第69話 暗礁を駆ける
王都アンスターツのほぼ真東に位置する、クランドリア公爵領の主要都市バルトローガ。
この街を起点として、大規模捜索は開始される。
周辺の小さな村や集落が集まる地域を辿りながら、小さな異変や未知の施設、何らかの痕跡を探していく。
捜索範囲は王族の直轄地がある西側を除いた、北の大森林、北東の渓谷、東の荒野。人手が限られる中で今回南側を除外したのは、南に位置するのがヴィステリエム侯爵領だから――要は今回見逃しても、いずれ
放射状というか波状というか、水面に水滴を落として生まれる波紋のように、集めた冒険者で全域を複数回捜索する――と言っていたけど、「要は虱潰しの人海戦術だ」と
捜索範囲が広すぎるし、その多くは普段人の手が入らない環境であるため、僅かの漏れもなく全ての場所を調べるのはまず不可能だ。かと言って場所を絞れるほどの情報もなく、空を掻いた手に綿毛が引っかかるのを祈るような探し方をするしかない。
ヴィスペルさんの配置は後方――捜索の進展に合わせて北東の渓谷を進みながら、もしも何らかの異常事態や魔王軍からのアクションが起これば北にも東にも飛んでいくことになるという。
……長距離を移動する彼女の負担が大きいのはともかく、無難というか何というか、受けを広く取ろうとしてかえって中途半端になっている感は否めなかった。もちろん根拠もなく賭けに出るよりは遥かにマシだけど、このやり方でこちらが主導権を握れるとは微塵も思えない。
「――そりゃそうだろ。今さら何言ってんだ」
「仮に魔王軍が近辺に潜伏していたとして、
「それだと、相手が動かずにいたらどうしようもないんじゃ――」
「そうだな。――だが相手の立場からしてみれば、何の行動も起こさず息を潜めていたところを
……確かに、そういう考え方もできる、けど――
「――王城を襲って
「さてな。するという確証はない、が――」
「攻めは大胆だけど守りは堅実、というのは珍しくもない話だよ。守りで勝負に出てアテが外れたら結果は散々だから。守勢で無茶苦茶できる人間は、戦術の天才か、窮鼠か、人格破綻者かのどれかじゃないかな」
師匠もヴィスペルさんの言い分に賛同を示している。素人のわたしよりは、戦闘経験の豊富なこの二人の意見の方が信用できるだろう……たぶん。
「結局、
「……犠牲は避けられませんか」
「避けられない。連中が動くなら、その時は確実な公算があるはずだ。狙われたのが敵の想定を上回るほどの実力者でなければ、まず間違いなく犠牲になる」
淡々と、冷酷とも思える様でヴィスペルさんは言い放つ。
必要な犠牲――あまり使いたくはないけれど、現実には確かに存在する概念だ。誰もが何の痛みを負うこともなく生きていけるほど、この世界は易しくない。
「捜索で散らばった冒険者を各個撃破――ってのがセオリーかな」
「机上ではそうだが、実行に移すとなると問題が多い。見晴らしのいい場所に陣取っても、そういった
「じゃあ、常識外の索敵方法か移動手段があるとか」
「現時点では憶測でしか語れないが、後者に関しては思い至る節がある。そもそもの話、魔物を引き連れて王城を襲撃したってのが――」
口を挟む余地が減ったので、耳で話を聞きながら身体は魔力の空撃ちを練習することにした。常態で維持するのはまだ難しいから、狙った一発を確実に成功できるように練習する。
……ふと思ったけど、例えば激しい運動で身体を酷使した後は、体力が回復したとしても筋肉が疲労しているから同様のパフォーマンスは望めない。
