第5話

第3章 汗の蒸気とうめき声




 十二月のその日、私は大学教養部の教務課から呼び出しを受けていた。

 手紙には〝この日からこの日の何時から何時までに来るように〟と裁判所の出頭命令のようなフィックス指定があり、威圧的な文面であった。腹が立って仕方なかったが、先般四月に無断で留年通知書を愛知県の実家に送られて大変なめにあったので、北大の学生で居続けるためにはこれに従わねばならない。

 目覚まし時計のうるさいベルで起きた私は、滑り落ちるようにしてパイプベッドから降り、床に座り込んだ。毎日妥協なく続く練習でくたくたに疲れきっていた。しばらくそのまま微睡もどろんだあと思い切って立ち上がり、蛍光灯の紐を引いた。そして柔道部のジャージ上下に着替えてストーブをつけた。去年と同じく十月に入ったころから私はストーブに火を入れていた。内地にはないたんほどもある巨大なストーブだ。いわゆる内燃式で、耐熱ガラスが前面に張ってあり炎はそのなかでゆらゆらと燃える。直径十数センチの金属製の煙突が屋外まで出ており、ストーブ内で発生した二酸化炭素やすすは外へと出ていく。大抵の北海道人はこの煙突式ストーブを使っている。室内をしっかり暖めてTシャツ一枚で冬も過ごす。

 昨晩炊いた米飯を丼二杯、生卵三つずつかけて食べ、洗濯したての柔道衣をいつものように大きな紙袋に詰めた。それを抱えて部屋を出る。ドアに鍵を掛け、アパートの内廊下を歩いて共同玄関から外へ出たところで冷たい横風に頰を叩かれた。曇った空に雪が舞っていた。またかと思った。完全な根雪にはならないがこうして雪が降っては日毎に気温が落ちていた。初めて北海道の冬を経験した昨年より、私は冷静に季節の移り変わりを見ていた。ときどき二日間ほど日陰にその雪は残り、厳しく長い冬がまさにそこまで来ているのがわかった。北大柔道部の低迷を象徴するかのような寒さに嫌な気分だった。

 アパート内に戻り、内廊下を奥へいく。そして自分の部屋へ入り、防寒コートを脱ぎ、柔道部ジャージを脱ぎ、もう一枚トレーナーを着込んでからまたジャージを着た。六畳一間のこの和室は年中窓を開けることがなく、黒いブラインドもそのままになっている。だから外に出るまで私は天気がわからない。昼間も暗いので蛍光灯をつける。柔道部員は何も言わなかったが、柔道部以外の知人が来ると「空気悪くなるから窓開けなよ」と言われた。しかし開けると閉めなければならなくなるのが面倒で、よほど強く言われて無理やり開けさせられないかぎりそのままにしてあった。北海道の冬が異様に長いこともある。半年近く雪が降るため、一階のこの部屋は積もった雪が窓を塞いで開けるに開けられなくなるのだ。

 コートを羽織った私は再び部屋を出て鍵をかけ、共同玄関から外へ出た。風が強く、首元から吹き込んでくる雪を防ぐためにジャージとコート、両方の襟を立てた。三日前からサンダルをやめ、ようやく靴を履くようになっていた。靴下が面倒だが、いずれ雪が積もればさすがに凍傷の危険がある。

 葉の落ちた無数の枝を左遠方に眺めながら南へと下る。ときどき一人でトレーニングしている公園の樹々である。小さな交差点を右へ曲がってからさらに南へ下っていく。北十九条の市民生協が見え、たつざわが住むだちビルのところで右に折れた。

 雪をかぶりながらそうせいがわに架かる橋を渡っていく。川の深さは五〇センチほどしかないが、真ん中あたりで大きな魚が数匹、川上に向かってびれをゆらゆらと揺らしている。雑草が生い茂り、水量は多くないが風で波が立つ川面には水鳥が何羽か浮いていた。それを見て私は先般のこつキャンプを思い出した。キャンプに行くとき三年目のすぎさんが創成川についていろいろ話してくれたのだ。

 いつものように小学校の横を通り、地下鉄北十八条駅の交差点に出た。小さな書店に入るとたくさんの若者が雑誌コーナーで立ち読みしていた。多くが北大生、次にふじ女子大の学生、そして武蔵むさし女子短大やてん使女子短大の学生だろう。その背中を割って『格闘技通信』の最新号を探したが並んでいない。私が発売日を間違えているのか。あるいは売り切れたのか。そもそも北海道では雑誌の発売が数日遅れる。昨年から週プロの増刊号として出ていたこの雑誌は、この春に雑誌コードを取得し、独立雑誌となっていた。

 教養部は北大キャンパス内を南北に貫くメーンストリートの北端、北十八条あたりにある。柔道場が入っている二階建ての北大武道場の前を通って体育館横を突き抜けたところだ。

