕利きの冒険者を集めていたのだから。
そう考え、希望を抱く反面――彼らの心中には拭いきれない不安があった。
「――クソったれ!!」
毒づく男が背後に顔を向けると、
――直後、開いた口から火炎の
そちらに気を取られた一瞬、
「ん、ぐぅッ……!?」
最後尾から呻き声が漏れた。
それを耳にしたが故に、彼らは状況把握より先に飛び退き――しかし一人が腕を断たれた。ようやく翻った冒険者たちが目にしたのは、
「――なるほどなるほど、末端でもこれほどか。手間がかかりそうだが、
すでに虫の息となっている仲間と、その心臓を貫手で穿つ斑点模様の燕尾服の男。
突如、何の前触れもなく出現したその人物が誰なのか――共有された情報から彼らは瞬時に理解した。
「魔王軍ッ――!」
護衛役の若い男が、己の役割を果たさんと敵へ向かわんとする。
対する魔王軍――オルドもそれを迎撃すべく己の
「――馬鹿野郎がァ!!」
けれど、影が割って入る。
捜索が主任務の冒険者――最低限の実力はあれど、一線級とは言い難い
その意味を、若い男は突きつけられる。
「
彼らはすでに察している――どう足掻いても、この魔王軍を名乗る男には敵わない。
出現や攻撃の予兆が一切感じ取れないのもそうだが、目の前の相手から感じる先と同様の異質な気配――彼の周囲に立ち込める濃密な
自分たちが得た情報と実感とを、何としてもギルドに持ち帰らなければならない。
――その確率を少しでも上げるのならば、
「ぐっ……ああ、必ず――!」
自身の役目を果たせず、護るべき仲間たちに護られて生き延びなければならない現状に、若い男は屈辱を覚える。
それを自らの未熟と戒めて、彼は背を向けた。地を蹴りながら背から風を噴出し、最速でこの場を離れようとする。
木々の間を走り去る男の背に、オルドは手を伸ばす。
到底届くはずもない距離――しかしこの魔人にそんな常識が通用するはずもなく、
「――が、あァッ……!?」
僅かの魔力の揺らぎすら生じず、突如として彼の手から射出された槍衾が冒険者を貫いた。
――そう、理性でも反射でもない、直感で危険を察知した
魔法ではない、けれどスキルとも思えない、異様な攻撃。
そのことに思考を巡らせる間もなく、彼らは死んだ――ほんの僅かな希望を残して。
「……やはりやはり、侮れないな」
身を挺して仲間を護った冒険者たちの姿に、むしろ安堵したようにオルドは呟いた。
この程度の人数ではまるで埋まらない圧倒的な実力差――それでも、彼らは命を賭して己の成すべきことを成し遂げた。それがどれほどか細い希望だったとしても、達成したという事実は決して侮れるものではない。
もしも自分が『魔王軍』を名乗って王城を襲撃することなく、魔王の中途半端な情報の開示で同志たちの意識に油断を残したままだったら――これほどの働きをしてみせる冒険者たちを前に、隠れおおせることが果たして可能だっただろうか。
魔王の下に集う同志たちは、この世界が破壊されることを厭わない。しかしそれ故に、俗世の事情には疎い傾向がある。つまり、冒険者というものを無意識に軽んじていてもおかしくはない。
オルドもまた、以前まではそうだった。
――かつて、
「さてさて――」
彼は再び手を伸ばす。
自分の情報を持って逃げたあの冒険者を、血眼になって追う理由はない。それを元にさらに数多くの冒険者を動員するなら、むしろ
けれど一方で、積極的に逃がす理由があるわけでもない。
距離はすでに遠いが、魔人の
「――――…………んん?」
妙なものが目に入った。
炎だ。柱のように高く昇る赤い輝きが、遠くに見えた。遥か彼方で起きているその現象は、ほんの少しずつだがこちらに近づいているように感じられて。
逃げた冒険者を捨て置いてそちらに意識を向けると同時、巨大な
天に昇る細い火柱を掻き消さんと、それとは比べものにならない猛火が再び森に放たれ、
それを両断するほどの巨大な力が奔った。
「――――――――……………………、なに?」
その信じがたい光景に、オルドの思考が数秒だけ停止した。
炎の柱の根本から放たれた、大地と大気とを等しく斬り拓く断裂の力。魔法ではない、けれどスキルとも思えない、異様な攻撃を彼は見た。
その一撃は炎の吐息を散らし、
しかしそれを見て安心できるほど、オルドは楽観的ではない。彼の明晰な頭脳は、己の存在も含めて混迷しつつある状況に対して最適な解答を模索し、
「……うかうかしてはいられないな」
背中から落ちるように闇に身を投じた魔人の痕跡は、血に転がる冒険者たちの死体しか残らなかった。
「――ちゃんと、避難してくれたでしょうか!?」
「さあね……そうであることを願うばかり、だよッ!」
高速で疾駆する四輪
着地の衝撃が尻から全身に響く。つい先日も経験したばかりの苦痛は、何度経験しても慣れる気がしない。
師匠の後ろに乗りその胴に腕を回しながら、もう片方の手を天へと伸ばし炎を噴出する。
これは信号だ。自分たちが戦うから、他の人たちは速やかに離れてほしいという合図。ヴィスペルさんがこれで通じると言っていたから、そうであることを信じるしかない。
並の輸送車よりも遥かに速く駆けながら、それでも接敵まであと数分を要するこの遠さがもどかしい。師匠には瞬間移動の術があるけれど、さっきそれをしなかったのは
そして少しずつ近づく
「……大きい、ですね」
「そうだね」
かつて対峙したあの
「……勝てますか?」
あれを相手にわたしができるのは、師匠のサポートくらいだろう。ヴィスペルさんの存在を隠すためにも、わたしたちだけでどうにかしないといけないわけで、
「ん――まあ、ツィルニトラよりはやりやすいんじゃないかな。飛んでないし」
だからこそ、一切の気負いも強がりもないその言葉が頼もしかった。
気づけば、師匠の胴に回した腕に力が入り――直後に単車が跳ねて、またしても尻を打った。
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