なら、魔法は? 極限まで魔力を消費しても、魔力さえ回復すれば問題なく使えるというなら、魔法はいったい人体の
「……謎だ」
「おい、雑になってるぞ」
「あ、すみません……」
師匠と話し込んでいるヴィスペルさんからお叱りが飛んできた。……あの人、会話しながらこっちの状況を把握してるんだ。怖っ。
というか、会話しながらどころじゃない。わたしが洞窟に戻ってきてからずっと、彼女は一つの作業に精を出していて、
「……そういえばさっき訊いた時に答えてもらってないんですけど、ヴィスペルさんは何をしてるんですか?」
「何してるように見える?」
「え―と……輸送車の修理?」
魔法で作ったと思しき工具を手に輸送車を解体する様を、
けれど、おそらくそうじゃないことはわかっている。なぜなら分解した
「残念、正解は――どう言えばいいんだろうな。改造?」
「わたしに訊かれましても……」
「結局、具体的に何をしてるの?」
「
この人、本当に何でもできるなあ……天才かな? うん、
魔法だけでなく
「魔導車が一般にあまり普及しないのは、製造コストもそうだが、一番は魔力消費量の多さだな。消耗を抑える工夫はあるが、王族親衛隊――冒険者のランクなら平均50前後の実力があっても二時間でガス欠だ。遠くへ移動するなら複数人で交代する必要があるから、小型化して燃費を上げるよりも、大型化して積載量を増やした方が搭乗人数も増やせるし利便性も高くなる」
「ふうん……馬車が
「ああ。馬の強化と
へー、そうなんだ。
「だからまあ、一人乗りの魔導車なんてのは存在しないと言うより必要とされてない感じだな。限定的な状況下では使えることもあるだろうが、そんなものを作れる物資があるなら普通の魔導車を増やした方がよほど役に立つ」
「なら、そんな不必要なものを十全に扱えるのは――」
「そう、魔力がアホみたいにあって、おまけに戦闘で一切魔法を使用しない、意味のわからん馬鹿だけだよ」
そう言って、彼女は師匠を見る。わたしも見る。
師匠はそれに気づいているのかいないのか、クランドリア公爵領の地図に視線を落としたまま、
「――僕の移動の足、ってことか」
「ああ。連中のやり口はわからんが、何か起きた時に私だけじゃ手が足りないこともあるだろうし、こっちの奥の手――今回の場合は私を釣り出すような行動を取る可能性もある。なら念には念を入れて、
「……何か異常事態が起きたら、まず師匠を先に行かせる、ということですか」
「リコーに解決できそうなら、な。……とはいえ魔導車の小型化なんて、今さっき思いついたばかりの試みが成功する保証もない。失敗したら、私一人で頑張るとするさ」
その割には、ずいぶんと自信に満ちた手つきで部品を組み立てている。
――というか、だ。さも当然のように輸送車を分解しているけれど、
「……それ、ギルドからの借り物ですよね?」
「後で弁償するから心配すんな」
「償いさえすれば何をしてもいい、という考えは横暴で不誠実だと思います」
「まァ、そうだな。――今が緊急時でなければ、だが」
状況的に仕方ない、というヴィスペルさんの主張は確かにその通りだ。それに彼女が冒険者としてギルドに貢献してきた実績を思えば、多少の無理を通せるくらいの信頼関係があってもおかしくはない。
「……よし、とりあえずこんなモンか」
ほう、と息を吐いてヴィスペルさんは言う。
彼女が形にした新たな魔導車は、確かに今まで見たことのないほど小さかった。馬車を引く馬より少し大きいくらいの――なんだろう、細くて長くて厚い箱?