 二階の窓に《柔道部》と貼り紙がある武道場前を通って体育館に近づいていくと太鼓の音が聞こえてきた。そこに男のだみごえとも奇声ともとれる大声が被さった。

《と~もた~れ、な~が~く、とも~たれ》

 ゆっくりとしたテンポで叫ばれるこの言葉《友たれながく友たれ》は、校歌『とこしえさち』の前にリーダーがみあげる一行だけのまえこうじようである。

 ゆったりと男たちの蛮声があがりはじめた。


永遠の幸 朽ちざるほまれ

つねに我等がうへにあれ

よるひる育てあけくれ教へ

人となししわがにわ

イザイザイザ うちつれて

進むは今ぞ とよひらの川

尽せぬながれ 友たれ永く友たれ


 体育館の前へ出ると、思ったとおり応援団と応援吹奏団の面々である。鼠色の空に雪が舞うなか、巨大な団旗が風にあおられてたなびいている。学生服姿のたきなみけんがいて、歌い続ける彼らの前に立って腕を組んでいた。私と同期、二年目の応援団員だ。どうやら一年目を指導しているようだ。

 スローテンポで、二番、三番と続く。


北斗をつかん たかき希望のぞみ

を照す光なり

ゆきを凌ぐきよ節操みさお

国を守る力なり

イザイザイザ うちつれて

進むは今ぞ 豊平の川

尽せぬながれ 友たれ永く友たれ


山は裂くとも 海はあすとも

真理正義おつべしや

不朽を求めあいゆるす

我等ますらおここにあり

イザイザイザ うちつれて

進むは今ぞ 豊平の川

尽せぬながれ 友たれ永く友たれ


 作詞は後に小説家となる学生時代のありしまたけである。まだ校名をさつぽろ農学校といったころのことだ。前口上《友たれ永く友たれ》が歌詞のなかでも何度も繰り返されるが、そのフレーズを歌いながら泣いている北大生を私はこれまで何度も見た。北大生の半分以上は内地から来た学生だ。北の地に憧れて集った若者たちが、自然溢れるこのキャンパスでの日々を忘れぬよう、若き有島が渾身の力で綴ったものだ。

 私は冷たくなった両手をポケットに突っ込み、そこで応援団員たちが歌うのを最後まで見ていた。そしてやはり《友たれ永く友たれ》のフレーズのところでじわりときた。

 私がいることに気づいたたきなみが「おう」と破顔しながら近づいてくる。

ます。珍しいじゃないか。おまえは武道館のところまでしか来ん男だと思っとったぞ」

 応援団の一年目や応援吹奏団の面々に聞こえる大声で言ったので、みなこちらを見てにやにやしている。

「おまえこそ教養部に近づきすぎじゃないのか。接近禁止命令が出とりそうなもんだが」

 私が返すと瀧波はけらけらと嬉しそうに笑った。この男はほんとうにいい笑顔をする。

 瀧波も留年して私と同じく二年目一年となっていた。北大では何年在籍しているのかを《〇年目》と言い、体育会やけいてき寮ではこの数字が優位であり、学校の正式の学年はその後に付けて《〇年目〇年》と呼ばれる。《四年目二年》とか《七年目四年》などこの数字の差が大きいほど北大の体育会や寮では畏敬されるふうがある。しかし教養部は四年以内に突破しないと放校になるので《五年目三年》はいても《五年目二年》という身分は存在しない。学部に進学するとリセットされ一般学部では八年目まで在学可能なので、最高ランクは《十二年目六年》の医学部生か歯学部生か獣医学部生であり、彼らは神のように扱われる。何だか和牛のランクみたいだ。

「学ランも短髪もすっかり板についてきたな」

 私の言葉ににやりとし、瀧波は角刈り頭の雪を払った。

「ああ。そろそろ青春時代も終わりを告げて恋の季節となった。エゾリスやヒグマも恋をしとる。われわれ人間も恋をしなきゃならん」

 瀧波の後ろにいる一年目たちはみな肩まで伸びた長髪にランディ・バースのような髭をたくわえている。そして応援団に代々伝わる継ぎぎだらけの着物を着て、帯がわりに麻の縄のようなものを腰に巻いていた。彼ら応援団員は五月のたるしよう戦、つまり北大とたるしよう大学との運動部総合定期戦の前に行われる伝統の応援合戦のためにこのような恰好をしている。しかし北大も樽商もこの恰好は二年目までで、二年目の一人が《樽商戦団長》となって応援合戦をする。そして夏のななてい戦で各運動部の応援へ随行するまではこの恰好で過ごし、七帝戦が終わると断髪式をするらしい。長髪を切り、髭を剃り、学生服に身を包むのだ。瀧波はちょうどこの時期にあたり、夏に断髪式をして学ラン姿になったのだ。

