うまくない人生
物心ついたときから不器用であった。手先だけならいいが、人間関係その他でも不器用なのである。
とはいえ、それで「人とは話さぬ」などとやっておれば浮世でやっていけぬから、なんとかかんとか友人を作って生きてきたわけであり、もっと不器用な人というのはたくさんいるのだろう。
人の輪の中心にいたいというわけでもない。孤独を感じない程度に話の合う人が欲しいのだ。そうした中でなんとなく特に気が合う気がする人々がいて、もはや39歳である。
ここ2年、「ネットで知り合った人々」と会うことが増えた。コロナがあって人間関係が若干絞られてしまった感はある。そして、子どもがいるので友人と遊ぶというより、「子どもたちを遊ばせる」方が優先度が高くなって来たというのもある。大学時代の友人と会っても、お互い子連れなのだ。
そんな自分にとってネットで知り合い、またシェアで知り合った人々というのは独身ばかりで誘うのも誘われるのも気軽なものである。また同じ障害を持つ人も多く、僕の脳みそへの理解があるのもありがたい。子どもを引き連れて遊びに行けるのも妻の休みになるから良いものだ。とはいえ対人関係不器用マンなので、いつか怒らせてしまう気もしている。僕はほとんど友達と喧嘩になったことがないから、嫌われたら相当ショックだろう。よくしてもらえた人たちだから、このまま関係が長続きさせたい。
いい歳なのだが、なにかあったときに利害なく話せる人がいてほしい。そして「自分がこの先どうなるのか」という漠とした不安がつねにある。必ず死ぬということしかわからぬ。より良い方向に生きるというのもわからない。「家族のために」という人間ではない。「子どものために」「妻のために」みたいな発想もあまりないのだ。駄目な人である。ひとりで死ぬ予感がある。それは決して悪いことではないなとも思う。
どんな人間にも春夏秋冬があると言ったのは吉田松陰で小伝馬の獄中で死罪をまつ間際だったか。
ジャリジャリした不安の中で生きている。たぶん死ぬ間際までこうなんだろう。
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