「バギーというか、四輪バイクというか……その中間?」
「何だそれ」
「僕たちの世界の乗り物」
「へえ……それを模してみるのも面白そうだな。ちょっと教えてくれよ」
「人に教えられるほどの知識はないんだけど……」
箱に乗って意見を交わす師匠とヴィスペルさん。
またしても手持ち無沙汰に――そういえば、いつの間にか空撃ちの練習を中断してしまっていた。けどさっきみたいにいろいろ考えながらだと集中できないし、今はまだそれを習得する段階にない。もっと落ち着ける時に鍛えた方がいいだろう。
――だから他にすることもないし、とりあえず訊いておく。
「……
「何とかするさ」
特に見通しが立っているわけではない状態で口にした、強気なのか弱気なのかよくわからない言葉に、わたしは嘆息した。
……この人は本当に、思慮深いのか考えなしなのか、よくわからないなあ。
そして、三十六時間後。
一日半が過ぎた朝、このバルトローガの街に集まった冒険者たちが確かな覚悟を胸に捜索を始めた頃、
「――だァから、二輪じゃなきゃ細いトコ通れないだろって! 森とか崖とか、行けない道があったらどうすンだよ!」
「オフロードを走るなら四輪の方が安定する。サスペンションの改良と
「……まだやってる」
この有様である。
一応、まだ捜索が始まったばかりで人員にも余裕がある状況だから、すぐにこの人たちの手が必要になるとは思えないけれど……それでもこんな言い争いをしている暇なんてないはずなんだけどなあ。
「四輪はイヤだ! この細身のフォルムなら絶対に二輪だ! 四輪はダセェ!」
「……ヴィスペルって、たまにものすごく頭悪いこと言うよね」
どうやら、ヴィスペルさんが駄々をこねているらしい。あの人の頑なな
……というか、あの二人はちゃんと寝たのだろうか? 昨夜はわたしが眠る時点でまだ試運転をしていたし、まさか徹夜なんてことはないだろうけど――もしそうなら殴ってでも眠らせよう。
「はぁ……いい加減にしてください、いつまでくだらない話に興じているつもりですか」
「くだらなくない! 重要な話だ!」
「実際、デザインと機能性のどちらを取るかって話だから、争点自体は真面目なんだけどね……」
「それをグダグダと、こんな土壇場まで話してるのがくだらないって言ってるんです」
現実問題、いつ
「わたしは、師匠の案を支持します。これで二対一、多数決で師匠の案に決定です」
「ンな出来レース認めるわけねーだろ!」
「……師匠、どうします?」
「人命に関わることだ、僕としても譲るつもりはない」
「ですよね……」
そんな気はしてた。師匠も普段はこだわりや執着が薄いけれど、こうと決めたことに関してはともすればヴィスペルさん以上に頑なだ。
……説得するしかない、か。
上手くいくとは思えないけど、やるだけのことはやろう。ありのままの本心をぶつければ、きっと彼女にも思いの丈が伝わってくれると信じたい。
「――ヴィスペルさん」
「ンだよ」
「ヴィスペルさんは、スマートでカッコいい小型車を作りたいんですよね」
「そうだ。ただの乗り物じゃない、それ単体で芸術品として通用する極限の機能美を持つ、唯一無二の魔導車だ」
「なるほど……でも、大事なことを忘れていませんか?」
「なに?」
「この
「――――」
わたしの言葉に、ヴィスペルさんが僅かに目を見開いた。
――どうやら、わたしの言わんとすることに気づいたらしい。
「想像してみてください――あなたが芸術品と形容するほどの逸品に乗る師匠は、それに相応しい出で立ちですか? その美しさを高めるほどではなくとも、最低限損ねない程度の威容さえ、師匠にあると言えますか……?」
「…………いや、全くないな」
「であればつまり、師匠が乗るには相応しくないということです。そしてむしろ、ダサくとも機能性を追求したフォルムの方が、師匠には合っていると言えませんか?」
「なる、ほど……」
ヴィスペルさんは口元を手で覆い、ブツブツと小声で何かを呟きながら真剣に考え込んでいる。
かなりの手応えを感じつつ待つこと数秒、
「……マリア」
「はい」
「助かった。リコーも悪かったな――お前の言う通り四輪にするよ」
「ああ、うん……」
さっきまでの頑固さが嘘のように、いとも簡単に非を認めて意見を翻した。
説得の成功を悦びながら、立てた親指を師匠に向ける。
「やったりました」
「……ありがたいけど、今みたいな言動はちゃんと人を選んでね」
「? はあ」
問題が解決したというのに、悩ましげな表情で師匠はわたしに言った。
……わたし、何か変なこと言ったかな?
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