「そういえばおまえ、彼女ができたらしいじゃないか」

 瀧波が私の胸を拳でどんとついた。

「誰に聞いた」

「バップだよ。マスターが言っとった。えらいべつぴんさんらしいな」

「そうでもないけどな」

「学生結婚するんじゃないかとも聞いたぞ」

「それはない」

 私が笑うと、瀧波も笑った。

「おまえとむらは年寄りだからそれもありだぞ」

 瀧波は現役合格なので年齢的には私より二つ下だ。が、ラグビー部の木村さとるは二浪である。彼も水産系であり、かつ私たち二人と同じように留年していた。巨漢。髭面。豪胆。戦国武将のような男で、一年目時代に恵迪寮の相撲大会で優勝し、それ以来負け知らずで横綱を張り続けているようだ。しかし私たちは三人とも学校へ行かないので、会うのは飲み屋ばかりである。

「ところでおまえ。あの立て看板、字が違うんじゃないか」

 私は体育館前の柱に針金で縛り付けられている応援団の立て看板を指さした。

「どこが間違っとる」

「よく見てみろ。《ボロは着てても》の後になんて書いてある」

「心はにしきと書いてある。まさにうちの応援団そのものだ」

「もう一度よく見てみろ」

 私はまた指さした。

「本当に心は錦と書いてあるか」

「書いてあるじゃないか」

「おまえたちがいいならいいけど」

 私は片手を上げて笑い、教養部へと向かった。看板には《ボロは着てても心は錦》ではなく《ボロは着てても心は綿わた》と書いてあった。私も含め柔道部員も柔道以外は粗雑このうえない集団だが、応援団も相当なものだ。



 メーンストリートを挟んで体育館の対面に教養部はある。辺りにはにれの巨木が無数にあって左右へ枝を広げているが、この時季はどれも裸で寂しい景色である。教養部の建物は農学部や理学部などが煉瓦タイル貼りの威風ある佇まいなのに対してコンクリート剝き出しの味も素っ気もないものだ。寒風と雪のなか、少し足踏みして身体を温めながらそのなかに入った。

 三階建てなので前から見るとそれほど大きな建物には見えないが、中に入ると奥行きがかなりある。それはそうだ。全学部の一年生と二年生、合計五千人がここで教養課程を学んでいるのだ。ただ、九月の終わりに二年生は学部へ進学してしまうので、秋以降の今の時期は一年生の二千五百人だけが学んでいることになる。

 私はみぞおちの高さにある教務課のカウンターに両肘をついて中を覗いた。そして小さなガラス窓を開け「すみません」と人を呼んだ。立ち上がって窓口に来た若い男性係員に呼び出しの手紙を渡した。恵迪寮の連中はこの教養部教務課を「ジムジム」と呼んでいる。事務とジメジメを合わせた造語らしいが、ここの事務はとにかく学生に対して横柄らしい。書類に少しでも不備があると何度も書き直しを命じ、一日だけ出席日数が足りない理由を詳しく説明しても絶対に許さず留年させ、留年が重なれば文句なく放校にするという。そして「おい」「おまえ」と学生を呼ぶ。とにかく学生の言い分は認めないらしい。《らしい》というのは私自身はそもそも授業に出ないので彼らとほとんど話をしたことがないのだ。目の前の男性係員は私をちらちら見ながら書面に眼を落としていたが、しばらくすると奥へと歩いていき、書類棚から一枚の紙を持ってきた。

「これ書いて」

 差し出された紙を手に私は窓口の片隅へ行った。置いてあるボールペンで必要事項を埋めていく。そしてまたガラス窓を開け先の係員に声をかけた。やってきた男性係員は書類と私の顔を交互に見比べて不機嫌そうに窓を閉めた。これでいいのか不備なのか、それすら言わないのでムッとしたが、彼らと喧嘩していいことはひとつもない。先ほどの係員が座った席の向こうで管理職らしき胡麻塩の坊主頭の中年男がこちらをじろじろ見ている。あれが寮生たちから聞く「ジムジムのヌシ」であろう。対応のあまりの酷さで学生みんなに忌み嫌われているようだ。

 窓口から離れながら、さて、どうしようかと思った。道衣の入った紙袋を抱えているだけで文庫本すら持っていない。大きな壁時計は午後一時半を指していたが柔道部の練習は四時からだ。本当は書類を出してから部室で『格闘技通信』の最新号を読もうと思っていたのだ。アパートに戻るには三十分かかる。戻ってくるのも三十分かかるので合計一時間だ。昼寝もできない。何をやるにも中途半端な時間だった。

 掲示板を見てみた。教養部の授業時間割が書いてあった。私の所属するクラスは四クラス合同の動物系統分類学の授業中だった。これなら暇つぶしになるだろうと階段を上っていく。授業時間の廊下には人が一人も歩いておらず、しんと静まりかえっていた。三階のその教室のドアのガラスを覗くと数百人の学生がぎっしりと座っている。

