第53話 義景、海の夢を見ること

「……それからまた、その夢のつづきを見た。


 わしは沼浜から名越の屋敷にむかって、ぼんやりと砂浜を歩いておった。

 頭の上からは猛烈な陽射しが容赦なく照りつけていた。

 すると、一艘の釣舟が、浜に引きあげられているのが見えた。


 なんとはなし、興味本位で近くに寄ってみると、船端のくっきりとした影のなかに、ひとりの老人がうずくまり、網をつくろっていた。


 その人とは別に、もうひとり、見るからに元気いっぱいの若者がいて、そちらは舟を磨いているところだった。


『ごきげんよう』

 老漁師が、しわくちゃな顔で、愛想よく声をかけてきた。


 わしは無言で、挨拶もしなかった。

 ……正直に言えば……その卑賤の者を見下してもいた。

 老人の肌は真っ黒に日焼けし、健康そうな両目は活き活きと、うるむように輝いて、妙に印象的だった。

『なにか、悲しいことでもありましたかな?』


 突然の言葉に、わしは驚いた。

『なぜ? そう見えるか?』

『ふぉ、ふぉ、ふぉ、そう見えますな』


 わしはため息をつき、説明した。

『なに、先ほど大きな魚を釣りあげたのだが、ふとした不注意で、とり逃してしまったのじゃ。残念だった……』

『ははは、よくあることです。漁労をなりわいとするわしらにも……』


 わしが黙って行き過ぎようとすると、老人はいそいそと立ちあがり、手招きした。

『ごらんなっせぇ』

 かれの舟のなかを見てみると、なんということじゃ……見たこともないような大きな魚が一匹、虹色に輝きながら活き活きと跳ねておるではないか。

 もちろん、わしが先ほど逃した魚なんぞ、比べ物にならぬほどの大きさじゃった。

(さすがに、その道の者は違う……)


 羨ましく思いながら眺めていると、老人が思わぬことを言った。

『持っていきなせぇ』

 わしは驚いた。

『よいのか?』

 老人は、心底から、人のよさげな顔でうなずいた。

『しかし……』

 なおためらっていると、老人は言った。

『なに、わしらの夕餉の分は、魚篭びくのなかにござりますでの』


 かれらの魚篭をのぞきこむと、アラメなどに混じって、二三尾の小魚が入っているだけだった。

『なんだ、雑魚ざこばかりではないか……』

『なにをおっしゃる』

 カラカラと老人は笑い、たくましい両腕を広げた。

『わしらの魚篭はほれ、この広い広い大海ですじゃ。尽きる事のない豊かさに、満ち溢れております』


 その言葉に惹かれて、わしは果てしもなく遠い水平線を眺めやったよ。

 波頭のしぶきが黄金色に輝きわたり、そこはまさしく、豊かな実りに満ちた稲田かと、見まごうほどであった。

『そなたらは、よい魚篭をお持ちじゃ。……わしも生まれ変わったら、そなたらのような漁夫になりたいものじゃ』


 わしの呟きにうなずいて、老人はにっこりと笑った。

『さあ、この魚を持っていきなされ』

『かたじけない』

『十郎』

 と、老人は若者を呼んだ。

『このお方のために、魚を運んであげなさい』

『はい』

 うなずいた若者の顔は、日輪のように素直に輝いて、すこしの嫌がるそぶりもなかった。

『さあ、お行きなさい』

 わしは老人に背をむけ、砂浜を歩き出した。


 するとどういうわけか、ふいに胸が切なくなり、目に涙がにじんできた。

 なぜ見ず知らずのわしに、傲慢でさえあるこのわしに、このような親切をしてくれるのだろう?


 わしはふり返った。

 浜の小舟はすでに遠くなり、わしと十郎の足跡だけが、砂浜の上に点々とつづいていた。


 遠く、焼けつくような白い光のなかを、老人がよろよろとよろけながら、波打ち際まで歩んでいくのが見えた。

 かれは波に膝がつかるほどまで進むと、まったく、驚くべきことをやってのけた。


 ……片手で自分の右のまぶたをつまみあげ、もう片方の手でその目玉をえぐりだしたのだ。


 そして、ぐっと腰をかがめた。

 なにをしているかと思えば、その輝ける眼球を、太陽の光と、透きとおる緑色の波とで、丹念に洗っているのだった。


 驚き眺めていると、後ろで十郎が言った。

『じさまは近ごろ、新しい目玉を手に入れましたので、たびたびああして、目玉を大切に洗っているのです』


 そう言って、にっこりと笑ったげな、黒い影のほうへふり向いた時、あまりにも日の光が強すぎて、それが十郎なのか、老人なのか、それとも義朝公の姿であるのか、朦朧としてわからなくなってしまった。


 ……そこで、夢から醒めた……」


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