 静かにノブを回し、黒板に何かを書いている先生に黙礼して入っていく。一瞬だけ学生たちの眼線が私に流れたがすぐに黒板に戻った。これだけ人がいるのに咳ひとつない静かさだ。ただチョークが黒板を叩く音がしているだけだ。

 板書していたチョークを先生が置き、両手についた粉を払った。

「このように、ヒモムシというのは閉鎖血管系を持ち──」

 静かに説明を始めた。学生たちが一斉にノートをとりはじめる。大量の人間が同じ方向を見て同じことを始めるのを第三者的に見ると異様である。まつ君が望みもしない薬学部へ移行してしまったのでもわかるとおり、この教養部の成績が将来の専門を左右する。だから北大の教養部生は大学受験時以上に勉強していた。ノートの貸し借りなどもってのほかで成績競争に必死である。

 私は一番後ろの空いている席に座った。そして頰杖をついて先生の話を聞いた。紐型動物門の説明が延々と続く。後ろのほうには私と同じく留年者らしき学生が何人かいてめんどくさそうにノートを取っている。先ほどのジムジムの厳しさではないが、ほんのひとつ授業を落としただけで留年させられると「やってられない」となる学生もいるだろう。私のようにごっそり単位を落としているとむしろ気楽だ。

 これは一年生の授業である。私はこの春留年をし、ひとつ下の学年に組み込まれていた。昨年の入学時にクラスメートだった者たちは二年生になり、九月にはこだての水産学部へ移行してしまった。数人は留年しているだろうが、ぐるりと見たかぎり知り合いは一人もいない。教養部水産系は一学年に五十人強のクラスが四つあり、全部で二百数十人いる。柔道部のゆうはクラスは違ったが、やはり先に函館へ移行してしまった。体育会の連中のなかには私や瀧波憲二、木村聡など、わざと留年して函館へ移行していない者が何人かいたが、飛雄馬は道東地区トップ進学校のくしりよう高校から現役合格した秀才で、教養部の成績も抜群のまま希望学科へ進学していた。イワナなど渓流魚の生態研究者を目指していると言っていた。

 私はしばらく授業を聞いていたが、思ったような面白さがないので机に突っ伏して寝た。夢のなかで練習をしていた。かなざわさんに抑え込まれていた。いやしかし金澤さんは引退して就職して札幌を離れているはずだと思っていると、今度は和泉いずみさんに抑え込まれた。しかし和泉さんも引退したではないかと思っていると〝冷血金澤、残酷おか、陰険なが〟という懐かしいフレーズが頭をよぎって眼が覚めた。随分眠った気がするが、まだ授業時間は三十分くらい残っていた。大学の授業はとにかく長い。

 よだれでごわついた頰をジャージの袖で拭いながら横を見ると、二つ隣の席でカバーを外した文庫本を読んでいる男がいた。私と同じくノートも教科書も持っていない。ずいぶん大人びた雰囲気をしていた。私より歳上ではないか。

 興味を持って観察していると男が顔を上げ、こちらを見た。

 私が頭を下げると、にやりと笑った。

「教科書ないんだね。俺も持ってきてないんだよ。ほら」

 文庫本を持つ両肘を上げてみせた。

「僕、二浪して留年もしてるから二十二歳なんです。だから面倒で教科書買ってないんです」

 私が言うと、男は真面目な顔になって手を振った。

「俺は二十八だよ。六つも上だ」

 そう言って笑った。なるほど、大人びているはずだ。長髪の間から覗くそうぼうが少し疲れて見えた。

 そこから二人でひそひそやりあった。すぐ前の学生たちには聞こえるのでときどき振り返っていやそうな顔をされた。

「俺、出身なんだ」

「え、僕も名古屋ですよ」

「そうなの? 俺はとうかいだよ。もしかして後輩とか?」

「いえ。僕はあさひがおかです」

「なんだ、隣じゃん。面白いね」

「増田っていいます。よろしくお願いします」

 男はなかだと名乗った。とうこう大を出てサラリーマンをしてから北大水産系に入り直したのだという。やはり留年してこの授業を受けているようだ。東海高校と旭丘高校は歩いて十分くらいの距離にあり、高校時代はときどき柔道部の出稽古に行った。東海の柔道部は愛知県では敵無し、戦後に県内で負けたのは一度だけという強豪中の強豪で、プロレスラーのサンダーすぎやまや大相撲のふじかわを輩出していた。

「喫茶店でも行こうか」

 中尾は文庫本をジーンズの尻ポケットに突っ込み、中腰になってそそくさとドアから出ていく。私もそれに続いて小走りで廊下へ出た。

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